(4)

「おー、こんな風になってんだ」


 図書室に入ると、三者三様に声を上げていた。

 更紗は蔵書の多さに対する感嘆の声を、薫は割と広いことに驚いたのか声混じりのため息を、そして俺は蔵書のラインナップの微妙さに驚きの声を上げた。


「うへえ、郷土資料集に過去の県内新聞、校内新聞なんかもある。って言うかうち、校内新聞なんか出してたんだ……」


 俺が言うと、


「今も出してるよ……」


 更紗がぴょこりと覗いて来て、心底悲しそうな顔をしてきた。


「あ、え? そうなのか?」

「匠……知らなかったんだ」


 薫が苦々しい顔を浮かべている。


「あ、や、うん、せっかく書いたものをきちんと宣伝しない方が悪い!」


 物凄く見苦しい言い訳をしてしまった。余計に辛い……。

 それに対して、更紗が更に悲しげな表情を見せる。


「ちゃんと校内の目立つ所に掲示してるんだけどな……」

「え、あれ、更紗、あれ?」

「匠。更紗さん、新聞部だよ……? まさか、丸一年一緒に居て、知らなかったって訳じゃないよね……?」


 ……。

 ……ごめんなさい、今、初めて知りました……。


「年上女子が関わっている部活なら一通り把握してたんだけどな……」

「筋金入りだね、匠くんの年上好きは!?」

「って言うか匠、今僕たちが最高学年だから……もしかして、先輩が居ない今となっては、女子生徒の情報を本当に一切知らないってことになるの? 逆にすごいね……引く……体調悪くならないかな……」

「流れるように悪態をつくな」


 失礼な、と繋げて、胸を張って反論する。


「俺が言ったのはあくまで『年上女子が関わっている部活』だ。好きなタイプの先生が担当している部活なら全て把握してるぞ」

「流石過ぎるね!? ちなみに、卯月先生が顧問をしている部か」

「バスケットボール部だ。そんなの微分の定義式よりも深く深く染み付いているぞ」

「食い気味な上に、ちょっとぴんときづらい比較対象を出さないでよ!」


 ……ん?

 気付くと、俺と薫のやりとりを見ていた更紗が腹を抱えてぷるぷるしている。


「……どうしたんだ、更紗?」

「……くくっ、ふふふっ……あ、ごめんなさい。薫くんと匠くんのやりとりは、いつ見ても面白いなーって」


 目に浮かべた涙を指で拭いながら、更紗がにこりと笑った。

 ……おお。

 匠が惚れるのも分かる気がする。

 俺が年上好きじゃなかったら、本当に危なかった。そんな仮定は「もしカンブリア爆発が起きていなかったら」と言う仮定くらい意味が無いものだけど。この例え、全然ぴんと来なくて我ながらびっくりした。


「ちなみに、匠。僕の部活は把握しているよね? 流石にね?」


 薫がにこにこと話しかけてきた。俺は腕利きのボクサーばりの滑らかさで首の向きを変えて、匠のちりちりした視線を流す。


 さて、これは場合によっては俺の生活に関わる(身体的健康という意味で)。慎重に答えなくては……。


 …………。

 ……よし。


「ラグビー部」

「なんで!? なんでそんな屈強な部活を選んだの!?」

「……の、マネージャー」

「そっち!?」

「ちなみに女子マネージャーな」

「何でさも当然のように僕の性別を偽ったの!?」

「いや、ボクっ娘っているだろ? ああいうの結構可愛いと思うんだ。あ、心配するなよ。俺はボクっ娘でも年上にしか興味ないから」

「性別の論議を流すなよ!」

「ぷっ、くくく、ふふふふ……っ」

『…………』


 更紗が壁に手を付いて、ぷるぷると震えていた。楽しんで頂けて何よりです……。

 ちなみに薫は放送部とのことだった。どおりで昼休みちょくちょくいなくなってる訳だ。薫の声を放送で聞いた記憶がないから裏方なのかと思ったら、結構な頻度で喋っていたらしい。年上女子の声以外は一切食いつけないからなぁ……。申し訳ないことをしたと思う。後悔も反省もしていないことが申し訳ない。



 「……ん?」


 つらつらと雑談をしながら掃除を進めていると。

ふと、視界の端にある机に、何かが置かれているのが見えた。

 吸い寄せられるように歩いて行くと、薫が声をかけてきた。


「あれ、匠? どうしたの?」

「ああ、いや、何か机の上に……」


 薫の問いかけに答えている内に、机に辿り着いた。

 そして、机の上にあった、埃をかぶったものに手を伸ばす。


「これは……ノート……?」


 それは、一見何の変哲も無いノートだった。

 ノートの表紙は分かりやすい程埃をかぶっていたので、それを手で払う。

 むわっと埃が舞い上がり、けほけほと咳き込んだ後、埃の下に書いてあった文字を目をやった。



『お願いノート』



 そう、書いてあった。


 うわぁ……。

 ……だっさー……。


 もう、感想はこれに尽きる。


 何これ。

 ネーミングセンスの悪さにも限度があるだろ。

 ノートの表紙を覗き込んで来た薫と更紗も、絵に描いたような引き方をしている。

 半ばどころか10割、いや15割くらい呆れながら、ノートを開いてみた。


――と。


「うおっ……」


 中身を見て、思わず驚きの声を上げてしまった。

 ノートの最初の数ページは説明書きで、ノート全体としては古びているのに何故かそこのくだりだけは字が明らかに新しく、しかも説明もムダにポップだった。

 ……このルール説明が英語だったら、ノートに名前を書かれた人が死にそうなものだったけれど。

 驚いたのはその先だ。

 説明書きの直後から、1行の空きもなく、何十ページにも渡ってノートのタイトル通りにお願いごとらしきものが書き込まれているのだ。


 1件ごとに書いてある内容は3つ。

 ①日付

 ②願いごとの内容

 ③署名


 以上の3つの項目が、どの願い事にもきちんと書き込まれていた。


 「……これは……すごいね……」


 隣でノートを読んでいた薫が、感嘆の声を漏らす。


「そうだね。これ見てよ、最初の方の願い事の日付……」


 更紗が指差した所を見ると、日付は1976年4月23日と書かれていた。


「げっ、今から四十年前……? そんなに前からこのノートが使われてるのかよ……」

「その後も……一年に数件ずつくらいの頻度で書き込まれてるみたいだね」


 薫があごに手を置きながら、真剣な眼差しでノートを見つめている。書き込まれている字も、よく見ると途中までは鉛筆で書かれていて、ある時期からはほとんどがシャーペンによる細い線で書かれている。時代の変遷を感じさせた。


「……何なんだ、このノートは」


 考えれば考える程、不思議なノートだった。

 何十年も前から存在していて、実際に多くの人に書き込みをされている。

 貸出の履歴等の記録ならまだしも、書かれているのは見た限りではどれも子どもじみた願い事ばかりだ。

 そんなに、このノートの事を信じている人がいるのだろうか。

 疑問は尽きないが、今この場でどうこう出来そうなものではない。

 しばらく漫然と眺めると、ノートをぱたんと閉じた。


「こんなものをいつまで読んでてもしょうがないよな。後で卯月先生にでも聞いてみよう」

「それもそうだね。まずは掃除しなくちゃ」


 更紗がにこりと笑う。いつの間にか埃取りを手にしていた。いや、本当にいつの間に持ってたの?

 更紗の笑顔により、隣の薫が呆れるほどがちがちに固まったのは、面倒だからスルーした。


「さて、掃除するか。まずは――」


 不思議なノートは机に置いて、俺たちは第一図書室の掃除を始めた。



 1時間半後。

 俺は教室に向かっていた。

 薫と更紗はそれぞれ部活へ向かった。終わり際でも少し顔を出したいとの事だ。律儀なヤツらめ……。

 と言うか、帰宅部の俺はまだしも、普通に部活動をやっている薫と更紗まで駆り出すとは、卯月先生は中々のこき使いっぷりだ。

 まあ俺たち3人がよく話しているのは知っているだろうから、共同作業を任せるならある程度親密な者同士で――なんて考えてたんだろうけど。


「にしても……本当に1時間半で終わったな。卯月先生の読み、どんだけ凄いんだよ……」


 その先見の明は一体どうやって培われると言うのだろう。謎だ。


「……っとと、もうここまで来てたか」


 夕暮れ時の校舎をてくてくと歩いていると、気が付けば自分のクラス、3―3の教室の前まで来ていた。

 教室に来ても、精々自分の荷物を回収するくらいなのだけれど。

 掃除疲れでぽけっとしながら教室のドアを開ける。


――その途端。


 身体も思考も、止まってしまった。

 教室の席、それも自分のすぐ後ろの席に、女の子が座っていた。

 物憂げな表情で頬杖を突き、夕暮れ空を眺めている。


――こんなごく普通の学校に入って、ごく普通の生活を送っているはずの高校生が、どうしてこんな寂しそうな表情が出来る――?


 初めて見る女の子に。

 反射的に、そう思った。


 そして、その切ない表情に同居しているのは、確固たる美しさ。

 整った顔立ち、真っ直ぐ流れるように伸びた黒髪。左目尻の下にある、艶っぽい泣きぼくろ。


 ……それと、胸。


 若干邪念が混じったけれど、とにかく、見惚れてしまった。


 ごくり、と息を呑んだタイミングで、女の子がこちらに気付く。

 少し目を見開いた後、こちらへ向き直ると、手を膝の上に重ねて添えて、足をきちんと揃えて斜めに流した。


 吸い寄せられるようにふらふらと歩いていき、女の子の前で立ち止まる。

 彼女は、俺を見るとにっこりと微笑んだ。


「あら、私の事をきちんと認識してくれているの?」

「……っ?」


 がちがちに緊張した中で、その言葉の真意を汲み取ることが出来ずに返答に詰まる。

 訳も分からず答えあぐねていると、その女の子は更に言葉を続ける。


「私の名前は皐月さつき、皐月よ」


 二度、名前を言った。

 そして、最後に。



「あなたは私を……覚えていてくれる?」



 にこやかな笑みを浮かべているその瞳には、深い憂いが溶け込んでいる。

 その様が、あまりに美しくて……また、黙り込んでしまった。



 これが、俺と皐月の、『正式な』初邂逅となった。

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