(2)

 そして迎えた放課後。

 皐月を加えた4人パーティーで、俺たちは旧校舎の第一図書室に向かっていた。それなりに距離があるので、のんびりと歩く。


「なんだか不思議な気分だわ。こうやって皆と並んで歩くなんて」

「そうか……いや、それよりも」


 皐月の澄んだ声音に癒されながらも、入れるべきツッコミを入れる。


「なんでお前、俺と腕を組んでんだ?」


 右腕が柔らかい。厳密に言えば俺の腕が柔らかい訳じゃないんだけど、俺の肘周辺がすっぽりと柔肉に呑み込まれて見えなくなっているから、もはや右腕が柔らかいとしか言いようが無い。

 皐月は、何故か俺と腕を組んでいた。あまりの心地良さと興奮で、正直目的地が第一図書室なのか保健室(意味深)なのか分からなくなっている。いや、分かるけどね。分かるんだけど……ね、うん!


『ぷっ……くく、ぷすす……っ』


 薫と更紗を見ると、頬を膨らまして笑うのを堪えていた。吹き出す寸前じゃねぇかこいつら……。

 俺の質問に対して、皐月は真剣な顔で答える。


「最近匠くんを見ると妙に恥ずかしくなって言葉が出てこなくなることが多いから、いっそ荒療治をしてみようかと思って」


 聞いた俺が死にそうになった。


「……その効果の程は?」

「……却って死にそうだわ。でもこうやっているのは、その、嫌いではないんだけど……だめ、かしら?」

「お、おう、ま、まあ、良いんじゃねぇの……」


 しどろもどろに答える。皐月の顔が真っ赤なんですけども。俺も顔が超熱い。薫と更紗はさっきの表情から一転して死にそうな顔になり、「砂糖が……砂糖が……」などと呻いている。どうしたんだこいつら。

 目のやり場に困り、目線を泳がせていると、廊下の窓が所々開けられているのに気付く。気温が上がってきて、旧校舎も換気をするようになったんだろうか。


「……お」


開いた窓から、ファンファーレの音色が聞こえてくる。吹奏楽部が練習しているんだろうか。これから戦地に赴こうとしているとも言える俺たちを、鼓舞してくれているように思えた。


「あー……いつもと聞こえてくる曲が違うね。雰囲気がまるで違う」


 薫がぽそりと呟く。どうやら回復したらしい。俺と皐月が組んだ腕を見てぷくくと笑っているのがだいぶ腹が立つので、次に笑っているのを見付けたらラリアットしようと思う。


「そうだね。そっか、もうそんな時期かー」


 薫の言葉を受けて、更紗もぽつりと呟いた。


「ん? そんな時期って……ああ、そうか」


 皐月も、俺とほぼ同時に気付いたようだった。

 京譲高校は、毎年五月中頃に文化祭「京譲祭きょうじょうさい」が行われる。名前がそのまんまなのはご愛嬌。今聞こえている吹奏楽部の曲も、きっとその時どこかしらで披露されるものなのだろう。雰囲気的にオープニングセレモニー辺りで演奏されそうだ。

 よく耳を澄ますと、吹奏楽部以外にもどこかのクラスや部活で、がやがやと喋る声や何かを叩く音が聞こえてくる。きっと各クラスの出し物の準備や、部活ごとの企画の用意を進めているんだろう。


「去年までは張り切ってたんだけどなー。まあ、三年生は毎年こんなもんだよね」

「ああ、そうだな」


 薫が気の抜けた声で言った言葉に答える。薫の言うように、毎年一・二年生は文化祭に相当な力を入れるのだが、三年生は受験勉強に伴う様々な放課後の補習(希望制のものがほとんだが)があったりとかで、大体客側、楽しむ側になっている。たまにクラスで出し物をしているクラスもあったが、それはよっぽど仲の良いクラス且つ熱血漢のいるクラスでないと無理だろう。うちのクラスは仲こそ良いものの、そこまでするつもりは無かった。


 1・2年生からしてみれば正に青春の極みといったイベントで、準備やステージ発表を通じてラブロマンスに発展することも多いし、またそれを狙った輩が鼻息荒く蠢いていたりする。軽音部やアカペラ部のようないかにも青春してます系の部活の男子の張り切りようは、見ていて切なくなるものがある。かくいう俺も去年一昨年と文化祭のタイミングで告白をして、見事に帰宅後姉に慰めてもらう経験をしている。姉のお胸様は本当に柔らかかったです、はい。


 普段はほとんど使われることのないこの旧校舎も、文化祭の時期だけは準備用に教室を開放する。まれに当日の企画で使われることもあるが、今年はどうなんだろうか。


「……そっか、今年も……」


 皐月が切なげな表情で、遠くから聞こえてくる音に思いを馳せている。


 ――文化祭の名前は、通称「皐月祭さつきさい」と言う。


 目の前の女性を見て、ふと胸が詰まった。


「…………」


 何も言わず、皐月と組んだ腕に力を込める。皐月はきょとんとした目で俺を見た後、にこりと微笑んだ。ありがとう、と言っているのが言葉が無くとも伝わった。



 そこから間もなくして、第一図書室のプレートが見えた。さして古くない筈なのに妙に寂れて見えるプレートに哀愁を感じていると、皐月の腕に不意に力が篭った。


「? 皐月……どうした?」

「な……なんでも、ない、わ……っ」


 顔を見ると、何でも無いようには全く見えない、息苦しそうな顔をしている。


「さ、皐月ちゃん? 大丈夫?」


 更紗と薫も心配そうに皐月を見る。

 皐月は青ざめた顔で俺たちを見渡し、力無くにこりと微笑んだ。


「……ごめんね、心配かけて。……ちょっと、記憶が戻ったところがあって」

「え、皐月……それって……?」


 皐月が第一図書室のプレートを見つめながら、物憂げに溜息を吐いた。


「……私が蘇った時、一番最初に目を覚ましたのはここだったの」


『……っ』


 3人がそれぞれ息を呑む。


「それも……桜がこの場所でお願いしてくれたからなのかしらね。今までは蘇った頃の記憶が曖昧だったけど、あのプレートを見た途端に、私の中の扉みたいなものが開いた気がした。……あそこに行けば、きっと何かが分かるんだわ、きっと。行きましょう」

「……ああ、そうだな」


 皐月が顔をきりっと引き締めたのを見て、俺たちも決意を固める。

 第一図書室に向かって、ゆっくりと、けれど確実な足取りで歩み出した。

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