仮面の夜鷹の邪神事件簿

毒島伊豆守

夜鷹は現れる

第1話 夜鷹の鳴き声は聞こえるか(1)

狂乱の1920年代はアメリカ全州に対する禁酒法施行と同時に始まった。

マサチューセッツ州アーカムの大学生「僕」は新しい時代が運んできた出会いにのめりこむ。

しかし、深夜のストリートで……。

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 1920年2月6日の金曜日は僕にとって運命の日になるに違いない。

 ん、シャワーを浴びる時間を考えたら運命の日は明日になるかも。時計の針は23時をゆうにまわっている。

 これから隣を歩く女性と一夜をともにすることになるだろうが、3回目のデートでそうなるのが早いか遅いかの判断はお任せする。

 僕の経験から言うと……いや、正直に告白すると女性とこうなるのは初めてだ。

ニューヨークの実家では門限に縛られていたし、両親は長男の僕をしっかり管理することが親の義務と考える人達だった。

 否、言い訳もやめよう。再び正直に告白すると、僕には女性に対して積極的にアプローチする自信がなかったのだ。

 黙っていても女性がついてくるのは、フットボール部のクォーターバックか常に最新式のフォードを乗り回せる奴に限られる。僕はそのどちらでもなかった。


 しかし、ここ3週間の僕はそいつらより明らかにツイていたんだ。

 アメリカ合衆国憲法修正第18条、俗に言う「禁酒法」が全州で施行されたのが大体3週間前だから禁酒法が僕にこの運命の女性と引き合わせてくれたのかもしれない。

 まあ、この禁酒法、僕が今大学に通うために寮生活しているアーカムという街が所属するマサチューセッツ州では1908年から施行されているから、今更大した影響はない。

 郊外の農園で密造酒の製造が行われているのは誰もが知っているし、アーカムの中央を西から東に貫いて流れるミスカトニック河の下流にある港町キングスポートへは小型密輸船で、カナダからは陸路トラックで様々な酒が運ばれてる。

 みんな、カーテンを閉めたリビングや、おおっぴらに営業していない

潜り酒場スピークイージーで喉を潤している。

 警察署長のオフィス、更にはアーカムの最も重要な施設であるミスカトニック大学の学長の机の引き出しにも上質のウイスキーが入っているはずだ。覗いてみたことはないがね。

 つまり、禁酒法とはうまくつきあえってことだ。


 僕はニューヨークで貿易商を営む父から仕送りが届いたら、流行の服を着てスピークイージーに行って上等の一杯を飲んだり、映画館や劇場をはしごすることを楽しみにしていた。

 最新式のフォードは買えないが、懐事情は同級生達より少し恵まれていた。

 管理主義の両親から離れて数ヶ月、僕は大学の授業よりもアーカムという中規模の街を楽しむことに夢中だった。18歳で僕の世界は飛躍的に広がったのだ。

 

 ただ、禁酒法施行は一点だけ僕にとって不利益をもたらした。

 3週間前、つまり禁酒法施行後はじめての金曜日の夕方、僕はいつもどおりアーカム北部―――アーカムはミスカトニック河によって北部と南部にわけられた街だ―――のノースギャリソンストリートに出向き、通りから半地下分階段を降りたところにあるスピークイージーのドアをノックした。

 スピークイージーは、警察や(一部の厳格な宗派の信者を除いた)市民が黙認しているとはいえ違法営業には違いないため、必ず入店チェックされる。大抵は屈強なドアマンがその役目を担う。この店では定休の日曜日を除いてギャスという巨漢の猛獣めいた両眼がドア窓から覗き、入店希望者を値踏みする。

 天国の門が開かれるかどうかはギャス次第。一応の基準はあるらしく、一見者や娼婦、肉体労働者はドア窓越しにしか店内を見たことはないそうだ。

 一方的に値踏みされたことに激怒した肉体労働者が、分厚い樫材のドア(物騒なことに樫材と樫材の間に弾丸対策の鉄板が埋め込まれてるって話だ!)に蹴りを入れたことがあったそうだが、のっそりと出てきたギャスのレンガみたいな拳でアゴを砕かれたと、新聞スタンドのおやじアーサー・ストラウトから聞いた。

 だから

「坊やを入れるわけにはいかねえな」

というギャスの宣告に僕が逆らうはずもなかった。建前ばかりだと思っていた禁酒法は、親の仕送りで飲みに来ていた大学生をよそ者に格下げする程度には機能した。法治国家万歳。


 上等の酒にありつけなかった僕は、仕方無く憂さを晴らせる楽しい場所を探して歩き始めた。

 このままどこかのダイナーで腹を満たして学生寮に戻るという選択肢もあったが、何もせずにまた30分かけてとぼとぼと帰るのは惨めな気がした。

 ウエストアーミティッジストリートを歩いていると、コマーシャルハウスという名のダンスホールがあった。今一番新しい音楽ジャズミュージックの生演奏があるのが売り。

 楽しい場所であることは間違いないが、『男女同伴以外お断り』のひどいルールがある。僕にとっては、ギャスの値踏みより敷居が高いのだ。

 街中から自分という存在を拒否されたような気がして僕が通り過ぎようとした時だった。

「あの、声をかけてもいいかしら」

 え、僕?

 振り返るとダンスホールの建物を背景にした女性が、僕を見つめていた。

「な、何かご用ですか?」

 その女性の姿が目に入った瞬間、彼女以外のものは僕の意識から消えてしまった。


 黒い毛皮のコートを肩から羽織り、腰のくびれを排したストレートなドレスは今風に着こなされ、その膝丈どまりの裾からは形の良い脚が見えている。

 ドレスの襟は羽を広げた蝶を模してきらびやかに飾られ、そこから白磁にも似た首筋がのぞき、ボブカットの艶やかな黒髪をクローシェ帽が包んでいる。

 昨今都市部で流行しているフラッパースタイルだ。

 流行は誰でもまねできるが、その女性を完璧だと思わせるのはその美貌だった。

 射すくめるような挑戦的な青い瞳、すぅっと流れる鼻梁、南欧の血が入っていると想起させる情熱的でやや厚めの唇。

 アーカムは学究に重きを置く土地柄のせいか、このような刺激的で男に挑みかかるような女性はほとんど見かけない。19世紀の価値観で生きているのかな、と思う女性も珍しくない。

 ここがニューヨークのアップタウンでだって彼女は男性の目を惹くだろう。

「ダンスホールは1人で入れないという規則は変えられないものかしらね」

 彼女は視線を僕からはずして背後の建物に向けた。

「はあ」

 彼女の言葉の内容より、ややハスキーな響きそのものを耳の中で転がしていた僕は馬鹿みたいな相づちを打つだけ。

 くるっと振り返った彼女は

「私がここに入るのを助けてくださらない?」

 考えて意味を理解するまで数秒。

 ダンスホールに入るための即席同伴。彼女―――サラ・オズボーンと僕の出会いだった。

 これはスピークイージーのギャスがもたらした幸運か?いや、禁酒法のおかげだな。法治国家万歳。

 

 その晩、ダンスホールが零時に営業終了するまでの数時間、僕とサラは音楽に耳を傾け、踊り続け(ほとんど僕は彼女にリードされるがままだったが)、お互いについて語った。

 不当な入場ルールを突破するための同盟関係だった僕らは急速に打ち解けていった。

 サラはアーカムの近くにある町の出身で最近越してきたばかりで友人と呼べる人もほとんどいないとのことだった。僕はすぐに友人になった。

 サラはその刺激的な外見と裏腹にきめ細やかな心配りできて、頭の回転も早く、話し続けていると話題が尽きない。彼女のくゆらす紫煙は不思議な香りがした。

 彼女との距離を更に縮めたいと僕が思ったのは当然の成り行き。

 

 翌週の金曜日、僕達は再びコマーシャルハウスの前で待ち合わせて、今度は堂々と入店した。

 この数時間も夢のように過ぎた。僕はますますサラに夢中になった。

 彼女はアーカムのとある慈善団体の事務員で、日曜日は出身の町に戻って両親と過ごすため、金曜の夜にしか会えない。僕は金曜夜以外は大学か寮で過ごしていたが、心はサラのことばかり考えていた。

 

 そして、待ちに待った3度目の金曜の夜。僕と彼女はコマーシャルハウスを抜け出て、今ノースウェストストリートを2人で歩いている。

 2人の距離を無くそうと誘ってきたのは彼女だった。女性があらゆる分野で活動的になった1920年代。それもまだ始まったばかりだ。

 23時を過ぎているのだが、2人で場所はどこにあるのだろう。

 僕の部屋はミスカトニック大学1年生専用の寮、通称『地獄の東』。あんなぼろくてすきま風が入る部屋に彼女を呼べやしない。しかも、寮生の好奇心旺盛な目と耳は100以上ある。冗談じゃない。

 彼女の部屋・・・・は彼女自身が提案しない限り無理だろう。

 そうなると、アーカムにいくつかあるホテルで部屋をとるしかない。

 僕達は気がつくと、ノースウェストストリートとウェストハイレーンが交差する角地にあるボーデン・アームズホテルが見える場所までそぞろ歩きしていたようだ。

 あのホテルはアーカムでは安いホテルだが、サービスも部屋も相応だと聞く。

 彼女はそれでもいいというだろうか。

 それとも記念すべき夜は奮発してもっといいホテルを目指すべきか。ただ、この場所から2月の寒空の下を結構歩かなくてはならない。

 彼女と僕の高まったムードとは正反対に、心中は直面する現実的な問題に密かに懊悩していた時だった。

 


 街灯のない薄暗がりから突然、何者かが飛びかかってきた。

 完全に不意を衝かれた僕は舗装された路上に背中から倒され、金属製の何かで打ち据えられ、みっともない悲鳴をあげた。

 路上強盗?

 生まれ育ったニューヨークより治安の良いアーカムで人生初めての強盗に遭うとは。

 僕の悲鳴は深夜のストリートに―――恥ずかしいけれど―――響き渡ったはずだが、不幸にも近辺をパトロールしている警官はいなかったらしい。

 そうだ、サラを逃がさなきゃ。

「逃げるんだ、サラ!早く!」

 馬乗りになって殴りかかってくる強盗から必死に防御しながら叫んだ。

 僕は視界の大半を占める強盗の黒い影と自分の両腕の隙間から、サラが無事逃げたか確認しようとした。目に入るのは寒さに澄み切ったアーカムの夜空だけ。

 夜空・・・・って、ええっ!?

 僕の視界の片隅に見えていた夜空を上書きするかのように何かが迫って―――いやが落下してきている!

 今度は強盗がみっともない悲鳴をあげて吹っ飛ぶ番だった。

 僕は背中や腕が痛くてしかたなかったが、このまま転がっていたらどうなるかわからないので、力を振り絞って立ち上がった。

 

 ノースウェストハイレーンのど真ん中に薄汚れた上着を着た若い―――と言っても僕よりはいくつか年上だろう―――男が僕と同じように立ち上がろうとしていた。

 その手には錆の浮いたバールが握られていた。

 あれで僕を殴ったのか。頭でも殴られていたら一発で殺されていたに違いない。

 強盗は無精髭だらけの顔を歪めて再びバールを構えた。

 僕は四方を見回してサラの姿がないことを確認した。助けを呼びに行ってくれたか、逃げたかわからないけど、無事ならいい。

 僕は逃げることにした。サイフを投げ捨てて逃げれば追ってこないだろうか。


 強盗は僕よりも早く動いた。しまった、怖くて足に力が入らない!

 今度は殺す気満々で思いっきりバールを振り下ろしてきた。僕は目を瞑って両腕で頭を守って衝撃に備える。死ぬのが何秒か延びるだけかもしれないけど。

 乾いた金属音がした。舗装された道路を何度かバウンドして静かになった。

 おそるおそる目を開く。音のした方にはバールが転がっていた。殴ろうとしてすっぽ抜けた?

 

 強盗と僕の間の距離は数フィート。

 その中間地点に翻っているのは黒っぽいマント。表面がもぞもぞと蠢いているような気がするけど。

 マントの主は強盗に相対し、僕に背中を向けていた。僕よりも数インチは高い身長。体つきはマントに隠れてよくわからないが、黒い髪に覆われた後頭部とその上に乗っかっている少々時代遅れのカウボーイハットは確認できた。


 その背中越しに、地面に尻餅をついた強盗がこちら―――僕ではなくてマントの主―――を怯えた目で凝視しているのが見える。


 マントが大きくてよくわからなかったが、腕組みしていたらしいマントの主は両腕を大きく広げた。濃いブラウンの革製の上着の袖と、両方の肘から手首までを黒い籠手のようものが覆っているのが見えた。


「さて、追い剥ぎハイウェィマン夜鷹ウィップアーウィルの鳴き声は聞こえるか?」


(続く)


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