(4)

 話を終えると程好い時間が経っていたので、三人で教室に戻ることにした。

 廊下の開いた窓からは、外で部活をしている野球部やサッカー部の威勢の良い掛け声が聞こえてくる。

 青春が有限だなんて思わないけれど、高校生活という時間が限られているのは事実だ。彼らは、その時間を目一杯情熱的に燃やしている。


「ああいうの、青春っぽくて良いなぁ……」


 薫がぽそりと呟くと、更紗がそれに反応した。


「そうだね。でも、あたしは、あんな風にスポーツが出来ないからなぁ……」

「そ、そんな、更紗さんには他に沢山良い所があるじゃないか!」

「……そ、そうかな? 例えば?」

「えぇっと……待ってね、上げようと思えば何十個でも挙げられるんだけど、いざ更紗さんを見つめると頭の中が真っ白になって……」

「え、そ、それって……?」

「あ、いや、可愛いなーって思って……あ」

「え、え、え……っ!?」

「あ、いや、今のはその、口が滑ってつい本音が、あ、うわぁぁ……っ」

「か、薫くん……」

「更紗さん……」


「……………………」


 助走しての。


「貴様らどの面下げて俺をイジってんだこらぁぁぁっっっ!!!」


 ラリアット。

 愛(=憎悪。意外と深いなこの言葉)よ届け、薫に。


「がふぁっ!?」


 薫の首に、俺の剛腕(そんなでもない)が深々とめり込む。


「か、薫くん!? 今一回転したよ!? 大丈夫!? ウェスタンラリアットを受けたみたいになってるよ!?」


 何で更紗がスタン・ハンセンを知ってんだ。お父さんがファンとかそういうパターンだろうか。

 リノリウムの床に派手に身体を打ち付けた薫(何故か受け身がめっちゃ上手かった)と軽い取っ組み合いをしてから、ようやく教室に着いた。じ、時間の無駄だ……。


 

「遅かったわね。廊下でプロレスごっこをしてウェスタンラリアットの真似でもしていたの?」


『ピンポイント過ぎる!?』


 教室に入って早々、皐月のあまりに正確な追及に驚愕する。


「何で分かったの皐月ちゃん!?」

「勘、かしら」

「すごいね皐月さん……」

「男の子がする遊びってある程度パターンがあるでしょう? 何か話をしていたようだけど、それにしては時間がかかっていたから……途中で遊んでるのかな~っていう予想が出来たってだけよ」


 説明になってるようななってないような。

 皐月が手を前に出して、指折り数えはじめる。


「プロレスとか、テレビゲームとか」

「ふむふむ」

「……自慰とか」

「待ておいこら皐月」

「ああ、今日の授業中の行為は自慰とは呼べないわよね匠くん?」

「おぉぉい!? 皐月さーん!?」


 この子、何を確認してんの!?

 傷口に唐辛子を塗りたくるのはやめてほしい。

 皐月が急に押し黙る。あ、急に本題に入るんだろうか。


「まあ、強いて言えば……」


『……っ』


 三人揃って、ごくりと息を呑む。


「私はスタン・ハンセンよりも、団鬼六が好きだわ」

「話題が飛び過ぎだろうが!?」


 何だこの話!?

 この後5分程、俺たち三人は皐月に好き放題引っ掻き回された。



「……で、だ。そろそろ本題に行きたいんだが……」

「そうね」


 三人揃って息を切らした状態で言うと、皐月が髪をさらりとかき上げてあっさり了承した。


「もうウォームアップは済んだわ」

「あれウォームアップだったんだ!?」


 更紗の悲痛な叫び(=ツッコミ)が入る。

 更紗の言葉に、皐月は俯いて、憂いを帯びた表情を浮かべる。


「私……徹頭徹尾真面目な話をするの、結構苦手なの……」

「すげぇどうでも良いけどなんか分かる!」

「流石匠くん。私と何でも通じ合えるわね。お互いの性感帯を把握しているだけあるわ」

「お前馬鹿じゃねえのか!?」

「性感帯の場所って、そのまま書くとすごくいやらしく思えるわよね。だから、少し変えてあげればあっと言う間に印象が変わると思うの」

「例えば?」

「匠くんが弱いのは……」

「もったいぶるなって」


 じゃあ、遠慮なく……と言って、皐月がこほんこほんと咳払いをする。


「うらすじ」


 吐血した。


「平仮名にすれば印象が柔らかくなるとかそんな効果ねぇからな!?」


 なんかあらすじっぽい。


「でも、当たってるでしょう?」

「うぐ……」


 薫がどん引いた。


「匠。死んだら?」

「思いの外辛辣だ!?」

「薫くん、うらすじって?」

「うっ!? さ、更紗さん、あのね……それはね……」


 お、良いぞ。薫が追い詰められてる! ざまぁみろ――


「更紗さん。それはね、匠くんが性的に気持ち良いと感じる場所よ」

「おぉぉい!?」

「え……匠くん……薫くん……」

「えぇ!? 僕まで!? なんで!? 悪いのは匠なのに!」

「俺のせいでもねぇよ! 悪いのは完全に皐月だろうが!」

「ちなみに私はね。一人でしてる時は大体……」

「自分で話をフっといてぶった切るな! 後その話は絶対これ以上するな!」

「あっ!? あんっ……た、匠くん、肩、あんまり強く掴まないで……っ」

「あ、す、すまん、つい……」

『爆発しろ』

「貴様らもな」


この後、もう15分程くだらないやりとりは続いた。



 やっと本題に入る。

 ちなみに皐月は、「これからする話は絶対重いから、話す前もそうだけど話した後もどうでもいい話題で笑いたい。具体的に言うと死ぬ程下ネタを話したい」と堂々と言ってきた。チョップをして黙らせたが、実際そうした方が俺たちも気が軽くなりそうなので、今日時間がなくても明日朝一で構ってやるとしよう。俺も皐月と絡むのは楽しいし。


「さて、皐月。……お前のことなんだが」


 切り出すと、皐月が切なげに目を細めた。


「……私が分かってることは、ほとんど無いんだけれど」


 皐月が、訥々と話し始めた。



「……気付いた時には、私はこのクラスに『居た』の」



 その言葉に、三人とも目を見開く。

 皐月は微かに俯き、瞬きをすると長い睫毛が儚げに揺れた。


「初めは、本当に何も考えてなかった。だってあまりに唐突で、一体何が起きたのかもまるで分からなかったから。だから、学校でいつも通り授業を受けて、放課後は疲れたな、頑張ったな、って思ってうんと伸びをしてからのんびり読書をして。……でも、それだけなの。それだけだったの」

「それだけ……って、どういうこと?」


 更紗が尋ねる。膝に置かれている手が、微かに震えていた。

 皐月は、困ったように笑った。


「何て言うかね、本当に……それだけだったんだ。言ったこと以外、本当に何もしていないの。……例えば、友達と仲良くお昼ごはんを食べたり、恋について語り合ったり。そう言ったことが、全く無かったんだ。……そして何より……」


 皐月が、口元をきゅっと引き結んだ。


「……ふと、ある時にね? 気付いたの。……私、学校に居る間の記憶しか無いってことに」

「……っ」


 ぞわりと背筋を駆け抜ける悪寒に身震いする。

 いきなりそんなことを聞かされたら、そんなばかなと一笑に付していただろう。

 けれど、俺はもう、2度も「それ」を見てしまっている。


「朝7時半から、夕方の下校時刻を知らせるチャイムが鳴る18時まで。それが、私の生活のすべて」

「で、でもそれって、家に帰ったりとかは……? お風呂に入ったり、ご飯を食べたり、ベッドで寝たり……色々あるんじゃないの?」


 薫の声が震えている。

 皐月はまた困ったように微笑んで、首をふるふると横に振った。


「それが、まるで見えない何かに帳尻合わせをされているかのように、全部何となく生活出来てしまえるの。ベッドの中で眠って夢を見た記憶は無いのに、まるでよく寝たかのように一日中元気だし、お風呂に入っていないのに、一年中身体は綺麗で汗をかいても翌日には何ともなくなってるし。お昼も、何故か財布にはそれなりにお金が入っていてそれで食堂に行ってご飯を食べるんだけど、翌日にはお金が元に戻ってる」

「…………」


 まるで、時の流れから取り残されたかのような彼女の生活を聞いて、言葉が出なくなる。

 それで、と彼女は言葉を続ける。


「たまに、私のことが『見える』人がいたんだけど、皆不気味がっちゃって。だって、私と話してたら一人で喋ってるように見えちゃうんだから、しょうがないよね」


 そう言って、皐月が笑う。笑っているのに、泣きそうな顔だった。

 そんな中でも、と皐月が顔を明るくして言う。


「卯月先生は、私を認識している上で、初めの頃からずっと優しくしてくれてたの」

「そう……なのか」


 卯月先生の優しい仕草を思い出して、心が綻ぶ。


「他の人もそうだったけど、どうして卯月先生に私が見えたのかは分からない。でも、卯月先生は本当に優しくて、私が今みたいなことを話して相談した時も、本当に親身になって聞いてくれたの。何かがそれで解決出来た訳じゃないけれど、それでも私は一人じゃないんだって思ったら、すごく楽になった」


 更紗が、目尻に涙を溜めて頷く。


「そして、私は徐々に、以前の記憶を思い出してきたの」


 言って、俺の顔を見つめる。


「匠くんのお姉さん、桜とのことも含めて……私が、生きていた頃の記憶を」


――どくん、と。


 心臓が激しく脈打って、胸を押さえる。


「匠くん!? 大丈夫!?」


 皐月を筆頭に、皆が俺に心配の声をかけてくれるのを、大丈夫だからと手で意思を示した。


 皐月が、皐月自身が、「生きていた頃」と言うことで。

 今の皐月の状況の深刻さが浮き彫りになったようで。

 まるで万力に締め付けられるような圧迫感が、満遍なく身体を包む。


 信じるしかない。

 信じるしかないと言うのに。


「匠くん……」


 今、目の前でこうして俺を心配してくれている、大人びているのにお茶目な女の子が。


――本来なら、今はこの世に居ない人だなんて。

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