(3)
からり、と力の無い音を立ててドアが開く。
「……前よりは、埃っぽくないね。掃除した甲斐があった……のかな?」
「そうだな、やった意味はあったんだろ」
薫が図書室内を見回しながらぽつりと呟く。以前俺と薫と更紗で掃除をした時は、あまりに埃っぽい為にもはや掃除をする意味が無いんじゃないかとさえ思っていたが、現状を見ているとそれなりに効果はあったようだ。
お目当てのノートを探そうか……と歩き出した途端、皐月が「あ……」と呟いて、前方を指差した。
「どうした皐月。……あ」
皐月が指差した先には、古びたノートと鉛筆が置かれていた。
「……あっさり見つかるもんだな」
誰も入ってなければノートが同じ場所にあるのは当然だろうけども、あのノートに関してはふっとどこかに消えていたとしても不自然ではない気がして、何だか拍子抜けしてしまった。
4人でノートのある机まで歩いていき、囲うようにして見つめる。
「……これが、『お願いノート』なの?」
「……そうだな。俺たちが以前見付けたのと同じものみたいだ」
薫と更紗が同意の頷きを見せる。
改めてノートを手に取り、恐る恐るページを開く。まるで何十年もの間ここに取り残されていたかのような、ぼろぼろのページの感触がした。
「前に俺たちが見た時は、願い事をちらっと見ただけだったっけな」
「そうだね。あの時はまさか、本当に願いが叶うだなんて思わなかったしね……」
俺が椅子に座り、4人が顔を寄せる。右隣に薫、左隣に更紗、そして後ろに……。
「……なあ、当たってるんだけど」
「当ててるのよ」
皐月。
……やっべ、左肩が超柔らかい。
「匠。あ、間違えた、変態。早くノートを見てみようよ」
「そうだよ変態の匠くん、いや、変態くん」
「そうよ、私みたいな年上の巨乳に目が無い匠くん、いえ、巨根」
「お前ら言いたい放題だな!?」
最後にさらりと爆弾が混ぜられていたけど、薫と更紗は気付いていなかったようで安心した。なんで皐月は俺の下半身をじっとりとした目で見つめてるんでしょうか。興奮するからやめてほしい。
「おのれ……」
忌々し気に歯ぎしりをしたら、全員に引かれた。アニメの敵キャラをイメージしてみたらだだスベりだった、つらい。
適当に開いた所からノートの中身を見てみる。
びっしりと書き込まれた願い事を、じっくり見てみることにした。
「なになに……『次の追々試で赤点を取ったら留年してしまうので、最低限で良い。35点を取らせてください』……ぎりぎりすぎるだろ」
「いかにも高校生っぽいね。ん? 『ドラクエ3が欲し過ぎてしにそう。バイトを許してもらえないけど、どうしても欲しい。ドラクエ3、ドラクエ3、ドラクエ3……!!』……う、うわぁ、時代と執念を感じる……」
「良い話もあるみたいだよ。『電車で見かける受験生と思われる中学生の女の子が本当に頑張って勉強しています。どうか合格させてあげてください』……これ、どうなったんだろう?」
「あ、私好みの話もあるわ。『担任の幸子先生に童貞を貰ってほしい。心の底から好きだし、それ以上に先生とそういうことをしたいです』ですって……やだ、食べちゃいたいわ」
皐月の頭をはたく。
「何で私だけ……」
「文句を言いながら俺の耳を撫でるな。変な気分になるだろうが」
「何このバカップル……」
「薫、だまれ」
こんな会話をしながらノートを読んでいく。
ふと、最初の方のページを読んでいなかったことに気付いた。
「そう言えば、最初の方を読んでなかった」
「そう言えばそうだね」
話しながらページを捲ると、そこには、丁寧に箇条書きされたルールが書き込まれていた。なんでルールと分かるかというと、ページの先頭に丁寧に「ルール」と書かれていたからだ。無駄にポップな字体で気が抜けたが、今はあまりそこを気にしている場合ではない。
4人の間の空気が、一気に固くなる。
ページをきちんと開いて、ゆっくり読み始めた。
「☆☆☆お願いノート ルール☆☆☆」
〇日付、願いごと、署名を忘れずにする。
→神様は時間も空間も超えた粋な存在です。今皆さんが生きている時間や場所は、神様から見たら大河の中の一滴、砂漠の中の一粒に過ぎません。ところでゴビ砂漠のゴビって日本語で砂漠って意味らしいですよ。日本地図に砂漠ってだけ書かれてる所があったらウケますよね。外国で見かける「現地の言葉では~という意味で……」っていうのを見る度、そのまんま過ぎるだろって思ってます。ウケますね。味噌汁吹いちゃう。
〇お願いノートに願えるのは1人1回まで
→最も、こう書いてはいるものの、このノートは強く叶えたい願いがある人に反応して見えるようになっているので、大抵の場合一度願いを叶えたらノート自体が見えなくなると思います。もし見える人がいて、その人が2回目のお願いごとをしたらどうなるのかは……少なくとも、私が赴任してからは例が無いので、実際どうなるのかは過去資料を読まないと分かりません。しかし私はこれ以上残業が続くともう強制的に有給消化によるハイパー連休に入るくらいには疲れているので、そういう余計なことはしません。神様、時間感覚が緩すぎてタイムカードに関心無さ過ぎるんだよなぁ……。もっと現代に合わせてほしい。帰りに薄い本をじっくり選んで買う時間がもっと欲し(文はここで止まっている)
→あくまで、願いごとは「1人1回」まで
〇願い事その他諸々を書き、尚且つ二礼、二拍手、一礼をすることで願い事が叶うかどうかの審査が始まる
→礼儀は大事です。ちゃんとこれを行わないと、神様はガン無視します。私から見てもドン引きするくらい綺麗に無視します。なのでお願いする時はちゃんと作法を守りましょう。神様はこの辺に容赦が無いです。マジで。
〇審査中は辺りがそれっぽい光に包まれる。審査時間は3分。その間どう過ごすのかは自由。
→文だと全然ぴんとこないと思いますが、いざ願うと本当に「あ、それっぽいな」と皆さんにご好評頂いてます。それっぽい方が神様が何かやってる感がしますもんね。
〇大体皆さん、強い願いがある癖に願い方がいまいちなんですよ。日付が書いてなくて神様に「これじゃいつの願い事か分からんだろうが。過去も現在も未来も自由に行き来出来る私からしたらこんなの言語道断だぞ。ちゃんと書かせろよお前。減給」などと言われるし。薄い本を買うお金が減るのはいやですよマジで。好きな作家の方に貢献出来なくなっちゃう。
私基本的にデスクワークなんだから、願い事の時に同席出来る訳ないんだっての。あと本名じゃなくてあだ名で書くやつ、マジでやめてほしい。テストで学年1位を取りたいって書いたやつの記名が「ひろくん」だったから、仕方なく「ひろくん」に対してそれを実施したんですよ。そしたら学年で元の成績がばらっばらの「ひろくん」4名が同率1位になっちゃってすごい騒ぎになったんですよ。ひろくんってそこまで多いのかよ。神様すげぇ複雑な顔してたんですよまったく。後はきちんと書いてても願い方がなってない人が多いこと多いこと。まあノートにそこまでは書いてないし、書いてもいけないからしょうがないんだけど。
〇……はぁ……不満ばっかりが募っていく……。ああそうだ、相談に乗ってほしいって言って、彩音を飲みに誘ってみようかなぁ……最近結構仲良くなれてきたし、チャレンジしてみるか! ひゃっほう!
ルール説明、終了。
『………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………』
放送事故かって程の沈黙が、4人を包む。
なんだろう、この、余計な情報の多さは。
トルストイの小説の合間合間に、中途半端に読書好きな中学生が解説を入れてるような。
池上彰の解説に、おバカキャラの女性タレントが副音声を入れているような。
そんな感じ。
どんな感じだ。
「…………」
取り敢えず。
「……大事な情報は、こん中の三割くらいか」
「ていうか、これ、誰が書いたの……? 最後、もはやルールが1個も書かれてなかったよ? 最終的に好きな女の子を飲みに誘おうっていう決意表明で終わってるよ?」
更紗がものすごく訝し気な目をしている。基本的におっとりしている更紗がこんな表情を……。
「流石に……私でも引くわ……」
皐月が苦虫を噛み潰したような顔をしている。皐月のこんな表情を見られるとは……。
「この話をそのまま信じるなら、書いてる人は神様と僕たち人間の間にいる、中間管理職って感じの人なのかな……?」
「おいやめろ。ロマンが一気になくなるだろうが」
「そうは言ってもさ……」
薫が哀し気な顔をする。何だろう、お父さんは社畜なんだろうか。
「こんなふざけたノートに、私は、私は……」
「皐月、落ち着け。な?」
皐月がぷるぷる震えている。ノートを開くまでの何だかんだシリアスだった雰囲気を返してほしいという思いは俺にもあるけど。めっちゃあるけど!
……しかし……。
「書き方はふざけてるけど、気になる点はあるな」
「? どの辺のことを言っているの?」
皐月がくりんと首を傾げる。
「ほら、ここ。『審査中は辺りがそれっぽく光に包まれる。審査時間は3分。その間どう過ごすのも自由』って言い方とか、詳しくは書かれてないけど……妙に気にならないか?」
「言われてみれば、確かにそうね……。今までの話を聞いた限りだと、てっきり願い事を書いたらそれでお終いという感じかと思っていたけれど……」
「あ、みんな、見て」
ページをぺらりと捲った更紗が何かに気付き、ノートを指差す。
「更紗さん、どうしたの? さっきも見た願い事リストみたいだけど……」
「ここ見て、願い事の先頭の部分」
「え……あ」
さっきも読んだ様々な願い事の横に、「〇」「△」「×」などという記号が書き込まれている。
「これは何なんだろう……? あれ、良く見ると、なんか〇が付いてるところって、願い事を書いてる文字がすごいはっきりしてない?」
「そうね。そして△と書かれた所は心持ち薄くて、×と書いてある所に至ってはほとんど消えかけているわ……。これって、もしかして……」
皐月が何かを言いかけて、途端に顔が青ざめる。机に乗せている皐月の手を思わず握ると、皐月がほっと安心した表情を見せた。
小さく喉を鳴らして、俺が皐月の言葉を引き継ぐ。
「……『叶った願い事』『中途半端に叶った願い事』『全く叶わなかった願い事』の3つ……ってこと、なのかもしれないな」
皐月をちらりと見やると、小さく頷いた。唇が微かに震えている。
「……あ、それじゃあ、皐月ちゃんは……」
更紗が口に手を当てて、目を見開いた。
「……それ以上は、言わないでくれるか」
皐月を気にしながら呟く自分の声が、思いの外掠れていることに驚いた。更紗はこくこくと頷いて、「……ごめん」と落ち込んだ声音で言った。皐月は力無く笑ってかぶりを振り、更紗を慰める。
「……皐月、大丈夫か? ……大丈夫じゃないよな」
皐月は俯いていた。鴉の濡れ羽色をした長い黒髪に覆われて、その表情は窺い知れない。
「一旦、教室に戻ろう。ここに居ると、気が滅入っちまうからな」
「そ、そうだね、うん……」
図書室の歪な空気の中に、無理に元気を取り繕った俺と薫の言葉が響いて、風化するように消えていった。
第一図書室を出て、教室に向かう。
開け放たれた窓からは、図書室に入る前と同様にあちこちから文化祭の準備の音が聞こえてくる。
「楽しそうね……」
皐月が消え入るような声で呟いた言葉は、俺の心に深く沈殿していった。
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