第13話 うわああああ
ハッキリ言って、もうジーク先生は落ちればいいと思っている。この人の医療魔術師としての腕に惚れこんだが、長い間診療所に隔離されていたからか、あまりにも一般常識と教養が無さすぎる。
一度くらい痛い目にあったほうがいい。医療魔術師とは何たるか、まずはそれを学んでもらいたい。
まあ、このまま行けばジーク先生はめでたく『ビジター』の試験に落ちて医療魔術師資格を剥奪されるだろうが……
「なあ、ザックス。何のメニューがおいしいと思う? 俺さ、リウチ産シリル貝のリゾットなんていいと思うんだよなぁ」
「……」
知らん!
あまりにも腹が立ったので、食事中は一言も口を聞かないでやったが普段から孤独に慣れている性格なのか全然気にも留めずに食堂の食事を楽しむジーク先生。
まあ、せいぜい最後の晩餐を楽しむがいい。
そうか……とうとうジーク先生の医療魔術師免許が剥奪されるのか……
オータムさんは怒るだろうな……他の診療所のみんなだって呆れるだろうし、言わずもがな患者だって――
……アレ……あの患者たち……どうすんだ。
ふと思い浮かんだ考えに鳥肌が止まらない。
やばい……あの患者数相手にすんの? ジーク先生抜きで?
「うわあああああああっ! ジーク先生ジーク先生ジーク先生!」
「く、ぐるじい……どうじだんだザックズ……」
思わず取り乱してジーク先生の胸ぐらを掴む。
冗談じゃない! とてもじゃないが、あの患者数をロス先生と受け持つ自信なんてない。
「どうしたもこうしたもないですよ! このままじゃ落ちちゃいますよ試験!」
「大丈夫だって」
「何がですか!」
今のところ大丈夫な要素なんて何一つ存在していない。
「だから言ってるだろう? 実技で二〇〇点取れば――」
「阿呆ですか! 一〇〇点満点のテストでどうやって二〇〇点取るんですか!」
「えっ……だって俺って実技得意だし、ビジターぐらいの医療魔術師よりも軽く一〇〇倍ぐらいは自信あるし――」
「そんなものは関係ありません! ルールなんです! 一〇〇点満点と言うルール! 規律! わかりますか? 一〇〇点より大きい数字が存在しないんです!」
「……マジで?」
「嘘ついてどうすんですかこの野郎!」
「ま、まあちょっと落ち着こうよ。そんなに慌ててないでダージリンティーでも一杯――」
「誰のせいだと思ってんですか!?」
あんただよ! 全部あんたのせいなんだよ!
「そんな言い方するなよぉ。俺だって被害者なんだから……」
ク……クズ野郎。
「ビジターの試験をギリギリになって受けるのも、全然勉強してこなかったのも全部自業自得です!」
[ま、まあまあ。そんな事より今はなんとか状況を打破する手を考えないと」
あんたが言うな! と言いたいところだったが確かに今は自分の感情をぶつけている場合ではない。
ジーク先生のビジター試験の如何で、数万……いや数十万の患者の命運が決まるのだ。それを意識した時、重くのしかかってくる責任……なぜか俺が。
かと言って何かなど策はあるのか……もう三〇分もすれば試験が始まる。劇的に点数を上げる方法なんて――
――いや、一つだけ存在する。
不正……と言うか、もうそれしか思い浮かばない。
……ザックス=リバー。二六歳。医の道に殉じて二〇年。名門フィレール医療魔術学院を首席で卒業。この魔術研究所で働いて異例の若さで昇進。次期魔術研究所所長候補と呼び声高かった……ロス先生が現れるまでは。
いや、彼を恨んではいない。何故なら、俺は正々堂々と挑み競って負けたのだから。正々堂々……ザックス=リバー……俺はいつだってそうやって生きてきた。
そんな俺が……不正をさせる!? いや、いやいやいや。ありえないだろう。そもそもさっき自分自身で「不正行為をした者は誰でも失格と」言ったばかりではないか。
「なあ、ザックス。このリウチ産シリル貝のリゾット上手すぎるんですけど」
こんの……能天気男がぁ!
「あんた状況わかってんですか! このままじゃ医療魔術師免許剥奪されるんですよ!」
「い、言われなくたってわかってるけど今更どうしようもないじゃないか。なるようにしかならないって」
そう言いながらダージリンティーを心底おいしそうに口にするジーク先生。
……シンジラレナイ……あきらめやがったこいつ。
責任とはたしてなんであるかこの男に小一時間掛けて説教したい。
いや落ち着け。まずは、先ほどのテストが何点だったか把握してからでも遅くはない。そもそもサイコロ振ってたんだから確率は六分の一だ。少なくとも平均三〇点……いや二〇点あれば実技などで九〇点以上取れば――
……5点だよちくしょう。
もはや、方法は一つしかなかった。不正を行って点数を取らせる。幸い、マークシート方式だったので、次の物理魔学試験で答案を用意した。幸い、ジーク先生は目的の為なら手段を択ばないタイプだ。躊躇などある訳もなく、了承するだろう。
仕方ない……何千何万の患者のために、俺の自尊心など……何度も何度もそう言い聞かせる。
その時、オータムさんがひょっこり顔を出した。
「あの……ジーク先生は?」
バツの悪そうにモジモジしているのはなぜなのだろうか。
「……あそこで、優雅にダージリンティー飲んで貴族の真似ごとしてますけど」
「あ、ありがとうございます。その、これを渡して欲しいんですけど……デザートで……」
そう言うと、オータムさんは綺麗にラッピングされた小箱を差し出した。
「これは?」
「そ、それは普段の感謝の気持ちからで……その……特に深い意味は……ごにょごにょ」
顔を真っ赤に染めながらうつむくオータムさん。
なんだ、この二人は。まだ、付き合ってなかったのか。
「オータムさん。別に照れないでいいんですよ」
二人が両想いなことなんて診療所中が理解している。
ただ、バリバリ独身な俺にまで持ち込んで欲しくなかったが。
「て、照れてなんか……でも、私チョコアレルギーだから美味しいかどうか自信なくて」
なんだこのツンデレパターンは。知らん……心底知らんよ。
「そんな味とか。不味くったって食べますけどね普通は」
そう言うと、オータムさんは嬉しそうに頷いた。
「ジーク先生! こっち来てください」
「ちょ……ちょっとザックス先生」
「余計なお世話だと思いますがね。こういうのは自分で渡した方がいいんですよ」
と言うか、こんなことしてる場合じゃないんですけどね。
・・・
「オホホホホホっ、オホホホホホホホホホ」
な、なんなんだ……なぜチョコレートが笑っているんだ。
「その……普段から……色々と感謝していると言うか……決して深い意味は……」
オータムさん……そんな事より……なぜチョコレートが笑っているんだ。
「オホホホホホっ、オホホホホホホホホホ」
そう不気味な高笑いを浮かべているチョコレートにはなぜか顔があり、全ての不幸を背負って絶望に暮れた末に発するやさぐれた笑い顔を浮かべていた。
「……ははっ、変わったチョコレートだねぇ」
ジーク先生はなんとかそれだけ答えた。
「エへへ……料理上手のサリーにアドバイスしてもらったんですよ」
あの……小娘。世の中にはやっていいことと駄目なことがあると、小一時間説教してやる――ジーク先生は、そんな表情を浮かべていた。
「おまっ……それよりも……味見はしたのかい?」
そうジーク先生が引きつった笑顔で尋ねる。
せめて味見してれば……外見は目を瞑って耳を塞げば。
「それが私チョコアレルギーなんです」
そーゆー問題じゃない気が……せめて誰かに毒見させればよかったのに。
「ふーん……そーなんだー。ふーん」
ジーク先生はチョコレートを持ちながらビターな笑みを浮かべている。
……もはや猛毒は決定。
「うわーっ、おいしそーだなー」
そう言ってジーク先生は笑うチョコレートを手に取った。
「オホホホホホっ、オホホホホホホホホホ」
チョコレートは笑っている。
「じゃあ、たべよっかな」
頑張れジーク先生。今までこんな修羅場は何回も超えてきたじゃないか。笑え、笑ってこのチョコレートを食するのだ。
恐る恐る口に近づけて、ジーク先生は歯をそのチョコ(顔)に突き立てた。
「ぎゃああああああああああああああ!」
瞬間、チョコ(顔)が苦悶の表情を浮かべた。
「うわあああああああああああああっ! 食えるか―こんなもーん!」
ジーク先生は笑うチョコレートを机に置いた。
「ひ、酷い……」
オータムはうつむいて呟いた。
「酷くねえよ! 見ろよ、命籠っちゃってんだよ! 俺を殺す気か!」
「なにをやってるんですか! オータム姉さま泣いちゃってるじゃないですか!」
どこから女の子たちが駆けつけてオータムの頭を撫でる。
「……君たちは?」
「私たちは、オータムお姉さまのファンです」「です」「です」
どうやら、医療魔術師試験官を何人もノックアウトした光景を見て、彼女を崇拝する者たちが現れているらしい。
「そんな事言ったってこんなチョコ……いや、もはやチョコじゃ……」
ジーク先生は必死でそう言い訳するが、即座に女の子に取り囲まれていた。
「食べなさい! 女の子が一生懸命作ったものはたとえ猛毒でも食べなさい。いえ、むしろそれで死になさい」
な、なんてことを……
「そーよそーよ!」「オータム姉さま可哀想じゃないですか」「食べなさいよろくでなし」
女の子たちが口々に罵倒しながらジーク先生を羽交い絞めにした。
「ちょ……お前ら……やめっ……ぐわああああああっ!」
・・・
結論から言うと、物理魔学の時間はずっとトイレに籠っていて不参加だった。
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