第10話 そうだ、旅行に行こう
翌日の早朝。診療所の外を出ると、すでに馬車は手配されていた。周りを見渡すとオータムはいない。昨日のことがあって少しだけソワソワしているのは、俺だけだろうか。
「お待たせ……しました」
オータムの声がして振り向くと、思わず息が止まった。
淡い水色のワンピースは、その白く透き通る肌をこれ以上ないくらい際立たせている。普段見慣れないその可憐な姿に胸の鼓動が一向に治まらなかった。
その白い頬に少しだけ赤みがさしているのは、気のせいだろうか。
「じゃ、じゃあ行こうか?」
「は、はいっ!」
緊張しながらも、互いに馬車に向かって歩き出す。
どうしよう……こんな感じで馬車で二人っきりなんて。これでは、本当にデートではないか。
「……」
「……」
馬車に揺られながら一時間が経過。お互いに話をせぬまま時間だけが流れていく。沈黙の音が……やけにうるさい。
「ほ、ほら外見てみろよー」
オータムにそう言って窓を開けた。
――こ、こんな時に限ってなんの変哲もない。
「わ、わぁ。綺麗ですね」
そう言って、俺の横に来て身を乗り出すオータム。
風に乗ってその銀髪がなびく様子に思わず見とれる。
「……うん」
思わずつぶやいていた。
その綺麗な横顔をずっと見ていたい。そう思うのは俺だけだろうか。
ふと、オータムがこっちを見て目が合った。
なんとなく、距離が近くて慌てて互いに少し移動する。
オータムに形見のイヤリングをプレゼントしてから、その関係性は進むことはなかった。『忙しかった』、『たまたま二人きりにならなかった』。進まなかった理由をあげればいくらでもある。
でも思い返せば、そのどれもが違った気がする。俺も……そして恐らくオータムも、この先の関係に進むのが怖かったのかもしれない。
オータムとは、もう家族だ。長い間、一緒に過ごしてきてもう自分とは切り離せない存在であることは間違いない。
だからこそ、自分の感情がどう変わっていくのか確かめることができなかった。恐らくこの感情の先にあるのは、永遠の愛か永久の別れだけだ。
このままでいれば、少なくともオータムが離れていくことはない。家族でいる今のままならば、こいつとはずっと一緒にいられる。
それでもいいじゃないか……家族のままで……そんな風に思うのはやはり『逃げ』なのだろうか。
少し風に当たり過ぎたのか、オータムが肩をあげて両腕を組んだ。
「寒いのか? ほらっ、これ被りな」
そう言って側にあったブランケットを差し出す。
「い、いいです。一つしかないんだからジーク先生どうぞ」
「俺はいいよ、あんまり寒くないし。ほらっ」
「私だってそんなに寒くないです!」
……なんなんだその意味不明な強がりは。
「あーっ、もうわかった! じゃあこうすればいいだろう?」
立ち上がってオータムの横に座ってブランケットで俺とオータムを包んだ。
「……」
オータムは何も言わずうつむいていた。
スッと発せられる甘い香りと、少し当たる肩の感触に一瞬ドキッとしたのは内緒だ。
平坦な砂利道を馬車に揺られながら進んでいく。出発の時には会話もあったが、道中一〇時間以上もある。次第に会話がなくなって静寂の時間も訪れる。
普段、患者の治療で絶え間ない会話を繰り出しているので、こんな時間があることに不思議さを感じる。
隣のオータムを見ると、目がトロンとしていてウトウトしていた。
「眠いのか?」
「……いえ!」
そう言ってオータムは瞳を大きく開いてシャキッとする。
だから、なんなんだよその意味不明な強がりは。
「寝ていいんだぞ? 別になにもしないぞ」
そんな死の危険を冒すようなこと――とは、口が裂けても言えない。
「……だって、楽しみにしてたんだもん」
そう口を尖らせるオータムを見て、心がガクッとぐらついた。
――か、可愛い。
「ば、バカ野郎。もう少ししたらドロレサの街に着くだろ。一旦、そこで泊って観光でもすればいいだろ。だから、もう寝ろ」
「……うん!」
嬉しそうにオータムは目を瞑った。
普段見ることのないこの愛らしさに、思わず抱きしめたくなる衝動に駆られる。
隣にはオータムの整った横顔。サラリと柔らかくベッドを包む銀色の髪。大きくつぶらな瞳を覆い隠す瞼にシミひとつ無い上質なシルクのような肌。
スッとその柔らかい髪が俺の肩にかかる。すぐ横で寝息をたてている様子を眺めながら軽く頭を撫でてみる。
「……んっ」
そう声をあげて心地よさそうにする様子に思わず胸が絞めつけられる。頭にあった手は自然とそのまま、オータムの唇へ向かう。形のよい薄い桃色の唇。少し触れると柔らかな感触が指先に広がった。
『別に何もしないぞ』と吐いた先の発言が、いかに無力かを思い知らされる。
自分で自分のコントロールが利かず、その掌は自然とその頬を覆った。その少し暖かい感触。それに更に心の自由を奪われ、その唇に吸い寄せられる。
「おーい、兄ちゃんたちっ! ドロレサの街に着いたぞ」
そう運転手から言われ慌てて全身でオータムと真逆な方向を向く。
っぶなぁ―。今のは危なかった。
今にも心臓が飛び出しそうなほどバクバクしている、
「……んーっ、着きましたか」
そう言って大きく伸びをするオータム。
「どうかしましたか、ジーク先生?」
「全然! 全然なにもしてない。うん、なにもしてないぞ」
慌てて言い訳紛いなことを口にして急いで外に飛び出した。
ドロレサの街。ノーザルでも有数の観光地の一つで有名な温泉街だ。いくつもの名泉が湧き出ており、街のほとんどが観光で生計を立てている。また、豊かな自然でも、湯名でシサセルという緑光を放つ蟲が生息している事でも有名だ。
すでに、夕陽が暮れかけており街は薄暗かったが依然として街は賑わいを見せていた。
屋台が至る所に立ち並び、人々が往来している。
「賑やかな街だな」
「……ですね」
『観光を』と意気込んではみたものの、俺もオータムもそんなことあまりしてこなかったので互いにキョロキョロして落ち着かない。
「兄ちゃん! 一個買うてかんか? ホレ」
屋台の親父がそう言って、イカステロ飴を差し出した。
「……じゃあ、二個ください」
「二個? カップルなんじゃ。一個でいいんじゃ――」
「二個っ! 二個ください!」
急いでお金を払って店主からイカステロ飴を取り上げる。
「ホレッ」
そう言ってオータムに渡すと、嬉しそうに手に取って飴を舐めだす。
「ええっと……まずは宿を探すか」
そう言ってオータムの手を掴む。
「ちょ……ジーク先生……」
「はぐれないためだよ! こんな人ごみにいるんだから」
そう半ば自分にも言い聞かせながら仏頂面で歩きはじめる。
「……」
オータムは何も言わなかった。振り向けば、その表情を確認できただろうがなぜかその時にはそれができなかった。
やがて、街から少し離れた場所へ出た。無心で突き進んでいつのまにか、人気のない場所へ出てしまった。
「べ、別に二人っきりになりたかったわけじゃ……」
慌てて弁解しようと振り向くと、オータムの視線は奥に向けられていた。
「綺麗……」
振り向くと、無数のシサセルが緑色の幻想的な輝きを放っていた。あまりにも美しい光景に思わず魅入って呆然とする。
「ホントだな」
素直な気持ちが口から出た。普段は絶対に見られないような光景。そんな静かな時間にこれ以上ない贅沢を感じた、
「ジーク先生……」
オータムは俺の手を少し強く握って言った。
「……ん?」
「私……ずっとこんなことしてみたかったんです」
少し恥ずかしそうに呟くオータムに、手をギュッと握り返して答えた。
それから宿を探すために宿を巡るが、今は繁盛期らしく中々見つからない。何件か空き部屋があっても、そこには肝心な温泉がなかった。
「ジーク先生。私、別に温泉なくてもいいんですけど」
そうオータムがブー垂れるが、無視。
「温泉だ……温泉がなければ、なんのために旅に出たのかわからん」
「……医療魔術師試験のためだと思いますけど」
冷静なオータムのツッコみを無視しつつ、実に一三件目の宿に到着した。
明らかに年季の入った佇まい。まるで、旧ノアシュタイン城を思わせる風情を感じる。
宿の中に入ると、主人が出てきた。
「おや、お泊りかの?」
「温泉! 温泉はありますか?」
「ああ……うちは温泉宿じゃからの。ただし、こんよ――」
っしゃぁ!
「泊ります! 二人。よろしくお願いします!」
もはや細かい説明などはいらない。もう、泊るのは決定しているのだから。
「毎度」
意気揚々と階段を上がって、自分の部屋を発見した。
「じゃあ、明日は七時に出発な。おやすみ」
「あっ、ちょ……ジークせ――」
オータムがなにか言い終わる前に扉を閉める。
いよいよ……夢の温泉に……ふははははははは。
着替えを持って、主人に教えられた温泉へ直行した。
すぐに裸になって浴室へ入ると、そこには誰もいなかった。
すなわち、温泉独り占め状態。自分が選んだ宿が実はこんな穴場だったとは……この至福の心地を噛み締める。
もちろん、マナーを忘れない。俺は、いい温泉野郎だ。かけ湯を十分に行ってまず身体を清める。例え一人でもそう言った気遣いを見せるまさしく紳士そのものだ。
そして、ゆっくり湯につかる。お湯加減……よしっ。広さ……申し分なし。景色……最高。間違いない、ここは、特Aクラスの、温泉だ。
フーッ……満足満足。
そう、足を広げて温泉を堪能していると、遠くから足跡が聞こえる。湯気で視界がよく見えないが同じ温泉仲間であることは間違いない。
裸一貫の付き合い。これこそ、温泉旅の醍醐味であーる。
チャプ……
近くで湯に浸かる音がした。
すぐさま、立ち上がってその音がした方に近寄って行く。湯気で視界が見えないが、比較的若い人のようだ。
「おいっす! いやー、いい湯だな」
そう言ってその男の隣に座ると、びっくりして逃げようとする男。 逃がさん!
その腕を掴んで逃走を阻止。
同じ温泉好き同志、互いにこの幸せを堪能しようではないか。
……しかし。
「腕細いなぁ君は。身体つきも女の子みたいに華奢だし。肉食べてるかぁ? でも……それにしちゃぁ胸板は立派だな」
そう言ってポンポン胸を叩く。
「なっ、なっ、なっ……」
「声色も高いなぁ。まるで女の子みたいな……」
その時、湯気が若干晴れてオータムが真っ赤な顔をして佇んでいた。
その夜、いつもより、ぐっすり寝れました(瀕死)。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます