第2章 募り行く想いと疑念

(1)

 第一図書室の掃除に行った日、2つの不思議な出会いがあった。


 1つは、「お願いノート」と記された、胡散臭い古びたノートとの出会い。

 そしてもう1つは、皐月と名乗る少女との出会い。


 どうして同じ日に……などと思いもしたのだけれど、ノートに関しては今のところ、「ふーんこんなものがあるんだー」と言う程度の認識だし、皐月に関しては「クラスの可愛い子見―っけ!」と言う話に過ぎないから、あまり気にしてはいなかった。



 次の日。


「それでは小テストを始めるぞ。よーい、始め」


 卯月先生の凛とした声が響く。

 今日の4限の英語の授業では、一昨日に告知があった通り英単語・英熟語の小テストがあった。

 教室中で一斉に紙をめくる音がしたかと思うと、そこからはシャーペンを走らせる音しかしなくなる。


「…………」


 小テストの問題を見ながら、ふと、後ろに目をやる。その少女は、艶やかな黒髪をほっそりとした指でかき上げて、真剣に問題を解いていた。その様に思わず見惚れてしまう。


 皐月。

 昨日出会った、クラスメイト。

 別に最近転入して来たと言う訳でもなければ、ずっと休んでいたと言う訳でもない。

 クラスメイトとして、漠然とではあるが記憶していた……ような気がする。


 しかし何故だろう、今まで薫や更紗、そして他のクラスメイトや先生と話していても、彼女の話が出てきたことが無い、ような気がする。


 実際、地味で目立たない人ならばそう言うことがあってもおかしくない気もするが――この人を見た限り、そう言ったことはまずあり得ないと思う。


 昨日の挨拶のときの印象としては、性格は穏やかでお嬢様然としている。だから、明るく活発で目立つ……と言う感じではない。


 しかし、外見――容姿という要素を考慮すれば、否が応でも目立ちそうなものだ。

 まっすぐ伸びた黒髪に、大きくて吸い込まれるような瞳。

 そして……胸。また言っちゃった。


 これだけの美貌だ、テレビ以外でそうそう見かけるものではない。この学校全体で考えても、卯月先生くらいしかこの美貌に張り合える人は居ないのではないだろうか。何も喋らず、無表情で廊下を歩いていても、皆の目に留まりそうなものだけれど。


 と言うか、何かもう許されるなら、その制服(セーラー服)の上からでもはっきりと分かる胸をいつまでも眺めていたい――


「橘」

「うおっ!?」


 背後からした冷たい声に、思わず飛び上がるように声を上げてしまった。

 そろりと振り返ると、卯月先生がひくひくと表情筋を戦慄かせて立っていた。

 皆の視線が集まるのを感じたのか、先生が教室を見回すように視線を動かす。


「あー、すまない。皆はテストを続けてくれ。集中力を削いでしまった詫びに、テスト時間を3分伸ばそう」


 はーいと言う返事があちらこちらから小さく聞こえて、皆の視線が再び問題用紙に移った。


「橘……テスト中に堂々とサボりとは感心せんなぁ……」


 ぐりん、と向き直りこちらを見る先生の顔が怖い。非常に怖い。視線だけで射殺されそうだ。


「え……あ、あれ?」


 そう言えば、何で教壇に立っていたはずの先生の声が「背後から」したんだろう……なんて考えていたが、理由はすぐに分かった。

 ぼけっと皐月の事を考えている内に、気付けばがっつり後ろを向いて、彼女の胸を凝視していたからだ。

 ……バカすぎるだろ、俺。

 でもしょうがない、だって胸が大きいんですもの。

 ……あれ? でも、今先生は何で「サボり」って言ったんだろう? 普通カンニングって言いそうなものなのに……。

 首を傾げている俺を見て、先生は疑問に思ったのか、


「ん、橘? どうしたんだ? さっきまでの気持ち悪いにやけ顔を引っ込めて、急にハテナを頭の上に浮かべおって」


 小首を傾げながら言った。


「俺そんなに気持ち悪いにやけ方してたんですか!? って言うかにやけてたんだ! あとそんな昔のアニメみたいな言い方やめて下さいよ! 俺は……その……」


 ちらりと皐月の方を見て、どう説明したものかと考える。

 すると、先生は俺の様子に気付き、はっとした顔をする。

 そして、俺に顔を近付けると、真剣な顔つきになった。


「……っ! そうか、君は……。と言うことは、乙瀬と上原もだろうか。すまないが、後で話がある」

「あ、はあ……?」


 何の話だろう。全く見当も付かないのだけれど……。


「ああ、そうだ、それとは別で……」

「うおっ!?」


 先生は俺に更に顔を近付け、他の誰からも見えない角度で妖しく微笑むと、


「しかし、この話と君がテストに集中していない件はまた別問題だ。いいか、授業もテストも、ちゃんと集中して――」


 言いながら、俺の口に、指を人差し指と中指をねじ込んで来た。

 ……何でだよ。


「取り組むんだぞ? いいな? 分かったら、この指を舐めなさい」


 ……恐ろしい事を言いやがった。

 しかし、ここで逆らったら何をされるか分からない。

 仕方なく、本当に仕方なく、口の中にねじ込まれた先生の指を、ぺろりと舐める。


「んんっ……よし。良い子だ……」


 一瞬艶めかしい声を上げると、先生は指を引き抜き、その指を舐めながら微笑んだ。

 思わず目を背けようと視線を下にずらすと、先生の強烈な魅力を纏った胸を直視してしまい、顔から湯気が噴き出した。


 先生はその様子を見てくすりと笑うと、またしてもおでこにデコピンをしてすたすたと行ってしまった。


 ……あの人、何考えてんの?

 あの人は夢魔と人間のハーフとかそう言う設定なんじゃないかとか真剣に考えながら、残りの時間は悶々としてひたすら股座の痛みと闘っていた。


 ……全然集中出来なかった……。


 先生が離れた後、後ろから微かにくすくすと笑い声がしたのは、気のせいだったのだろうか。



授業が終わって昼休みになると、俺と薫と更紗は職員室に呼び出された。


「何の用件なんだろうね~?」


 更紗が首を傾げながら、のんびりとした口調で言う。


「そうだね、昨日掃除をしたばっかりだから、また何かやるよう頼まれるとも思えないんだけど……」


 薫が少し心配気に話している。

 あの先生なら、平気で連日雑務を押し付けて来そうなもんだけどな。

 ……俺にだけ。


「……と、そうだ」


 そう言えば、皐月の話をまだ二人にはしていなかったと言うことに気付く。

 くるりと振り向き、二人の方を向く。

 並んで歩いている図が、既に絵になってるなーなどと思いつつも、話を切り出した。


「なあ、二人はさ、皐月って子のこと、今まで知ってた?」


 すると、二人は顔を合わせて苦笑いを浮かべた。


「ああ、皐月さんのことか……」

「匠くん、えっとね? さっき薫くんとそのことを話してたんだけど……」


 そして、二人は今日の朝からのことを話し始めた――。



 なんでも、薫が朝に登校したところ、窓際の俺の後ろの席に、知らない女の子がいつの間にか座っていることに気付いて驚いたらしい。

 しかし、俺同様、その子は紛れも無く、4月から一緒のクラスメイトだとすぐに思い出した。

 それで、記憶の混濁具合に訳が分からないと思い、薫が更紗に相談すると、更紗も同じ事を考えていた。

 そこで先程の英語の小テストのくだりが出て来る。

 二人が俺と卯月先生、そして皐月に目線を交互にやっているのに対して、周りのクラスメイトは明らかに俺と卯月先生の2人にしか視線を向けていなかったらしい。


「……どう言うことなんだ?」


 話を一通り聞いて、益々深まった謎。

 自然と、疑問が口をついた。


「分からないんだよね……あ」


 薫の声で、職員室に着いたことに気付いた。

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