第31話 そこにある故郷
そんなこんなで彼ら三人は仲良く休暇を取り(捥ぎ取ったとも言う)、久しぶりに戻った故郷の大地を三人で踏み締めていた。…が、蒸し焼きになるほど暑い。物凄く暑い。
久方ぶりに戻った故郷の季節は何と「夏」だったのである。確かに空港へと降り立つ前に飛行機の中でアナウンスは流れていた。陽呼・ナシア市はただいま三十八度で御座います。皆さま、どうぞ体調にはお気を付けください。…そんな感じだっただろうか。
真面目に聞いていなかった。そうアキラは項垂れつつ、胸元をはためかせて一人ぼやく。
「…暑い、暑すぎるっ! 何だよ、この異常な暑さは。竈に放り投げられた気分だ」
すると同じように空港から出て来たヒカルが呆れ顔をしており、アキラの隣に立ちながら弟へと言っていくのだった。
「大した暑さじゃないだろ。こんなの夏なら普通だったじゃないか。…それにしても暑いな。確かセグヴァの方が南にある筈だけど。やっぱり湿度が高い所為だろうな。湿度って凄いや」
「そんなのに感心するなよ。…余計に暑くなる」
何故か涼しげな顔をしているヒカルにそう漏らして、アキラは更に項垂れた瞬間だった。でもヒカルをよく見てみれば、彼もまた着ている白いワイシャツの胸元を暑そうにはためかせていた。それに穿いている茶色いズボンも汗を帯び始めているのが微かに判る。
成程、兄も暑いのだな。…良かった、良かった。てっきり自分だけが暑いのだと思った。
そう安堵するアキラと隣に立つヒカルの手にはそれぞれデカいアタッシュケースがあり、その風体は明らかに「旅行客です!」と云った感じだった。そしてその後ろにはもう一人。
彼ら三人は皆、この陽呼の出だ。そして今回はアキラとヒカルの故郷であるナシア市へと戻るべく、こうして三人で仲良く空港へと降り立ったのである。…現在彼らは空港前にあるバス停に立っており、茹だるような暑さの中をバスが来るのを只管と待ち続けていた。
ここが田舎の辛い所である。…中々バスが来ない。一時間に二本しかないのが辛い所だ。
それは良いとして、嘗ての記憶に在る陽呼はガイア諸国連合軍の一員となって後方支援に当たっていた筈。だがここでは戦争に加担せず、あくまでも中立の立場を保って人道支援だけを行っている。それもこれも全て、アルヴァリエであるサクラが配備されなかった為だ。
サクラがナシア市に配備された事によって、ナシア市は多国籍軍から攻撃対象とされた。その為に多くの者が死に、アキラの家族もまたその犠牲となった。…でも、
でも天母の手によって歴史は改変された。ヒカルの話では故郷であるナシア市は一度も戦火に見舞われず無事らしい。
何故「らしい」なのかと言うと、ここはまだナシア市ではないからだ。確かに後ろにある空港の名前は「ナシア空港」となっている。だがそれは名前だけで、ここからナシア市まで優に百キロ以上はある。つまりはだ。まだ目的地には着いていない。そういう事である。
そして空港の後ろには広大な海が広がり、その前には緑生い茂る山脈が永遠と連なっている。見事な田舎振りである。そして見事なほど人工物が無い。あるのは海と山ばかり。
見晴らしが良いと言えば聞こえは良いが、早い話がど田舎なだけ。ただそれだけである。
久方ぶりに戻って来た故郷の大地を踏み締めつつ、アキラは只管と暑さに項垂れるしかない。ヒカルはそんなアキラを見て、肩に掛けていたリュックからペットボトルの飲み物を取り出すとそれをアキラへと手渡していき、改めて弟の姿を見下ろしつつ言うのだった。
「…アキラ、どうしてアロハシャツなんだ。他に何かあっただろう。それで父さんと母さんに会うつもりか? 折角会うんだからもう少し格好を考えたらどうだ。恥ずかしいだろ」
その間アキラはヒカルから貰った飲み物を喉へと流し込みながら、「ぷは~っ!」と生き返ったと言わんばかりに安堵の息を付いていき、飲み物を兄に戻しながら言い返していく。
「だって夏って言われたからさ。やっぱこれかな~って思って。…って言うかさ、その前にサクラさん? どうして手にパンフレットなんて持ってるのかな? まさか観光ですか?」
するとまじまじとパンフレット(空港内で調達)を見ていたサクラは緩やかに顔を上げていき、当然だと言わんばかりに真面目な顔をしてアキラへと言っていった。
「折角来たのだから楽しまねばな。…確かに私も陽呼出身だが、残念な事に私の故郷は遥か北にあるエゾなんだ。だから楽しくてな。折角来たのだ。精々楽しもうじゃないか」
時間が勿体無いと言わんばかりのサクラの台詞に、それはそうだけどとアキラは呆れ顔をするしかなかった。…何か目的がずれていないだろうか。まぁ別に良いのだが。
ヒカルはそんなサクラに穏やかな顔をして頷いていき、確かにと笑いながら言っていく。
「安心して下さい、教官。きちんと俺達が案内しますから。なぁ、アキラ」
「へ? …あ、ああ。そりゃ勿論」
突然話を振られてアキラが慌てて頷いていくと、それを聞いたサクラが嬉しそうに笑みを浮かべて言ってくる。
「ああ、宜しく頼むよ。…頼りにしている」
だがそんな彼女の姿は、旅行を楽しむ為の物とは決して言えなかった。一体彼女は何処へ行くつもりで服を選んだのだろうか。そう疑問に思わせられる服装だった。
軍服では無いだけマシ。まさにそんな感じだった。教官の制服とさほど変わりない格好で、彼女は黒いパンツスーツに真っ赤なネクタイを着け、手には金属製のアタッシュケースを持っているのである。…まるで銃火器でも入っていそうな無駄に頑丈そうなケースだ。
突然自動小銃でも構えそうで怖い。お前は何処かのギャングか何かか。そう言いたくなる格好である。やはり彼女は彼女でしかなかった。…まぁらしいと言えばらしいのだが。
頼むから護身用のピストルに留めてくれ。そうアキラは心中で願わずにいられなかった。
でもコントロール・サークレットは入っているだろうな。何となくアキラはそう思った。それが気の所為である事を願いつつ、アキラは敢えて彼女のケースを見なかった事にする。
そんなアキラの左腕には、この炎天下にも拘らず黒い腕カバーが着けられていた。しかし前回とは違い、今度は肩から指先まで完全に覆い隠している。前回の戦いで負った怪我の痕を隠しているのだ。本当なら医師に頼めば綺麗に消して貰えた。でも敢えてそうしなかった。
ヒカルは傷痕を消そうとしないアキラへと、何度も何故なのだと心配そうに問うてきた。でもアキラは苦笑いするだけで理由を話さず、ただ自分にとっては必要だからと告げた。
これは自分が存在している証なのだ。もう一つの過去が存在した確かな証。だから手放したくなかった。これだけが唯一の証となってしまったのだから。
確かに家族が生きているのは嬉しい。でも、もう一つの過去も間違いなく存在したのだ。あの日々は確かに在ったのだと。その証明を自身が欲しているのだ。…だから構わない。
過去は消えない。これはその為の証明。たとえ因果律が書き換えられても消えないものがある。自分自身の心まで書き換えられた訳では無いのだから。
そんな事を考えていると、ようやくナシア市行きのバスが来た。それに三人で乗り込んで奥の右側の席に並んで座り、サクラが嬉しそうに笑いながら窓側に座って外を眺め出す。
因みにアキラの右手にはサクラ、そして左手にはヒカルといった具合だ。…乗車する際にそれぞれのアタッシュケースはバスのトランクに預けてしまった為、現在の三人は手荷物だけで身軽になった為、彼らは何処となく重い荷物から解放された安堵感に満ちている。
アキラ達の他にも複数の乗客を乗せて、バスは山肌の高速道路を永遠と進んで行く。丁度サクラが座っている右手には海が広がっており、陽光が眩しくマリンブルーの海に三人の眼は釘付けになってしまった。…そうして見えて来た一つの都市。
「…っ!」
思わずアキラが息を呑む。するとヒカルが嬉しそうに微笑みながら「俺達の故郷だ」と、誰に言い聞かせるでもなく教えてくれる。
海岸線に広がった近代的な都市。それはアキラの記憶に在るナシア市とは少し異なっており、片田舎だったナシア市に幾つもの高層ビルが立ち並び、交通の大動脈とも云える海岸を添うように続く道路の両脇にはヤシの木が植えられ、まるで南の島に来たような光景だ。
そんな光景を三人で見つめていると、呆然としたサクラの声が聴こえてくる。
「…本当に、ここでは――」
「ああ、無かったんだ。…でも」
それにアキラは小さな声で答えながら、自身の左腕を握り締めて顔を大きく歪めていた。自分達の記憶に刻まれた戦火に消えるナシア市。決して忘れる事は無いだろう。
ヒカルは敢えて二人が漏らした言葉を聞かぬ振りをして、掌サイズのネコのぬいぐるみを取り出していき、何やら手早く操作して(実は通信端末だった)から、ほのかに微笑んで二人へと言うのだった。
「母さんが食事を用意して待ってるってさ。…きっと今日はご馳走だぞ?」
「……」
それにアキラは答える事が出来ず、小さく笑って顔を俯かせてしまった。そうでもしないと涙が零れそうだったからだ。そんな弟の様子を見て、ヒカルはそっと頭を撫でていく。
サクラはそんな彼らを横目にしてから、改めてナシア市を見つめていた。街中には明らかに古い建造物も雑じっており、ここが僅か八年で復興した都市ではないのだと告げていた。
…間違いない。ここはナシア市だ。それも空襲に見舞われなかった八年後のナシア市。
それを喜んで良いのかサクラには分からない。でも今はと、彼女は小さく微笑んでいた。今だけは喜ぼう。今だけはそうするべきなのだ。
アキラは悲しげな笑みを滲ませるサクラの様子に気付いて、少し躊躇った後、そっと彼女の手を取って優しく握り締めていた。
「っ!」
それに気付いてサクラが小さく驚くと、アキラは恥ずかしげな顔をして彼女に告げる。
「あのさ。…少しの間、こうしてて良い?」
顔を赤らめさせて告げるアキラを見て、サクラは眼を瞬かせた後で小さく微笑んでいく。そして大きく頷きながら言うのだった。
「ああ、いくらでもそうしていろ」
「…、サンキュ」
そんな不器用な二人の様子を、ヒカルは何も言わず横目にしていた。今だけはこのままで。そんな二人の心の声が聴こえたからだ。
やがてバスはナシア市の中心街に入っていき、乗客をバス停で下ろして走り去っていく。三人はアタッシュケースを手にゆっくりと歩き出す。…久方ぶりに家族と出会う為に。
家に帰ったら一番にこう言おう。そうアキラは歩きながら思っていた。
…ただいま、と。
ラグマ・アルタ 望月美咲 @akino-dango
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