第4章 光明を見出すもの

(1)

「さて……」


 どうしたものか――と、帰り道で呟く。

 あの後皐月と教室で別れた。泣き腫らした目になっていたけれど、表情は柔らかかった。


『また明日。ね?』


 皐月が居なくなる瞬間まで一緒に居ようと思ったが、皐月は「まだその覚悟が無いから」とやんわり断った。困ったように笑うあの顔から、悲しみを拭えないか。そんな思いばかりが先行して、一向に次の手が浮かばない。


「そう言えばさ」


 隣を歩く薫が、何か思い出したように言う。薫を挟んで向こう側を歩く更紗もその視線を薫に向けた。


「あのノート……僕たち、まだ詳しく見てなかったよね?」

「あ……」


 確かに。

 皐月の今の状況は、元を辿ればあのノートに姉が願い事をした事に端を発している。それに、俺たちはあのノートをまだ一度しか、それもざっとしか見ていない。


「……明日、あのノートを見てみるか」

「それは……皐月ちゃんも?」


 更紗がこちらを窺うように見て、ハッとする。

 今までは三人で様子を探るように動いてきた。

 しかし今は、皐月から聞ける限りの話をして、本人に助けるとまで言っている。


「それは……皐月の気が向けば、かな」


 下手をすれば、姉の願い事を直接見ることになる。

 ――自分を生き返らせるよう願いごとをした、姉の記述を。

 それを見た時、皐月がどう思うかというのはまるで想像がつかない。


「そうだね……皐月さんには聞くだけ聞いてみよう」

「ああ、そうだな」


 俺が答えると、更紗もこくんと頷くのが見える。

 歩きながら、辺りの景色を見渡す。この地方は例年、桜の開花が5月初め頃なんだけれど、今年は妙に遅い。ニュースでも異常だ異常だと言っている。異常気象も何度も言われ続けるとまるで異常に思えなくなってしまうんだけど、それはまあご愛嬌ということで。

 皐月を元の生活に戻すことが出来たら、桜を見に行けないかなと思った。そしてその想像をすると、姉の桜も思い出す。姉と皐月は親友と聞いていた。桜の木の下で仲良く語り合うこともあったのかもしれない。

 今起きている現象は、誰も恨むことなんて出来ない。誰も悪い人なんて居ない。

 それでも、今のままでは、登場人物がみな滑稽な道化になってしまう。

 存在を曖昧にされた少女と。

 そんなつもりで願い事をした訳じゃない、少女の親友と。

 少女に自分が母であることも告げることが出来ない、母親と。

 何も出来ていない、俺たち。


「…………」


 ぎりり、と上下の歯を強く合わせた。

 こんな、こんな、こんなことがあっていいのか。

 いいはずがない。

 空を仰ぐ。皐月の屈託の無い笑顔を思い出す。


「……っとと」


 ふと、足に何かがぶつかった。目線を下にやると、可愛らしい猫が俺の足にすり寄ってきていた。


「わー、猫さんだ。可愛いね。匠くんに懐いてるみたい」


 更紗が嬉しそうに屈んで、髪をかき上げながら愛おしそうに猫を見つめている。思わず隣の薫を見やり、にやついた。


「なんか……この猫、皐月と似てるかも」


 猫の中でもどこか大人びたような、それでいて気分屋に見える雰囲気がどことなく皐月に似ている。そう思って何気なく口にした言葉に、薫と更紗がくすりと笑った。


「匠……どんだけ皐月さんのこと好きなのさ?」

「んなっ!? ――――っ! ~~~~っ!?」


 この後、何て言ったのかはあまり覚えていない。しかし、顔がやたら熱かったのはよく覚えている。



「イクわ」


 皐月の返答に、三人が同時に吹き出した、翌日の朝。

 ノートのことを伝えて、一緒に見に行けるなら見に行かないかと告げたのがついさっきのこと。皐月は俺の申し出に、二つ返事で答えた。……ごりごりの、下ネタ表記で。


「……お前、ばかじゃねえのか」

「あら、私を助けてくれるんでしょう? 私はただ待っているだけなんてごめんよ」

「いや、そっちの件に対してばかとか言う訳ねえだろ!?」


 こいつの下ネタは呼吸同然なのだろうか。

 俺が声を荒げてツッコんだことに対し、皐月は尚もボケ続ける。


「ひどいわ、私を助けるだなんて嘘をついて……私は遊びだったのね……」


 口を手で覆い、よよよと崩れ落ちる。妙に様になるし色っぽいからやめてほしい。


「人の話を聞けよ」

「冗談よ。嬉しくてつい」

「? 嬉しくてって……何でだよ?」


 尋ねると、皐月がふっと微笑む。その頬にはうっすら赤みが差していた。


「……やっと、私も行動が起こせるって思って。一応、今まで一人でも見にいこうとしたことはあったのよ? ……でも、怖くて出来なかった」

「……そうか」


 皐月が苦笑を浮かべて、僅かに俯く。長い睫毛がゆらりと揺れる様に、心音がとくんと鳴った。


「でも……今なら。匠くんが、薫くんが、更紗ちゃんがいる。だから、私は大丈夫」


 皐月が微笑んだ。そうだ、四人で頑張れるん――


「四人で、一緒にイケる」

「なんで話を戻したんだ!?」


 半ば本気でツッコみつつ。

 皐月がこういう話の時に挟む下ネタは、照れや動揺を隠す時の為のものだということはもう気付いていた。よく見れば、白磁のような肌をした手も震えている。

 皐月の手を掴んだ。少しだけ冷たい手を温めるように握り込む。


「大丈夫だ、な? 少しずつ、やり方を探していこう」


 真摯に言ったつもりだったんだけど。


「……っ」


 皐月の顔が、茹で上がったかのように真っ赤になった。ついでに、何故か更紗の顔も。


「ああああありがとう、た、たた、匠くん、あう、あうぅぅぅぅ……」


 皐月が目をぐるぐるさせている。何だろう、すごいどきどきする。


「これで付き合ってないって信じられる? 更紗さん……」

「ねー? こんなにお似合いなのに……何なんだろうね?」


 お前らが言うな、と心の中でツッコんだ。

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