第6話 理解不能な緊急事態


 あの後、サクラは同じ建物の中に設けられた自室へと戻って迷彩柄の戦闘服に着替えた。そして軽機関銃を背負って部屋を後にして、その足で部隊長が居る管制室へと向かう。


 管制室は別の建物に設けられており、一つ隣にある建物内の一室にあった。どうせ戦況が変化すればここは放棄する事になる。だから管制室には最低限の機材しか置かれていない。


 そんな管制室へと向かうべくサクラが足早に移動していると、そんなサクラと鉢合わせた者達が素早く敬礼していく。だがサクラはそれを当然のような顔をして受け止めており、意に介さず真っ直ぐに管制室を目指して歩き続ける。


 すると眼前に重厚な金属製の扉が現れて、サクラは扉の脇にある端末へと向かっていき、手に着けていた軍用のグローブを外していって両手を端末へと翳していく。


 端末はサクラの指紋を認証すると電子音を立ててきて、機械音声で「確認完了。扉を開きます」と告げて自動で扉が開かれていった。


 ―…相変わらず無駄に凝った作りをしているものだ。こんな代物が必要なのか?


 爆撃されたら管制室など簡単に吹き飛ばされるだろうに。サクラはそんな事を思いつつ、思い出したように自らが背負っている軽機関銃を扉の手前に立つ兵士へと手渡していく。そして一歩中に入って敬礼していって「サクラ・ヴァイスマン少佐、入ります」と告げる。


 管制室は多くの機材や兵士でごった返していた。元々ここは一人住まいを前提に建てられた宿舎か何かだったらしく、一部屋一室と云う非常に手狭な造りをしている。


 しかも一室が狭い。とにかく狭いのだ。先ほどアキラを収容した監禁部屋は多目的ホールか何かだったのか、幸いにもあそこは広く快適だ。…でもここは狭い。非常に狭いのだ。


 その為、サクラはここが非常に苦手だった。むさ苦しいというか、息が詰まるというか。所詮サクラもスクール出身者。…本気で清潔感溢れていたスクールが恋しくなる瞬間だ。


 何故監禁部屋の方を管制室にしなかったのか。あそこであれば十分なスペースがあるし、何よりもこんな窮屈な思いをせずに済んだ筈だ。


 …どうしてあいつだけが快適な生活を送れるのだ。どう考えてもおかしいだろう。


 そんな妬み嫉みとも取れる感情をアキラへと抱きながら、サクラは室内の光景に眉根を寄せて必死に息苦しさに耐えていた。するとようやくサクラの入室に気付いたのか、部屋の奥に座っていた短い顎鬚を生やしたむさ苦しい男、基、この第八遊撃部隊の部隊長である男が笑いながらサクラへと言葉を投げてきた。


「おう! サクラじゃねぇか。なに突っ立ってんだよ。さっさとこっちに来い!」


「…は」


 黄土色の短髪をした顎鬚の男からそう気さくに声を掛けられて、サクラは機材やそれを操作している兵士の間を掻き分けながら奥へと進んで行く。


 …だがその際、余りの狭さに壁をぶち抜いてやろうかと殺気が滲んだのは別の話だ。


 サクラはそんな本音をおくびにも出さず進んで行き、呼ばれた相手の隣に立って敬礼をしながら報告を始めていった。


「連れて来たスクールの訓練生は念の為に監禁しておきました。…彼と同じチームだった者達はスクールへと帰還した後、彼は捕らえられたのだと教官に報告したでしょう。あの者を勝手に連れて来ておきながらとは自分でも思いますが、このままではスクールがどんな手段を講じて来るか判りません。…最悪の場合、部隊を派遣してくるかも知れません」


 だがそれに対して、顎鬚の男は何故か呆れ顔をしてサクラへと言葉を返してくる。


「…う~ん、その心配は無いだろうなぁ。スクールが管理してるブログには早々に書き込みが殺到してやがる。どうして学生を見捨てたんだ~とか、まだ生きてるかも知れないのに~とか。初めから捜索もしないつもりらしいぞ? お前と接触した連中は揃って口を閉ざしてるみたいだし。…ま、状況からして緘口令でも敷かれたんだろ。でも、問題なのは――」


「?」


 何故か男はそこで言葉を切り、苦々しい顔をしてサクラの頭を見つめてきた。そんな視線を男から受けてサクラは思っていた。


 …ああ、成程。ついに頭がおかしくなったか。まぁ今までも決して正常とは言えなかった部隊長殿だ。突然私をおかしな眼で見るようになっても不思議はあるまいよ。


 そんな失礼な事をサクラが思っていると、男は冷静沈着な表情を顔面に張り付けているサクラを見やりながら嘆息して言葉を続けてきた。


「お前が連れて来た学生、頭は良さそうか?」


「…は?」


 突然何を言い出すのだ。そう訝しげに思いつつ、サクラは首を傾げながらアキラを脳裏に浮かべて考えていた。


 まぁ結構整った顔立ちをしていたし、サクラに対する受け答えも違和感なく普通だった。それだけで判断するのは早計だとは思うが、そこそこは良さそうだと思ったのだが――。


 一体何の問いなのだ。そうサクラが疑問に感じているのを察したのだろう。…何故か男は何度も頭を振ってそれを否定してきて、彼方を見るような眼をしてサクラに言ってきた。


「どうやら相当悪かったようだぞ。…お前らアルヴァリエは何があってもそれを外さないのに、学生君は先ほど外しちまったらしい。さっきから変な電波が出てやがる。…ったく、迷惑なガキだな~。スクールはどんな教育をしてんだよ。馬鹿だろ、お前と一緒に来たガキ」


「…っ」


 その言葉で、サクラはまさかと表情を一変させていた。おそらく男が言っている「それ」とは、サクラが額に着けているコントロール・サークレットの事だろう。


 だが何故と、サクラは驚愕のあまり言葉を発せなかった。…アルヴァリエとしての常識の範囲で考えるなら、そんな事が起こり得る筈が無いからだ。


 何故ならば、このコントロール・サークレットは通常外してはならないからだ。ましてや彼のように捕らえられたにも等しい状況の中、アルヴァリエがこれを外すという事は、自ら四肢をもぎ取るにも等しい行為である。まさに自殺行為と言ってもいい常識外の行動だ。


 しかも彼はまだ学生だ。…学生のコントロール・サークレットには細工が施されており、緊急事態などが発生すればこのように信号が発信されるようになっている。尤もサクラのように卒業したアルヴァリエであれば、自らが所属している部隊にしか信号は届かない様になっている。だが学生である彼のサークレットは信号をオープンにして発信してしまう。


 そんな事を思いつつ、サクラは自らの疑問を漏らす様にサークレットの説明をしていく。


「…スクールのアルヴァリエが危機に晒された時、我ら軍所属のアルヴァリエにはそれを救助する義務が発生します。本来の我々はガルーダを倒す為に存在するので、最優先事項はガルーダの排除となっているのです。これはその為に存在するシステムではあるのですが」


 この場合そんな高等な話ではないだろう。それに単純に外したいだけならサークレットに念じれば済む話だ。装備解除を念じれば自動的に外れる。…ただそれだけの筈なのに。


 おそらく彼の場合、手で無理やり頭から毟り取ってしまったのだろう。そんな事をすれば精神的・肉体的に大きな支障をきたす可能性だってあるのに。


 何故そんな行為に走ったのか。それを理解出来ずサクラが眼を白黒させていると、相手の男―第八遊撃部隊の部隊長であるナイア・アーガマン大佐は只管と呆れ顔を浮かべながら、そんなサクラへと縋るような眼をして言っていった。


「…そんな訳でだ。この電波、さっさとどうにかしてくれ。…これ、絶対に救難信号とかの類だろ。アルヴァリエって便利なのな~。これなら救助も楽ちんだ。装備者に何かあったら自動的に信号が発信されるって訳だ。便利なのはよく分かった。…が、一刻も早くどうにかしてくれ。このままじゃ部隊の場所がばれちまう。少佐は部隊唯一のアルヴァリエだからな。お前さんしかどうにか出来ない。…ので、さっさとどうにかしてくれ。まさに大ピンチだ」


 情けない声で言われて、サクラはただ驚愕するしかなかった。そして湧き上ってくる激情を抑えるように拳を握り締めていき、絶叫にも等しい声でアーガマンへと言っていった。


「一刻も早く止めさせます! …見た目は聡明そうだと思ったのですが。…いいえ、もしやこれはあの者の策やも知れません。我が部隊へ入り込み、我らを一網打尽にするというっ」


「何の為に? お前さんが連れて来たのはスクールの学生だぞ? スクールが対人戦争に介入する筈が無い。…表向きはそうなってんだ。流石に正面から堂々と喧嘩は売って来ないだろ。しかもそんな事に学生を利用してみろ。いくら理事会でもたたじゃ済まないぞ?」


「……」


 確かに。そう言われてしまえば納得するしかなく、反論できずサクラは押し黙っていた。だが今はそれよりもと、気持ちを切り替える様に表情を引き締めていく。


「これは私の失態です。…ですが、あの者は一体何を考えてこのような事を――」


 そう言い掛けて、サクラはもしやと気付いて口を噤んでいた。確か彼が乗っていた機体はナンバー・Ⅲ。しかもナンバーの下に入れられた赤い一本線。それらは彼が未熟である事を示しており、同時に入学したての一年生である事を暗に伝えていた。


 しかも時期からするに、まだ入学して半年ほどしか経っていないだろう。だがそれでも、コントロール・サークレットの使用方法は一番初めに教わる筈だ。まさに耳にタコが出来るほど教えられる筈。たとえ彼がピカピカの一年生でも流石に使用方法くらい知っていよう。


「~~っ!」


 それなのに何故と、心中から込み上げる怒りが爆発しそうだ。…何故咄嗟にあれを助けてしまったのか。こんな事であれば見捨てるべきだった。


 何処となく彼の声があの子に似ていたから、攻撃を受けて墜ちてゆく彼を咄嗟に助けてしまった。…だが、その時点で気付くべきだったのだ。


 普通ラグマ・アルタはアルヴァリエさえ無事なら飛べる。つまり飛べなかったのは、彼の頭の巡りが悪かったからだったのだ。…ただそれだけだったのである。


 私は何て愚かだったのだろう。今更にそんな後悔がサクラを苛む。しかし今更後悔しても後の祭りだ。今は後悔より先にする事がある。


 サクラは素早くアーガマンへと一礼してから、管制室を出るべく再び兵士らの間を掻き分けながら扉を目指して歩く。


 その際に手渡していた己の軽機関銃を受け取ると、サクラは肩を怒らせながら風を切るように廊下を歩き始める。そんなサクラの姿を見て周囲の兵士達は慌てて敬礼していくが、サクラはそんな兵士達の様子にも構わず己の激情を吐き出すのだった。


「だから世間知らずの学生は嫌いなんだ! …あのバカ、ただで済むと思うなっ!」


 突然上がった怒りの声に、周囲の兵士達は怯える様に双肩を震わせていた。だって彼女は笑いながら人間を惨殺できる狂人なのだ。…そんな彼女を怒らせればどうなるか。


 想像しただけで足元から震えが来そうな話である。もし居合わせなどすれば終わりだ。


 それだけは絶対に冗談ではない。そんな事を兵士達は心中で思いつつ、全身から嫌な汗を拭き出しながら只管と敬礼を続けるのだった。

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