(3)

 明くる日の放課後。

 俺と薫と更紗の3人は、旧校舎の廊下を並んで歩いていた。

 この学校――京譲きょうじょう高校は、今から10年程前まではこの旧校舎を使っていた。

 しかし既に築何十年と経過していること、土地が有り余っていること等などから、すぐ隣に新校舎を建てた。

 だからと言ってこの旧校舎が全く使われずに、怪談の温床となって……などと言うことは全く無く、美術や音楽の授業、体育祭や文化祭の準備等で今も定期的に使われている。

 しかしそれでも、限りなく使われなくなり、殆ど忘れ去られている場所は確かにある。


「なんでまた、あんな所の掃除をしなきゃならないんだろうねぇ……」


 薫が腕を頭の後ろで組んで、くあと欠伸をしながら、さも面倒臭そうに言った。やってることは男っぽいのに、女装すれば女子にしか見えないから困る。声少し高めだよね。


「仕方ないよ、ちゃんと掃除してる人が居ないんでしょ? だから、今回の私たちみたいにたまに掃除する人が必要って言ってたじゃない」


 更紗が、薫の様子を見て少し呆れたように言う。

 更紗はこういう母性的な所があって、少し子供っぽい所がある薫と組み合わせると何だかちょうど良い。二人がとても良い組み合わせに見えて、思わず微笑んでしまった。



 ここに来るのが決まったのはほんの数時間前。

 4限の英語の時間の後のことだった。

 4限が終わって、さあ昼休みだ弁当を食べるぞーと意気込んで、姉特製の弁当を食べようとうきうき顔で弁当の風呂敷を広げていると、担任兼英語担当の美人すぎる女教師、卯月先生に呼び止められた。美人すぎるという肩書きを付けたところで、棒高跳び並に上がったハードルを易々と飛び越えるのがこの人である。要は超綺麗。あと超可愛い。


「あー、橘、乙瀬、上原。ちょっとこっちに来てくれるか?」


 言うと、卯月先生が教室の最前列の窓側、入り口とは反対側の所で、笑顔で手招きをしてくる。

 ……なーんか嫌な予感がする。

 薫と更紗も同じものを感じたのか、どことなく覇気の無い様子で先生に近付く。


「……お前ら、揃いも揃って先生の前でそんな態度を取るとは……良い度胸だな……!」


 言うと、先生は俺の首根っこを掴んで、ヘッドロックを掛けてきた。


「いだだだだ!? 先生、まずいです、色々、色々!」


 胸が! (俺推定)Gカップの胸が!

 ……あ、柔らかい……。

 腕の力だけ緩めて、あと30分くらいこのままでいてくれないだろうか。

 しばらくそのまま俺のことをいたぶると、先生は満足したのかぱっと放した。

 薫と更紗を見ると、たははと苦笑いしている。

 ……こいつら、あっさりと見捨てやがって……。


「さて、日課の橘いびりも終わったところで、本題に移ろうか」

「先生!? 今、いびりって言いましたよね!? いじりじゃなくて!?」

「おお、これは失礼した。いじめだったな」

「もっとひどくなった!? あんた教師だろ!?」


 必死でツッコむ俺のおでこを人差し指で押さえて、先生が話し出した。何でこの人空いた手で俺の耳を撫でたの? 膝から崩れ落ちそうになったんだけど。


「3人に少し手伝ってもらいたいことがあってな。旧校舎の第一図書室についてなんだが、あそこは掃除する人もタイミングも何も決まっていないのだ」


 先生が物憂げにため息を吐く。美人はため息さえ絵になるらしい。


「あまりにも誰も使わないから、正直放っておいても良いのではと思うのだが、教頭から何とかしてくれないかと言われてな。全く面倒くさい。……あの、セクハラ色ボケじじいめ……」


 先生、途中から愚痴になってます、愚痴に。あと目が笑ってません。超怖いです。更紗が泣きそうです。

 教室の湿度が下がりそうな程ちりちりとした目つきをやめると、先生がこほんと咳払いをする。


「でだ。そこを今日の放課後に3人に掃除してもらえないかと思ってな」

「あ、はあ……。あれ、さっき手伝いって言いませんでしたか?」

「ああ、いきなり一方的に任せるのは気が引けてな。最初だけ言い方を遠回しにしてみた」

「10秒で真相が分かる話をわざわざぼかすな!」


 何だその中途半端な気遣いは。


「うるさいな橘、抜くぞ」

「何をっ!?」


 すげえどきっとする事言うのやめてほしい。

 更紗、少し顔を赤らめて「わぁ……」とか言ってんじゃねえよ。何かやばい方向に話が進むだろうが。

 ……尻子玉だったらやだなぁ……。河童かよ。

 先生は俺を見つめて目を細めて舌をちろりと出すと、何事も無かったかのように舌を引っ込めて話を続ける。今の完全に誘ってましたよね先生。


「なあに、そんなに広い場所でも無いし、隅から隅まで掃除しろとは言わない。精々いつもやっている程度の掃除で十分だ。ただ、いかんせん埃がたまってるだろうからな……まあ頑張れば1時間半くらいで終わるだろう」

「えー……結構かかりますね」


 薫が不満たらたらな感じで言う。お前、何気に結構面倒くさがりだよな……。


「面倒なのは確かだ。だからその分、やってくれたらご褒美を上げよう」


 それを聞いた瞬間、少し前の英語の授業の終わり際と同様に俺の表情が変化したのを、先生に瞬時に読み取られてしまい、目の前に先生の手の平がばっと突き付けられる。


「おっと橘、性的なお願いは無しだぞ? この犯罪者め」

「なんで既に罪を犯したことになってんですか!? 俺が何をしたって言うんだ! 無実だ! 無罪だ! 冤罪だ!」

「うるさい、来世でも捕まってしまえ」

「現世でも捕まることがもう決定している!?」


 辛すぎるだろ、それ。


「橘のせいで話がよく脱線するな。まあ、ちゃんとしてくれたら、3人それぞれに私から何かしらご褒美をやろう。何にするかは要相談だな。じゃ、任せたぞ」


 言うと、先生は右目でぱちりとウインクをした。

 ……どきっとするからやめてほしいんですけど。何その魔性の魅力。

 あと、俺らの意志は関係無いんですね……。



 ぽてぽてと歩きながら行う律儀な回想が終わった頃。


「あ、着いたみたい」


 更紗の声に反応して顔を上げると、古ぼけたプレートに「第一図書室」と書かれているのを見付けた。

 最初は単に図書室と言う名前だったのだが、新校舎を作るに当たって、元からあったこの図書室には第一、新校舎の図書室には第二と付けられた。

 掃除もされず、利用も少なく、人目も少ないと、こうも朽ちて行くのが早いのか。

 第二図書室の、何の変哲も無い綺麗なままのプレートを思い出し、何となく、寂しい気持ちになった。

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