第17話 オータムさんの憂鬱①
目が回るほど忙しいという表現が48時間前だったとすれば、156時間後の今は死ぬほど忙しい。
ジーク先生の体力も正直限界に近い。セザール地方で3000人の患者がこの診療所に向かっていると聞いた時、ジーク先生はその場に倒れ込んだが、私も片膝くらいはついた。
いつも平然としているサリーも引きつっていた。1000人ぐらい治療した頃、アリエの体調が悪くなり離脱。1500人ぐらい治した頃、サリーがぶっ倒れて離脱。点滴を打ちながらアリエが復活。1800人に到達した時、私がジーク先生に隠れて一時間休憩。サリーがこっそり復活。やっと2300人まで来た。
恐ろしいのはジーク先生の体力。何だかんだ言ってこの人は治療をやめない。手を動かすことをやめない。うざいほどごねるがやめない。やめさせない。やっぱり凄いなこの先生は。
「おお! 息子のひどい火傷が跡形もなく……先生なんとお礼を言っていいやら」
治療された老人が深々とお辞儀をした。
「さっさと帰れ! 亡命して2度と戻ってくんな、次!」
――前言撤回。見直して損した。
「先生! いくらなんでもひどすぎませんか? せっかくお礼を言ってくれているのに」
そう言うと、尋常じゃなく乾いた目つきで睨まれた。
――な、何よなんか文句あるわけ。
「その理由を教えてやろうか? それは、俺が156時間不眠不休だからだよ! 3000人は無理だって! 3000人は無理だって! 3000人は無理だって! このままじゃ本当に発狂しちまうよ! 次の患者連れてこいよ!」
それについてはいささか悪いとは思っています。でも、受入要請を拒否するなんてことできないし……いくらジーク先生といえど、3000人は1人でこなせるような数ではない事は薄々わかってた。助手は3人でローテーションしているが、すでに2人ともグロッキー状態だ。ジーク先生の顔も殴りまくってもはや原型をとどめていない。
「次って言ってんだろうが! 患者連れてこいよ!」
――なんだその口の聞き方は! とは言えなくなってきたなぁ。さすがに今それを言うと殴られる自信がある。
その時、サリーが息をきらして入ってきた。彼女は大抵嫌なニュースしか運んでこない。というか、まだこれ以上嫌なニュースがあるのか。
「帰れ! もう聞きたくない。俺はもう受けんぞ。これ以上の患者は受けん」
耳を塞いで背を向け始めた。
「あの、ロ――」
「わああああああああああ!」
ジーク先生が大声を出しながら、目を瞑って耳を塞いで更に大声をあげた。
――ああ、もう駄目かもわからんね。
「違うんです。この人が助けに来てくれたんです」
入ってきたのは……ロスだ。な、なんであんたがここに。
「兄さん、あとは僕がやるから。安心して休んでくれていいよ」
そう言いながら、ジーク先生の肩を叩くロス。しかし、大声をあげながら耳を塞いで目を瞑っているので気付かない。
――ふぅ、仕方ない。
「こういう時はこ・う・す・る・の・よ!」
そう言いながらみぞおちを本気で蹴りあげた。
「ぐっぐぐぐぐぐ……蹴ったなぁ! 2300人治療したこの俺を」
「聞きなさいって。ロスがいるんだから」
みぞおちを抑えながらジーク先生がロスを確認した。
「ロッロロロロス!? お前なのか? 本当にお前なんだな!」
「ただいま。今まで1人にさせて本当にごめんよ」
これ以上ないくらい熱い抱擁をジーク先生がロスに繰り出した。そして、即座にそのまま倒れこみ、爆睡した。とりあえず、ジーク先生は放置。
「ロス……」
この診療所を出て行ったのは5年前。ちょうど争乱が激化する1ヵ月前だった。
それまで、戻ってこれなかったとは言わせない。普通の人だって1年に2回は帰ってくる。ロスは1度たりとも帰ってこなかった。
「オータム……ただいま」
何回も手紙を書こうとした。『帰ってきて』って手紙を。でも、ジーク先生が絶対に呼び戻すなって言ってたから……勉強の邪魔しちゃいけないって。だから、ずっと待ってた。ひたすら。でも、帰ってこなかった。5年も。
「『今更どの面下げて帰ってきた!』って言いたいとこだけど……今の状況じゃ受けいらざる負えないわね」
そう言うしかない。助手のサリーもロスの帰還に素直に喜んだ。
それからの治療は圧巻だった。ジーク先生と同じスピードで治療していく。まったく変わらない手際で、魔法力で治療するロス。間違いなく同レベルの魔力、医療技術を持っている。
やがてジーク先生が起きてきた。長年の酷使で、長時間眠れない体になっているらしい。
「まだまだ寝てていいのに。しばらくは僕に任せて自由にするといいよ!」
いや、できれば手伝っていただけると私たちも早く終われるんですけど。
「ロスぅ! お前はなんていい弟なんだ」
ジーク先生はロスにハグをして、外へ出ていった。
「兄さんはどこへ行ったんだろ? てっきり寝ると思ったんだけど」
「多分、恋人のところにでも行ってるんでしょ」
いや、絶対ラーマさんのところだな。1回食事に行ったっきりだったからなぁ。もう愛想つかされていてもおかしくはないが。
「恋人? 今、兄さんには恋人がいるの?」
「だから、そう言ってるでしょ!」
「じゃあ、オータムは?」
「……仕事しろよ! バカロス」
「ふーん! そっか……」
カーテン越しにサリー、アリエがカーテン越しで聞き耳をたてていた。
――気配でわかるんだよお前らは。
「えぇっ! 何、この三角関係!」
アリエが興奮気味で呟く。彼女は助手の中では一番後輩に当たる。
「まあ、オータムさんにも色々あるからねぇ」
サリーがしみじみと答えた。
「あのぅ……」
患者さんがほそーい声で言う。
「ちょっと待っててくださいね今、いいところだから……でロスさんはオータムさんのことを? あっ! もしかしてロスさんが突然出ていったのってそれが原因じゃ」
2人して話に夢中になっていると、「た、たふけへぇー」とベッドの患者が死にそうな声で彼女たちに声を掛けていた。
見かねて、カーテンを開けて2人の頭をコツンと叩く。
「い・い・か・げ・ん・し・な・さ・い。早く連れていかないとこの患者さんの呼吸が止まるでしょ」
――はぁ、助かったけど憂鬱が1つ増えたなぁ。
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