まあ、よくあること ⑨
体力と気力の続く限り俺は走った!
方角など頭には無い、兎に角『家』から離れる事だけしか頭に無かった!
夕日が、赤く染める通りを後ろを振り返らず只ひたすら駆け抜ける。
チチチチチチッ…。
しかし、どんなに走ってもカッターナイフの刃を出し入れする音が背後から絶えず鳴り響く。
「はぁ! はぁ! はぁ!」
肺が破裂しそうに痛い…こんなの、部活でも滅多にならない。
「くそっ……?」
ふと、遥か前方に複数の人影が見えた!
やった! たすか______!?
俺は、咄嗟に人電柱の影に身を隠す。
複数の人影は、徐々に此方に近づく。
ソレは、15人ほどの女子集団…その全員に俺は面識があった。
柔道部女子部員。
あいつらの練習メニューには、男子部員も真っ青になるほど外での走りこみやら筋トレが含まれる。
女子の一団は、俺の隠れる電柱をかなりのハイペースで横切り走り去っていった。
此処は、学校の近くなのか…?
「はは…何やってんだ俺…」
折角、助かるチャンスだったのに…いや、なんて言うつもりだったんだ?
『ユーレーに追われてんるんです! 助けて! 殺される!』
とでも言えと?
チチチチチチッ…。
…言ったほうが良かったかも…!
俺は、再び弾かれたように掛けだした。
女子部員達の姿は、もう何処にも見えない…あいつら、なんちゅうペースで走ってんだ!
ガッ!
え?
足元に違和感。
俺は、派手に前に転がった!
マジかよ…。
転んだ事自体は大したことは無い…咄嗟に発動した柔道の『受身』と言うスキルが殆んどの衝撃をカバーするからだ。
只、受身で回避出来るのはあくまで与えられた衝撃のみ…達人ならまだしも俺如しは受身を取った地面に落ちてるものまで予測は出来ない。
俺の右足脹脛には、割れた酒瓶と思われるガラス片がグッサリという効果音がぴったりな状態で深々と突き刺さっていた。
脹脛側面から突き出した、ガラスが俺の血で夕日を反射しててらてらと光る…痛いより熱い感覚…。
これは、多分自分で引き抜くのは危険だ!
チチチチチチチチ…。
直ぐ近くに迫る、音。
「っく!」
俺は、視界に入った路地に足を引きずりながらころがり込んだ。
建物の裏に当る路地は薄暗く、日も落ちようとする中更に暗さを増している。
「先輩」
俺のすぐ背後。
背中にぴったり寄り添うように声が聞こえた。
「う あ…」
俺は情けない声を上げ、足がもつれて無様にその場に転びまるで赤ん坊のように四つんばいでその場を逃れようともがく。
が、ソレも虚しく背後から襟をつかまれあっけなくゴロリと仰向けに倒された。
「ひっ!」
仰向けにされた俺に、彼女がまたがる。
「もう、無理をしなくて良いんですよ…?」
恐怖に引きつる俺に彼女は優しく微笑んだ。
あ…。
「これからは、ずっと一緒です」
俺の喉に、カッターナイフが押し付けられる。
「うん」
俺の返事と同時に、刃が肉に沈み一気に引き割かれた。
ああ…。
喰われている。
俺が、喰われている
皮を
肉を
内臓を
神経を
割かれた腹から、彼女の白く細い腕が中身をまさぐった。
「ゴポッ…ゴポッ…」
叫び声は、割かれた喉から赤い泡となってはじける。
「そんな、顔しないで下さい」
彼女が優しく微笑む。
「骨も粉にして飲みます。 先輩の全身くまなく…零れる血もすべて喰らってあげますね…」
どうして…?
「ずっと、みてました。 先輩は、予期せず全てを失った…それでも逃げ出す事無く…いいえ…『逃げ出せず』その場に留まり続けるしかなかったのでしょう? アナタの人生は正に『自分以外の誰かの為』に消費され続けている…だから、解放してあげますね…」
『ずっと、そう願っていたでしょ?』
彼女は、甘い言葉を紡ぐ。
そうだ…俺は願っていた。
親父の暴力から、『家族』を救う為・・・わざわざ警察署の柔道クラブへ通いその脅威を回避し努力の末この学校の体育推薦枠に滑り込んだのもみんな『家族の為』…自分の為じゃない…。
きつく苦しい練習、ソレを乗り越えられたのは母さんや剣の喜ぶ顔が見たかったから…高校こそ試合になんて出られなかったが中学の試合で何度か優勝した時はあの親父でさえ喜んでくれたんだよ……!
だから、俺!
死ぬ気で頑張ったんだ…!
俺が頑張り続ければ、もしかしたらって…。
でも、そんなの意味無かった。
クリスマスの日に俺の努力は泡と消え、同時に高校生活で培ってきたものを全て失う結果となった。
世界は、対価を持たざる者に呆れるほど残酷だ。
俺は、行き場を失いそのままそこに居座った…只それだけの事。
同じ教室にいる『別世界住人達』を、横目にまるで目隠しをしてがけっぷちに立つような感覚。
『恐怖』
その感情だけが俺を支配する。
「大丈夫…もう泣かなくて良いんですよ…これからは私が一緒にいますから」
チチチチチッ…。
だから、これは救いなんだ。
俺の血で口を汚した彼女が、両手で掴んだカッターナイフを振りかぶる。
国語教師は、どんな気持ちで彼女と最後を飾ろうとしたんだろう?
今思えば、国語教師は俺を逃がそうとしてたんだよな…大量の机や本があれほど見事に直撃しなかったのも何故か出口が確保されていたのも…最初笑ったもの生徒を守れたと思ったからかな?
『 イ”え”お” 』って、多分『逃げろ』って言ってたんだよな…はは…酷い事したなぁ…俺。
ゴキブリのようにのたうち回っていた国語教師。
事切れる最後まで俺の心配をしていたんだろうか?
彼は彼女と死のうとした事を後悔したのだろうか?
先に死なせてしまった事を悔やんだだうか?
カッターナイフが、俺目掛けて振り降ろされる。
あ…コレで……。
________良い訳ねーだろ?
俺は、恐ろしく冷静だった。
「なん___?」
彼女は信じられないモノでも見るように、自分の胸に突き立てられた緑に視線を落とした。
俺は、カッターナイフを振り下ろそうとした彼女の片方の肘を左手で押し上げがら空きになった胸に右手に握り絞めていた『サン』の枝を突き刺した。
叫び声は無い。
只、穴の開いたような黒い瞳から赤黒い液体が止め処なく零れる。
「ああ…先輩も先生と同じなんですね…」
ゴメン…本当にゴメン…。
俺は、君と一緒にいたいと思うほどまだこの世界に絶望していない。
俺は、激痛を堪え上半身を起こし脱力した彼女を抱き締めた。
小さな彼女の体は、俺の腕にすっぽりと収まる。
「…も…私……先輩に……なにも出来ない……」
冷たい感触が、徐々に消えていく。
ゴメン…本当に好きだったんだ…でも、一緒には行けない…!
「先輩なんか…大嫌い……だから…これは」
俺の腕の隙間から、彼女の腕が薄暗い路地の一角を指差す。
『ちょっとした報復です』
聞こえるか聞こえないかの微かな言葉を残し、彼女は歪に笑う。
俺は、彼女の指差した場所から目が放せなかった!
そこは、何の変哲もないコンビニと思われる建物の裏…コンクリートの壁に張られていた訊ね人の張り紙。
丁寧にラミネートされてはいたが、風雨に曝され所々インクジェットが流れてはいる…でも間違いない!
爺ちゃん?
ソレは、間違いなく爺ちゃんだった。
顔写真の下には知らない名前・知らない住所…なんで…?
抱き締めていたはずの彼女に視線を戻したが、そこには既にその姿は無く膝の上には『サン』だけが落ちている。
俺の意識はそこで途絶えた。
気が付いたのは、病院のベッドの上だった。
「あら? 起きたの?」
ベッドの傍らでリンゴを剥いていた母さんが、リンゴから目を逸らさずに言った。
「かあさ…!?」
俺は、思わず喉を擦った!
声がでる…?
「全治2週間だそうよ!」
「え…?」
呆けたようになった息子に、母さんはため息をつく。
「その足の怪我よ! 全く! 転んでガラス刺して出血多量なんて…もし、クラスの子が通りかからなかったら死んでもおかしくなかったらしいじゃない! 何やってるの!? そんな間抜けな死に方したら飛んだ笑いモノよ!」
俺は、体のあちこちを弄った。
不思議な事に、怪我はあのガラスの刺さった脹脛だけのようだ…な…?
「圭! 聞いてるの!?」
「はいはいはい! きいて_____」
母さんの目に薄っすら涙が浮いている…胸が締め付けられた。
「ごめん…母さん…」
「全く…心配させないで頂戴!」
母さんの剥いてくれたリンゴをかじりながら病室の窓を見る。
彼女は、無事に旅立てただろうか?
…そして、何より気に掛かるのは_____。
二日後、俺は退院した。
本当はもっと経過を見た方が良いらいしいが、経費と出席日数の関係で無理やり残りの治療を通院に切り替えたのだ。
学校帰り、俺はバスに乗らず松葉杖を突き例の路地裏を目指した。
アレを確認する為、錯覚であって欲しいと願いながら。
まだ、日があるにも関らずひんやりとした路地裏その壁にソレはあった。
「ガチだキタコレ……」
尋ね人の張り紙には、満面の笑みを浮かべる爺ちゃん…他人のそら似とかそんなレベルじゃない…本人だ!
俺は、張り紙を壁から剥ぎ取り丸めて学ランの内ポケットにしまう。
こんなの、張りっぱなしになんか出来ない!
「何やってるの?」
背後から、聞き覚えのあるソプラノ。
「何だ…お前か比嘉」
「『何だ』じゃ無いわよ…帰りバスででしょ? 怪我もしてるのに一体なにしてるのよ?」
実は、ここで倒れていた俺を介抱し救急車を呼び母さんが病院に到着するまで付き添っていたのは何を隠そうこの『正義の味方:比嘉霧香様』だ…つまりこの虫唾が走るほど嫌いな女は命の恩人ってわけ。
「なんでしゅか? ぼっくんのことストーキングでしゅか~?」
「…ここは、私の家の近所なのよ! アンタが此処に入っていくのが見えたから…し…心配になって…」
俺のふざけた言葉使いをスルーし、比嘉は下を向きしどろもどろに答える。
あ…そう言えば俺、まだコイツに礼を言って無かったけ?
「はぁ…比嘉」
「な、何?」
俺がが声をかけると、比嘉はパッと顔を上げた。
「…礼をまだ言って無かった、今は無理だけど近いうち何か形に…」
「いらない」
ピシャリとした拒絶の言葉に、俺もさすがに驚いた!
見返りが要らないとか、何処までヒーローなんですか!?
「いや、俺を介抱してくれた時、着てた服とか血ついてたって母さんも言ってたし…弁償くらいさせろ! 胸糞悪いだろ!? そう言うのが嫌なら何か他に無いのか?」
…出来る限りこんな奴に借りなんか作りたくない…!
『命の恩人』なんてヘヴィな借りが簡単に払拭されるなんて流石に思わないが何かケジメをつけないと気分が悪い!
「ある」
比嘉は、俺の目をジッと見つめた。
「あるのか? じゃぁ早く言ってくれ!」
俺は、この時の台詞を死ぬほど後悔する事になる。
「圭、私…アンタが好き」
……………………………………んう?
毛穴から悪寒と共に冷や汗があふれ出す!
「こんな事で付込むつもりは無い…だから返事はよく考えてくれて構わない…から…!」
そう言い放つと、比嘉は白い肌をまるでリンゴのように染めながら路地裏から走り去ってしまった。
比嘉の美しい黒髪が遠ざかり、それと同じくして俺の体に鳥肌が一気に走る!
なにコレ?
フラグとかありましたか?
自慢じゃないが、今までの比嘉に対する俺の態度の何処にあの台詞を言わせる部分がありましたか?
俺、結構酷いことしたよね?
腹パンしてゲロさせたし…それ? それが良かったの? 比嘉、ドMなの?
それ以前に無理…生理的に無理!!
悪夢…悪夢だ……答えなんて決まってる!
しかし…!
OW…マイスイート、これも君の報復なのかい?
俺は思わず天を仰ぐ。
俺の初恋を捧げた君は、そこで笑っているのだろうか…。
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