第34話 サリーの日記三度①
<サリー=ミリアム>
「アリエ、お休み」
「はい、お休みサリーさん」
そう言いながらアリエが部屋に入って行った。私も自分の部屋に入って椅子に座った。お気に入りの万年筆を片手に、日記帳を開いた。
――さぁて、日記書かなきゃ。
『今日は陽気が気持ち良かった。こんな日は決まってジーク先生が逃げ出す算段を立て、オータムさんが断固阻止するというのが恒例の行事だ。しかし、最近労働環境が改善されてきたのか、今日は一向にそんな様子が無い。
――と、見せかけて! ってことがあると予想し必死に監視するオータムさん。
「サリー、見張っといて。あいつ絶対に逃げ出そうとしてるから。こんな日が一番怪しいから」
「はいっ! 私、今日は窓が怪しいと思うんですよね」
そうジーク先生の逃亡阻止計画をオータムさんと話していると、
「オータム、あのさぁ――」
とジーク先生がやって来た。
「駄目ですよ患者が待ってるんですから」
オータムさん、先生まだ何も言ってないのに。
「何言ってんの? 明日ってどうする?」
あらっ、明日? 脳内の辞書を目いっぱい回転させた――確か、明日って新助手の面接日だったっけ……
「えっ! もしかして覚えててくれたんですか?」
オータムさんは嬉しそうに答えた。
どうやら新助手面接の事ではないみたいだ。
「え、うん。一応ね。シフトもあるからアリエとザックス、あとオータムでやろうと思ってるんだけど」
――ガーン! なんか知らないけど私、外されてる。
「いや、本当にありがたいですけど、集まって貰うほどのことでは……」
なぜか照れているオータムさん。
「じゃあ、俺とオータムだけでいいか?」
「ええっ! は、はい! わかりました」
「時間は……19時くらいでいいかな?」
オータムさんは本当に嬉しそうに答えた。
「……わかりました。楽しみにしていますので」
「えっ? ああ、楽しみだよな。じゃあそういうことで」
オータムさんが嬉しそうに部屋を出ていった。
――あれっ、オータムさん、ジーク先生を見張るんじゃないんですか。
・・・
昼休憩中もオータムさんのニコニコは続いていた。
「オータムさん、何かいいことあったんですか?」
情報屋としては知らぬ行事などあってはならないところだ。
「えっ! いやその、あはは。ジーク先生が忘れないでくれてたのが嬉しくて」
「明日のことですか? その日って何の日でしたっけ?」
この喜びよう。絶対に新助手の面接じゃない。
「いや……完全にプライベートなことなんだけど、明日は私がこの診療所で勤めてちょうど10年目なのよね」
これで合点がいった。私が知らなかったわけだ。私は5年前、アリエは3年前にこの診療所に来たから。でも、今までそんなことやってなかったのに。
でもまあ、10年って言ったら節目か。そう独りで納得する。
「でも、そんな日を覚えてるなんて、ジーク先生やりますね」
――らしくない。と言うより、そんなに気が回るジーク先生なんて、ちょっと信じられない。
「……まあ、なんにしても嬉しいですよね」
「うん!」
オータムさんは無邪気な声でうなずいた。こんなに嬉しそうな顔のオータムさんは久しぶりに見た。なんだかこっちまで嬉しくなってきた。
その後、ジーク先生にちょっかい掛けてやった。
「ジーク先生! オータムさんの記念日を覚えてるなんて、ジーク先生も中々やりますね」
「記念日? 何の? 誕生日なら覚えてるけど」
「えっ! だって明日ってオータムさんがこの診療所に働いてちょうど10年目の日でしょ?」
「……何それ? 新助手の面接日じゃ」
やっぱりこの先生にそんなデリカシー求めても無駄だ。オータムさんがガッカリしないように一から順に説明した。
「そうかぁ。だからオータムと話した時、嬉しそうにしてたのか……」
淡々と言ってのけるジーク先生。
「なんでそんなに冷静なんですか? このままじゃオータムさんがっかりするじゃないですか!」
「しょうがないじゃん、勘違いなんだから! 正直に話せば分かってくれるだろ」
ジーク先生はそう言って部屋を出て行った。
客観的な視点からいけば、確かに今回の件はオータムさんが勝手に勘違いしただけだ。結局、それしかないかなと思いつつジーク先生の後を尾行した。
オータムさんの部屋に入ると、顔面蒼白なジーク先生がそこにいた。オータムさん本人は不在だったが、いかにも高級そうなドレスが綺麗にハンガーに掛けられていた。
――買ったんだ……新調したんだオータムさん。
「どうしよう……めちゃめちゃ気合い入ってる」
ジーク先生が震えながら、呟いた。
これは、大変なことになってしまった。
「どうするんですか? どうするんですか!? どうするんですか! オータムさんめちゃくちゃガッカリするじゃないですか!」
「でも……だいたいそんな日覚えてるわけないじゃん!」
――最低です、先生。
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