ジーク=フリード 再び
第1話 絶望の始まり
【ジーク=フリード】
その日はポカポカ晴れた陽気だった。正午の鐘が鳴り響き、待合室の患者にも助手見習いから昼食に『シッパクのささり焼き』が配られる。その香ばしい匂いと共に職場に訪れる束の間の安息。
さあて、俺も『シッパクのささり焼き』にありついて三日ぶりの休憩を――
「どこ行くんですか? ジーク先生」
扉の前に立ちはだかったのはオータム=アーセルダム。両腕を大きく広げてたたずむ様子は、端から見れば、まるで可憐な美少女がその両腕で優しく俺を包み込んでくれるように見えるのだろう。だが、なぜだろう……俺には鋼鉄のカーテンにしか見えないのは。
「えっ? なにって俺も『シッパクのささり焼き』食べに……」
「そんな時間ありませんよ。早くその患者さんの治療してくださいよ」
オータムは平然と言ってのける。視線の先にはベッドに横たわっている患者。
「いや、わかるよ。やるよ、俺は。治療する。でも、ご飯ぐらいいだろう?」
「駄目です」
えっ……
「いや、やるって言ってるじゃん? 五八時間不眠不休でさ。ご飯ぐらい――」
「点滴があるじゃないですか」
なん……だとっ。
シンジラレナイ。そんな天使のような微笑みを浮かべて……なんてことを吐く女なんだ。だいたい何回目の点滴だと思ってるんだ? これで、一二回目だぞ。
「そんなに焦ることないだろ! もうすぐ治療も終わりだし、命に関わる重傷の患者は優先的に治療した。ここにいるのは少しぐらい治療遅れたって大丈夫な患者だろう」
そう言い放つ俺の言葉に、手足の骨折した患者は恨みがましく俺を見てくる。
が、無視。
とにかく俺は『シッパクのささり焼き』が食いたいんだ。いや、食わせろよ! 大好物なんだよ俺は。三日食ってない分何度もおかわりしたいんだよ。
その時、扉が開いてサリー=ミリアムがひょっこり顔を出した。
『情報屋』と呼ばれている彼女が浮かべている表情。その瞳を爛々と輝かせている時は、大抵嫌な情報を知らせて来る時だ。
嫌な予感がした。もはや、確定的にいやな予感が。
「ジーク先生、オータムさん。セスダイ草原で戦があって三〇〇人の患者おかわりでーす」
……うわああああああああああああっ!
「もーいやだー!」
そう言いながら診療室の扉に向かって逃走を図るが、まるでそれを予測していたかのようにオータムがガッチリ俺を羽交い絞めにする。
「早く治療に戻ってください! あなたがやらなきゃ誰がやるんですか!」
「ぐぐぐっ……ロスだってザックスだって医療魔術師見習いたちだっているだろう! 他に頼んでくれ。もう俺は限界なんだよ。限界なんだ」
ロスは俺の弟で、ハッキリ言って俺より優秀な医療魔術師だ。同僚のザックスも医療魔術の腕はかなりのものだし、医療魔術師見習いだって育ってきている。
「そんなの、全員グロッキーであなたしかいないからに決まってるじゃないですか」
ええええええええええっ! ぜ、全員?
八時間くらい前から誰も見ないと思ったら。なんて……軟弱な奴らなのだろうか。それに引き替えオータムやサリーといった古参の助手はピンピンしている――ほんと恐ろしい子たちっ!
しかし、こいつは俺がグロッキーになることは考えないのだろうか。
「知らん! もう、知らんよ。いいからその手を離さんかい」
必死にオータムの手を振りほどこうとするが、尋常じゃないほどの力で俺の腰をホールドしている。
「離しません! 絶対に離さない。そっちこそ観念して治療しなさいよ」
そんなやり取りをしてると、患者がサリーの手引きで次々と入ってくる。
「ちょ……まっ……飯食わせろぉ――――――!」
・・・
大陸史にその名を刻む大争乱『ケシャ・マグル』が勃発し、すでに四年が経過しようとしていた。大陸の大半を占める、バカラ帝国とバーネストロ共和国の死闘。莫大かつ今なお増え続ける死傷者は留まるところを知らない。
理由? そんなものは、もう忘れた。
俺だけじゃない。互いに争っている者同士だって、もはや家族、友達、恋人を奪われた恨みでしかない。戦争ってのはえてしてそういうものだろう?
中立国家ノーザル。何年か前に腰抜け王族がこの地の自衛権を放棄したので、果たして国家と呼べるかはわからないが。
バカラ帝国にも、バーネストロ共和国にも属さぬこの地は、軍事的にも商業的にも非常に重要な価値を有しているがために、未だ両国の奪い合い晒されている。まぁー至る所で争う。『これでもか!』ってぐらい争う。
だから、診療所が足りない。全然足りない。医療魔術師の数も絶対的に足りていない。
つまりこうなのだ。
医療魔術が足りない→激務→医療魔術師やめてく→ますます足りなくなる→更なる激務
これを悪循環と言わずしてなんと言うのだろう。
しかし、少し前に弟のロスと優秀な医療魔術師であるザックスが加入。医療魔術師見習いも大量に雇って診療所の拡充。仕事量は一旦落ち着くと思われた。
しかし、戦乱はなお激しさを増すばかりで根本的な人手不足は解消されていない。今回の戦もかつてない規模だったそうで、五○○○人がこの診療所の門を叩く。すでに八〇時間は経とうとしているが、患者の列は途絶えることはない。
「おお……傷が一瞬にして。なんたる奇跡。九死に一生を得ましたわい。このご恩は決して忘れません。決して、決して」
老人が何度も何度も頭を下げる。
「……」
無視。
患者が気まずそうに出て行った後、オータムが俺の頭をツンと押す。
「はぁ……『いいえ、どういたしまして』とか言えないもんですかねぇ」
なん……だとっ。今、俺に言ったのか? 俺に言ったんだなぁ!
「ああああああああああっ! なんだってんだ! 今にも俺が死にそうなのにそんな台詞吐けるかぁ! あれから何時間経ってんだ! ああ、そうだよ二四時間経ってんだよ! ロスは? ザックスは? もうさすがに回復しただろう?」
「なに言ってるんですか。とっくに治療再開してますよ。でも、またあれから四〇〇人の患者が運ばれてきたんです。休むわけには――」
「知らんー! 帰れ―! もう、みんな帰れー!」
そう口にした瞬間、オータムの熱い拳が飛んできた。
途端に身体が数メートル吹き飛ばされて、豪快に壁へと叩きつけられた。側面への激痛と共に、口から血がポタポタ流れ出る。
「医療魔術師が……そんな事言うなぁ!」
「な……殴ったな! 八〇時間年中無休の俺を……殴ったなぁ」
しかも魔力込めて殴ったなぁ!
「あなたがいなきゃ患者さん死んじゃうでしょ! いいですか! ごちゃごちゃ言う暇あったら手を動かしなさい治療呪文かけなさい例えその身が朽ち果てるまで。いえ、朽ち果てても働きなさい」
おっ、恐ろしい……なんて恐ろしい女だろうか。
最早我慢の限界だった。いや、限界なんざとっくに突破して果てまで突き抜けていた。逃走を図ろうと窓を開いて飛び込むが、瞬間見えない壁に弾き飛ばされて地面に落下。
「ふっ、私たちが逃走防止策を怠るとでも。ええ、窓には二重三重と魔法壁を張り巡らしていますとも」
オータムは自信満々に言ってのける。
「ぐっそぉ! 破ってみせる、貴様程度の魔法壁なんざ俺が!」
そう言って張り巡らされた魔法壁に手を当てて解除呪文を唱える。
……かたーい! 超絶かたーい! なに、この無駄に強力な魔法壁は。
「落ちついてくださいジーク先生。もう、あと少しじゃないですかっ」
後ろから助手であるアリエ=クローザが抱きついてきて必死に俺を引き止める。
「離せーっ! ここから飛び出して『シッパクのささみ焼き』食べに行くんだ―!」
「アリエ、ほっときなさい。窓からの逃走はできないんだから。どうせ、助手たちに抱きつかれたくって騒いでる演技なんだから」
オータム……なんて冷たい女だろうか。まさに『鉄の女』と呼ぶにふさわしい。
「ふざけんな! お前なんて屈強な衛兵となんら変わんないじゃないか。そんなもんに抱きつかれたって辛いだけだわ」
思わずそう返した。
……瞬間、静寂があたりを包み込んだ。
アレ……なんか……雰囲気が……
「……誰の胸が屈強な衛兵と変わんないって?」
む、むね!
「お、落ち着け。言ってない。言ってないぞ俺は一言も。確かにお前の胸は小さいが」
「――ろすっ」
オータムが声が聞こえぬほど小さな声量で呟く。
「いやっ、でもさすがに男よりはあるし! 他と比べると可哀想だけど大陸で言えばそんなに――」
「コロスコロスコロスコロスッ―――!」
ぐわああああああああ――――!
「オータムさん! 落ち着いて下さい!」
そう言ってアリエが必死に止めた時には、すでにボコボコにされていた。
「離してー! アリエに……胸の大きなアリエに私の苦しみはわからないのよー! 私はこいつを殺す―! 撲殺するのー!」
はわわっ……どうやら逆鱗に触れてしまったらしい。
ちなみにアリエは普通でオータムは貧乳だ。
「うぐぐぐっ……わ、わかった! ある、お前には胸がある。大きくてうらやましい。これでいいだろう?」
「――ろすっ」
またしてもオータムが声が聞こえぬほど小さな声量で呟く。
「はぁ……はぁ……やっと落ち着いてくれたか。そう、別に胸のことを言いたかったんじゃ――」
「コロスコロスコロスコロスッ―――!」
ぐわああああああああ――――以下省略の展開だったぁ!
オータムに殴られながら今にも息を引き取ろうとしていた時、サリーが息をきらしながら駈け込んできた。
「ジーク先生! 大変です」
「……」
見てわかんねぇのかよ。こっちはもう大変なことになっちゃってんだよ。死ぬよ? このままだと俺。いい加減止めてくれよ誰か。
「恐喝、暴行、横領、無資格医療魔術、侮辱罪、詐欺、猥せつ………懲役一〇〇年で訴えられてます」
……ええええええええええええええっ!
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