(6)

 その帰り道。


 昇降口に行くと、それぞれ別の方向から歩いてきた薫と更紗にばったり出くわした。


「おお、お疲れ」

「あ、匠、更紗さん。お疲れー」

「わ~、二人ともお疲れ様~」


 それぞれに挨拶を交わしたとき、これは丁度良いなとふと思った。


「なあ、ちょっと話したいんだけど、帰り道に喫茶店でも寄らないか」


 言うと、薫がきょとんとした表情を浮かべた後、ふっと微笑む。


「ん? ああ、何となく事情は分かった。大丈夫だよ。……さ、更紗さんは?」

「あたしも大丈夫だよー。……あたしもその話、したかったし」


 答えると、更紗は意志の強い視線を送った。


 

 立ち寄った喫茶店は、京譲高校の近くにあるためよく京譲生に利用されている店だった。

 シックな佇まいで、普通なら高校生よりももっと大人な人が出入りしそうなものなのだが、店主が京譲高出身らしく――進学して一度県外に行ったのだが、転職を機に戻って来たらしい――白髪交じりのダンディーな顔立ちながら高校生相手にも気さくに接してくれて、その上京譲生限定のコーヒーや料理があるとあって、もう10年ではきかない程の間京譲生に愛され続けている。


「こんにちはー」


 ドアを開けると、ドアベルが心地良くからんと鳴った。


「いらっしゃい」


 この店の主人が、グラスを拭きながらにこやかに挨拶をしてくれる。


「マスター、個室は空いてるかな」


 この店には個室が3つ程あり、京譲生で賑わっていても、多少内密にしたい話やデートなどの場合個室を使う。もっとも、デートで使うのは雰囲気的には良くても、入るときや出るときに京譲生に見られる可能性が極めて高いので、あまりお勧めはしないのだが。

 店主の呼ばれ方は人によって様々で、「おじさん」「ご主人」「おっちゃん」「マスター」「おじさま」など、京譲生の中でも多岐に渡った呼び方をされている。

 ちなみにおじさまと言う人は大体女子で、メロメロになっているのかいつも目が軽くハートマークになっている。そういう需要があるのか……。執事カフェとかもある世の中だもんな。


「開いているよ。一番奥にどうぞ」


 俺の質問に対して、主人は店の奥に手を伸ばして促す。


「ありがとう」


 一言お礼を言って、俺たちは一番奥の個室に入った。



「早速なんだけど」


 カフェオレを片手に、薫と更紗に切り出した。

 注文が来てからの方が話が中断されないと考えてのことだった。

 薫と更紗が、俺と目を合わせてこくりと頷く。


「皐月とな、昨日の放課後に加えて今日の朝、それと今日の放課後……ついさっきまで、話してたんだけど」


 ……言って気付いた。

 俺、結構話してるな。

 薫と更紗も俺と同じことを思ったのだろうか、目を丸くしている。

 直後、二人してにやにやし始めた。


「……な、なんだよ……」

「いやいや……なんでもないよー?」


 薫がにやにや顔を全く抑えることなく見せつけてくる。


「カフェオレぶっかけるぞこの野郎……」

「ダメだよ匠くん~、おじさまに失礼だよ~」


 更紗もにやにやしながら言ってきた。

 ……すーごい腹立つんですけど。

 って言うか、更紗も主人のことをおじさまって呼んでんだ……。目がハートマークになったら薫が嫉妬を通り越して絶望しちゃうからやめてあげてね。


「まあ良いや……まずあの子に関して分かったことは……取り敢えず、性格で言えば、なんか卯月先生みたいだった」

「え、匠が卯月先生みたいって言うってことは……既に肉体的接触を図られたの!?」

「俺と卯月先生との関係を何だと思ってんだお前は!? なんでそんな解釈になってんの!?」


 合ってるからまた困る。ていうか先生より接触方法が濃厚だ。

頭をがしがしと掻いて、話を続ける。


「お前らも見たろ? あの感じだよ。最初はお淑やかな美人系かと思ったら、その実とんでもない変態だったよ。今日の朝と放課後絡んだときもそりゃもうひどいもんで……」

「絡んだんだ……匠くん、卯月先生がいながら……」

「だから、お前らの中で俺と卯月先生はどういう間柄になってんだよ!?」

「え、それは……」


 言うと、更紗はぽっと頬を赤らめて目を背けた。

 ……本当に、何だと思ってるの?


「まあいいや……続けるぞ。こっからが大事なんだけど、今日の放課後は俺と皐月の他に女子グループが残ってて、この状況で俺が皐月と話すと少し不自然な具合に見えると思って、話しかけずに待ってたんだ」


 そう。

 不自然。

 それがどういう意味で不自然なのかは分からないけれど。

 俺が誰も居ない所に話しかけているという状況になるほど変なことにはならないが、それでも。

 もし女子グループが残っている状態で俺と皐月が話していたら、あの子たちは何か強烈な違和感を覚える。

 よくは分からないが、そういうことらしい。

 今はそれを探ってもしょうがないし、恐らく探る意味もない。

 だから、話を続ける。

 結果だけを伝える為に。


「そしたら、まだ女子グループが残ってるのに、皐月がちょっかいをかけて来たんだ。それで俺はテンパった訳だけど……そしたら、英語の時間に俺が後ろを向いていたのに対して、クラスの皆が誰も皐月に視線を送っていなかったって、2人とも言ってたよな? その授業中と同じように、その女子グループは俺だけに視線を向けて、不思議そうに見てたんだ」

「……そっか、やっぱりそうなんだね」


 更紗がカフェモカの入ったグラスの氷をからからとかき回して、それをじっと見つめた。


「でもこれは、卯月先生に聞いたことが実際どの程度のもんなのか分かったって程度の話。本題はこっちなんだ」


 二人を交互に見つめ、話を続ける。

 空気が少し、張り詰めるのが分かった。


「あいつは――皐月は、下校時刻、夕方6時になると、消える」

『――え?』


 薫と更紗が、ほとんど同時に、今にも裏返りそうな声で言った。


「た、匠、どういうことなのさ、それ?」


 薫は少しおどけてみせた。


「今言った通りなんだ。昨日の放課後と今日の放課後、そのどちらでも、夕方六時になる数分前になると皐月は急に話を切り上げて、俺を教室の入り口まで押し出すんだ。そして、また明日って言われると同時に教室から追い出されて、チャイムの音が鳴ると同時に振り返ったら、もうあいつはいなくて……」

「どこかに隠れてからかってるなんてことは無いの?」


 更紗は、俄かには信じがたいといった表情を浮かべている。


「教室から押し出されて振り返るまで、一秒もかかってないんだよ。もちろん、移動し得る範囲なら教室も廊下も隈なく探した。でも、居ないんだ。まるで、夕方6時という区切りを迎えると同時に、皐月という存在がこの世から一時的に消えてなくなるみたいに――」


 言って、自分でぶるりと震えるのが分かった。

 薫と更紗も同様に震える。

 それに、と話をまだ続ける。


「あいつ、それまではすげえ楽しそうに喋って、好き勝手に俺のことからかって、下ネタ言いまくってたのに……その時になると、本当に寂しそうな顔をするんだよ。それがなんでかわかんないんだけど……何か、ものすごい無力感を感じちまうんだ」


 一通り喋ると、場は静まり返った。

 グラスの氷がからんと鳴り、古めかしい時計の針の音がこちこちと響く。

 京譲生はこの時間帯はたまたま居なかったようで、店内は静かそのものだった。


「……そっか」


 口を開いたのは、薫だった。


「皐月さんのこと、まだまだ分からないことだらけだけど……今の匠の話を聞いて、一つはっきりしたことがあるね」


 薫が更紗にちらりと目をやると、更紗が頷く。


「うん、そうだね」

「え、何か分かったのか!?」


 思わず、テーブルに身を乗り出した。


「ん? 簡単なことだよ」


 薫はにこりと笑うと、テーブルの上で手を組んだ。


「匠が、皐月さんにすっかりベタ惚れだってこと」


 ……ん?

 …………んん??

 ………………んんん???


「………………はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」


 大絶叫だ。


「しーっ! 声が大きいよ、匠くん」

「いや、でも、おま、そんな……」

「どうしてそんなに慌てるの? 匠に久しぶりに好きな人が出来たようで嬉しいよ。良いじゃん? 皐月さん。相性も良さそうだし」

「ば、ばか、相性が良さそうとか、そんなのまだ分かんねえだろ!? そんな関係になんてなってねえし……!」

「……え」


 薫が固まった。

 見ると、更紗も固まって……というより、引いている。ドン引きだ。

 ……むう。やってしまった。


「……あー、こほん、今のは忘れてくれ」

「……うん、今のは匠の失敗だね。……流石は肉欲の化身」

「どさくさ紛れですげえあだ名付けんじゃねえよ! びっくりしたわ!」

「……ち花くん……」

「おい、更紗、字がおかしい。なんか花って漢字の意味も変な風に捉えちゃいそうなんだけど」


 ここでBLの話に触れたら怒られるんだろうか。


「でも……私たちが帰った後も、やらしい話してたんでしょ?」

「うぐ……それは……」


 してた。

 しかも、9割8分くらいの割合で。


「やっぱり……これはもう、明日辺りには二人は……」

「待て更紗。なんなの、お前はむっつりなの? 極小の上にむっつりとか凶悪な属性持ってんなってあだだだだ!?」


 少し久しぶりに更紗をイジれるなーと思った矢先。

 薫の手が俺の頭をがっしり掴んでいた。


「匠……言わなくても、分かるよね……?」

「いだだだだだだ! 分かる! 分かってる!」

「よし……じゃあ、割るね」

「待て待て待て! 今のは何の確認だったんだよ!?」

「え? これから匠の頭が僕に割られるってこと……」

「おかしいだろその確認!?」


 意見の齟齬。

 よくある。

 ……この場合、齟齬が即座に命に関わるんだけど。


「いいからはーーーなーーーせーーー!」


 そこから、主人が何事かと駆け付けて来るまで、3分程このアイアンクローコントは続けられた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る