よくあること②

俺は朝飯もそこそこに剣を探した。


 今が冬休みじゃなくて、普段の日なら学校に逃げる事も出来ただろうに…不憫なヤツ。


 この家で、霊的なものが視えず感じもしないのは俺と剣だけだ。


 俺はそんな視えない感じないものに何をそんなに恐怖する必要があるのか良く分からないが、怖がりの剣にとって此処は正に幽霊屋敷以外の何物でも無いのだろう。


 「にぃじゃぁぁぁぁん…」


 いつもの物置の隅に縮こまるように膝を抱える弟が、涙目で此方を見ている…なんかお前のほうがよっぽど妖怪みたいに見いえるぞ?


 「もうヤダ…オレ限界だ…出て行くぅ! この家出てく…ぐすっ!」


 俺のトレーナーが、剣の鼻水と涙で濡れていく。


 「わーた! わーたって! 俺が卒業したらアパート借りっからそれまで我慢な!」


 仕事が見つかりゃね…。


 ったく…幽霊なんかより卒業早々フリーターとかの方がよっぽど怖いっての!



 そんなこんなで、平和な一日も終わりに近づき夕暮れも限りなく夜に近づいたころ。


 うっかり昼寝をしてしまった俺は目を覚ました。


 「…ん~…」


 そーだった、居間で就職活動に必要な履歴書かいててめんどくなって気が付いたら寝てたなあ…うん。


 涎でぬれた履歴書が右の頬にべったりと張り付いている。


 顔に張り付いた履歴書をくしゃくしゃに丸めながら居間を見回したが、珍しいことにもうすぐ夕食の時間だというのに誰もおらず薄暗いままだった。


 「…なんだ…誰もいないのか…晩飯どーすんだ…?」


 腹が減ったので取り合えず何か食おうと冷倉庫をあけた。


 ……?


 今何か聞こえたような…?


 冷蔵庫を閉め廊下と居間を仕切る襖を見る。


 特にどうと言う事はない…少々穴は開いてるが只の襖だ…。


 気のせいか?


 

 ………………おぎゃ………おぎゃ………


 「へ?」


 俺は、を勢い良く襖を開け廊下の左右を確認した。


 ………おぎゃ…おぎゃ…


 ガチだ…ガチでキタコレ……ついに目覚めたか!


 母方の血!


 おぎゃ……おぎゃ…


 まるで赤ん坊のような泣き声は次第に近づいてくる。


 おぎゃ、おぎゃ、おぎゃ、おぎゃ、おぎゃ、おぎゃ、おぎゃ、

おぎゃ、おぎゃ、おぎゃ、おぎゃ、おぎゃ、おぎゃ、おぎゃ、おぎゃ、おぎゃ、おぎゃ、おぎゃ、おぎゃ、おぎゃ、おぎゃ、おぎゃ、おぎゃ、おぎゃ、おぎゃ、おぎゃ、おぎゃ、おぎゃ、おぎゃ、おぎゃ、おぎゃ、おぎゃ、おぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!



 鳴き声が近づくにつれ俺の余裕は一切なくなっていた。


 怖!


 マジで怖い!


 何数とか増えてるわけ!?

 

 やべぇ逃げないと…って……。


 動けない…!


 体がうごかな…あ…っ?


 俺の意思とは関係なく、視野が変わる。


 襖から顔を出した状態で、そのまま廊下に倒れたと言う事に気づくのに少しかかった。


 指は愚か、瞬きさえも出来ない声も…体が一切動かせない…。


 開ききった俺の目に、廊下の闇の向うから無数の鳴き声と『ひたひた』と床を這う音が迫ってくる。


 もう駄目だ!


 …あれ?


 突如、鳴き声もひたひたと床をはう無数の音もピタリと止んだ。


 瞬き出来ず乾き始めた目から生理的に涙かこぼれ床に伝う。


 助かっ……っつ!?


 天井に向いた右の耳たぶに激痛が走る。


 かっ、噛まれてる!!


 「…っぅ!」


 ギリギリと食いちぎらんばかりに噛み付かれついに


 ブチっ!


 「………!!! ……ぁ…! ぁっ…!!」


 叫び声すら上げられない俺の耳もとでしゃがれた声が呟いた。



 「モットヨコセ」







 背中に強い衝撃を感じて俺は目を覚ました。



 「兄ちゃん!!」


 最初に目に入ったのは、涙目で俺を見つめる剣。


 「はい! もう大丈夫さー!」


 背中のほうでは、良く聞き慣れた声___。


 「…婆ちゃん…?」


 婆ちゃんは、俺の背中を慣れた手つきでさすっている。



 …ああ…きもちい……。


 「あいやーあんたよー! 心配するさー」


 「…俺…どうしちゃってたの…?」


 とにかく体がだるい…あ…!


 「俺の…耳…!!」


 「大丈夫よー! ちゃんと耳はあるからー」


 婆ちゃんは、なおも強く背中をさすってくれている。



 「あこーくろーの時は魔物が出るから気おつけないとねぇー」


 「あこーくろー…?」


 あこーくろーとは、沖縄の方言で夕暮れや『黄昏時』という意味で昼から夜に変わるその時間は最も魔物や悪霊などが出没すると言うのをこの時初めて知った。


 窓の外は、もうとっぷり日が暮れていた。



 この日。


 運悪く爺ちゃんは隣の家に碁を打ちに、婆ちゃんは剣と買い物、お母さんは残業、武伯父さんは外道シスターズを連れて元妻と食事、博叔父さんはパチンコと俺以外この家には居なかった。


 婆ちゃんの話によれば、最近この家の中で俺が最も気が抜けていて悪霊の付け入る隙が最もあったのでこんな目にあったとの事だった。


 これから先、幽霊が見えるようになったんじゃないかと心配だったがそんな『心配はないと思うけどねぇ~』と微妙な太鼓判を押してくれた。


 元来俺に霊感らしき物はなく、今回はたまたま波長があってしまったが婆ちゃんがしっかり祓ったから大丈夫とのこと。


 しかし、今日みたいな目に毎日あって他の連中は大丈夫なんだろうか?


 まあ、もう俺に見えないのだから関係ないけど!


 …今回の俺の状態を目の当たりにした剣は、これまでに無いくらい怯えきっていた。


 俺の腹にしがみつき、ぶるぶると震える剣に婆ちゃんがあきれている。


 「あいやなーもう怖くない! 婆ちゃんが祓ったから大丈夫って言ってるのに!」


 「だって…だって…ぐすっ!」


 「そんなこと言ったら婆ちゃんの方がもっと怖い目にあってるさー」


 「…どんな?」


 「戦争よ…戦争はどんな魔物や悪霊よりもこわいからねぇ~」


 …それと比べられても…。


 「婆ちゃんは17歳結婚したけどね旦那は戦争にいってそのまま死んでしまったわけ…」



 え?



 「じゃ、そのとき出来たのが武叔父さん?」


 「ううん、違うよ」


 「爺ちゃんとは再婚なの?」


 「ううん、違うよ」


 はい?


 「婆ちゃんは再婚もしていないし子供も居ないよ」


 しんと静まり返った居間の温度が、急激に下がった気がした。




 「ほら、怖い話でしょ?」



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