第15話 意志通わぬモノ
紅焔の狼が拠点を置いているジュード市。既に前線は南二百キロ地点まで迫り、日を追うごとに出撃回数は増えていった。当初こそ左腕を負傷しているアキラは出撃せずに済んでいたのだが、日増しに悪化していく戦況を前にしてそれも難しくなっていた。
そしてついに、ジュード市に拠点を置く紅焔の狼を狙って敵機が迫って来た。止むを得ずアーガマンはサクラとアキラに迎撃命令を出し、二人はすぐさま基地を飛び立って南方の空を目指していく。だがそれにしてもと、アキラは不審に思いながら彼女を見つめていた。
先ほどからずっと口を噤んだままだ。だがそれ以前に、彼女はここ数日間ずっとアキラの元を訪ねて来なかった。…何か変だと、そうアキラが気付くのに時間は要さなかった。
でも、今は彼女を気遣っている場合では無い。負傷した左腕は未だに熱を持ったままで、現在は鎮痛剤と解熱剤のお陰で動けているに過ぎない。…人間はラグマ・アルタのようにはいかない。異常な回復力を持っているラグマ・アルタの胸部は既に塞がっているが、アキラが負った傷はラグマ・アルタのようにはいかない。こんな短時間で治る筈が無いのだから。
そう苦い顔をしながら、アキラは動かない左腕に歯痒い思いを募らせながら、縋るように彼女へと視線を向けていた。
『……』
だが、彼女は何も言って来ない。今までは一言くらい声を掛けてくれたのに、何故今回は何も言ってくれないのか。…それにここ数日間、彼女は顔すら出してくれなかった。
それは何故なのか。守ってくれると、そう言ってくれたではないか。…そう思ったが話し掛ける勇気は無く、アキラは黙って彼女の後ろを飛び続けるしかない。
やがて二人のレーダーが敵機の信号を捉えると、彼女は無言で長剣を引き抜いていって、敵の戦闘機らしき攻撃をいとも簡単に避けながら次々と斬り捨てていく。
アキラはそれで終わるかと思ったのだが、突然彼女は遥か遠い地上へと急降下を始めていき、焼け野原となった荒原を進軍していた地上部隊を見つけて機関銃を乱射し始める。
そこから先は一方的だった。彼女は地上部隊による攻撃を易々と避けていって、降り注ぐ銃撃を物ともせず装甲車や戦車などを沈めていく。
大損害を受けた多国籍軍の部隊は撤退を余儀無くされ、すぐさま進行方向を変えて元の道を大慌てで戻っていく。…その様を、アキラは何も出来ず黙って見つめるしかなかった。
『…あんた』
そうアキラは言い掛けて、それ以上言葉に出来ず口を噤んでいた。
太陽を背に立つ彼女のラグマ・アルタが緋色に見える。同時にそれは血の色にも見えて、見た者に例え様の無い不安と恐怖を植え付ける。…彼女はこんなだっただろうか?
やはり何かがおかしい。そうアキラが恐怖に戦いていると、彼女のラグマ・アルタが徐にアキラの訓練機を見上げてくる。そして――。
『…っ!』
直後、アキラは自分の身に何が起きたか分からなかった。いつの間にか真正面には彼女の機体が佇んでおり、右手を持ち上げて訓練機の首を締め上げている。
『…ぐっ』
アキラが苦痛に声を漏らすが、彼女の右手が緩む事は無い。…そうだ。訓練機の主電源を落としさえすれば。
そうすれば頭上のラグマとコントロール・サークレットの連結が切れる。この圧迫感から解放されるのである。…だがと、アキラは眼下に見える遥か遠い地上を見下ろす。
距離があり過ぎる。ここで主電源を落とせば地上への激突は免れないだろう。そうなれば訓練機であるアキラの機体は木端微塵になり兼ねない。それだけは御免だ。
でもこのままでは。そうアキラは戦慄しながら、力を振り絞って彼女に呼び掛けていく。
『…な、んでだよ。俺を守ってくれるって、あんたそう言ったじゃないか! …なぁ、一体どうしたんだよ。何かあったのか? だから俺が邪魔になったのか。何とか言えよっ!』
『……』
しかし、彼女がそれに答える事は無い。だがその間にもアキラの意識が霞み掛かっていき、圧迫される訓練機の喉の感覚がそのまま脳に伝わって、呼吸が出来ないと体が訴えている。
まさか彼女に殺されるだなんて――。そうアキラが思い掛けていた時だった。…突然圧迫されていた喉が解放されて、倒れ掛けたアキラの訓練機を彼女が支えて来たのは。
『…っ』
『アキラ、大丈夫かっ!』
それは普段と変わりない彼女の声だった。しかしアキラはすぐに言葉を返せず、どうにか呼吸を落ち着けるので手一杯だ。
やがて呼吸が収まってくると、彼女は緩やかに訓練機から手を離していって、自らの力でどうにか飛ぶアキラの訓練機を見つめながら言ってくる。
『すまない。どうかしていた。…まさか私が貴様を手に掛けようとするとは――』
『そんな言葉いらねぇよ』
『…アキラ』
硬い声でアキラから言われて、サクラの声が悲しげに沈んでいく。他の誰を手に掛けても、まさか自分がアキラを殺そうとするとは思わなかったのだ。…でもと、サクラは顔を伏せる。
彼のお陰で自分と云う意識を取り戻せた。訓練の所為で自分を見失っていた自分が、彼のお陰で自分としての意識を取り戻せたのだ。だがしかしと、サクラは拳を握り締める。
いつまで自我を保っていられるか分からない。また彼を襲うかも知れないのだ。…だからその前にと、サクラは意を決して自らの胸中を語り始める。
『頼む、アキラ。…私の話を聞いてくれ。私が貴様に我が軍が劣勢に追い遣られている話をしたのは覚えているか』
『? …ああ、覚えてるけど』
流石に忘れていない。その所為で怪我人であるアキラまで出撃する事になったのだから。
サクラはそんなアキラに頷いて見せて、強張った声で話を続けていく。
『それを打破する為、私に白羽の矢が立った。…起死回生の策。それを成功させるには私が適任だったらしい。だからアキラ。万一の時はお前が私を殺して欲しい。自分でも自分の身に何が起きているのか分からないんだ。自分が自分で無くなるのが怖い。だから貴様が私を殺してくれ。…貴様は未熟ではあるが、ラグマとの適合率は群を抜いて高い。だから――』
『ふざけんなっ!』
『…アキラ』
だが、アキラから返って来たのは否定の言葉だった。しかし何となく想像していたサクラは悲しげな顔をしていき、やはりと瞼を伏せて視線を逸らしていた。
彼は子供を殺そうとした自分を止めた。そして一般人を殺す事を再三に亘って引き留めていた。彼はまだ学生だ。腐り切った軍人と化した自分とは違うのだ。
そう悲しげに視線を逸らしていると、そこへいきり立ったアキラが言葉を浴びせてくる。
『俺が聞きたいのはそんな言葉じゃない。…俺を守ってくれるって、あんたそう言ったじゃないか。もうその気は無いのかって、俺はそう訊いてんだよ。俺の頭じゃあんたの身に何が起きてるのか分からない。俺は馬鹿だからな。だから俺は訊いてんだ。…あんたに俺を守る気はまだあるのかってな。…答えろよ。もしかして、もう――』
『馬鹿にするなっ! 私は心変わりなどしていないっ! 貴様は私が守る。絶対にだっ!』
思わず、サクラはそう怒鳴り返していた。それを聞いてアキラは嬉しそうに微笑んでいき、仄かに笑いながらサクラへと言うのだった。
『だったらそれで良いじゃん。俺はそれで十分だ。だって俺、あんたのこと結構好きだし。俺だってあんたを守りたい。だからそれで良い。そうだろ?』
『…アキラ』
彼らしい単純明快な答えだ。しかしと、サクラは少しだけ寂しげに俯いていた。…先ほど彼は自分の事を「好きだ」と、そう言った。でも、おそらく自分とは違う感情であろう。
彼は純粋に好きだと、そう言ってくれているのだ。異性として見てくれている訳ではない。単純に一人の人間として好きだと言ってくれているに過ぎない。
それを少しだけ寂しく思って、彼女は否と頭を振っていた。
…無事に特殊訓練を遣り遂げて、戦果を挙げて多国籍軍を撤退させれば済む話だ。無事に切り抜けられたら、また彼と一緒に居られるではないか。
だからと、サクラは決意する。…アキラを守る為に訓練を遣り遂げようと。劣勢となった自軍を勝たせる為では無い。彼を守る為に訓練を遣り遂げるのだ。
静かに微笑むサクラの視線の先では、アキラが「早く帰ろうぜ」とサクラを促しており、珍しくもアキラの方がサクラの腕を取って基地へと戻り始める。
そんな訓練機の後ろ姿を見つめつつ、サクラは何も言わず飛び続ける。だがそんなサクラの頭上で浮遊していた筈のラグマが、いつの間にかサクラの胸元に移動していた。
『…う?』
胸に圧迫感を覚えて、サクラは小さく声を上げていた。だがラグマは容赦なく胸の中へと沈み込んでいき、その動きに合わせてサクラは不自然に痙攣していく。
自らの意思とは違えるように、体は背中を逸らして胸元を大きく広げていく。知らぬ間にサクラは天を仰ぐような姿勢で硬直していた。
ずぶずぶと音を立ててラグマが自分の中に入ってくる。…嫌だ。私は私だ。彼を…アキラを守ると改めて誓ったばかりではないか。それなのに――。
『…アキ、ラ――』
まるで縋る様にアキラの名を呼んでいた。だがサクラの声は余りにも弱々しく、声は機体に打ち付ける風に掻き消されてしまった。…いいや、何かが意図的に声を遮断しているのだ。
確実にラグマは胸の中へと沈んでいき、その度にサクラの体は痙攣してゆく。胸の圧迫感に呼吸も難しくなり、サクラは自らの意識が急激に遠ざかっていくのを感じた。
『…あ、ぅ――』
何かがラグマから流れ込んでくる。肉体をラグマに支配されていくようで怖い。サクラは己の意識が潰されるような感覚に恐怖し、何かに操られるように頭を大きく揺らしていく。
『…ん――』
しかし、漏れ出たのは嬌声とも思える艶めかしいもの。開かれていた筈の瞼は閉ざされ、恍惚とした表情をして自らラグマを受け入れていく。
だがそんな中でも残された感情があった。…アキラを守る。彼が好きなのだと。
そうしてついにラグマが完全に体内へと消えてしまうと、サクラは何かに操られるように頭を持ち上げていき、閉じていた瞼を大きく開いて瞳無き眼で虚空を見つめていく。
『…アキラ。私がきっと――』
それきり、サクラは完全に動かなくなった。何かに縛られたように立ったままの状態で、見開いた白目をそのままに意識を失ってしまったようだ。…いいや、奪われたのだろう。
しかし彼女の機体は不思議と落ちず、アキラの訓練機に引っ張られながら飛行し続ける。その間にもサクラの体は黄金色の繭に包まれていき、やがてコックピットの中を覆い尽くしていった。…我が身に何が起きたのか。おそらくサクラには理解できていないだろう。
そしてアキラもまたそれに気付かず、サクラを引っ張って基地へと戻って行くのだった。
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