第10話 舞うように殺せ


 鼓膜を震わすほどの銃声、そして爆撃音。そのどれもがサクラのラグマ・アルタを中心に繰り広げられており、サクラはその全ての攻撃をいとも容易く跳ね返している。


 戦場はサクラの独壇場だった。彼女が地上を奇襲した際、二機のラグマ・アルタが一瞬にして彼女の長剣に斬り捨てられたのが見えた。…そして始まった戦闘機との攻防。


 既に先の戦闘で破壊し尽された都市の上空を桃色のラグマ・アルタと多国籍軍の戦闘機が火花を散らせて交差する。だがそれも数秒と続かず、戦闘機が火を噴いて落ちていく。


 そして彼女は手を休める事無く、そのまま地上へと急降下して戦車砲等を搭載している装甲車を次々と葬っていく。続けて彼女の機関銃から辺り一面へと放たれる銃弾の嵐。


 次々と撃ち殺されていく兵士達。まるで人形でも相手をしているような光景だった。突然現れた敵のラグマ・アルタにどうする事も出来ず、多国籍軍の兵士はただ殺されるしかない。


 最早燃える物など無い戦場を破壊し続ける彼女の様は、まさに悪魔の名に相応しかった。どれだけ彼女に攻撃を仕掛けても傷一つ負わせられず、銃弾のほとんどは彼女が纏う装甲に弾かれてしまっている。…挙句にミサイル等は彼女に届く前に全て撃ち落される始末。


 これではどうする事も出来ない。ただ全滅するのを待つしかないではないか。…ここにはもう避難民を収容している難民キャンプくらいしかないと云うのに。


 それなのに何故だと、兵士達はその理由が判らず唯の肉塊と化していく。そんな余りにも恐ろしい光景の中、アキラもまた彼女に近付けずにいた。…だが、それも当然であろう。


 彼女に向けて放たれる誘導式ミサイルの山に機関銃の嵐。あまつさえ戦闘機が捨て身で体当たりを仕掛けて来る始末。そんな中に飛び込んでいく勇気はアキラには無く、またそれ以上に、アキラが乗る訓練機には彼女が装備しているような重厚な装甲は無い。


 極端な話をすると、機関銃の銃弾でも致命傷を負ってしまう危険があるのだ。まぁだが、この場合は熟練度の問題もあるだろう。…早い話、アキラの腕では避け切れないのである。


 彼女だからこそ、ああやって難無く攻撃を避けられているのだ。幾つもの戦場の空を飛び、戦い続けて来た彼女だからこそだ。…でもアキラは違う。


『無茶言うなって。…あの動きに付いて行けって言うのか? 俺を殺す気かよ』


 彼女に付き従って動こうものなら、確実に撃ち落されて終わる。それも数分と持たずにだ。だがしかし、あれがアルヴァリエという生き物なのか。あれほど優雅な動きで銃弾を避け、呼吸をするように敵を殺していける。…あれが自分と同じアルヴァリエなのか。あれが――。


『…っ』


 直後、アキラは吐き気を堪えるように口元を押さえていた。…見てしまったのだ。地上に降り立って機関銃を撃ち続ける彼女が何を踏んでいるのか。


『おい、冗談だよな? …あんたの足の裏、何があるんだよ。俺の気の所為だよな?』


 アキラは耐え切れず、思わずそう呟いていた。そうだ。ここは戦場なのだ。…彼女が指を動かす度、空を舞う度、その生命を奪われているものが居る。一度それに気付いてしまうと恐怖だけが心を支配していき、まともな思考が出来なくなってしまう。


『なぁ、止めてくれよ。…こんなの変だ。絶対に変だっ!』


 俺は見たくない。何故こんな非道な真似が出来るのか。何故そんなにも簡単に人を殺していけるのか。…あんたが踏んでるそれは「人間」だぞ? それなのに何故、何故っ!


『…なっ!』


 だがその時、アキラはまさかと顔色を変えていた。…立ち昇る黒煙と爆炎の中に佇む彼女が向けた視線の先、そこに何が在るのか気付いてしまったからだ。


 視線の先に在るのは、密集して立ち並ぶ大型キャンプの数々。そこは他でも無い。サクラがマーカーで示した標的に間違いなかった。


 まさか本当にと、アキラの心臓が激しく脈打ち出す。だってそこには、避難して来た多くの人々が居るのだ。突然上空より飛来して来たラグマ・アルタを見て動揺し、悲鳴を上げながら逃げ惑っている。そしてそれを多国籍軍らしき兵士達が誘導して、必死に大型輸送車へ乗せようと躍起になっている。…彼らにとっては敵国の人間の筈なのに。それなのに――。


『…や、止めろ。止めろーーっ!』


 思わずアキラは叫んでいた。そして攻撃されるのも厭わず、懸命に銃撃の中を掻い潜りながら彼女の元へと降り立ち、その機体に縋り付く様に抱き付いていた。


『っ! 何をする!』


 それを咄嗟に避けようとした彼女だったが、寸前でアキラから腰に抱き付かれてしまい、半端に飛び立ったままの状態でアキラへと苛立ちの声を浴びせる。


 だがアキラはそれに構わず、上ずる声をそのままに改めて彼女に叫んでいた。


『止めろ。もう止めてくれよ! …あんた、自分が何をしてるかちゃんと判ってるのか? そこに居るのは唯の民間人じゃないかっ。俺達みたいにアルヴァリエって訳でもなければ、あんたみたいに強い訳でもない! …何も出来ない人達をどうして殺す必要があるんだよ。こんなの変だ。絶対におかしいっ!』


『…貴様、またしても――』


 思わぬところでアキラから妨害されて、サクラは地を這うような声を上げていた。しかし彼女はそのままの姿勢で機関銃を構えて、腰に縋り付いているアキラをそのままに、躊躇う事無く難民キャンプへと向けて連射していった。


 空気を震わすほどの銃声が頭上から鳴り響き、夥しい悲鳴が聞こえ始める。…それは最早戦いなどでは無く、圧倒的な武力による惨殺だった。何故こんな事にと、耳を劈く程の悲鳴を聞きながらアキラは己の無力さに嗚咽を漏らし始めていた。


 それでも彼女の銃撃を止めさせようと、未だに銃弾を放ち続けている機関銃に手を伸ばしていく。それでも彼女の腕は止まらず、アキラの手が銃身に添えられても銃声が止む事は無かった。…その振動が腕に伝わる度、悲鳴が上がる度に心が張り裂けるようだった。


『…お願いだから、頼む。もう…もう止めてくれっ』


 最早無駄なのだと判っていて、それでもアキラは彼女に懇願する以外に無かった。それを彼女も聞いているだろうに、彼女は鉄仮面のように声すら発さず銃弾を撃ち続ける。


 どうしてこんなにも違うのだろう。…同じアルヴァリエなのに、どうして彼女はこれほどにも簡単に人を殺せるのだろう。どうしてこんなにも、どうして――。


 次第に上がる悲鳴の数が少なくなっていく。…その理由は流石のアキラにも理解できて、アキラの双眸に更なる涙が溢れて流れ落ちていく。


 目の前で人が殺されているのに何も出来ない。地上の救世主と謳われるアルヴァリエが何故こんな事をするのか。彼女ほどのアルヴァリエが何故――。


 彼女が自分の言葉に耳を貸す事は絶対に有り得ないと分かっていて、それでもアキラは訴え続けるしかなかった。もうそれ以外に出来る事は無かったからだ。


『どうしてなんだよ。…俺達みたいなアルヴァリエや軍人なら諦めも付くさ。相手が武器を持って抵抗して来たのなら仕方ないのかも知れない! でもあんたが撃ち殺したのは唯の民間人だった! ただ避難して来ただけの人達だったんだぞ! それなのにどうして撃ち殺したりしたんだよ。こんな焼け野原になった街で戦うだなんて…どうかしてるっ!』


 すると彼女は打ち方を止めて、自らの腰に抱き付いたままのアキラを苛立たしげに見つめていく。しかし銃口は下ろさず、構えたままの姿勢でアキラを罵声していった。


『ならば負傷兵を見逃すか。…しかもここに居る負傷兵は唯の負傷兵では無い。我らの眼を欺く為に避難民へと扮し、優々と国外から支援を受けて英気を養っているアルヴァリエ達なのだぞっ! それを撃ち殺して何が悪い! むしろ当然ではないか! 貴様も私の戦い振りを見たのなら分かっただろうっ! これこそ我らアルヴァリエの力だ! もし我らが敵軍のアルヴァリエを見逃せば、奴らは再び戦場に舞い戻って全てを破壊していくだろう。それを貴様は見逃すのか? それこそ正気の沙汰では無いではないかっ!』


 彼女から怒号のような言葉を浴びせられて、アキラはそんな彼女の言葉に絶望して心を打ち拉がれていく。それでも必死に頭を振っていき、涙交じりの声で必死に叫んでいった。


『だから無関係の人達まで殺すのかよっ! 皆殺しにする必要なんて無いじゃないか!』


『ふざけるなっ! …ここは戦場だ。少しでも可能性のある者は殺す。民間人か軍人かなど関係ない。殺さねば殺される。そして殺す事こそ我らアルヴァリエの存在意義なのだっ! ここはスクールでは無い。一度スクールを出れば我らの存在意義は変わるのだ。…いいか、我らはガルーダを殺す為に在るのではない。人間を殺す為に在るのだ。徹底的に相手を叩き潰し、二度と抵抗出来ないようにする。それを残虐だと言うなら言うが良い。だがそれこそ戦争だ。果たして強者はどちらなのか。我らこそが覇者なのだと知らしめる為に在る。それこそが戦争なのだ。民間人だろうと軍人だろうと構うものか。目の前に居る者は全て敵だ! 躊躇うな、殺せ! …それこそ戦争であり正義だ! それこそ我らの存在意義なのだから』


『…なっ! …そんな、あんたそれ…本気で――』


 言っているのか。アキラはそう言い掛けて、そこに浮かぶ彼女の冷酷な眼差しに気付いて言葉を失っていた。いつしか己の両腕は戦慄き、彼女の腰から手を離してしまっていた。


 いつの間にアルヴァリエの存在意義が対人戦争に変わったのか。自分達が存在しているのは偏に人々を守る為。次元の彼方より現れるガルーダから世界を守る為ではないのか。


 こんな事をする為にラグマ・アルタは在るのではない。こんな事をする為にアルヴァリエが存在している訳では無いっ! こんな事の為に…こんな事の為にっ!


 絶対に違うと己に言い聞かせて、再びアキラが口を開き掛けた時だった。


『…っ!』


 アキラが大きく見開いた眼の先には、凍て付いた眼差しで機関銃を構える桃色のラグマ・アルタが居た。そしてその銃口の先には――。


『…い、嫌だ。もうこれ以上っ』


 悲痛に叫びつつ、アキラは咄嗟に彼女が構える銃口の先に立ち塞がっていた。それを見たサクラは発射する寸前で息を呑み、咄嗟に銃口を天へと向けてアキラから逸らしていた。


 直後に鳴り響く銃声の後、聞こえたのはサクラの安堵のみ。そしてサクラは安堵した後に改めてアキラを睨み付けていき、何のつもりだと我鳴り付けていた。


『貴様、好い加減にしろっ! 死にたいのか!』


 だがアキラはそれに答えず、何度も頭を振りながら張り裂けるような声を上げていく。


『だったら殺せよ。俺を殺せ! 撃つなら俺を撃てばいいっ! …あんたにこれ以上人を殺させない為なら、俺は喜んで殺されてやるっ! …あんな小さな子供が何かしたのかよ。これほど絶大な力を誇るあんたに一体何が出来るっていうんだよっ! 何も出来やしない。死んだ母親に縋って泣くしか出来ない小さな子供だぞ? そんな子供に一体何が出来るっていうんだよ。何も出来やしないっ! …何も出来る筈が無いんだっ。何もっ――』


『子供だと? …貴様、一体何を――』


 言っていると言い掛けて、サクラは小さく眼を見開いて言葉を失っていた。


『…っ』


 アキラの言う通り、銃口の先に居たのは小さな子供だった。…いいや、小さいという表現は些か合わないかも知れない。そこに居たのは十歳ほどになる少年だった。少年は輸送車の脇に座り込んでおり、内蔵を飛び散らせて肉塊と化した母親の死骸に縋り付き、何度も母親を呼びながら必死に揺さぶり起こそうとしている。…そんな事をしても無駄だというのに。


『私は――』


 しかしサクラの眼には、似て非なる光景が映っていた。あれは八年前、初陣の日だった。初陣だった自分はまだ何も知らない子供で、目の前のアキラと同じように眼前で死に逝く人々を黙って見ている事しか出来なかった。


 そうして犯した最大の過ち。せめて手元の少年だけでも助けようと思って、少年を連れてラグマ・アルタのコックピットへと戻ってしまったのである。


 どれだけ人を殺す事に慣れても、あの日の事だけは未だに忘れられない。おそらく忘れられる日など永遠に来ないだろう。…だって、初めてこの手で奪った生命なのだから。


 でも、もうあの頃とは違う。自分は肉体的にも精神的にも強くなった。どれだけ苦境な場に立たされても、今の自分なら難無く突破する事が出来るだろう。…もうあの頃とは違う。


 それなのに何故だろう。何故この引き金を引けないのか。…目の前に立ちはだかる男など横に押し遣って子供を殺せばいい。ただそれだけなのに――。


『…―』


 それがどうしても出来ない。何故なのだと困惑しつつ、いつしかサクラは銃口を下ろしてしまっていた。アキラを押し退ける事がどうしても出来ない。…何故か出来ないのだ。


 どうかしている。そう自分でも思いながら、サクラは溜息を付いてアキラに告げていた。


『…分かった。だから私の前に立つな。お前を撃ち殺すような真似はせん。私を見縊るな』


『っ、なら!』


 アキラが嬉々として言うと、何故かサクラは気恥ずかしさを覚えて視線を逸らしていた。そしてわざとらしく周囲を見回していき、平静な態度を装いながらアキラに言っていく。


『標的は粗方沈黙したからな。もう引き上げても問題はあるまい。…アキラ』


 やや恥ずかしげな声色でアキラの名を呼び、サクラは無意識に頬を赤く染めながら言う。そして逸らしていた視線をアキラへと戻したのだが――。


『…? どうか――』


『――っ』


 その問いにアキラが答える事は無かった。…サクラの眼には、眼前の光景が一瞬静止したかのように見えた。


 硬直したアキラの機体から伸びる一筋の光線。やがてそれが消えるとアキラは苦しげに背中を丸めていき、胸を押さえながら蹲っていく。…だが、その胸の部分に在るのは――。


『…ア、アキラァァッ!』


 初めて相手の名前を呼んだ羞恥心は消え、喉が張り裂けるほどの絶叫が響き渡っていた。サクラはすぐさま装備を機関銃から長剣へと変えていき、いつの間にか間近に迫っていた戦闘機を見上げて憤怒の形相を浮かべていく。


 そして沸き立つ程の怒りで全身を戦慄かせていき、血走った眼をして怒号を上げていた。


『貴様、誰の許可を得て私の所有物に手を出した。一体誰の許可を得てっ!』


 怒号と共にサクラは地を蹴り、実体無き背中の翼をはためかせて長剣を振り上げる。それを迎撃すべく戦闘機の機関砲が火を噴くが、サクラの長剣の方が圧倒的に早かった。


 閃光のような速さでレーダーに映っている戦闘機を次々と斬り捨てていき、残っていた敵戦力の全てを激情のままに葬っていく。そして敵戦力を全て葬ってしまうと素早く長剣を腰へと仕舞い、アキラの元へと戻って蹲ったまま動かない機体を抱き締めていった。


『…アキラ。返事をしろ、アキラッ!』


 混乱したようなサクラの悲鳴が木霊する。…アキラが押さえている胸部、そこに在るのは何とコックピットだった。辛うじて上に逸れているようにも思えるが、損傷部位から上がる細長い煙が決して楽観視できない事を伝えている。…頼むから逸れていてくれっ!


 そう何度も祈りつつ、サクラは必死になってアキラの機体を揺さ振り続ける。…すると、


『…そ、そんなに揺さ振るなよ。ちゃんと声は聴こえてるって。でも結構痛いもんだな~。機体が損傷するとさ、ラグマ・アルタの脳であるアルヴァリエにそのまま伝わるんだろ? ラグマ・アルタの特性を生かすにはどうしようもないとか教官は言ってたけどさぁ。…凄くどうにかして欲しいと俺は思うぞ。凄く痛い。死ぬかと思った。…つーか、死にそうだ』


 どうにか彼女を落ち着かせようと軽口交じりで喋ってみたのに、残念なことにアキラの心遣いは彼女には伝わらなかったようだ。


 サクラは落ち着くどころか更に強く抱き締めてきて、声を上ずらせながら叫んでくる。


『こんな時だけ知識を披露するな! しかも一々披露するほどの内容でもあるまいっ! そんな事はどうでも良い。…コックピットは、貴様は無事なのか? …あぁ、いや。何故か貴様がこうして基本知識を披露しているのだから、きっと脳内は無事では無いのだろうな。貴様自体は怪我も無く無事なのだろう? …単純に撃ち抜かれた胸が痛むだけ。今は痛みのお陰で頭が多少まともに動いている。ただそれだけなのだろう?』


『おい、物凄く失礼な言い草だな。俺の頭はいつも普通だってーの! …だけど』


 何故か必死に否定しようとしている彼女に答えてやれず、アキラは口籠るしかなかった。そしてその視線を己の左腕へと注いでいき、だらりと垂れ下がったそれに唇を噛み締める。


 …戦闘機に機体の胸部を撃たれた時、胸を押さえられたのは右腕だけだった。既にその時左腕には神経が通っておらず、動かす事は叶わず焼けるような痛みを全身に伝えていた。


 そしてコックピットである虹色の膜には穴が二つ空いており、損傷した部分から青白い火花が飛び散ってアキラへと降り注いでいる。…攻撃はコックピットに直撃したのである。


 灰色のパワード・スーツは黒く焦げて、左腕は完全に赤黒く変色してしまっていた。肉体に直撃しなかったのは幸いだったが、どう考えても楽観視できる状態ではないのは明白だ。


 でもそれをサクラに告げるのは何故か躊躇われて、アキラは何も言えず口籠るしかない。そんなアキラの様子に気付いたのか、サクラの動揺は高まるばかりだ。


 サクラは一向に立ち上がれないアキラの機体を抱きながら、更にアキラへと言っていく。


『大丈夫だ。安心するが良い。…貴様が飛べなくても私が担いで飛んでやる。貴様の機体は装備が軽量だからな。軽々と持ち運べるぞ? だから――』


『…、そっか』


 酷く動揺したサクラの物言いに、アキラは苦笑しながら答えていた。しかしそうしている間にも意識が遠ざかっていき、彼女に申し訳なく思いつつ意識を手放していく。


『…アキラ? アキラッ! 返事をしろ、アキラ!』


 悲痛なサクラの悲鳴が聞こえる。だが、もうアキラにはどうしようもなかった。知らぬ間に左腕へと回していた右手もまた意識の喪失と共に落ちていき、それきりアキラの機体は完全に動かなくなる。


 それでもサクラは何度もアキラを揺さ振っていたが、やがてそれも無駄なのだと判ると、その灰色の訓練機を抱き締めていき、苦渋に顔を歪めながら感情のままに叫んでいた。


『くそっ! やはりスクールの訓練機のまま戦場に連れ出したのは無謀だったか! 私の失態だ。…許してくれ、アキラ。私だって本当は、本当はっ――』


 連れて来たくはなかったのだ。…そんな本音がサクラの口から漏れていた。先日アキラが誤って救難信号を発信した時、真っ先に疑われたのは何とサクラだった。


 …でも、それも仕方の無い事だった。確かにアルヴァリエの数はスクール卒業生が現れるたびに増えていく。しかし、大抵の者が一年と経たずに戦死してしまうのである。


 原因はスクールで教えられてきたアルヴァリエとしての本質。そして虚像が本質と化している現実のアルヴァリエとの懸隔にあった。


 大抵の卒業生がそれに耐え切れず、また実力が及ばず一年の間で戦死する。…だからこそ一年以上生き延びて戦果を挙げているアルヴァリエは貴重な存在であり、また重要な戦力であった。その為に敵味方関係なく引き抜きが多く、それに釣られて裏切るアルヴァリエは決して少なくないのが実情だ。だからサクラは同じ部隊の者達から見張られていたのだ。


 …サクラが部隊を裏切らないか。アキラを連れて来たのは部隊を裏切る為ではないのか。疑われていると知っていたからこそ、常にアキラを目の届く範囲に置くようにしていた。


 何をされるか分からないからである。…腐ってもあそこは紅焔の狼だ。どんな非情な事も笑いながらして見せるだろう。そしてそれはサクラもまた同じなのだから。


 それにしてもと、サクラは自嘲するように笑いながら無反応のアキラへと呟いていた。


『貴様が悪いのだぞ? …貴様が救難信号など発信しなければ、未熟な貴様がこんな戦場に来ずとも済んだのだ。ゆっくりと実力を付けて、ゆっくりと我らの置かれた現実を知っていけば良かったのだ。現在の貴様がこんな所に来ずとも良かったのに。それなのに――』


 詫びる様にサクラは告げるが、それにアキラが答える事は無い。その現実にサクラは涙を堪える様に唇を噛み締めて、動かないアキラの訓練機を抱えて大空へと飛び立って行く。


 今はただ生きていてくれと、そう祈る事しか出来なかった。…部隊の元に戻れば、きっと治療が受けられる。私は部隊を裏切ってなどいないのだから。私は紅焔の狼だ。…だから。


 しかしサクラは否と頭を振っていって、狂気に満ちた笑みを浮かべて漏らしていた。


『だから何なのだ。…こんな仄かな感情すら押し殺せと、そういうのか? …私は――』


 それ以上言葉にする訳には行かず、サクラは寸前でどうにか言葉を呑み込んでいた。今はアキラを救う為に飛ぼう。ただそれだけを胸に秘めてサクラは飛び続ける。


 己が秘めた真の心すら言葉に出来ない。…そんな哀れなアルヴァリエがそこに居た。今はただ同士を救う為に飛ぶだけだと、そう己に言い聞かせて彼女は飛び続けるのだった。

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