第13話 人体実験


 血反吐を吐く程の激痛に全身を蝕まれる中、サクラは歯を食い縛って鋭い眼光でラグマを睨み付けていた。


 …現在彼女は自機であるラグマ・アルタの中。通常であれば頭上に浮いている筈のラグマは何故か彼女の胸元にあり、彼女の両手はそれを緩やかに包んで意識を集中させている。


 でも僅かに気を逸らすだけでラグマによって弾かれ、その度にサクラはコックピットの膜へと叩き付けられていた。


「…ぐぁっ」


 でもその度に立ち上がり、再びラグマを胸に抱いて神経を集中し始める。…こんな事を、サクラはもう何時間も続けていた。


 この訓練にどんな意味があるのかは知らない。アーガマンはそれをサクラに話そうとはせず、ただ「やれ」とだけ命じてきた。


 軍人にとって上官命令は絶対。何よりも今回はアキラを治療して貰う為の薬も掛かっているのだ。…何としても諦める訳にはいかない。


 だからと、サクラは何度だって命じられた訓練を繰り返す。完全にラグマと同調できさえすれば良いのだ。それだけで訓練は終わる。ただそれだけではないか。


 分かってはいるが、どうしても上手く行かない。…何よりもラグマ・アルタに乗っているアルヴァリエにとって、頭上に浮かぶラグマは己の心臓でもあるのだ。


 それを鷲掴みにすればどうなるか。答えは最早言わずもがなだった。


 必死にラグマを掴もうと手を伸ばすが、僅かに集中力が足りなかったのか、触れた瞬間に己の心臓に激痛が走り、直後に再び虹色の膜へと叩き付けられていた。


 だが今度はサクラから呻き声は漏れず、まるで人形のように崩れ落ちていった。低下した集中力では己の心臓を鷲掴みにする愚かな行為以外の何物でも無く、長時間に亘る訓練による疲労も重なって意識を持っていかれてしまったのだ。


「…ぅ――」


 微かな呻き声がサクラから漏れる。おそらく無意識であろう。僅かに開かれた彼女の双眸は白目を剥き掛けており、口からは一筋の涎を垂らしている。…もう体は限界だった。


 だがそこへ、モニター越しに外から訓練を見ていたアーガマンが怒声を上げてくる。


『サクラ、さっさと立て! …お前に休んでる暇なんてねぇんだよ。さっさとしろ!』


「…っ」


 サクラは怒鳴られて我に返り、どうにか立ち上がって訓練を再開していく。サクラは再び意識をラグマへと集中させながら思っていた。これは何の訓練なのだ? …と。


 本来ラグマはガルーダの核であり、それを人間がラグマ・アルタの動力源として利用しているに過ぎない。そしてガルーダは次元の彼方より現れる未確認生物とも云うべき存在だ。


 彼らガルーダは人間の常識では測れない存在だ。…その証拠に、彼らの核であるラグマに触れられるのは無機物のみ。つまり機械などでなければ触れられないのである。


 どれだけ手を伸ばしても、生物である人間は絶対に触れられない。有機物である人間にはラグマに触れられないのである。


 そしてそれはアルヴァリエもまた同じだ。確かにアルヴァリエはラグマが発するモナド細胞を移植されている。しかしそれはラグマと意識をリンクさせる為の微量なものであり、本体とも云えるラグマに触れられるほどの量ではない。


 だからこそ、サクラに白羽の矢が立ったのだ。モナド細胞を移植されたアルヴァリエの中で高い適合率を誇る者。おそらくガイア諸国連合軍に所属するアルヴァリエの中でサクラの適合率が最も高かったのだろう。だからこそ選ばれた。ただそれだけだ。


 そこに大層な理由は無い。大方研究部の連中が「やらせてみろ」と言ってきたのだろう。上手くすれば現状を打破する為の突破口になる。それだけをアーガマンに告げて。


 だが当初、アーガマンはこの訓練に懐疑的だった。それも当然であろう。彼女は紅焔の狼にとって唯一とも云えるアルヴァリエだ。下手をすれば主戦力を失う事になるのだから。


 何よりも内容が余りにも突飛過ぎた。正直に言えば常識では考えられない代物だ。万が一訓練に失敗すれば、おそらくサクラは二度と戦力として使い物にならなくなるだろう。だがもし成功すれば、今度は別の問題が浮上する。…どちらに転んでも紅焔の狼には痛手だ。


 そして当然ながら、研究部より報告を受けた軍の上層部も初めは取り合っていなかった。しかし戦況が突然悪化し始め、上層部は藁にも縋る思いで研究部に許可したのである。


 上から命令されれば、幾ら第八遊撃部隊の部隊長といえども断れなかった。第八遊撃部隊は鼻摘み者の集まりだ。しかし同時に高い戦績を誇る者達の集まりでもあり、その為に普段は扱いに困る連中として上からは煙たがられている。


 そんな連中の部隊長を務めるアーガマンという男は、まさに非常識の代名詞といってもいい男だった。…それでも断れなかったのだ。


 アーガマンはやれやれと苦い顔をしながら、モニター越しにサクラの様子を眺め続ける。そこには胸元にラグマを完全に沈めてしまったサクラが映っており、アーガマンはそれを見て、隣にあるモニターを覗いてラグマ・アルタの外面へと視線を移していく。


「お?」


 仄かな黄金色の光が放たれ始めて、やがてその光はラグマ・アルタの全身を包んでいく。やがて光が収まっていくと、そこに立っていたのは見た事も無い存在だった。


「…成功、か」


 知らずアーガマンの口からそんな言葉が漏れる。しかしそれは一瞬で、すぐにそれは元のラグマ・アルタへと戻ってしまった。


 アーガマンが慌ててコックピット内を映すモニターへと眼を戻すと、そこにはラグマに体を弾かれて天を仰いだまま座り込んでいるサクラの姿があった。


 すでにラグマは彼女の頭上へと戻ってしまっており、サクラの瞳は焦点が合っておらず、不規則に全身を痙攣させて弛緩した四肢を投げ出してしまっている。


『…う、うっ――』


 苦しげな呻き声がサクラから漏れる。それと共に四肢が微かに震えるが、どれだけ待っても彼女の意識が正常に戻る事は無い。


 それを見てアーガマンは舌打ちしていき、容赦ない怒声をサクラへと浴びせていった。


「何してやがるっ! ちょっと成功したくらいで休憩してんじゃねぇ! こいつを実戦で使えるようにしなきゃいけねぇんだぞ。…お前に休んでる暇はねぇんだよ。さっさと立て!」


 怒声されてサクラの腕が微かに持ち上がり掛けるが、すぐに力を失って落ちていく。訓練を再開しなければならない。そんな事はサクラにも分かっている。でも、もう体が動かない。本来であれば触れる事も叶わないラグマを無理やり体内に押し込んだのだ。それを完全に体内へ沈められたと思った直後、サクラの意識は見る見るラグマに吸い取られていき、完全に吸い尽くされる前にサクラが拒絶反応を起こしてラグマを体内から弾き出してしまった。


 同調し掛けていたサクラにとっては自らの心臓を弾き出したのと同等の行為でもあり、そのまま死んでいても何も不思議は無い危険な行為だった。…そして彼女は訓練を続けている内に精神異常を起こし掛けていた。精神が激痛に耐え兼ねて異常を訴え始めたのだ。


 やがて彼女の双眸が白目を剥いて動かなくなると、アーガマンは面倒臭そうな顔をして短く舌打ちしていき、モニターを叩き付けながらサクラを怒鳴り付けていく。


「訓練を続けろ、サクラ! 時間は待ってくれねぇんだぞ。てめぇが助けたガキ、あのままだと死ぬぞ。あいつを助けたいだろうが。だったら訓練を続けろ。…さっさと立てっ!」


『…っ』


 それを聞いて、僅かにサクラの瞳が戻る。…そうだ。自分がここで歯を食い縛らなければアキラを助けられない。薬も無く回復するとは思えない。あれほど酷い怪我なのだから。


 何よりも、もし自分が失敗すれば今度はアキラが、彼がこの訓練を受ける事になるのだ。それだけは絶対にさせる訳にはいかない。…彼だけは助けたい。彼だけは――。


 だって私がそう思うのだ。だから助けたい。それだけで十分ではないか。


 もしかしたら、もう二度と彼には逢えないかも知れない。…そんな恐怖の中で、サクラは再びラグマへと手を伸ばしていく。己が別の生き物へと変わっていく恐怖に怯えながら。


 …アキラ。こんな方法でしかお前を助けられない私を許してくれ。所詮私は軍人。命令に従うしか能が無い女だ。…でも、それでも私はお前と一緒に居たかった。それなのに――。


 でも、どれだけ涙しても二度と叶わない。サクラは自らの現実を思い知らされて、心中で一人涙していた。…所詮自分は、この紅焔の狼に所属する兵器でしかなかったのだ。


 分かっていた事だ。でも、心から守りたいと思える者と出会えたばかりなのに。これから彼と時間を重ねて、彼と親しくなりたいと思っていた所だったのに。


 こんな非常識な方法に手を染めてまで、そこまでして戦争に勝ちたいのか。この世に存在する全てを利用して、挙句に次元の彼方より現れるガルーダを利用してまで。


 半分ほど白目を剥いている双眸をそのままに、サクラは意志の力だけでラグマへと手を伸ばしていく。すると黄金色に輝く何かがサクラの体を包み込んできて、異常を来し始めたサクラの心を優しく解きほぐし始めてくれた。


「…だ、れ? 母…様、なの? …わ…た、し、は――」


 何と温かいのだろう。親と死別して久しいサクラはもう母親の温もりを覚えていないが、きっと母親の腕はこんな風に温かく、子を愛おしく包み優しい気持ちにさせるのであろう。


 それはラグマに残っていたガルーダの欠片だった。ラグマからガルーダの翼だけが現れ出てきて、その翼がサクラの体と心を優しく包んで癒しているのだ。


 だがモニターからその様子を捉える事は出来ず、アーガマンの眼にはサクラがラグマに手を伸ばしたまま硬直しているように見えた。


 だがアーガマンが再び怒声する前にモニターの画面がブラックアウトしてしまい、中の様子を確認する事が出来なくなってしまう。


「何なんだよ、こんな時に故障か? …面倒くせぇな。やれやれ」


 アーガマンはそう言ってモニターの前から立ち上がり、ラグマ・アルタが収容されている工場へと走った。そして移動式通路からコックピットへと向かったアーガマンではあったが、その先にあった光景に驚いて我が目を疑ってしまった。


「マジか。…おいおいおい、勘弁してくれよ」


 開かれていないコックピットから黄金色の繭が出て来て、繭は通路に横たわると同時に花弁のように開いていき、そこからコックピット内に居た筈のサクラが現れ出て来る。


 だがサクラは通路に横たわったまま動かず、その瞼を完全に閉ざしてしまっていた。でも近くに来たアーガマンの足音には気付いたのか、音に反応するように一度だけ呻いていく。


「…ん」


 しかし、反応はそれまでだった。…サクラは呻くと同時に僅かに瞼を開きはしたものの、すぐに瞼を閉じて意識を手放してしまった。


 不可思議な現象を目の当たりにしたアーガマンはただ驚くしかなく、訓練を続行する為にサクラを怒鳴り付ける事も忘れて立ち尽くしてしまった。


 やがて動揺が収まると、苦々しく頭を掻きながら小さくぼやくのだった。


「手応えは悪くねぇんだけどな。…ま、第一段階としては成功か?」


 尤も彼女が強制的に外へ排出されてしまったのだから、これ以上はおそらく無駄だろう。本当はもう一度コックピットへ放り込みたい気分だが、先ほどの事象を見る限り得策とは言えないだろう。…下手をすると、成功する前にサクラが死んでしまうかも知れない。


 それだけは勘弁してくれと、アーガマンは一人溜息を付く。そして止むを得ないと諦めて、傍に居た兵士に彼女を医務室へと連れて行くよう命じていった。


 サクラが目覚めたら、もう一度コックピットに放り込めばいい。ただそれだけの話だ。


 第一段階はクリアしたのだから、今度は放り込むだけで十分だろう。そんな事を思いつつ、アーガマンは一人管制室へと戻って行く。


 訓練の進行状況を報告する為に。おそらく上層部は首を長くして待っている事であろう。第一段階を完全ではないがクリアしたのだ。滑り出しは上々といった所か。


 彼女の訓練が完了すれば戦況を巻き返せる。たとえ一度に数十機近くのラグマ・アルタが出て来ても物の数ではないのだ。だからと、アーガマンは一人ほくそ笑む。


「…まぁ、何事も楽しまなくちゃ損だよな。滅多に無い機会だし」


 これほどの見世物は他にあるまい。ならば楽しまなければ損だ。しかも最前列で楽しめるのだ。自分に与えられた環境は十分に楽しまなければ勿体無いではないか。


 叩き上げの軍人であるアーガマンからすれば、追い詰められた現状も大した事では無い。ただ巻き返せば済む話。単純にそれだけの事だ。


 そう思いつつ、アーガマンはのんびり歩きながら管制室へと戻って行くのだった。

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