後半

 不毛の話し合いを続けていて……有紗は一人のクラスメートと目が合った。

 普段、話をした事もない大人しい女子生徒だった。

 彼女は有紗から目を逸らした。


「ねえ! あの……佐々木さん!」


 有紗は泣きそうな沙綾から視線を、目が合った彼女に向けて呼んだ。


「あっ……左海さん……な、何の用ですか?」


 見ると、他のクラスメートが私を見ていた。どの表情にも何処か怯えがある。

 昨日私が葛西さんと喧嘩をしたのを見ていたから?…………有り得ない!


「ねえ、私は昨日学校を休んだわよね?」


 有紗が尋ねると皆、顔を見合わせてざわめき始めた。


「登校してたよ! ずっと早退するまでクラスに居たって言ってるじゃん!!」


 とうとう堪え切れなくなったのか、沙綾が泣きながら叫んだ。


「どうして休んだなんて言うの……別に私、喧嘩の事、気にしてないのに。

 葛西なんか……有紗が手ぇ出してなかったら、私がしていたかもだし。

 だから別に私は気にしてないから! 悪いのは葛西だもん!」


 沙綾の言葉は嬉しい。

 嬉しいけれども、私は喧嘩なんかしていない。


「佐々木さん、私……昨日学校に、この教室にいたかしら?」


 そう尋ねながら、有紗は心の中で祈っていた。

 おねがい……お願い……違うと言って。休んでいたと言って。


「――――うちも見ました。左海さんの事」


 祈りは無情にも天には届かなかった。

 それどころか他の生徒まで有紗を見たと言い始めた。

 昨日、左海 有紗は学校に、教室に、いつも通りに存在していたと。


「わ、私は昨日休んでいたのよ! 学校にいたはずがない!

 何よ、皆して私をからかって! ひどいわ!!」


 有紗はクラス中を見た。皆が有紗を見ている。どこか憐れんだ眼差しで。


 その時、ドアを音を立てて教室に誰かが入って来た。


 入って来た人物を見て、有紗は悲鳴を上げて椅子を薙ぎ倒しながら立った。

 クラスメートは……沙綾も……誰一人入って来た存在には一瞥すらくれず……

ただ小刻みに震える有紗を凝視していた。


 同じ制服、同じ髪型、同じ顔。

 ――――入って来たのは左海 有紗に瓜二つの少女だった。

 鏡が目の前にあるように全てがそっくりだった。


 それでも有紗は、どこか間違いを探そうと躍起になった。

 彼女と私が同一である事を認めてはいけないのだ。


「そう……あなたは私じゃないわ」


 その時、有紗の心を読んだように、もう一人の私が言った。

 声までそっくりだった。


「あなたは左海 有紗のニセモノよ」

「ち、違うわ!」

「違わない。私が本物の左海 有紗。あなたはニセモノ。

 昨日、本当の左海 有紗は学校に来たわ。そして葛西さんと喧嘩をしてしまった」

「ち、ち、違う! 違う違う違うぅううう!

 わ、私は昨日熱を出して、そして、そして……」

「もういいのよ、ニセモノさん。いくら私のフリをしようとしたって。

 もう……無駄よ。私が現れた時点で無意味なんだから」


 もう一人の有紗は、ニヤニヤ笑いながら近付いてきた。有紗は、後ずさる。

 有り得ない事を聞かされて、有り得ない存在が現れて……もう限界だった。


「嫌あぁああああああああああああああああああ!!」


 有紗はもう一人の自分に飛びかかっていた。

 そして押し倒すと、自分の口で自分の声で言葉を発する前に喉を絞め上げた。


 私は、左海 有紗は一人でなければならないんだ。

 もう一人の私、なんて存在してはいけないんだ。

 私が本物よ。私が本物よ。私が、本物なんだから!!

 ニセモノめ、この忌々しいニセモノめ。消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ!


「だからニセモノは、あなただって言ってるでしょ?」


 その声は耳元で怒鳴られたように聞こえて、驚いて手が緩んでしまった。

 そして、もう一人の有紗の反撃が始まった。

 同じように押し倒して馬乗りになって……有紗の首を絞め上げた。


「ようやく……よぉうやく……私の番だわ。ようやく本物になれるんだわ!」


 やっぱり、こいつがニセモノなんだ。ニセモノだったんだ!

 こんな状況なのに自分が本物だという確証が得られた事を喜ぶ。


「何を喜んでいるの? どっちが本物かなんて……関係ない。

 どちらか残った方が本物として生き続けるのよ」


 気道を塞がれて息が出来ない。

 その苦痛が恐怖を喚起して身体を思うように動かせなくなった。

 このまま抵抗出来なかったら私は死ぬ……死ぬ!? 数十年先の事と思っていた生涯の終幕が、間近に迫っているのを感じて有紗は必死に抵抗した。

 もう一人の有紗の両手首に爪を立てて、思いっきり引っ掻く。しかし身体の上にいる存在は、退けるどころかますます力を込めて首を絞めて来た。

 頭が痛くなってきた、視界もおかしい……嫌だ。

 嫌だ嫌だ嫌だ、まだ死にたくない!

 死にたくない! 死にたくない、死にたくない……しにたく、ない…………しに。





 そこで有紗の意識は途切れ、闇に呑まれた。


 左海 有紗は目覚めた。

 自分の部屋で寝台の上で横になっているという現状を、しばらく時間が経ってから自覚して……先ほど見た光景は全て夢なのだと同時に理解した。

 なんて夢を見たのだろう……熱を出すといつもこうだ。

 咄嗟に携帯を開いて、日付を確認する13日の金曜日。


 全て……熱による悪夢だったのだ。もう一人の自分とかも。


 しばらく速くなった鼓動を静める為、深呼吸を繰り返した。

 それでも落ち着かない。カーテンを開けて眩いばかりの朝日を浴びて……ようやく一息ついた。そして、先程見た夢の馬鹿馬鹿しさに一人笑った。


 制服に着替えて、昨夜のうちに用意しておいた学生鞄を片手に、軽やかな足取りで階段をバタバタ駆け降りた。


「こら、有紗! もっと静かに下りられないの!?」


 案の定、母親がキッチンから金切り声で叫んだ。有紗は肩をすくめた。


「ごめんなさい、ママ」


 リビングに行くと……もう朝食は用意されている。

 テレビがつけっぱなしで、女子アナの鼻に掛かった声が今日の天気を告げている。


『十三日の金曜日、星座占いコーナーです。二位は、うお座です……』


 ――――夢の中の出来事とどうも符合していることに薄気味悪さを感じる。


「有紗! そろそろ行く時間でしょう!」


 母親の声に急かされて、有紗は鞄を片手にリビングを出て玄関へ。

 夢と同じく、運勢が最高なのか最悪なのかわからないまま、有紗は家を出た。



 教室に入るのが、何故か躊躇ためらわれた。

 夢の光景が脳裏にチラつく。もし教室に、もう一人の私がいたらどうしよう。

 有り得ない。あれは夢だったんだ。覚悟を決めて有紗は一気にドアを開ける。


「おはよう!」


 親友の田村 沙綾に有紗は駆け寄ろうとして……彼女の姿が無い事に気付く。

 おかしいな、いつも彼女は部活の朝練の関係で、絶対先に教室にいるのに。


「休みなのかしら……?」

「左海さん!」


 声に振り返るとクラス委員長だった。


「は、はい」

「欠席届を今日中に担任の山代先生に提出して下さいね」

「あ……はい」


 良かった。私は昨日熱でちゃんと休んでいた事になっている。

 当たり前の事なのに、有紗は心底ホッとした。


 その時、ドアを音を立てて教室に誰かが入って来た。


 入って来た人物を見て、有紗は駆け寄った。


「沙綾! おはよう、昨日は休んでごめんね!」

「………………」


 無言で頷くと沙綾は足早に自分の席に座って、うつ伏せになった。


「沙綾、どうしたの」


 構わないで、と言いたげに首を横に振った。

 体調が思わしくないのかもしれない。女の子だから、そういう日もある。

 有紗は親友の肩を優しく叩くと自分の席に戻った。


 担任教師が来るまで、本でも読むかと鞄から愛読書を取り出そうとして携帯が着信の光を放っているのに気付いた。

 即座に携帯を開くと、新着メール一件。送って来たのは、沙綾だ。

 有紗は席に突っ伏している彼女を一瞥してからメールを見た。


《おはよ、有紗! 今日は諸々の事情で学校をお休みするよー♪

 ……と、メールでは元気装ってますが、かなり辛いです(><)

 しばらく休むカモだから登校したらノート見せてね、ヨロシク☆》


 ――――――え?


 有紗は、親友である彼女を……田村 沙綾を見た。


 このメールが事実だとしたら、沙綾は自宅に居るはずだ。

 今すぐ彼女の家に電話して確認してみればいい。


 それで……もし、沙綾が電話先に出てしまったら?

 教室に存在している、この沙綾は一体何者なの?

 有紗は、悪夢が続いているような独特の気持ち悪さと眩暈めまいを感じた。

 瓜二つの姿が怖いのに視線を外せない。

 固定されてしまったように動かせない。

 彼女は席に座って顔だけこちらに向けてきた。目が合った。

 そして……沙綾は、ゆっくりと口角を上げた。

 それはいつも見ている彼女の笑顔に、そっくりだった。




 ワタシのお話、どうでしたか? ……浮かない表情ですね。

 あっ、楽しんで貰えたのなら幸いです。


 ドッペルゲンガーが成り代わろうとするのが納得できない、ですか?

 それでは夏生の目の前に、もう一人の田崎 夏生が現れたらどうしますか?


 ……少々、意地悪な問いでしたか?

 困らせてしまったようですね、申し訳ありません。


 哲学に『我思う、故に我在り』という言葉が、あります。自分を含めた世界の全てが虚偽だとしても『自分は何者なのか』『自分は何故、此処に在るのか』と考える事自体が自分が存在する証明である。


 つまり、夏生は此処に存在している。

 こうして私と会話している事で夏生の存在は証明されている、ということです。


 夏生は自分の事、田崎 夏生であると自覚して信じていますよね?

 けれども、もしドッペルゲンガーが存在するとしたなら……もう一人の夏生は此処にいる夏生を殺して成り代わろうと、常に虎視眈々と機会を狙っているでしょうね。

 何故って……外見も性格も、何もかも全てそっくりな存在が他にいたとしたら……自分は何者なのか、わからなくなるではありませんか。

 自分という存在は、一人であるから自分なのです。


 ……すみません長々と無駄な話を。余計に混乱させてしまいましたね。


 ――――そういえば、夏生。

 もう三ヶ月になるのですね、初めて会ってから。

 本当に時が過ぎるのは早いものです。

 一ヶ月前に夏生が来たのも、つい昨日のように感じて……。


 どうしました、夏生? いえ、ふざけてはいませんよ。

 一ヶ月前に来てはいない? 此処を訪れたのは三ヶ月ぶり?

 いいえ、記憶違いではありません。

 確かにワタシは一ヶ月前に夏生に会いましたよ。


 そしてワタシは、いつもの通り

 『初めまして、闇夜です。お会いできて光栄です。

  これからも仲良くしていきましょう』と言いました。

 そうしたら夏生は

 『二ヶ月前に来た田崎 夏生です、覚えてないですか?』と言ったので

 『えぇ、もちろん覚えていますよ。田崎 夏生ですよね。

  初めましてと言ったのはワタシの常套句です。

  ですから気になさらないで聞き流して下さい』と言ったのです。


 そして今日……やって来た夏生から同じセリフを聞いたので

 『この事は、前にも申し上げたはずですが……お忘れですか?』と――――。



 ……まあ、これでまたドッペルゲンガーの存在を裏付ける証拠が増えました。

 夏生の身近にも、人知れず入れ替わっている存在がいるかもしれません。

 それと、夏生がこの先もう一人の自分と遭遇しない事を祈っています。

 ドッペルゲンガーを認知してしまったが最後……命は無いのですから。

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