まあ、よくあること③

 自分より遥か格下の相手に、不意打ちを食らったのが相当我慢ならないのか豚の一分刈りにさらに血管が走り目が血走る。


 「HAHAHA、ナニそれ? もしかして第二形態とかあったりする!?」


 俺の実力では、この進撃の豚に勝ち目は無いだろう。


 だが、これは意地だ…。


 ぜってぇ…許さねぇ…!



 静まり返る廊下に、豚の息づかいが響く。


 63キロ級の俺と、100キロ超級の豚とでは体重・筋力差がかなりある。


 奴は体を前傾姿勢に保ち、豚にしては素早いすり足でにじり寄り俺の首の後ろ『奥襟おくえり』を捕まえようと頭上から右腕を被せるように掴みにかかった!


 豚の得意技は、『内股うちまた』。


 このまま、奥襟を取られれば前方に体勢を崩され腰で跳ね飛ばされてジ・エンドだ!


 俺は、左腕で豚の襟を掴み引き付けられまいと腕を突っ張る。


 こうなると、奥襟に掛かった豚の腕は中々俺を引き寄せる事は出来ない!


 「ちっ、左か…」


 豚がやり難いと、舌打ちした。


 右利きが大半を占めるこの国で、左利きが珍しい様に柔道でも左組は珍しい…全ての技がまるで鏡写しの様に反対になる上組み手も取り辛い。


 大半の右利きの選手にとって、やり辛い相手である事に間違いないだろう。


 青春の大半、衣食住を共にしたと言うのにレギュラーのコイツは俺の組み手が左組と言う事も知らない。


 いや、三下の組み手なんて知る必要も無かったんだろう。


 キュッ!


 俺の、上履きが床を鳴らす。


 豚は、その動物的感で危険を察知し襟を握る俺の腕を両手で弾いた。


 ビリッと音がして、俺の掴んだ豚の学ランの上着が襟の辺りから引き千切られる。


 「あーあー、やっぱ弱いな~普通の衣服ってのは…」

 

 俺は、左手ある金色の指定ボタンの付いた布切れを床に投げた。


 コツっと、ボタンが床に当る。


 引き裂かれた、学ラン切れ端に目を落としながら、豚が鳴き声を発した。


 「…左かと思ったら右の技かけようとしやがったな…お前、『右利の左組』か?」


 ザッツライツ!!


 その、とーりっス!


 速攻で見抜かれたし!


 つーか、ナニこの戦闘力の差…同じ高校生よね?


 あーあー油断してる隙に、ヤっちまおうと思ったのに…。


 所詮、アレですか?


 豚は選ばれし者で、俺はそこらへんの雑魚キャラですか?


 母親を蔑まれても、ろくに仕返しすら出来…あ、さっき一発決めたから満足しろって事?


 足んネーyo~~~。


 タネがばれれば、俺に勝ち目など…始から無かったけど。


 豚が、動く!


 豚の左手が俺の右手を掴んだ!


 早!っと思った時には遅く、俺の体が前に崩されバランスを失う!


 何とか踏みとどまったが、気が付いたら既に『奥襟』を取られていた。


 奥襟・引き手を取られ更に肉迫される。


 あ、駄目だこりゃ…俺、コンクリで上手く『受身』とれるかなぁ?


 「何やってんのよ! アンタ達!!!!!!」


 ドカッ!


 予期せぬ側面からの衝撃で、俺と豚は吹っ飛び床に叩きつけられる!


 「いてぇ…」


 豚に抱えられた状態で倒れた俺は、その元凶を見上げた。


 腰まである黒い艶のある髪をなびかせ、そいつは仁王立ちで俺と豚を見る。


 「比嘉……」


 豚が、くぐもった声でそいつの名前を呼んだ。


 比嘉霧香ひがきりか


 35人いる3年体育科クラスにおいて、希少な女子5人の内の1人。


 5人の内4人は柔道部で、比嘉は体育クラスの中でも唯一の空手部だ。


 比嘉は、清楚・可憐を実体化したようなかなりの美人。


 それこそ、体育科を毛嫌いする特進科のエリート集団達がこぞってファンクラブなんて物を作るほどに!


 学校指定のセーラーに赤いスカーフ腰まである黒髪は、光を受けることで艶やかなエンジェルリングを広げ染み一つ無い白い頬は息を弾ませ興奮しているのかほんのり赤く染まる。


 うん、美しい。


 比嘉の実態を知らない人間が見れば、一発で心を奪われるだろう。


 正直、実態を知る俺は出来る事なら関り合いになりたくないけどね。


 「有段者ゆうだんしゃ同士が、喧嘩って…何考えてんのよ!」


 比嘉の真っ黒な瞳がキッと俺達を睨む。


 豚は、俺から手を離し素早く起き上がり体に付いた埃を払う。


 「それは___」

 「仲嶺! アンタ主将でしょ? 後輩に見られたら言い訳出来ないわよ!」


 はは、怒られてやんのwww


 豚は、不満そうな顔をしながらもぐっと言葉を飲み込む。


 「…次の体育、男子は柔道でしょ? 先生が探してわよ…さっさと行ったら?」


 比嘉の言葉に豚は、おもむろに歩き出す。


 「______」



 比嘉が、真横を通過する豚に聞き取れないほど小さな声で何事か喋りかけた。


 程なく、豚が階段へ曲がった先から壁を殴るような音が聞こえたが今の俺はそれ処ではない。


 「ちょっと、アンタも! て…どうしたの?」


 比嘉が、膝を抱えしくしく泣く俺を見て怪訝な顔をする。


 閉めた筈の図書室の扉が、人が通れるほどに開いている…もちろん中には誰もいない。


 やっぱ、そっすよね…


 幾らなんでも、マイスイートには刺激が強すぎましたよね……。


 はらはら涙をこぼす俺の肩に、比嘉の手がそっと置かれた。





 ……………。


  ………………。


 最低だ…。


 マイスイートを怖がらせてしまうなんて…。


 「ちょっと! そこ! 飛び出して…って! もはや原型がないわよ!?」


 比嘉の言葉なんて耳に入らない。


 俺は、持ってた筆を地面に投げ捨て大きなため息を付いた。


 「も~真面目にやりなさいよね!」


 やってられるか! こんな事!


 心の中で悪態を付く。


 本来、この時間は『体育』の授業が行なわれている。


 体育科は1・2・3年の男子合同で柔道。


 女子も柔道部は男子のほうに参加、他の部活の女子はバスケだ。


 そんな中、俺と比嘉は学校の生徒送迎バスのはげた塗装をペンキで補修するよう先生に命じられていた。


 つか! 買い換えろよ! ここ、金持ち学校じゃん!


 妙な所でケチ臭いな!!


 俺の塗ってた『甲』の文字は、もはや原型を留めてはいない…ああ、だりぃ~マジ帰りたい。


 「手、動かしなさいよ! ったく…」


 比嘉が白のペンキの入った、缶を俺に向って突き出す。


 俺は、のろのろそれを受け取り黒いペンキのべたり付いた筆を突っ込んだ。


 「ちょっと!!」


 それを見た比嘉が、慌てて筆を引き抜く。



 

 比嘉は、俺の監視役だ。


 今だかつて、部活動を辞めた生徒がその後も在籍し続けるのは前代未聞の事らしく先生達でさえ俺の事はまるで腫れ物にでも触るような扱いをする。


 その一つがこれ。


 体育授業の間の奉仕活動。


 体育科は各学年に1クラスづつしかない。


 だから、体育などの授業はたいていまとまって受ける。


 先生曰く、『家庭の事情とはいえ後輩達に顔を合わせるのはつらいだろ?』との事だったが恐らくは豚と同じで後輩達への影響を懸念したんだろう。


 確かに、ここにいる連中はガチでオリンピックに出るのがの将来の夢とか素で言えるような鬼畜な練習を精神すり減らしならが耐えている…退学者の最も多い夏を乗り越えた1年生といえどまだ油断出来ない。


 そんな所に、俺みたいなイレギュラーがいたんではどんな影響が出るか分からず先生達も困惑してるんだろうが…。


 あんま、気にしないだろ?


 とか、思ってるのは俺だけだろうか?


 そんな俺が、好き勝手出来ない様にお目付け役として宛がわれているのがこの女だ。


 まあ、こいつも俺とは違った意味でイレギュラーな存在だけどな。




 この女…比嘉霧香ひがきりかは、一言で言うなら天才だ。


 まあ、武芸に限られているがそれでも100年に一人の逸材に変わりはないだろう。

 だが、その天才故にこの女はこの高校から50年続いた『空手部』を潰してしまった経緯がある。


 無論、比嘉にそんな自覚は無い。


 普通に考えたら、そんな天才がいれば部は盛り上がり更なる名声を学校としても手に入れる事が出来た筈だと歓迎しただろう___しかし。


 過ぎた『才』は周りからやる気を奪う。


 そんなの、負け犬の遠吠えだと言われればそうかも知れない・・。


 だが、考えてもみろ?


 自分が、年月をかけ手に入れるモノを息をするよりも簡単に得る者がいたとしたら?


 しかも、そいつは『自分の出来る事は皆にも出来る』と思っていて自分と同じ事を他人にも強制してきたら?


 別に、比嘉は悪意があってやったわけじゃない。


 ヤツに言わせれば、『努力すれば必ず結果が出る…大丈夫、君は未だ本気を出していないだけ__』と言った所だろう。


 だが、人にはそれぞれキャパシティってヤツがある。


 比嘉にとってそれは、ラジオ体操並みの事かも知れないが他の部員にとっては正に地獄。


 先輩たちは、運良く『卒業』がその地獄を終わらせてくれたが同級生並びに後輩達はそうも行かない。


 オーバーワークによる怪我、精神的な負荷が重なり空手部員達は皆学校を去っていった。


 比嘉は一人きりになった。


 それから比嘉は、たった一人で大会という大会で破竹の勢いで勝ち続け遂に3年間無敗という前代未聞の記録を叩き上げた。


 もし、オリンピックで空手が種目にあったなら確実に金を取れただろうと回りは囁いく。


 だが、比嘉は空手に自分を見出せなくなっていた。


 「私、人の役に立つことがしたいの!」


 ある、昼下がり突然教壇に立った比嘉が言った言葉に教室が静まり返った。


 教壇にコトリと置かれた『目安箱』と書かれた不恰好なダンボール箱。


 ナニそれ?


 テラワロスwww


 と、思ったのは俺だけでないと信じたい。



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