(5)

 そして、あっと言う間に放課後を迎える。


 あっと言う間とは言いつつも、後ろの皐月から背中や脇腹、腰、太ももなどを撫でられるいたずらを30分に1回くらいのペースでされていたから、やたらと刺激的ではあった。卯月先生の授業中に俺が悲鳴を上げると、「こら橘~。一人で喘ぐんじゃなーい」とのんびりした口調で言われ、周りの女子が「あいつ何を妄想してんのかしら……やっぱり近付いたら妊娠させられるわね」と呟いていた。ほんとやめてほしい。方々にこの言葉を送りたい。


 今日は薫も更紗もきちんと部活に行っていて、俺は席に座って勉強をしながら、クラスメイトが教室から居なくなるのを待っていた。

 俺が皐月と話している光景が、皆から見てどう映るのかは非常に気になったけれど……下手な興味は持たないでおこう。


――と。


「おふぉっ!?」


 油断していて。

 変な声を出してしまった。

 まだ残っていた女子グループが、俺に怪訝な視線を投げつける。

 何でも無いとかぶりを振って、女子グループが会話を再開したのを見て、俺は後ろを見た。


 ……こいつ……。

 俺の背中をなぞりやがった。


 恨めしそうに睨み付ける俺の視線を意に介さず、皐月はにこにことしている。


「前」


 小さな声で皐月が呟く。


「ん?」

「あなたの前の席に行って良いかしら?」

「ん、まあ、良いけど?」


 言うと、皐月がにこにことしながら、俺の前の席に移った。

 そして、椅子ごとくるっと向き直り、俺と向かい合う形にした。


「……なんだよ?」

「あまり大きな声を出すと、あなたが不思議がられちゃうわよ」


 皐月はそう言ってにやっと笑った。あれ、笑い方が邪悪になってる?


「……あんまり変なことすんなよ」


 一応の釘を刺してみると、


「……ん、了~解」


 ……すんごい心許ない返事が返って来た。

 いや、話したいには話したいけど。

 それはあくまで、あの女子グループが帰って、二人きりになってからであって。二人きりって自分で言うと馬鹿みたいだけど。


――などと考えていると。


「……うおっ……?」


 小さく、呻き声を上げてしまった。

 見ると、彼女がいつの間にか靴を脱いで、ストッキングを纏った足で俺の股座をぐりぐりと弄っていた。

 ……いや、これどこの官能小説だよ?


「今日の昼に読んだ官能小説のシーンで、こんなシーンがあってね」

「実践すんの早いなおい!」


 当たってた。見事に。

 しかし、この状況。

 非常にまずい。


 迂闊に声を上げられないし、下手に逃げても皐月との貴重な会話の機会を逸してしまうし、それになんだかこの後どうなるのか楽しみだし。楽しみって言っちゃった。

 皐月を見ると、目を細めて妖艶な笑みを浮かべている。


「お、おい、これは……ちょっと……!」

「ん~~~? どうしたのかな~~~?」


 た、楽しそう。楽しそうだ!

 どうしよう。これは本気でまずい。


 …………。


 ……取り敢えず。


「…………」


 無言で、勉強を続けることにした。


「お? 耐える気? 我慢出来るのかな~」


 皐月は蠱惑的な笑みを浮かべて囁いた。

 彼女は椅子の後ろにもたれかかると、両足を使って俺の股間をまさぐり始める。


「……くあっ……!」


 たまらず、シャーペンをノートの上に落とした。もはやノートに書いた自分の文字さえ頭に入らない。


「わぁ……匠くん、すごい可愛い反応するんだね……」


 そんなことを言いながら、尚もまさぐり続ける。


「あっ、うぁっ……かっ……」


 まだ残っている女子グループに、異変がばれないようにするのが精一杯だった。

 身体はまだ、ぶるぶると震えている。


「ほーれほれー」


 彼女は益々調子に乗って、強弱の緩急を付けながら巧みに弄り回して来る。


「ねえ、匠くん……」

「……な、なんだよ……?」

「チャック開けてもらえる……?」

「は、はぁ!?」

「大丈夫だってー。向こうからは見えないから。……ほら、もっと気持ち良くなれるよ……?」


 ……あ、悪魔がいる。

 こんな会話をしている間も、皐月は足の動きを止めることは無い。

 すらりと伸びた長い足が、変幻自在に動く。

 しかしそこまで行ったら、流石に……。

 逡巡していると、皐月が焦れったそうな表情を浮かべる。


「もー、良いじゃない。匠くんがチャック開けてくれたら、私も……見せるよ?」


 そう言って、スカートの裾をぴらぴらと捲る。


「んなっ……!」


 何と言う追撃。正直もう、陥落寸前だ。


「ほら、どうする? どうする?」

「うおぉ……」


――と、悶絶していると。


「あ、あたしそろそろ行かなきゃ。じゃーねー!」

「うん、わかったー。また明日―」

「ばいばーい!」


 女子グループが、やっとのことで解散した。


「あら、あの子たち帰ったね……た、匠くん?」

「…………」


 無言で立ち上がり、皐月の前に立ちはだかる。

 そして。

 おでこにチョップをかました。


「いったー! え、ちょっと何するのよ!?」

「うるさい! 恐ろしい程にエロい弄び方しやがって! お前はどこの夢魔の眷属だ! 死ぬほどどきどきしたわ!」


 言って、もう一発チョップ。おでこを押さえて「う~……」と唸り、恨めし気に俺を見つめる顔が強烈に可愛い。何だか変な趣味に目覚めそうだ。


「い、いたいよ! 良いじゃない、匠くんも楽しかったでしょ?」

「ぐ……! う、うるさい! この、この!」

「いたたたた!」


 子供みたいなやりとりになった。

 抵抗されながらも10発程チョップすると、皐月も立ち上がった。


「もー、何なのよ!」

「なんだよ、やんのか!?」

「やるならお尻にしてよ、ほら!」


 言って、椅子に手を掛けて、お尻を突き出して来た。


「………………」


 ………………。


 …………はい?


「……お前頭おかしいんじゃねえのか?」

「私はエロを探求したいだけよ」

「確かにSでもМでも、エロければどちらでも良いとは言ってたけど!」

「さあ、どうするの? 私のお尻を叩くか、このスカートを捲って好き放題撫で回すか」

「何だその選択肢!? 尻関連しかねえじゃねえか!」

「あら、やりたくないの?」

「やりたい! だけどそれ以上に何か色々とまずいからやらない!」

「あら、残念」


 言うと、あっさりと座った。

 ……ちょっと残念とか思っちゃった自分をぶん殴りたい……。


「こんにゃろめぇ……」


 息を荒げてふしゅーふしゅーと言っている俺を、皐月はにこにこしながら見ていたが――不意に、その視線が時計の方に動いた。

 その瞬間、皐月の笑顔が陰りを帯びる。


「……あら、楽しい時間はあっと言う間ね」

「……ああ、もうこんな時間か」


 見ると、時計の時刻は十七時五十五分。

 昨日と同じ時刻だった。


「さあさ、帰る支度支度!」

「お、おう」


 また、皐月のペースに乗せられるがままに帰り支度をして、教室の入り口まで背中を押される。


「…………」


 ふと、皐月が俺の背中に手を触れたまま黙り込んだ。


「さ、皐月? どうした?」

「……ううん、何でも無い。……ねえ、匠くん、こっち向いて?」

「ん、なんだ……よ……!?」


 皐月の方に向き直ると、皐月が抱き付いて来た。

 胸板を容易く包み込む柔らかな感触と、顎のすぐ下にある彼女の髪から漂うシャンプーの香り。


 ……おぉぉぉぉ!?


 大混乱である。

 今の心拍数は多分、これまでの18年弱の人生の中で最速を記録していると思う。


「さ、さささ、皐月さん……!?」


 DJスクラッチ、再び。

 噛み過ぎて、口の中がぱさぱさになった。さ行だらけ。

 皐月はゆっくりと顔を上げて、穏やかな笑みを浮かべる。


「今日もありがとう。匠くんと話してると、バカみたいなノリでいくらでもはしゃげて、本当に楽しい。こんなのいつぶりだろって思うくらい……いや、初めてかも」


 皐月が紡ぐ言葉が纏った熱に当てられて、心臓が早鐘を打つ。

 皐月の吸い込まれるような黒色の瞳に、思わず見入ってしまう。


「……また、明日ね?」


 そう言った彼女の表情は、どこか寂しげで。


「……皐月……」


 俺が名を呼ぶと、皐月は一瞬泣きそうな顔になり、俯いた。

 しかし、次の瞬間には顔を上げて、またいつもの笑みを浮かべる。


「……さ、良い子は帰りなさーい!」

「お、おい……」


 とーんと教室から押し出され、その瞬間、チャイムが鳴る。

 足を止めて、急いで振り返る。

 皐月の泣きそうな顔が、脳裏に焼き付いていた。

 でも。

 またしても、彼女の姿はどこにも見当たらなかった。


「……皐月……」


 思わず、彼女の名を口にする。

 今しがた彼女が見せた顔はどこか、助けを求めているような――そんな気がしたのは、俺の傲慢なんだろうか。


 まだ知り合って数日だと言うのに。

 彼女を――皐月のことを思うと、胸がきゅっと締め付けられる。


 ……多分、やたらエロい目に遭ってるからだと思うけど。


 それでも。


 俺の心の中で、彼女の存在は確実に膨らんでいる。

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