第2話 眠れぬ医師
大陸史にその名を刻む大争乱『ケシャ・マグル』が勃発し、すでに四年が経過しようとしていた。大陸の大半を占める、バカラ帝国とバーネストロ共和国の死闘。莫大かつ今なお増え続ける死傷者は留まるところを知らない。
理由? そんなものは、もう忘れた。
俺だけじゃない。互いに争っている者同士だって、もはや家族、友達、恋人を奪われた恨みでしかない。戦争ってのはえてしてそういうものだろう?
中立国家ノーザル。何年か前に腰抜け王族がこの地の自衛権を放棄したので、果たして国家と呼べるかはわからないが。
バカラ帝国にも、バーネストロ共和国にも属さぬこの地は、軍事的にも商業的にも非常に重要な価値を有しているがために、未だ両国の奪い合い晒されている。まぁー至る所で争う。『これでもか!』ってぐらい争う。
だから、診療所が足りない。全然足りない。医療魔術師の数も絶対的に足りていない。
つまりこうなのだ。
医療魔術が足りない→激務→医療魔術師やめてく→ますます足りなくなる→更なる激務
これを悪循環と言わずしてなんと言うのだろう。
患者は戦争に巻き込まれた一般市民たちばかり。
争ってる者たちはいい。自業自得で勝手に死ねば。だが、その巻き添えになるのは日々を一生懸命生きてる人々。
彼らがその戦火に巻き込まれ、大群となって診療所の門を叩く。
「ジーク先生、さっきから何をボーっとしてるんですか? 次の患者呼びますよ」
手を止めずにオータムが口を挟んだ。
断っておくが、さっきから俺はボーっとしてるのではなく意識が朦朧としているのだ。それでも、自動的に手が動き、魔力を放出し治療を行っている。
「天才過ぎると言うのも考えものだな」
思わずそうため息をついたが、助手が忙しすぎて誰も構ってはくれない。独り言を言ったみたいになり、照れ隠しに自身で苦笑いを浮かべる時、死にたくなる。
助手は三人。基本的には俺と助手二人のシフトだ。助手は一日一八時間勤務、休みは月に一回程度。よく辞めずに働いてくれるものだといつも感謝しているが、たまにやめてくれたら俺もやめられるのにとも思う。
助手一人目。オータム=アーセルダム、通称『鉄の女』。透き通るような白い肌、不可思議に輝く青の瞳、艶やかな銀色のショートヘア、神々しいほど整ったシルエット、まさに天使の外面(がわ)を持つ美しさと言える。しかし、その天使の優しさ、慈しみは全て患者のために注がれており、俺に対しては悪魔のような仕打ちが横行している 。水を出しきった雑巾を容赦なく絞り出すように、治療を要求され、すでに俺は心身共にボロボロである。
助手二人目。サリー=ミリアム。オータムの二年後輩の助手として働いてくれている。爛々と輝く金髪をポニーテールでまとめ、無邪気な可愛い笑顔で活発に行動する子だ。バカラ帝国の帝都であるアルケディアで育ったため、都会的な性質を持ち合わせているのだろう、お洒落にも気を遣うし、周囲の状況にも敏感だ。
一方でこの子は通称『情報屋のサリー』と呼ばれている。と言っても、彼女は大抵嫌な情報しか持って来ない。人の嫌がったところを鑑賞するのが趣味だと言う人間の屑的な側面がある上に、明るい性格で全て帳消しにしようとしている間違いなく危険人物だ。
助手三人目。アリエ=クローザ。オータムより三年後輩であり、通称『コーディネーター』。俺とオータムの小競り合いを、持ち前の甲斐甲斐しい笑顔で調整してくれる。
「まあまあ、先生。やりましょうやりましょう」そんな風に言われて、気がつけば四八時間不眠不休で仕事をしていたことなど珍しくない。
三人が三人、相当な美人であり診療中に告白される事なんて珍しくないが、みんな忙しすぎてそれどころでは無い。オータムに至っては豪快な踵落としでお断りを申し入れ、患者がより重症化する始末だ。
そして、こんな近くに俺と言う最高の男がいるにも関わらず、助手たちとの色恋沙汰に発展しないのは、一重に互いの醜い部分を見過ぎているが故だと思っている。全部戦乱のせいだ……間違いない。
あーあ、なんだかなぁ! なーんだかなぁ!
そんな風にやさぐれていた時、情報屋のサリーが息をきらしながら走って来た。
「ジーク先生! クラナック地方で大合戦があって、約一〇〇〇人の患者がこちらに向かっているそうです!」
聞いた途端、気が遠くなって倒れそうになったが、隣のオータムがそれを許さずしっかりと俺を支える。
いらない……そんなサポートはいらないんだよ。
「よしっ! やるしかないですね」
オータムが両拳をギュッと握って『頑張りましょう』的な可愛らしいポーズを俺に向ける。ひたむきで前向き、まっすぐに患者の事を考えるオータムはまさしく助手の鏡だと言っていい。
でも……嘘でしょ!? なんでそんなに平然と言ってのけられるのだろうか。
すぐに脳内で検証――一人の治療に五分掛かるとして、五〇〇〇分=八〇時間=三日=できないできない不可能です。
「その様子見てれば何考えてるのか大体わかりますけど……なせば成るっていうじゃないですか。頑張りましょう!」
そう言ってのけるオータムの青い瞳にはまっすぐな焔が見える。
なせば成る……何て危険なことわざなんだ。
その時、ドアが開き患者がなだれ込んできた。
ゾンビみたい……いつも俺は思う。自分たちで応急処置をしたのか、巻かれきっていない包帯。あちこちに発生している傷。苦悶の表情……そして、治しても治しても増殖を続ける患者。
しかし、それでも俺に残された選択肢など無い。
「ええい! やるしかないんだろ! とりあえず重症患者だけ連れてこんかい!」
・・・
三六時間が経過した。不眠で治療を続けていた。休憩は五時間に五分、トイレ休憩のみ。食事の代わりに点滴。恐らく、患者として運ばれてもおかしくないほどのコンディション。それでも、患者はやってくる。次から次へと。
「次! あと、何人だ?」
そう言ってオータムの方を振り向くと、悪魔のような目つきで睨まれた。
『全力で頑張っている俺に対してなんだその目つきは!』
――なんてことは口が裂けても言えない。
オータムは煩わしそうにリストの患者数を数えだす。そして、それでも治療の手は止めない。だから俺も休めない。おっそろしい女。
「今、ちょうど三〇〇人ですね」
う、嘘でしょ!?
「ま、まだ三〇〇人か? 七〇〇人ぐらいは見ただろ? 混乱でリストが重複してるんじゃないのか!? もう一度よく数えてみたら――」
「いえ! 三〇〇人です」
「そうか三〇〇人か――っておい!?」
「ごちゃごちゃごちゃごちゃ……メンドクサイ男。三〇〇人だって言ってるでしょ! 黙って手を動かしなさいよ」
オータムが机に手を叩きつけて叫んだ言葉に、思わず言葉を失った。
メ、メンドクサイ……い、今俺に言った? メンドクサイって俺に言ったのか!? 俺に言ったんだなぁ!
「あーもう! なんなんだもうみんな死んじゃえばいいじゃん!」
そう口にした瞬間、オータムから強烈な拳が飛んで来た。
途端に身体が宙を舞い、天井が見えたと思ったら、すぐに地面に叩きつけられた。瞬間、激痛が全身を駆け巡り、口からは血がポタポタ流れ出る。
「患者さんたちに向かってなんてことを言うのよ!」
「な、殴ったな! 三六時間不眠不休で治療しているこの俺を!」
しかもスウィングアッパーで殴ったなぁ!
「あんたがいなきゃみんな死ぬんだからしょうがないじゃない! 死ぬまで働きなさい死んでも働きなさい朽ち果てても働きなさい!」
無慈悲にそう言って俺を睨みつけるオータム。
血も涙も無い女……慈悲の感情を持ち合わせていない悪魔……一瞬の内に二つの罵倒ワードを閃いたが、それを口にする前に次の患者が来た 。
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