第4話 未帰還者


 その頃、ヴェインとカイスは本来一年生が受講すべき通常授業に出ていた。彼ら一年生が本来受けるべき授業は第二セクターの方で行われており、その日の午前中はラグマ・アルタの基本動作と飛行訓練をシミュレーション・ルームで小テストが行われる事になっていた。


 主だった訓練施設のほとんどは第一セクターに揃っているのだが、まだ訓練機に乗れるだけの操縦技術が備わっていない下級生達は、第二・第三セクターの方でシミュレーションや座学で知識と経験を積んでいき、それらの成績が一定以上になると進学する権利が与えられる。…まぁ早い話がそれ以下の者は留年。つまり一般的には赤点とも言うのだが。


 そうして二人は無事に授業を終えて、その日も第一セクターにある食堂の外にのんびり腰掛けて、暖かな日差しを避ける様にパラソルの下にあるテーブルの一つを陣取っていた。


 現在アキラは上級生が受ける実戦訓練に参加している。…でも昼までには大抵のチームが戻って来る為、彼ら二人はこうしてテーブルに腰掛けてアキラの帰りをのんびり待つ事にしたのである。その為か、二人の手元には何も置かれていない。アキラが戻って来てから食べるつもりなのだ。まだ時間は十分にあるから大丈夫だろうと考えての事だ。


 因みにヴェインの方は、相変わらずテーブルの上に立体コンピュータを展開して青白い光を発しており、無言でディスプレイを睨み付けながらキーボードを弾いている。


 言い忘れていたがこのコンピュータ、実はテーブルの端っこに置かれているクリーム色をしたクマのぬいぐるみが本体であり、そこから全てのデータが発信されているのである。


 つまりは、である。この掌サイズしかないクマのぬいぐるみがコンピュータなのだ。だが、それだけであればまだ良い。問題はそこではないのだ。


 この金髪碧眼で微妙に強面な顔をしたヴェインが、その可愛らしいクマのぬいぐるみを何食わぬ顔をして腰に下げて持ち運んでいるのである。…そして残念なことに、彼はそんな可愛らしいクマのぬいぐるみが似合うような男ではない。


 当然ながら、カイスは何度も指摘した。しかし、彼は一向に耳を貸さなかったのである。正直、かなり違和感のある光景なのだが。


 やはり違和感が…。そんな事をカイスが思っているとは露知らず、ヴェインは相変わらずコンピュータを相手に何やら苦い顔をしていた。


 可愛らしいクマのぬいぐるみを挟む様にして座る二人の男。…何とも微妙な光景が展開され続けて、一体どれだけの時が経った頃だろうか。


 流石にそろそろ時間が不味いかも知れない。カイスがそう時間を気にし始めた頃、反対側でディスプレイを睨み付けていたヴェインの表情が大きく強張った。


「? ヴェイン、どうし――」


 だがカイスの言葉は、突然騒がしくなった周囲の声によって遮られた。それまでのんびり寛いでいた筈の学生達が一斉に東の空を見上げていって、悲鳴染みた声を上げ始めたのだ。


「…おい、あれっ! 墜ちるんじゃないか?」


 すると別の者が青ざめた顔をして、動揺を隠さずに悲鳴を上げていく。


「冗談だろ。機体バランスが保ててないじゃないかっ!」


「教官達に報告しろ! …現地に向かう。消火器を掻き集めるんだっ!」


 この場の最上級生である三年生の男子学生がそう叫ぶと、周囲は弾かれたように慌てて動き出す。彼らはスクール内にある消火器を大慌てで掻き集めて、既に状況を察知しているであろう第一セクターの最上階にある管制塔へと走って行く。


 三年生と二年生が慌ただしく駆け回る中、一年生の者達はそれを傍観するばかりだった。下手に手を出せば邪魔になる。それが嫌というほど理解できたからだ。


 そんな光景をカイスは情けない想いで見つめていたが、そんな時、傍で聞こえていた筈のキーボードを弾く音が突然止んだ。


「…ヴェイン?」


 どうかしたのかと疑問に思ってカイスが問うと、そこには青ざめた顔をしたヴェインが居た。そしてヴェインは唇を戦慄かせながらカイスの問いに答えていく。


「…そんな、まさか――。やはりあれはアキラが所属する事になったチームだ!」


「っ!」


 想像すらしなかった言葉を聞かされて、カイスは声を発せず思わず息を呑んでいた。だがヴェインは再びキーボードを弾き出してしまい、カイスは何も出来ず、凄まじい速さで動くヴェインの手元を見つめて黙って待つ事にする。


 すると数秒と経たずにヴェインの指は動きを止めて、青ざめた顔色をそのままに何かを否定するように頭を振りながら言ってきた。


「間違いない。アキラのチームだ。スクールの管制塔が信号をキャッチしている。…だが」


 途中で言葉を止めるヴェインの様子に、流石のカイスも動揺を隠せず声を荒げていく。


「…何だよ、はっきり言えよ!」


 だが二人がそんな遣り取りをしている間にも、周囲の混乱は収まるどころか更に混乱が増していくばかりだ。そして学生達はそれぞれ消火器などを手にしながら「東ゲートだっ」「急げ、手が空いている者は救助に向かうんだ!」と叫びながら駆けて行く。


 彼らが向かう東の空からは、四機のラグマ・アルタが複数の細い煙を上らせながら地上へと不時着しようとしている所だった。


 カイスはもう居ても立っても居られず、声を上ずらせながらヴェインへと言っていく。


「僕らも行こうっ!」


 その言葉が号令代わりとなり、気付けば彼らもまた走り出していた。…まさかと胸が騒ぐ。東の空に見えた機影は四機だけだった。チームは通常五機で構成される。それなのに――。


 カイスとヴェインはある可能性が脳裏に浮かんでしまい、自分達の表情が硬く強張っていくのを止められなかった。…違うと、それを否定できなかったからだ。


 そうして学生達は消火器などを手に木々が生い茂った公園の中を抜けて行くと、彼らは近場にある消火設備へと手を伸ばしていき、全てのスプリンクラーを全開にして地面からホースを取り出して、不時着して火の手を上げ始めた機体へと四方から放水を始めていく。


 水量を上げろ。早くコックピットをっ! …そんな悲鳴が飛び交う中、学生達は険しい顔をしながら思っていた。


 異次元から現れる未確認生物であるガルーダを相手にする以上、常に死と隣り合わせとなってしまうのは仕方の無い事だ。…だが、帰還した全機がこのような有様となって戻って来たのは初めてだ。しかも未帰還者まで出して、だ。


 ここまで機体の損傷が酷いと、もうラグマ・アルタの自然治癒は機能しないだろう。損傷した機体の痛みをまともに受けた所為か、既に二・三人ほどのアルヴァリエは呼び掛けても反応が無く、激痛に耐え兼ねて意識を手放してしまっているのだと判る。


 やがて火の手が和らいでいくと、学生達は未だ収まらない炎の中を怯む事無く、それぞれ炎上する機体へと走り寄って行き、機体の足首に向かって装甲の下に隠れている操作盤を探し出して操作し始める。するとラグマ・アルタの胸元の装甲が上下二つに割れていって、中から虹色の卵型をしたコックピットが勢いよく外へと射出されていく。


 そして傍の人工芝生の上に落ちたのを見ると、学生達は素早く駆け寄って行って虹色の膜へと自らの両腕を捻じ込んでいき、膜の中からアルヴァリエ達を引っ張り出していく。


「…っ!」


 だが救助された四人の顔ぶれを見て、カイスは顔色を変えて息を呑んでいた。そして沈痛な面持ちで俯くヴェインを睨み付けてから、担架に乗せられようとしているアルヴァリエの一人に走り寄って行って、上級生達に持ち上げられて連れて行かれる担架を覗き込んでいき、朦朧としている相手を揺さ振りながら動揺をそのままにカイスは問うていた。


「先輩、アキラは…一年生のジルバードはどうしたんですか! …今日から先輩達と同じチームになったと聞いたのですが…アキラは、ジルバードはっ」


「……」


 だが相手はそれに答えず、苦々しい顔をして沈黙しただけだった。そして火傷や複数の傷を負った顔を更に陰らせていって、カイスと、そしてその後ろから近付いてきたヴェインを見つめてから、今にも泣きそうな顔をして声を震わせながら言うのだった。


「すまん。…いいや、謝って済む筈が無い。俺達は致命的な判断ミスをした。取り逃がしたガルーダを追って、俺達は絶対に踏み入れてはならない場所へと足を踏み入れてしまった。万一の時は即離脱するよう言われていたのに…それなのにっ」


「…え?」


 最上級生であるアルヴァリエから涙ぐんで言われて、カイスは言葉の意味が判らず呆然としてしまった。その間に相手は担架で運ばれてしまい、残されたカイスはただ眼を瞬かせるしかなかった。


 やがて心の動揺が収まっていくと、カイスは激情を堪える様に両の拳を握り締めていき、顔を俯かせて声だけをヴェインへと向けていた。


「さっき言い掛けた事、アキラの機体だけがレーダーに映ってないって意味だったんだな」


 するとヴェインは徐に頷いてきて、自らもまた視線を逸らしながら言うのだった。


「ああ、学生にも公開されているレーダーを見た。あいつだけが…居なかったんだ」


「何だよ、それ。…何だよ、それっ! …そんなのっ」


 カイスは悲痛に声を上げつつ歯切りするしかなく、血が滲むほど拳を握り締めて苦渋を浮かべていた。ヴェインの方は表情こそ平静さをどうにか保っていたが、その双眸は今にも泣きそうなほど潤んで揺らいでおり、悲しげに細められて東の空を見上げていた。


 互いに激情する心を必死で堪えて、何故と泣き叫びたいのを懸命に堪えていた。…互いに何も言えず空を見上げて、変わらずに在る青い空を見上げ続ける。


 いつの日かきっと、自分達もまた同じように戻れなくなる日が来る。いつか、絶対にだ。


 単純に早いか遅いかの話だ。…そう、ただそれだけの話なのだから――。

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