(9)
その後。
俺たちは教室に――皐月のいる教室に向かって歩いていた。
「匠はさー」
薫が呟くように話しかけてきた。
「ん?」
「桐橋母娘を狙ってるの?」
「ぶふぉぁっ!?」
斜め上から矢が飛んできた。
「げほっ、ごふぅおぁっ、がはっ……なんでだよ!?」
「どんだけむせるのさ……。だってまさか、あの卯月先生が、学校一の美人で密かに学校の男子の『筆おろしさせてほしい女性』ランキングで生徒と先生全員を合わせた中で一番の先生が……」
「待て。俺初めて聞いたぞそのランキング」
「あれ、知らなかったの? 面白いよあのランキング。ランキング付けをする過程での議論も中々――」
「薫くん……」
「あ、ち、違うんだよ更紗さん。僕はそんなのに参加してないから。匠から聞いたんだ」
「匠くん……」
「初めて聞いたって数秒前に言ったよな!? やめろ、そんな哀れむような目で俺を見るな!」
「こほんこほん、んんんっ。……そんな卯月先生が、まさか、ねぇ?」
「そうだねぇ……」
薫と更紗が、顔を斜め上に向けて勝手に回想モードに入った。
ほんのついさっき、俺が先生に皐月を助けるということを告げた後の会話。
『……橘、いや、ご主人様』
『はい……って、何か色んな段階をすっ飛ばした呼び方になってる!?』
『これをやろう』
『ありがとうございます……って、え? これは何の鍵ですか?』
『私の家の合鍵だ』
『はぁ!?』
『2つあるだろう? 1つは家の玄関の鍵、もう1つは私の部屋の鍵だ』
『いやいやいやいやいやいやいやいや』
『これで私は毎日夜這いに期待して眠ることが出来る訳だ』
『いやいやいやいやいやいやいやいや』
『部屋の鍵を開ける音がしたら、ちゃんと寝たフリをするから大丈夫だぞ? 私は毎日ショーツだけ履いて透け透けのネグリジェを着て寝ているからな。きっと興奮してもらえるはずだ』
『薫くん! 起きて! 鼻血出過ぎだよ! 死んじゃうよ!』
『……本気ですか?』
『ああ。皐月のことはぜひともよろしく頼む。が、それと同時に私ともそういう仲になってほしい』
『そういう仲、とは?』
『肉体関係、だな』
『匠くん!? 匠くんまで鼻血を!? 誰か! 誰か救急車を呼んでください!』
……今思い出しても、色々とおかしい。
まあ、おかしいとは言いつつも、俺は先生にもらった鍵をちゃっかり大事にしまいこんだんだけど。
「匠、本当に先生の家に行くの?」
「いや、流石にそれは、お前……」
「……何ではっきり『行かない』って言わないの?」
「……我慢出来なくなる可能性がある」
「正直すぎるよ……」
「いや、だってよ。あの卯月先生だぞ? 一体何をどう間違えたらこんな官能小説みたいなおいしい展開になるんだよ?」
「そうだね、卯月先生と匠くんの関係は……従来の官能小説のテイストで書いても面白いし、皐月ちゃんも入れて考えれば美少女系のハーレム官能小説にもなるね」
「さ、更紗さん? 今のは一体何な」「薫くん今のは忘れてください」「食い気味で淡々と言われた!?」
「えーっと、更紗……?」
「匠くん、空気」
「ご、ごめんなさい、読みます」
「ううん、空気――投げするよ?」
「まさかの柔道技だと!?」
更紗のイメージがすごい勢いで崩壊していく。
「さ、更紗さん……」
薫なんかはもう泣きそうだ。可哀想……か?
ここで更紗がようやく、ハッと我に返った。
「あっ……か、薫くん、違うの、ううん、違ってはないかな……その、今後、ね? あたしのこういう話もしていきたいし、薫くんの話ももっと聞いてみたいの。……だめ、かな?」「ぜひ」「食い気味だね」
「お前ら二人揃って清水寺からバク宙で飛び降りろ」
『そんなアクロバティックな死に方したくない!』
こんなくだらない会話をしていると、気が付けば自分たちのクラスの前に着いていた。ドアの窓から見えた皐月は読書をしていて、枠の中から覗くその光景は、一枚の絵画のように出来上がった美しい姿をしていた。
「うっす」
「匠くん、浮気してなかった?」
「入りがおかしいな!?」
教室に入るなり、ジャブ並の速度でストレートをくらった。
「待て待て、色々おかしいぞ今の台詞」
「具体的に言うと、学校一の人気と美貌を誇る先生、とか」
「お前千里眼でも持ってんの?」
「審美眼なら持ってるわ」
「語感だけじゃねぇか似てんの」
審美眼も十分すげぇけど。
「素敵よね、卯月先生。良い人だし、綺麗な上に可愛いし、グラマラスだし、下ネタに余裕で付いてきてくれるし」
「さ、皐月……?」
何やら様子がおかしい。自分の席に座って椅子の向きを変えて、皐月を正面から見つめてみるも……口を尖らせて、つーんと拗ねている。
……え、もしかして……。
「皐月、まさかお前、卯月先生に……」
「卯月先生、私の上位互換って感じよね。あんな風になりたいわ」
「いや、あの、皐月? だからお前、もしかして卯月先生に」
「匠くんは、さぞや濃厚な体験をしてきたんでしょうね。恋愛や人生、それと何より性的な意味で」
「いや、だからな、お前まさか」
「先生の恋愛相手が気になるわね。どれだけの変態だったら先生をあれだけ色っぽくしてくれるのか」
「喋らせないつもりか!?」
照れ隠しだと思うんだけど、隠し方がえげつない。
さて、どうしたものか。
「つーん」
……堂々と口に出して言っちゃったよ。
ふいーと息を吐いて、皐月の頭をくしゃりと撫でる。
「ふあ……っ? え、た、匠くん? はわわわわ……」
皐月は顔を真っ赤にして、あわあわと視線を泳がせている。皐月の髪の毛は絹のような触り心地で、手櫛で梳いたらさぞ気持ちが良いのだろうなと思った。
「その、な、まあ、確かに卯月先生は本当に素敵なんだけど、その、俺は、お前が、その、うん……えぇと、その……」
「た、匠くん……」
二人の間の空気が、急に気恥ずかしいものになる。なんだろうこれ、死にたいぞ?
いかん、これ、この後すげぇ大事なことを言わないと話が進まないんじゃ……なんて思っていると。
「匠……」
「更紗ちゃん……」
この空気に、闖入者が二人。
『え……』
俺と皐月が視線を向けると、2人は目を細め、生温い目で俺たちを見ていた。
「更紗さん、僕たちお邪魔かな? お邪魔っぽいよね?」
「そうだね、薫くん。きっとあたしたちが今教室を出れば、二人は官能小説みたいな展開を巻き起こしてくれるよ。皐月ちゃんが机の上に座って足を開いたりするんだよ」
「お、おい、薫? 更紗?」
恥ずかしさが幾何級数的に増大する。今の俺の顔面温度は一体何度だ。ていうか更紗は暴走しすぎだろう。
皐月を見ると、俺より悲惨なことになっていた。太陽かな? 色的な意味で。
「あ、あはは、や、やぁね薫くんに更紗ちゃん、何を誤解しているのよ、私と匠くんは、ねえ? そんな、あわわ、あはは、うふふ……あうぅ……」
『…………』
両頬に手を当てて、目をぐるぐるさせながら皐月が慌てている。
俺たち3人は、皐月のあまりの可愛さに、そこからしばらく黙って悶えていた。
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