第9話 厳しい世界情勢


 そうして三日、アキラはどうにか営倉を乗り切った。…そして思った。二度とこんな場所に入るような馬鹿はすまいと。まぁそう思いつつ、再び似たような失敗をしそうではあるが。


 因みにアキラが営倉に関して正しい知識を得たのは、アキラが入れられている独房まで見回りに来てくれる兵士と雑談をしている時だった。


 ここは営倉の中でも重営倉という代物で、本来であれば会話をする事も禁止されているという事。最低限以外立つ事は許されず、永遠と座っていなければならない。


 しかもこの独房、死ぬほど狭いのだ。…兎小屋でもここまで狭くないだろうと思うほどの狭さだった。これでは立ち上がる事など到底できない。それほど天井が低いのだ。


 兵士から説明を受けている内に怒りが込み上げてきて、気付けばその矛先はサクラへと向いていた。よくもこんな所に入れやがってと。…だが、兵士はこうも言ってきた。


 この第八遊撃部隊が世間でいうところの独立部隊に当たるお陰で、こうして軍法会議も免れてこの程度で済んでいるのだと。本当であればこの程度の処罰では済まなかった事。


 アキラが誤って発信してしまった救難信号にはそれだけの意味があり、普通に考えれば間諜として捕らえられて死刑にされていた事。


 その疑惑をサクラが一手に引き受けて、アキラの処分を重営倉で済ませてくれた事。そう兵士は語りつつ、何度もアキラに言った。


 …ヴァイスマン少佐に感謝しろよ。いま生きていられるのは少佐のお陰なんだから、と。


 何度もそう言われつつ、見回りへと戻る兵士の後ろ姿を眺めながらアキラは思っていた。


 一体いつ、自分はここの部隊の人間になったのだと。だが、とても残念なアキラの頭には重要な部分が入っていなかった。


 捕虜もまた、捕まった先の部隊に従わなければならない事を。重大な違反や反抗をすれば、捕虜であろうと軍法会議に掛けられるのだという事を。


 だが赤点魔王を誇るアキラにそんな知識がある筈も無く、どれだけサクラが無理をして刑を軽くしてくれたのかアキラは知らない。…とても残念な頭である。


 そして根性と若さだけで無事三日間を耐え抜き、ようやく元の監禁部屋へと戻れる日が来た。これで優々と横になれる。もう臭くない。あの殺人的な臭さから解放されたのだ!


 そうアキラは一人喜びを噛み締めていたのだが――。


 現実は厳しかった。シャワーを浴びる許可が出たので体の汚れを落とし、これでさっぱりしたと喜んでいたところに彼女がやって来たのだ。


 まるで申し合せたように現れた彼女は足を投げ出して座るアキラを見下ろして「出撃だ。用意しろ」と、そう無下に言い放ってきたのである。


 この時ばかりは心から「…こいつ、冗談抜きで悪魔じゃなかろうな」と彼女を心底呪ったものだ。しかし彼女は容赦せず、動こうとしないアキラの腹を容赦なく蹴り付けてきた。


「ぐえっ!」


 アキラが潰れた蛙のような声を上げるが、白いタンクトップに腰紐だけの草臥れた白いズボンを穿いただけの情けない姿を見て、サクラは「…ちっ」と苛立ち交じりで舌打ちしていく。そして彼女は廊下に控えさせていた兵士へと呼び付けて「こいつを着替えさせろ」と、冷酷な声で兵士へと命じていった。


「へ? …って、おい。ちょっと!」


 しかしアキラの困惑も何の其の。あれよあれよという間にパワード・スーツを着せられてしまい、気付けば頭にもコントロール・サークレットを着けられていた。


 これって強制的に装着させられる代物だったんだな。そう感心するアキラをそのままに、サクラは有無言わさずアキラを連れて格納庫である工場に急ぐ。


 アキラをまたもやコックピットに蹴り落とされてしまい、彼女もまた己のコックピットへと飛び込んでいく。そして開かれていく天井から大空へと飛び出していった。


 相変わらず広がる瓦礫の山に大空がよく生える。…そんな馬鹿な事を思いつつ、やっぱり大空の下には森とか海とか、もしくは街とかが良いなとアキラはしみじみ思っていた。


 …それにしても、一体何なのだろうか。営倉に入れられている間は見回りの兵士から何度も彼女に感謝するよう言われたが、これでは感謝する気にはとてもなれない。


 彼女は人をコックピットへと蹴り落とし、理由も告げず自分を引っ張り回しているだけではないか。そう呆れ顔をしながら、黙って彼女の後ろを飛んでいた時だった。


 ようやくアキラの存在を思い出したのか、彼女は声だけを徐にアキラへと向けてきた。


『我ら紅焔の狼が現在介入している戦場に関して、貴様はどれだけ知っている』


 突然何を言い出すのだ、この少佐殿は。…アキラはそう思いつつ、苦い顔をして頭を掻きながら大人しく本当の事を答えていった。


『全く知りません。俺が知っているのはガイア諸国連合軍ってのは南の軍隊だったよな~って事くらいだ。…そういえばさ、相手って何処だっけ?』


『……』


 そんな信じ難い台詞を吐かれて、思わずサクラは絶句した瞬間だった。そしてその動揺が収まっていくと、素早く右腕を振り上げて訓練機の頭を殴り付けていく。


『最低限の知識くらい入れておかんかっ! …お前の頭には一体何が詰まっているんだ。開けて見てみたら空洞じゃないだろうな。流石に心配になって来たぞ』


『そうか? 俺は普通だと思うんだけどな~』


『…貴様が普通なら世界は滅ぶ。それも数秒と経たずにだ!』


 頭を摩りつつアキラが言うと、嘆かわしいと言わんばかりにサクラは言葉を返していく。同時に思っていた。…まさか本当にこいつの知識が標準ではなかろうな、と。


 いいや、絶対に違う。これは情報統制がされているからだ。きっとそうに違いない。


 そう自らに言い聞かせつつ、サクラは必死に平静を保ってアキラを叱り付けていった。


『私が学生だった頃はネット記事や情報番組を浴びるほど見ていたぞ。しかもスクールは戦争とは無関係なんだ。日々様々な情報がメディアから入って来ていただろう。そういえば貴様、情報記録媒体は何か持っていないのか。普段はどうしていた』


『情報記録…バイバイ?』


 だが、アキラから返ってきたのはそんな言葉。流石のサクラも疲れてしまい、「…ああ、悪かった。私が悪かった」と非を認めるしかなかった。


 それにしても、こんな頭脳の持ち主に現状を説明して理解できるだろうか。そんな一抹の不安を感じつつ、とにかくと自らに言い聞かせながらアキラへと説明を始めていった。


『良いか、よく聞け。現在我ら紅焔の狼は――』


 サクラが語ったのは、所謂エネルギー資源を巡る国家間の摩擦だった。現在でこそ前線にラグマ・アルタが配備されているが、ラグマ・アルタが開発される以前からこの地域の情勢は不穏で、まともに停戦すら守らず戦争を繰り返している地域だ。


 そこにラグマ・アルタが配備されて、ついに収拾がつかない所まで来てしまった。現状はまさにそんなところだった。


 しかもそのエネルギー資源と云うのは、一昔前のような油田では無い。…次元の彼方よりガルーダが現れるようになり、その発生率が最も高い地域。


 それこそ争いの大本とも言える原因であり、各国が躍起になって争っている原因だった。このイスヴァニア王国とクェリス国は世界有数のガルーダ発生地域であり、それを各国は欲しているのだ。偏に主戦力であるラグマ・アルタを欲さんが為。ただそれだけの為に。


 気が付けば宗教戦争は姿を変えて、人型兵器ラグマ・アルタを巡る世界戦争へと発展していた。…ラグマ・アルタはラグマ以外の動力を必要としない。それに適合したアルヴァリエさえいれば動かせるのである。一切のエネルギーを必要とせず戦力になる。これほど魅力的な兵器が他にある筈も無かった。それ故に各国が相争うのはまさに必然と云えた。


 現在紅焔の狼が拠点を置いているのは、イスヴァニア王国の東方に位置するジュード市。そしてその相手は、北半球に位置する五つの先進国から成る多国籍軍だった。


 ラグマ・アルタが世に現れる以前は二国間だけで争っていたのだが、そこに様々な国家が介入し、気付けば御覧の有様だ。


 思いがけず多国籍軍の助力を得たクェリス軍はイスヴァニア軍より先にラグマ・アルタを入手。そうして一気に前線を北上させて侵略し、後一歩と云うところでイスヴァニア軍はガイア諸国連合軍と手を組んだ。


 その理由は偏った戦力差があまりに不条理だからだとしているが、本音は北半球にある先進国にこれ以上資源を奪われたくないからなのは明らかだった。


 何よりもイスヴァニア王国は決して大国ではない。険しい山脈が永遠と連なり、そのうえ国土も狭い為に経済発展が国内に行き届かないのが現状だった。だからこそ国土の大半が砂漠であるクェリス国とあまり戦力差が無く、その為に戦争が細々と続いていたのである。


 だが、それを多国籍軍が破った。ラグマというエネルギー資源を欲して均衡を破ったのだ。


 そして紅焔の狼が現在占拠しているジュード市だが、実はあの街を破壊したのは彼女らの部隊では無かった。北上して来た多国籍軍によって焼き払われ、それを取り戻す為に紅焔の狼が街に進撃したのだ。そうして現在、ジュード市は彼女らが制圧して拠点を置いている。


 そんな彼女の話を聞いていたアキラではあったが、偶々見たニュースで放送されていた内容を思い出して顔を顰めていた。


 …ガイア諸国連合軍に狼と呼ばれる獣のような部隊がある。そう聞いた覚えがあるのだ。


 確かにアキラは世界情勢どころか、一般知識すら乏しいような人間だ。自ら進んで情報を仕入れるような事は絶対に無いし、自分からそれらに興味を持つ事も無い。


 でも、紅焔の狼に関しては別だ。情報番組をろくに見ないアキラでも耳にした事がある。ガイア諸国連合軍第八遊撃部隊、通称「紅焔の狼」。それは悪魔の代名詞であり、遣り方があまりにも残忍で容赦が無い事で有名な部隊だった。


 その紅焔の狼が所属するガイア諸国連合軍の目的はおそらく、多国籍軍同様にガルーダから獲れるラグマに在るのは間違いない。だが、第八遊撃部隊である紅焔の狼は――。


 ここまで来て、アキラはようやく自分の置かれた現状を理解して身震いしていた。自分はとんでもない部隊に捕まってしまったのだ。…ガイア諸国連合軍「紅焔の狼」。そんな悪魔にも等しい部隊に捕まって無事で居られる筈が無いではないか。


 そう恐ろしさで震えているアキラの心など無視するかのように、サクラは瓦礫と化した都市上空を永遠と飛びながら、自らの視界に表示したマップを確認しつつ言っていく。


『この先にクェリスが占拠している街がある。そこを焼き払うのが今回我らに与えられた任務だ。標的は――』


『ちょっと待てよっ!』


 だがその言葉を、アキラは慌てて制止していた。だってそうであろう。サクラから送られてきたマップのデータはアキラの視界にも表示されているのだが、そこに表示されている場所を見れば誰だって制止する。だってここは――。


 アキラはこれが冗談である事を願いつつ、驚愕しながらそれをサクラへと問うていく。


『おい、下手な嘘は止せよ。あんたがマップにマーカーしてる場所、何処を見ても軍事施設なんて無いじゃないか。在るのは難民キャンプくらいだぞ? …まさかあんた、ここを焼き払おうって腹じゃないだろうな。冗談だろ』


『……』


 思わぬアキラからの問いに、サクラは冷めたような眼をして沈黙していた。しかしアキラと初めて出会った時に何があったかを思い出して、成程と嘆息しながら説明を始めていく。


『だから何だ。一応言っておくがな。貴様も一緒に任務に当たるのだぞ。それなのに貴様は傍観する気満々だな。因みに好い機会だから貴様に教えておいてやる』


『…、何をだよ』


 嫌な予感を覚えつつアキラが言うと、それをサクラは鼻で笑いながら続けていった。


『私が貴様を助けた戦場、あそこで私が小学校を破壊しようとしていた事を覚えているか』


『? …ああ、あんたは避難民もろとも容赦なく攻撃しようとしてたよな。それが?』


 そうアキラが答えていくと、サクラは「よし」と頷きながら続きを説明していく。


『あそこの地下にはな、大量の爆薬が保管されていたのだ。…その爆薬を保管していたのは多国籍軍の一員となったクェリス軍だ。その爆薬を使って、奴らは更に戦場を拡大しようとしていた。だから我ら紅焔の狼は破壊するよう命じられた。このイスヴァニア王国の大半が焼け野原となってしまったが、まだ奥地には無事な地域が残っている。…だからこそ我が軍、ガイア諸国連合軍は破壊する事にした。更なる悲劇を生まぬ為にだ』


『…だ、だからって』


 納得できないとアキラは漏らすが、サクラはそれに頭を振りながら言っていった。


『我らが戦場を離脱した後、あの小学校を破壊したのは多国籍軍の戦闘機だ。…奴らはな、敵軍に奪われるくらいなら破壊する道を選んだのだよ。あの時、我が部隊の地上班が小学校に迫っていたからな。他に方法が無かったのだろう。…もう分かった筈だ。我が軍だけでは無く、奴らクェリス軍もまた避難民の事など初めから頭に無かった。奴らにとっては敵国の人間が避難しているのだから当然だろうな。そしてイスヴァニア王国に加担している我らガイア諸国連合軍もまた眼中に無かった。…幾ら貴様の脳味噌が空に等しくとも、もう理解しただろう。これこそ戦争なのだ。貴様の常識など通用しないものと思え、世間知らずが』


『だからあんたは命令に従うのか? …真下に一般人が居ると判っていてっ!』


 思わずアキラはそう叫ぶが、サクラはそれに対して溜息を付いただけだった。だがアキラはそんなサクラの反応が気に食わず「何とか言えよっ」と再び声を荒げていく。


 すると仕方ないと言わんばかりに、サクラはやれやれと溜息混じりに説明を続けてきた。


『それこそクェリス軍の戦法だ。…人間の盾と云ってな。本来なら禁止されている戦術だ。ああして避難民や捕虜などを自らの軍事施設等に収容してこれを守り、敵に攻撃され難いようにしているのだ。…まぁ前線ではよくある事だ。どれだけ国際法で禁止しても、結局は意味が無い。だが残虐非道として知られる紅焔の狼が私を…ラグマ・アルタを出して来たのを見て、もう人間の盾は通用しないと判断したのだ。だからこそ、あの小学校は破壊された。それも当然だろう。我ら紅焔の狼が人間の盾を前に躊躇するなど有り得ない。敵司令官も中々有能ではないか。敵に爆薬庫を奪われないよう的確な判断をした。称賛に値すると私は思うがな。折角の爆薬が自らの頭上に降り注いでは堪らない。そうだろう?』


『称賛? それに有能だって? …多くの避難民を殺しておいて、それを称賛だなんて』


 信じられないとアキラは漏らすが、サクラはそんなアキラの反応を笑いながら見つめていた。その笑みは自嘲に等しく、腐り切った我が身を嘲笑っているかのようだった。


 もう彼女がそれ以上言葉を発する事は無く、二機は互いにマップを睨み付けながら無言で青空と灰色に染まった大地の狭間を飛行し続ける。


 そしてマップに表示されたマーカーの地点が近くなると、レーダーの端に戦闘機らしき機影が映り込んで来る。


 逸早くそれに気付いたサクラは、すぐに表情を引き締めてアキラへと鋭く叫んでいった。


『っ、来たぞ! 下らん世間話はここまでだ。私に続けっ!』


『へ?』


 直後、地上から巨大な地対空ミサイルが二人に向かって発射される。サクラはそれを腰に下げた長剣を引き抜いて瞬く間に斬り捨てていき、更に近づいて来た三機の戦闘機を見て小さく舌打ちして、アキラへと「行くぞっ!」と叫んで急速降下を始めていく。


 だがアキラはそれに反応する事が出来ず、呆然と佇んでいる間にその場に取り残されてしまった。


『…あ、やべ』


 そう思いはしたものの、呆然としている間に目視できるほど間近まで敵軍らしき戦闘機が最接近してきた。だがアキラは何も出来ず、ただ佇んで苦笑いするしかない。


『いや~、ははは。…なんちって。ねぇ?』


 やっぱり駄目? そう思って笑ってみたものの、やはり相手は無反応。しかし幸いな事に、相手が容赦なく攻撃してくる事も無かった。アキラが変な笑い声を発している間に三機のうち二機が脇を擦り抜けてサクラを追って地上へと降下して行き、その場に棒立ち状態のアキラの頭上を一機の戦闘機が旋回し始める。


 一体どうしたのだろうか。どうして攻撃して来ないのだろう?


 そう思ってアキラが首を傾げていると、頭上を旋回していた戦闘機が無線をオープンにしてきて、アキラへと緊迫した声を発してくる。


『貴官はセグヴァ・アルヴァリエ・スクール所属の機体とお見受けする。間違いないか!』


『…え? あ、はい。そうです!』


 突然そんな事を訊かれてアキラが答えると、戦闘機のパイロットは思案するように沈黙した後、ならばとアキラに向かって改めて警告を発してきた。


『現在この一帯には我が多国籍軍とガイア諸国連合軍が展開している。万が一この周辺にガルーダが現れたとしても、それは我らが討伐に当たるべきであって貴官の手を煩わせる必要は無い筈! すぐに引き返されよ。さもなくば貴官の敵対行為と見做し、貴官の撃墜も辞さない構えである! 再度繰り返す。ここは貴官の戦場に非ず! 今すぐ引き返せ!』


『…え、え~っと?』


 早い話が、お前は邪魔だからこの一帯から出て行けと。つまりそういう事なのだろうか。


 馬鹿なりに理解は出来たのだが、相手の戦闘機はアキラの返事を待つ事無く、すぐに旋回を止めて勢いよく地上へと降下して行ってしまった。


『え~、俺の返事も聞かず行っちゃうの? それって強制って事? …だよな、やっぱ』


 残されたアキラは呆然と佇むしかなく、どうしたら良いものかと頭を抱えるしかない。


『手っ取り早く言っちゃうと、多分あれって邪魔だからスクールに帰れって意味だろうし』


 出来ればこのまま帰りたい心境ではある。判りました。了解で~す! …っと告げてからそそくさとこの場を後にしたい。


 そうアキラは思いながら一人苦い顔をしていたが、ふとサクラの事を思い出して、続いて重要な部分に気が付いて思わず吐き捨てていた。


『…っていうかさ、俺があいつの命令に従う必要って無くない?』


 すっかり忘れていた。何故気付かなかったのだろう。別に自分は紅焔の狼に下った訳では無いのだから、このまま逃げてしまえば良いのだ。…あ、でも――。


 そこでアキラは思い直し、地上へと降下して行ったサクラを見つめながら漏らしていた。


『もし俺がここで逃げたりしたら…あいつは? 俺は良いだろうけど、あいつは――』


 彼女は…サクラはどうなるのだろうか。先だってアキラが誤った方法でサークレットを外した所為で、止むを得ず彼女はアキラを連れて学生達の足留めと交渉を余儀無くされた。


 あの時、戦闘機の銃口は間違いなく彼女に向けられていた。あの時のことを思い出すと、どうしても彼女の事が気になって足が動かない。…逃げるなと、足がそう言っているのだ。


 アキラは正義感溢れるタイプでは無い。良くも悪くも普通だし、一つ特徴を上げるとするなら致命的なほど頭が悪いくらいである。…だが、もしここで自分が逃げてしまったら?


 そう思うと逃げる気にはとてもなれず、アキラは頭を掻き毟りながら一人吠えていく。


『だぁ~っ、仕方ねぇ! …すんません、ガルーダを見つけました! そういう訳なので、ちょっと真ん中を通りま~す! お願いだから攻撃しないで~っ! ひ~ん、怖いよ~っ』


 そんな無茶苦茶な事を叫びながら、アキラは仕方ないと覚悟を決めてサクラの後を追うべく地上へと降りて行く。


 そしてこの日、アキラは自分という存在を嫌というほど理解する事になる。単純に馬鹿なだけだと思っていた。…そう、この日までは。


 これはただの馬鹿では無い。根っからの馬鹿だ。もう更生の余地は無いだろうな、と。

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