(2)

「あら、おはよう、匠くん。今日は早いわね。私に早く会いたくて来ちゃったのかしら? ご褒美に見たいものを見て良いわよ? ブラ? それともショーツ? それとも更にその奥かしら? やあね匠くん、考えどころが存在が卑猥だわ。でも嫌いじゃないわよ」


 …………。


 教室のドアを開けた瞬間、爽やかな挨拶に紛れてとってもリアクションしづらいことを言ってきやがった。

 ドアを開けるまでの俺のシリアス成分を返せ。折角気合入れて作り上げた成分が雲散霧消しちまったよ。

 鴉の濡れ羽色をした長い黒髪をはらりと払いあげる仕草が、どうしようもない程に絵になる。しかしこの仕草と、さっきの言動のミスマッチ具合がひどい……。

 皐月の席の前、自分の机に鞄を置いて、のそっと座る。


「おはよう。あーあーそうですよ、一刻も早く皐月に会いたくてな」


 軽いジャブに対して、軽いジャブで返す。まあ、これくらい良いだろう。

 しかし、ぱっと皐月の顔を見ると、何故か俯いてしまっていた。

 ……んん? 

 え、なんか俺、変なこと言った? いや、変なことには変なことだけど、あくまで冗談だよ? いやまあ、冗談でもないんだけど。

 よく見ると、彼女の顔が赤い。


「そ、そう。……そう、なの……」


 少し子供っぽい声で、ぽしょぽしょと呟かれた。その手はスカートの裾をきゅっと握っている。

 ……あっれー? 何そのリアクション? 朝から尋常でない程どきどきするんですけど。

 しかしこれは……ちょっと面白そうだ。

 せっかくだからもっと攻めてみよう。


「ああ、ついに俺はお前に本音を晒しちまったよ皐月。全くもう、お前の前ではどうにも隠し事は出来そうにないな。そうだよ、全く以てその通りだ。俺はお前に一刻も早く会って話がしたくて今ここに居るんだよ」

「あ、え、あう、そ、そうなの? ほ、本当に? あう、あう、あう……」


 ……わぁ……。

 あんなにお姉さんっぽい雰囲気を出しながら下ネタを連発してたのに、ここでこのギャップだと……?

 両頬に手を当てて、耳まで真っ赤にしてあうあう言っている彼女が、ちょっと可愛すぎて困る。どうしようか。


「お前はどうなんだよ、皐月? 俺にこんな朝早くから会って話をしてることについてどう思ってるんだ? 俺が一方的に気持ちを押し付けてるかもしれないからな、そこはきちんと確認しておかないと」


 言うと、彼女はあうあうと唸って俯いて、その後上目遣いでこちらを見つめながら、


「あ、わ、私も……う、嬉しい、わよ……? うん、すごく、……嬉しい」

「がふっ!」

「えっ!? 匠くん!? 大丈夫!?」


 思わぬカウンターを喰らってしまった。

 どちらが悪いかでいうと、200%俺が悪い。

 ごめんなさい。

 でももうちょっと続けてみたいな。


「ぐふっ、だ、大丈夫だ……。そうだ皐月、まだ皆が来るまで時間はたっぷりあるぞ。せっかくだからお前が読んでるっていう官能小説の話を聞かせてくれよ」

 ひどい。

 我ながら、これはひどい。

 でも止めない!


「あ、あう、そ、そんな、今そんなこと言われても……」

「どうしたんだよ、この間は色っぽいでは済まされないような悪戯をしてきた皐月様ともあろうものが、こんな話も出来ないのか?」


 うわー。

 自分で話しといてなんだけど、超ウザいなこのキャラ。

 ミステリーだったらすぐ死ぬタイプだ。


「いや、その、だって、匠くんにあんなこと言われた後じゃ、その、は、恥ずかしいわ……」


 両手で顔を覆い、ぷしゅーと音が出そうなくらいに湯気を噴き出しながら、皐月が机に突っ伏した。

 すげえ、湯気って本当に出るんだ。トーマスみたい。

 ……っていうか、皐月が恥ずかしがりながら言う台詞で、俺も結構カウンター食らってるなぁ……。


 うーん。

 だがしかし。

 負けぬ。

 何にだよ。


「そうか。そんな状態で漠然と話を聞かせてくれなんて言うのは酷だったな。ごめんよ。じゃあ話題を絞ろう。女の子ってどこを責められると気持ち良もがもがっ!?」

「ま、待って! 匠くん、ストップ!」


 皐月が俺の口を猛烈な勢いで塞いだ。

 すげえ、ボクサーのジャブってこれくらい速いのかな……って思うくらいの勢いだった。マジで見えなかった。


「わ、私、いざこうやって攻められると、あ、責められると、かな? ダメなの。というか、ダメみたいってことが今分かったの。だから、ちょっと落ち着かせて、お願い!」

「もがもがっ! むぐぐっ!」


 ぎり呼吸が出来る程度の力加減。すげえ、一切の抵抗を許さないつもりだぞこいつ。これもうちょい力込められたら、俺本当に落ち着くわ。身体中の細胞が。永遠に。

 あと、攻めと責めをわざわざ言い換えるなよ。なんかすげえいやらしくなるだろうが。実際いやらしかったけどね。

 ……しかし、『今分かった』って言い方が気になる。

 数十秒経ってようやく口を塞いでいた手を解かれて、新鮮な空気を吸い込む。さっきまでは皐月の若干手汗が滲んだ狭い空間で息を吸ってたからほんと苦し……あれはあれでありかも。……ってまずいまずい、俺はどこに向かってんだ。

 息を整えて、会話を再開する。


「……ふう。……なあ、さっきの言葉ってどういう意味だ? 『今分かった』って……」


 言うと、皐月は目を見開いた後ゆっくりと俯いた。そして上目遣いで俺をちろりと覗き見る。


「だ、だって私、……男の人と付き合ったことがないし、その……しょ、処女、だし……」


 ……。

 …………。

 ………………。

 ……………………。

 ……?

 …………??

 ………………!?

 ……………………!!??


「…………。……朝から、どえらいことを聞かせてくれたもんだな……」


 驚きすぎて、三点リーダの無駄遣いをしてしまった。


「あ、う、ご、ごめんなさい……私、耳年増なの。マセガキなの。淫乱処女なの」

「最後要らないぞ!? なんで言ったの!?」


 びっくりした。混乱に乗じての下ネタ投下とか、やるなこいつ……。

 顔を真っ赤にしながらしゅんとする皐月が、つい昨日までとは全く違ったように思えて、たまらなく愛おしく思えた。愛おしいって言葉、口に出さなくても心の中で思うだけでもう死にそうになるな、これ。


「じゃあそんなに恥ずかしくない話なら良いのか」

「そうね、何のSМ雑誌についてでも良いわ」

「さっきそういうのダメだって言ったよね!? どっち!?」

「あんまり具体的で、難なら今すぐこの場でもすることが出来るようなことだと、想像して濡れ……あ、ちょっと、いやらしい気分になるの」

「すげえ、言い換えた意味が全くないぞ。ひどいなお前」

「でもごめんなさい、言うほど私SМには詳しくないの」

「いや、この話膨らまそうとしてないからね? 大丈夫だからね?」

「強いて言えば縛られてみたいとは中学生くらいの時から思っているわ。いえ、願っているわ」

「筋金入りだっ!? いやいや、そういうことじゃなくてだな、下ネタに分類されるような話は避けようとしてたんだよ」

「SМは下ネタじゃないわ」

「詳しくないくせに妙な矜持を持つな! そんなものは邪魔だ!」

 なんでちゃっかりエンジンかけ直してんだこいつ……。

「分かったわよ、じゃあ匠くんに聞きたいことがあるのだけれど、良い?」

「おう、なんだ?」

「年上のどういう所が好きなの? 但し、性的な面を除く」

「…………」


 …………。

 黙ってしまった。

 我ながらびっくり。

 皐月を見ると、ものすごい憐みの目を向けている。やめて、見ないで!


「……思いの外、悲しい気持ちになったわ……」

「声に出してまで言わないでくれ……死にそうだ……」


 ほんとに。

 ん?

 あった、あったぞ。年上の好きな所(ただし性的な面を除く)!


「皐月、あまり俺のことを甘く見てくれるなよ」

「あら、威勢の良いこと。何か浮かんだのかしら?」


 む。

 こいつ、ノリ良いな……。

 好感度が無限に上がって行くんだけど。

 ボタンがきちんと上まで留めてあるか確認して(但し第2ボタンまでは開けてる)、こほんと咳払いをして皐月をきりっと見る。


「包容力」

「浅い……」

「うぐっ!」


 斬って捨てられた。

 あっれー? おっかしいなー、渾身の一撃のつもりだったんだけど……。


「包容力と言うけれど、具体的にどんな点が好きなの? ざっくりしすぎていてあまり参考にならないわ」


 髪を払い、小首を傾げて皐月が俺を見る。何その角度。超可愛いんですけど。

 ……ん、参考? ……まあ良いか。


「そうだな、男がちょっと馬鹿やってるときにあったかーい笑みを浮かべて見守ってくれてたり、こっちの発言を柔らかく受け止めてくれてたり、俺が触らせてくれと言ったら遠慮なく触らせてくれたりとか、色々だな」

「『男』『こっち』『俺』と呼び方がどんどん近くなって最終的にあなた自身の欲望を晒すだけになっているし、最後のは性的というか性犯罪的よ……?」


 身体を抱くようにして、全力で引かれた。


「いや、待て待て待て待て。別に触ると言っても、最初から胸とかを触る訳じゃないぞ。肩とか、頬とか、その辺りからスタートするんだ」

「何よその妙ちきりんな計画は……。どうしてそんなことをドヤ顔で言えるの? 恥ずかしくないの?」


 全力で引かれた……。妙ちきりんって生まれて初めて言われたぞ、俺。


「っていうか、なんで俺の下ネタに対してそんなに引くんだよ? 昨日までとのギャップが激し過ぎるぞ」


 聞くと、皐月は急に目線をきょろきょろと動かし、恥ずかしそうに俯く。


「あ、いえ、その、だって……あなたがさっき、あんなこと言うから……」

「え?」

「いえ、だから……」

「なんだよ、言ってくれねえと分かんねえよ」


 勢いで、彼女の肩をそっとではあるが掴んでしまった。

 その途端。


「ひゃあぁぁぁん!?」


 …………。

 すげー。

 すげえどきどきした。

 どきどきしすぎて、びっくりしすぎて、肩を掴む手に余計に力を入れてしまった。


「あうっ、やんっ、ちょっ、ちょっと、匠くん、やん、あうぅっ」


 …………。

 やばい。

 可愛すぎて、死ぬ。


「いや、ほんとどうしたんだよ? 皐月。あれだけエロい責めを俺に仕掛けておきながら、急に恥ずかしがって発言を渋るわ、俺に肩を掴まれただけであんな可愛い声を上げるわ、一体どうしちまったんだ?」

「あ、や、今、やんっ、可愛いって、ひゃっ、ちょっと、手に力入れちゃ、あふぁっ、んんっ……やあぁぁ……っ」


 顔を真っ赤にして、いやいやと首を振る。

 やばい、放送ぎりぎりだ。俺の理性もぎりぎり。

 まるで手が攣ってしまった、もしくは電流を流されて筋肉が硬直してしまったかのごとく手が固まったまま、顔を皐月にぐいと近付ける。


「なあ、教えてくれよ」

「はうぅ……」


 あわあわと俺から顔を逸らす。

 超良い匂いすんな、こいつ……。

 っていうか、朝から女の子の肩を掴んで窓際に追い詰めてるって、かなり危ないっていうか完全にアウトですよねー。分かってるんですけどねー。


「皐月、ほら」


 顔を更に近づけて、もはや互いの息がかかりそうな程に近付くと、皐月は目を剥いて、そして目をきゅっと閉じて一瞬間を置いて、弱々しく目と口を開いた。


「た、匠くんが……会いたかった、なんて言うから……私……あう……」

「あ、そ、そう……」


 仮装大賞で得点のゲージがグーンと上がっていく時と同じ勢いで、見る見る自分の身体が熱くなって顔が赤くなるのが分かった。もちろん満点。

 なんだろう、この気持ち。

 この子、超可愛い。

 どうしよう。朝の憂いなんてもうどこ吹く風だ。ほんと超どうでも良い。

 年上好きなんて言ってたけど、そんなのはもうどうでも良い。俺のストライクゾーンが同い年にまで広がっただけの話だ。きっとそれだけの話だ。

 良いかな? これ、言っちゃっても良いかな?

 皐月の肩から手を離して、胸を上下させるように深く呼吸をして、皐月の目を見る。


「な、なあ、皐月。俺、まだお前と話し始めて数日だけどさ。俺、お前のこと――」


「待って」


 ぴたりと。


 そこまで二人の間に流れていた色付いた空気が、本当にぴたりと止まった。

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