第12話 看病さえもーー


 ふつりと夢が途切れて、急激に意識が現実へと引き戻されていく。それと共に体の感覚も戻って来て、何故かいつまでも定まらない意識と酷い激痛に苛まれ始める。


 それでも瞼を開く事にはどうにか成功したのだが、開いた先にあった光景に何処となく違和感を覚えて首を傾げていた。


「…ほ?」


 おお、どうやら声は普通に出るようだ。…何となく痛みはするがこの際だから気にしない。


 そう思いつつ眼だけを動かして周囲を見回していくと、そこは三畳ほどの大きさをした手狭な個室だった。確か自分は大部屋(監禁部屋)に入れられていた筈。あそこはこんなに狭く無かった筈だ。そして当然ながら窓は無い。


 見えるのは小さな洗面台と便器のみ。…まぁ見るからに未使用で綺麗なのは有り難いが、それにしても何故小さな個室に突然入れられたのだろうか。


 よく見れば壁にはひび割れがあり、そこから辛うじて一条の陽光が差し込んでいるのが分かる。アキラが寝かされている寝台とは反対側の壁から差し込んでいるから、その手前にある障害物が邪魔をしてアキラに陽光が届かないようだ。…ん? 障害物?


 ようやくそれに気付いて顔を上げていくと、そこには怒った顔をしたサクラの姿。それを見てアキラは苦笑いをしていき、思わず冗談交じりの声を上げていた。


「…あら~」


「何が「あら~」だ。しかも目覚めた第一声が「ほ?」か。…もう少しどうにかならんのか、貴様は。流石の私も余りの情けなさに涙が出そうだぞ」


 だったら泣いてくれて結構だ。…あんたの泣く姿、俺は個人的に見てみたいぞ。


 そんな事を心中で思っていると、戦闘服姿をして寝台の脇に座っているサクラはそれを察したのか「お前の緊張感の無さには感心する」と何故か嘆かれてしまった。


 呆れ顔をしているサクラの傍らには軽機関銃が立て掛けられており、その様子だけでも彼女が長時間そこに座ったままである事を暗に伝えてくる。


 彼女が戦闘服に着替えている様からして、おそらくここは紅焔の狼が占拠している基地だろう。あの後、彼女は本当にアキラの機体を担いでここまで戻って来てくれたのだろう。


 傷付いたアキラを見捨てず、基地まで連れ戻ってくれたのだ。…その証拠にと、アキラは横になったまま自分の姿を見下ろしていた。


 重営倉に入れられた際に着ていた白いタンクトップに、腰紐だけの草臥れた白いズボン。まぁパワード・スーツは体に密着していて窮屈だから有り難いと言えば有り難いのだが。


 そして左肩の付け根から指先まで白い包帯が隙間なく巻かれており、それこそ酷い激痛の発生源である事を知らせてくる。しかも怪我の所為で熱を出しているようだ。


 成程、だからこんなにしんどいのか。正直指一本動かす気になれない。アキラがやれやれと弱り顔をしていると、彼女は思い出したように足元に置いていた鉄製の水差しとコップを取り上げていき、水をコップに注いでアキラへと手渡そうとして何故か手を止めた。


「…ふむ。口移ししてやろうか?」


「いらんわ!」


 突然変な事を言い始めるサクラに眼を引ん剥いてアキラが叫ぶと、サクラは何処となく残念そうな顔をしていき、仕方ないとアキラの上半身を起こして水を飲ませてくれる。


 …初めからそうしろよ。そう思いつつ粗方水を飲み終えて再び身を横たえると、アキラは思わず安堵の息を漏らしていた。


 そんなアキラの様子を見て、サクラは持っていたコップを再び床へと置いていき、アキラを心配するように視線を送りながら現状の説明を始めていった。


「貴様が負傷したのは昨日の話だ。…すぐ軍医に診て貰ったのだが、どうにも薬が足りないらしくてな、半日分しか処方して貰えなかった。戦況が悪化しているのが原因らしい」


 だがそれを聞いて、アキラは不思議に思って彼女に訊ねていた。


「戦況の悪化? でもそれって変じゃないか? だってあんたは敵の部隊を叩き捲ってたじゃないか。…あれだけ叩けば戦況はむしろ優勢になると思うんだけど――」


 それを聞いてサクラは苦い顔をしていき、吐き捨てる様にアキラの問いに答えてきた。


「戦いは私一人で成立する訳ではない。どれだけ私が敵を叩いても、別部隊が大敗を喫して後退を余儀無くされれば、それに従って我が部隊もまた後退を余儀無くされる。…そのまま同じ場所に留まれば、忽ち敵に包囲されて窮地に追い込まれてしまうからな。しかし今回の戦況悪化は今までとは何かが違う。異常な速さで前線が北上して来ているのだ。私が小耳に挟んだ話によると、どうやら多国籍軍側が異常な数のラグマ・アルタを前線に投入して来ているらしいのだ。しかも一機や二機では無い。数十機以上見たという者まで居るのだ」


「…それは、凄いな」


 致命的なレベルの「お馬鹿さん」を誇るアキラにも、それが如何に異常な話なのか流石に理解できた。通常一つの戦場に投入できるラグマ・アルタは一機か二機。


 それ以上密集させて配置すれば戦力が極端に偏り、ラグマ・アルタを配置していない部隊が攻撃の的となってしまう。何よりもラグマ・アルタも万能ではない。彼女のように優秀なアルヴァリエであれば話は別だが、アキラのように未熟であれば戦闘機に撃ち落される事も決して少なくないのだ。密集して配置すればその確率は一段と高くなる。


 ラグマ・アルタを一つの戦場に数十機も配置する事が如何に非常識な行為か。…何よりもそこまで大量のアルヴァリエと契約を結べるとは思えない。…この話は何かがおかしい。


 それは彼女も理解しているのだろう。彼女は苦々しい顔をしながら、アキラへと頷きつつ話を続けていく。


「だが何故か、我が部隊には撤退命令が下りないのだ。私はその理由を部隊長殿に訊ねたのだが、「考えがある」と言われて説明してくださらない。…どうにも嫌な予感がしてならん」


「でもさ、そんな状況なのにあんたがこんな場所に居て良いのか? 叱られるんじゃ――」


 ふと気付いてサクラに訊ねると、サクラは少しだけ嬉しそうな顔をして首を振ってくる。


「私の事を心配してくれるのか? だが安心しろ。ちゃんと許可は取ってある。…だから」


「?」


 そう嬉しそうに笑って言ってくるサクラの様子に、アキラは只管と首を傾げながら次の言葉を待つ。すると彼女は、有ろう事かアキラの額へと口付けながら言ってきたのだ。


「しっかり休んで傷を治せ。お前の傷が良くなるまで、私がここを死守して見せよう。お前は私の過去を塗り替えてくれた。救えなかったという過去を塗り替えてくれたのだ。確かに過去は変えられない。…だが新たに塗り直す事は出来ると思う。私はそう思いたい。だから私は貴様を守ろう。たとえ数十機ものラグマ・アルタが攻めて来ても私が守り抜く」


「…あんた」


 はっきり守ると言われて、アキラは困惑するしかなかった。彼女がそこまで心変わりした理由に覚えが無かったからだ。…自分は彼女に何かしただろうか?


 しかしその答えが出る前に、サクラは再び苦々しい顔をして現状説明を続けていく。


「…だが、どうも解せん。何故それほど大量のラグマ・アルタを投入する事が出来たのか。あれはガルーダの核であるラグマと莫大な資金が無ければ、スクールへと発注する事さえ出来ない代物だ。製造方法はスクールの技師しか知らない。何よりも専用の施設がなければあれは作れないからな。…それにもし外部に漏洩などすれば、各国の勢力図は一気に崩れてしまう。私も考えたくはないが、この状況から推測するに――」


 苦々しく彼女は漏らすが、とても残念なアキラの頭脳では、彼女の言葉の続きを想像する事は不可能だった。それ故に、アキラの口からこんな言葉が漏れていく。


「どっかの研究者さんが設計図を持ち出して作ったとか?」


「…………」


 そんなアキラの言葉に、思わずサクラは閉口してしまった。つい反射的に拳を振り上げてしまったが、寸前で「こいつは怪我人だ」と自らに言い聞かせてどうにか激情を堪える。


 サクラは懸命に怒りを鎮めつつ、馬鹿丸出しのアキラに向かって言い返すしかなかった。


「…あのな。あれは専用の施設が無いと作れないと、先ほどそう言っただろう! しかもだ。そんな大それた動きをしていれば流石に噂が立つ。莫大な建設費とラグマ、そして研究者が必要なのだからな。完成前に敵国から叩かれて終わりだ! そんな訳があるか!」


 するとアキラは眼を瞬かせていき、首を傾げながら言うのだった。


「…、そなの?」


「……」


 きょとんとした顔でアキラから言われて、ついにサクラは何も言えなくなってしまった。だがこのままでは話が続かないと己に言い聞かせつつ、そしてアキラもまたアルヴァリエなのだから説明しなければと己に言い聞かせながら、どうにか平静を保って話を続ける。


「いいか、よく聞け。…この戦時下、そんな莫大な資金を用意して施設を建設する余裕などどの国にも無い。何よりもアルヴァリエの絶対数は限られている。幾ら増やした所で人材が限られているのだから無意味だ。…私が言いたいのは、何処かのスクールが軍に買収された可能性だ。協定を破って多国籍軍へと与して、我がガイア諸国連合軍を攻撃しているのかも知れない。そうとしか思えない数だからな。可能性は十二分に有り得る」


「ん? …って、ちょっと待てよ!」


 流石に彼女が言わんとする重大性に気付いて、アキラは慌てて声を上げていた。だが体を起こす事は叶わず、寝台に横たわったまま彼女へと言っていく。


「幾らなんでも有り得ないだろ。だってスクールだぜ? あんただって通ってたんだから分かるだろ。少なくとも俺が通ってるセグヴァは違う。そんな事をするなんて有り得ない! 何よりもさ、そんな事をスクールがして何の利益になるんだよ。世界中から怒られるだけで意味が無い。あそこの生活は色んな国から商品を輸入して成り立ってる。そんな事をしたら輸出を止められて飢え死ぬのが落ちだぞ? それに資金援助だって止められる。あそこは各国から資金援助を受けて運営が成立してるんだぜ? もしそんな事をすれば――」


 すると彼女は何を思ったのか、そんなアキラの言葉を制止するように言ってきた。


「あまり頭を使うな。…少ない知恵を振り絞って使うと、今度は知恵熱が出るぞ」


「…(怒)」


 さらっと酷い事を言われて、アキラは何も言い返せず怒気だけを浮かべる。だがそれにはサクラも頷いていき、納得気な顔をして話を続けていった。


「確かに三校のスクール全てが生活を輸入に頼っているが、同時にあそこには理事会なる腐った組織が存在するのだ。資金援助をする名目で各国の重鎮どもが巣食い、裏では好きなようにスクールを動かしている。すっかり忘れていたが、貴様の友人達から何のアクションも無いのが何よりの証拠だ。…本来であれば厳正中立でなければならない筈のスクールが落ちたものだ。成立当初はここまで腐ってなかったと聞くのに――。現在のスクールは莫大な資金を用意すればすぐに靡くからな。買収する事など簡単だろう」


「…うわ~。最低な話だな」


 思わずアキラが苦々しく漏らすと、それにサクラも苦笑していって「私もそう思うよ」と言ってくる。だが彼女はそこでアキラの左腕を見つめていき、視線を彷徨わせながら何かを逡巡しつつ口を開いてくる。


「…あの、な」


「?」


 何だろうとアキラが視線だけを向けていくと、突然サクラが思い切ったように顔を上げて来る。そして改めてアキラの左腕を見つめていき、躊躇いつつそれを口にしてきた。


「貴様の左腕には古い傷痕もあった。…それは何処で負ったのだ。見るからに日常生活の中で負ったものとは思えない。そんな酷い傷痕が残るほどだ。明らかにそれは――」


 言い難そうに言葉を詰まらせられて、アキラはそれに苦々しい顔をして頷いていた。


「…まぁ、な。子供の頃に戦争で焼け出されたらしい。余りよく憶えていないんだ」


 すると彼女は「そうか」とだけ言ってきて、それ以上は深く訊ねようとしなかった。でもサクラの表情は陰ったままで、俯いたまま更に表情を陰らせていく。


 その理由をアキラは知らなかったが、何故かサクラの脳裏には八年前に殺してしまった少年の影がちらついていた。…似ていたのだ。アキラの左腕の古傷とあの少年の傷が。


 確かあの少年も左腕に傷を負っていた。それも直視できないほど赤く焼け爛れた酷い傷だった。しかしと、サクラは自らの思考を振り払うように思い直す。


 おそらく似たような傷痕を持つ者は多いだろう。…戦争は何も近年始まった訳ではない。常に世界の何処かで戦争をしているのだ。焼け出された者だって当然少なくないだろう。


 ラグマ・アルタなど無くとも戦争は続く。…ただラグマ・アルタが在る事によって、更に戦争が激化するというだけの話。それ以上でも以下でもない。


 物心が付いた時から常に何処かで戦争をしていた。それはアキラだけではなく、サクラが生まれた時からそうだった。だがどんな激戦地に子供達が居ても、身体検査だけは強制的に受けさせられた。それはアルヴァリエと成り得る人材を捜す為である。


 そうしてアキラやサクラは身体検査をクリアし、見事にアルヴァリエと成る道を進む事が出来たのだ。これを不幸と取るか幸福と取るか。それは個人の置かれた環境による事だ。


 どれだけ世界中が荒れていようと、スクールの中だけは平和だ。彼らにはガルーダを討伐するという大義名分が存在するし、将来は貴重な戦力と成るため守らねばならないからだ。


 そんな世界情勢の為、アキラのような人間は別に珍しくないというのが本当だった。確かに戦争とは無関係に生きて来られた幸運な人間は存在するが、そんな幸運な人間は決して多くないというのが現状だ。…実際アキラが知る幸運な人間はヴェインくらいである。


 そして幸いなことに、アキラは自分が怪我を負った時の事を何も覚えていなかった。時々夢に見る事はあるが、肝心の記憶が無いお陰で恐怖に震える事も無く済んでいる。


 だからスクールの中にはアキラと似たような境遇を持つ人間など幾らでも居る。単純に誰も喋りたがらないから知らないだけだ。まぁお互いに知らない方が楽で良いのもある。


 確かにスクールの中は平和だ。…だが、そこへ行き着くまでの間は――。


 苦々しい表情でそんな事を思っているアキラの事を、サクラは何も言わず見つめていた。彼はあの少年ではない。…分かっている筈なのに、どうしても気になって仕方ないのだ。


 もしあの少年が生きていれば、きっとアキラと同じように立派な(肉体だけ。知能は別)青年と成っていたに違いない。でも、その将来を自分は奪ってしまった。


 ラグマ・アルタのコックピットである虹色の卵。あそこに入ることが出来るのはラグマが放つ特殊細胞モナドを移植された人間だけ。そして移植可能な人間こそ、身体検査の基準を満たした子供達に他ならなかった。


 でもあの少年はモナド細胞を移植されていなかった。普通の子供だったのだから当然だ。そんな少年をコックピットの中へと連れ込んでしまったのだ。


 少年がモナド細胞に拒絶反応を起こすまで時間は要さなかった。突然少年は自らの胸を掻き毟り始めて痙攣を起こし、そのまま帰らぬ人としまったのである。


 あの少年とアキラを重ねて見るのは誤りだと判っている。…しかし、どうしても重なって見えてならないのだ。それは一体何故なのか。


 そうサクラが一人で葛藤していると、廊下から規則正しい足音が聞こえてきて見張りの兵士が敬礼したのが音で判った。


 そしてアキラが入れられている独房の扉が開かれていき、そこからサクラと同じ戦闘服を着た黄土色の短髪をした顎鬚男が入ってきた。


 しかしサクラのように武器は背負っておらず、腰に拳銃を一丁下げただけの出で立ちだ。一見気さくに見える男ではあるが、全身から発している雰囲気がそれを否定している。


 一瞬にして張り詰めた空気の中、サクラは素早く立ち上がって男へと敬礼していく。男はそれに軽く手を振りながらアキラの傍へと歩み寄っていき、楽しげな顔で笑い掛けてきた。


「おう! …坊主、眼を覚ましたか。そりゃ良かった」


 だがそれに対して、サクラは苦い顔をしながら男へと言っていく。


「部隊長殿。何もこのような場所へ足を運ばれなくても――」


「ま、良いじゃねぇか。俺も偶には若者と話してみてぇんだよ。そう硬い事を言うなって」


「…ですが」


 それはアーガマンだった。サクラの顔にありありと「邪魔だから帰れ」と書かれていても気にも留めず、楽しげに笑いながらアキラを見下ろしている。


 因みに説明していなかったが、実はアキラがこんな手狭な独房へ入れられたのはきちんとした理由がある。…まぁ単純に寝台の問題である。


 今までアキラが入れられていた監禁部屋だが、実はあそこには寝台が一台も無い。元々は多目的ホールだったのか広さだけはあるが、だだっ広いだけで何も無い。


 その為に怪我をしたアキラは独房へと移され、こうして狭苦しい部屋に寝かされているのである。…だったら寝台を運び込めよとは思うが、紅焔の狼は面倒臭い事はしない主義だ。


 念の為に作っていた独房をそのまま利用しただけ。それが部屋を移された理由だった。


 だがアーガマンはアキラに用は無いらしく、簡単にアキラの容体を見ると興味が失せたように視線を逸らしていき、壁際まで下がって背筋を正しているサクラを向き直っていく。


 そして楽しげな表情をそのままに、小柄なサクラを見下ろしながら言っていった。


「お前さんに上から直々の命令だ! …サクラ・ヴァイスマン少佐は新たな作戦に向けて特殊訓練を受けられたし。何でも起死回生の策を思い付いたらしいぞ」


「…私に、ですか?」


「おう」


 そうアーガマンから頷かれて、サクラはどういう事だと眉根を顰めていた。…現在戦況が悪化しているのは、突然広がってしまった戦力差が要因だ。物理的な戦力差が原因なのに、それを巻き返す方法が見つかったというのだろうか。


 だが、サクラ一人が訓練した所で意味は無いと思うのだが――。


 サクラが疑問に思っているのが分かったのだろう。アーガマンは一度アキラを見た後で視線を戻し、声を潜めながらサクラへと言っていった。


「そこで眠っているそいつ、まだ当分は動けなさそうだな。…まぁ酷い怪我だったからな。しかもろくに薬も処方されなかったんだって? 無事治ると良いな。俺だったら薬を処方してやれるぞ? お前さん、随分そいつに入れ込んでるからな~。もしかして惚れたか?」


「っ!」


 厭らしい口調で言われて、サクラの顔が一瞬怒りで赤く染まる。しかし辛うじて表情には出さず、沈黙だけをアーガマンへと向けていく。


 こんな厭らしい会話をアキラに聞かれたくない。…そう思ってちらりとアキラを見ると、アキラはいつの間にか眠りに付いてしまっていた。


「……」


 おそらくサクラとの会話が途切れた所為で意識を保てなくなり、そのまま眠りに付いてしまったのだろう。


 それを残念そうにサクラが見ていると、そんなサクラをアーガマンは厭らしい眼をして見つめている。普段は冷静沈着なサクラの表情が百面相のように変化するのが楽しいのだ。


 だからと、アーガマンはわざと語気を鋭くして言葉を続けていく。


「別に断っても良いんだぞ? …でもな、現在俺ら紅焔の狼にはもう一人アルヴァリエが存在する。しかもそいつはお前さんと同じで適合率が高いアルヴァリエだ。まぁ現在は床に臥せってはいるが、そんな言い訳は上には通用せんだろう。…学生だろうと何だろうと関係ない。使えるものは使え。たとえそれが怪我人でもな。俺は別にそれでも構わんぞ?」


「…なっ」


 それは明らかに脅迫だった。サクラが断ればアキラを使う。アーガマンはそう言っているのだ。…挙句の果てに怪我人だろうと関係ない。はっきりそう言い切ってまでだ。


「……」


 断れる筈が無いではないか。…元より断る気など無いのだから。


「了解、いたしました。ですからその…彼だけは――」


「当然だ。俺だって馬鹿な学生なんて使いたくないからな。そんな奴に自分達の命運を託すなんて冗談じゃない。…ああ、安心しろ。そいつの薬はちゃんと手配してやる。お前さんが物分りの良い奴で助かった。やっぱり持つべきは優秀な部下だな」


「……」


 どの口が言うか。そうは思ったが口には出さず、サクラは密かに拳を握り締めてどうにか怒りをやり過ごそうとする。


 アキラという人質を取られてしまった以上、最早サクラにはどうする事も出来なかった。だって、先ほど彼と約束したのだ。…必ずやお前を守る、と。


 アキラは自分の過去を塗り替えてくれた。相手が子供だと気付かずに殺そうとしていた自分を止めてくれたのだ。確かに失われた命は戻らないが、それでも純粋だった過去の自分を取り戻せたような気がして嬉しかった。


 これだけ穢れ切った自分だが、まだ何かを守る資格があるのだと、そうアキラから言われたような気がして嬉しかった。…だからこそアキラを守りたいと、今は心からそう思う。


 その感情を何と言うかなど知った事か。ただ私はアキラを守りたいのだ。今はそれだけで十分だと、そうサクラは己に言い聞かせていく。


 やがてアーガマンは「細かい説明は管制室でな」と告げてから、嬉しそうな足取りで独房から出て行った。


 そんな上官の後ろ姿を見送ってから、サクラは絶望したような眼をして拳を握り締めるしかなかった。そしてアキラの眠る寝台へと腰を下ろしていき、高熱の所為で発汗して額に張り付いている白髪を丁寧に払い除けてやる。


 そして苦しげな顔をして眠っているアキラを見下ろしていき、サクラは自嘲するように笑いながら小さく漏らすのだった。


「何故私はこれほど貴様を守りたいと思うのだろうな? …私達の間に何か特別なことがあった訳でも無いというのに。貴様はスクールのアルヴァリエで、私はガイア諸国連合軍のアルヴァリエだ。やはりお前をここに連れて来たのは間違いだった。…それでも、な」


 そうサクラは言ってから、悲しげに笑いつつ眠っているアキラへと言葉を続けていく。


「私はこれで良かったと思っている。腐り切っていた私に昔の純粋さを取り戻してくれた。誰かを守る意味を思い出させてくれた。…それなのに私は――」


 所詮命令を聞くしか能が無い女。今更スクールに戻れる筈も無く、それ故に彼と手に手を取って逃げられる筈も無く。何一つ選択出来ない自分が恨めしい。情けなくて涙が出そうだ。


 でもこれ以外に方法が思い付かない。彼を守る方法が他に思い付かないのだ。


 だからと、サクラは軽機関銃を背負って独房を後にする。…怪我と発熱に苦しむアキラを一人置いて。そうする以外に無かったからだ。


 アーガマンが口にした特殊訓練が唯の訓練ではない事くらい分かっている。…それでもサクラは管制室へと向かう。ただアキラを救わんが為に。


 結局はこんな方法しか無いのだなと、サクラは寂しげに微笑みながら一人で歩いて行く。己が歩む先にある絶望を予見していながら。それでも彼女は進むしかなかった。


 ただ一人、アキラを救いたいと願って。それだけを心の糧として歩き続けるのだった。

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