第3話 ドーピング疑惑
・・・
七二時間が経過した……もう……無理だよ。
「もう嫌だ嫌だ嫌だぁ!」
立ち上がって窓から逃走――しようと思ったが、助手(あくま)たちが事前に仕掛けていた魔法壁に阻まれて弾き飛ばされた。そのまま寝転がっていることすら許されず、助手二人に手慣れた様子で持ち上げられ、再び患者の前に連行された。
「あと二〇〇人じゃないですか! あなたがいなければ死んじゃうんですよ!」
ああ……駄目だ。もう何も思い浮かばない。
「もう寝たい! 俺は寝たいだけなんだ! なんで俺だけ……なんで俺だけこんな目に遭わなきゃいけないんだ! 俺はただ寝たいだけなんだ!」
その時、オータムが手を優しく俺の顔に添えジッと目を見つめる。
綺麗な顔立ちに思わずみとれ、不可思議な輝きを放つ青の瞳に 思わず吸い込まれそうになる。そして、頬から伝わる手の感触が優しくて……それだけで眠り落ちてしまいそうで――
「あなたは医療魔術の大天才だからでしょう! ジーク先生、いいですか? よく聞いてください。絶大な魔法力、天才的な判断力、膨大な経験……全てが備わっているあなたしかこの数の患者は救えません。それを誇りに思って最後までやり遂げなさい!」
――やっぱりやらせるんかい!
「もういいっ! 次の患者はとりあえず一発殴るからな絶対殴るからなぁ。次!」
数分後、オータムが連れてきた患者はちっちゃくて可愛い女の子だった。
「ナーヒちゃん五歳です!」
――ぬあぁぁぁぁ!
「大人の男連れてこいや! こんな可愛い子殴れるわけないだろうが!」
殴っても支障ない奴! 軽傷にも関わらずこの診療所にきてるムカつく男を今すぐに連れてきてくれぇ。
「ナーヒちゃんが怯えてるじゃないですか! 早く治療してください!」
ふ……ふふふふふ……うふふふふふふふふふ
・・・
九六時間が経過し、とうとう助手のサリーもアリエもダウンした。三人シフトとは言えど、一人の人間がこなせる仕事では確実にない。よくやってくれたと思う。誰も助手たちを責める権利などない。
「ジーク先生……あと、あと一〇〇人です!」
オータム、そして君に俺を責める権利など無いよな。もうやめよう。
「誰か、誰か俺を殺してくれ!?」
そう口にした瞬間、オータムの辛辣な蹴りが飛んできた。
途端に身体が呼吸を忘れ、重力に抵抗できずに地面に吸い込まれた。それから何度も何度ものたうちまわりながら、痛みが引くのを必死に耐えた。
「しっかりしろぉ!」
「ぐっ……ぐぐぐぐぐっ……蹴ったなぁ! こんなに頑張っている俺を!」
しかもみぞおちを蹴ったなぁ。
「いいから早く手を動かしなさい治癒呪文かけなさい半分殺してやるから全ての患者を治療しなさい」
オータムは俺の胸ぐらを掴んで迫った。
追ってくる……例えこの女は逃げても地の果てまで追って俺に治療させる気だ。なんて恐ろしい女。
「そいつら、四日前から死んでないんだろ! じゃあもう大丈夫だろ!」
「私たちが魔法で出血を抑えてるからでしょ! というか知ってるでしょ! あと一〇〇人なんだから黙って一心不乱に忠実に治療しなさいよ」
いや知ってるよ……君たちが超絶優秀な助手ってことぐらい。
この助手たちは重軽傷を瞬時に選別し、軽傷なら応急処置魔法で即座に治療してしまう。重傷の場合は呪文で怪我の進行を遅らせ、危険度に応じて患者が俺の元まで来るよう段取りをする。いくら俺が超優秀な医療魔術師でもそう言った段取りが無いと、今頃は死者の海だろう。この診療所が死者を出さない『奇跡の診療所』と呼ばれているのは彼女たち、白衣の悪魔がいるからだ。
わかってる。わかってるけどっ! 初めて俺が死ぬかもしれないよ!?
「もう魔法力も気力も判断力も出てこないよ……本当だよ、誰か助けてよ……」
そう、ふらふらしているとオータムが大きくため息をついた。
「しかたない……これはやりたくなかったけど……」
オータムがいかにも禍々しい色の液体が入った注射器を取り出した。
こ……いつ……まさか――
「……嫌だ! それだけはやめてくれ……いっ嫌だ――」
それからどう治したのかは記憶がありません。
・・・
一〇〇時間後、頭の中に微かに聞こえてくる声。
「ジーク先生! 全員終わりました」
その声はオータム。その声を聞いた途端身体から力が抜けた。
もう……駄目だ……
力尽きて膝から崩れ落ちた。
「……どうします、コレ?」
薄れゆく意識の中で聞こえてくる周囲の声。
サリー……コレ呼ばわりとは何事。
「ふぅ、しょうがない」
そう言ってオータムは俺の腕を彼女の肩に降ろさせた。
フッと身体が宙に浮いたと思うとオータムの柔らかな髪と透き通るような肌が目の前にあった。あの華奢な身体に大の大人一人をおぶるだけの馬力があることが今でも不思議だ。
彼女から発せられる甘い匂い、そして意外にも柔らかな彼女の身体に思わず眠気が誘われる。
「重くないですか、オータムさん」
「ううん……大丈夫だから」
そう普段出さないような優しい声で俺をおぶるオータム。
ベットに到着し、ゆっくりと俺の身体がベッドへ密着していった。
さすがに疲れたのかトスンと隣に座る音が聞こえた。
「……ジーク先生、起きてますか?」
「……」
起きていたら、恐らく怒られるだろうから何も言わない。
「お疲れ様でした……いつもひっぱたいちゃってごめんなさい」
そう言ってオータムは俺の頬を柔らかい掌で撫でた。
『ひっぱたく』と言うよりは『殴りつける』という表現の方が適切にも思うが、今は寝ている提なのでそんな風にツッコむわけにもいかない。
「……」
いつもは吐かない優しい声、そしてオータムの掌の感触の心地よさに胸の鼓動が大きくなるのを感じた。
「……私もちょっと寝ちゃおっかな」
そう言ってオータムは同じベッドの空いているスペースに横になった。
スウ……スウ……
程なくして寝息が聞こえてきた。ほのかに香ってくる甘い匂いで感じられるオータムの存在になぜか高っていく鼓動。
うっすらと目を開けると、すぐ真向かいにはオータムの綺麗な顔があった。形のよい薄い桃色の唇。サラリと柔らかくベッドを包む銀色の髪。大きくつぶらな瞳を覆い隠す瞼にシミひとつ無い上質なシルクのような肌。さっきから何度も瞼を閉じようとするが、横で寝息をたてているオータムが気になってどうしても目が離せない。
「……オータム、起きてるか?」
思わず小さな声で尋ねる。
これ以上こいつの顔を見つめていたらどうにかなってしまいそうだった。早いところ起こして眠らなきゃーー
「……う、うーん」
突然、オータムのスラリとした手が伸びて俺の首に巻きついた。
「ちょ……」
不意に近くなるオータムとの距離に思わず声を出そうとしたが、それ以上声が出ない。最早頬がすりつくほどの距離に横顔があり、その細く長い右足が俺の足と交差する。
小さなオータムの息遣いが耳元に掛かり、思わず全身が硬直してしまう。
もう我慢の限界だった。
スッとオータムの華奢な肩に手を添えて、真正面に寝かせた。
「オータ――「オータムさーん! アレどこにありましたっけ――」
さ、さ、サリー!
その声に反応し、オータムがパチッと目を開いた。
「なっ……なっ……なっ……」
オータムの頬が真っ赤に紅潮して取り乱す。
「いや……ちょ……まっ……」
この後、違う意味でぐっすり眠れました(瀕死)
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