第二話 休日明け

前半

 初めまして、闇夜と申します。

 お会いできて光栄です。これからも仲良くしていきましょう。


 どうかしましたか、夏生? ……初めましてと言ったのはワタシの常套句じょうとうくです。

 この事は、前にも申し上げたはずですが……お忘れですか?

 え? 今初めて聞いた?


 ――――それで、また怖い話を御所望ですか?

 そうですね……それでは、ワタシが昔聞いた不思議な話をしましょうか。


 夏生は、もう一人の自分……いわゆるドッペルゲンガーの存在を信じていますか?

 いるかもしれないと思っている?

 それでは、もう一人の自分を見たいと思いますか?


 フフッ。そんなに慌てなくても……もちろんワタシも知っていますよ。


『自分のドッペルゲンガーを見ると、しばらくして死ぬ』


 えっ、ワタシですか?

 もちろん存在は信じていますよ。何故なら証拠なら沢山ありますからね。

 大統領のリンカーンや文豪の芥川龍之介が、自身のドッペルゲンガーを見たという記録があります。江戸時代では影の病または離魂病とされて、実際にもう一人の自分を見た所為で死んだという記録があるそうです。


 しかし、人は摩訶不思議な出来事をなかなか素直に受け容れられないものです。


 医学において……自分の姿を見るという現象は、自己像幻視という脳疾患によって起きるものだと主張している者がいますが、それだと説明出来ない事があるのです。


 例えば――――これからする話のような場合、とかですね。




 この喉を絞め上げれば、この忌々しい存在は消える。

 未来永劫、自分の目の前から消えるのだ。

 口を開いているのは呼吸を確保する為か、それとも遅すぎる命乞いを口にしようとしているのか。遅い。遅すぎる。笑えるくらいに遅すぎる。


 私は全体重を掛けて力を両手に込めた。

 目が見開いて出来ないにも関わらず、抵抗しようとしている様が滑稽だ。

 私は目を皿にして、彼女の苦しむ様を見た。記憶する為だ。

 今まで私が辛く苦しい思いをして来た分に見合うだけ、彼女の苦しむ様を。


 苦しい? とっても苦しい? 足りないのよ、まだまだ。

 私の苦しみは、憎しみは消えないの。あんたが……死ぬまでね。


 ごりっ、首の骨が手に伝わった。彼女は苦悶の歪めた顔のまま、息絶えた。

 絶命した彼女の首から手を離さず、しばらく馬乗りになったままの姿勢でいた。

 ……死んだ? 本当に、死んだ? 死んだフリをしているんじゃないの?

 私は立ち上がり、試しに彼女の腹部を思いっきり踏みつけた。

 何度も繰り返したが全く反応がなかった。ただ腹が、めり込んだだけだった。

 絶対に内臓のどれか一つぐらいは損傷しただろう。

 そして、その激痛にここまで無反応でいられる事は不可能だろう。

 この女は間違いなく死んでいる。死んだのだ。


 悦びの感情が、じわじわと胸の内に込み上げて来る。

 悦びは、猛毒のように脳髄から身体中に廻った。

 おかしくなる。いや、もうおかしいのかもしれない。

 人殺しをしたのに、全く罪悪感がない。

 それどころか……彼女が死んだ事が嬉しくて嬉しくて、しょうがないのだ。


 私は知らず知らず高笑いしていた。誰もいない空間で、私の哄笑が響き渡る。

 息が苦しくなっても、笑い声が掠れても、私は笑い続けた。

 次第に視界がグルグル回り出した。いや……嫌……嫌…………覚めないで。

 夢よ、覚めないで。






 左海さかい 有紗ありさは目覚めた。

 自分の部屋で寝台の上で横になっているという現状を、しばらく時間が経ってから自覚して……先ほど見た光景は全て夢なのだと同時に理解した。

 なんて夢を見たのだろう……熱を出すといつもこうだ。


 昨日は、熱を出して学校を休んだ。時折、忘れた頃に熱を出す。

 出た熱は一日以内で治ってしまう。幼い頃からのクセのようなものだ。

 しばらく速くなった鼓動を静める為、深呼吸を繰り返した。

 そして充分に落ち着いてから、いつも通り学校へ向かう支度をした。

 制服に着替えて昨夜のうちに用意しておいた学生鞄を片手に、軽やかな足取りで階段をバタバタ駆け降りた。

 しかし、それはやかましい騒音以外の何物でもなかった。


「こら、有紗! もっと静かに下りられないの!?」


 案の定、母親がキッチンから金切り声で叫んだ。有紗は肩をすくめた。


「ごめんなさい、ママ」


 母親の前では女の子らしく、しおらしく、行儀よくしてなければならない。

 とんでもなくダルいけれど家を出てしまえば、自由になれる。

 リビングに行くと、もう朝食は用意されている。

 ママは、朝はかならず御飯と味噌汁じゃないといけないという強迫観念に取り憑かれているんじゃないかと思うくらい、毎朝お茶碗と汁椀が目につく。

 テレビがつけっぱなしで、女子アナの鼻に掛かった声が耳にこびりつく。

 あまりテレビを注視すると問答無用で消されるから、有紗は声だけ聞く。


『十三日の金曜日、星座占いコーナーです。二位は、うお座です……』


 一位と十二位は最後までとっておく手法か。

 朝は時間が無いんだから、一気に発表してしまえばいいのに……と毎朝思う。

 食事が終わってしまった。テレビの時刻を見れば、もう家を出る時間だ。

 占いの一位と十二位も、有紗の星座もまだ発表されていない。


「有紗! そろそろ行く時間でしょう!」


 母親の声に急かされて、有紗は後ろ髪引かれる思いで鞄を片手にリビングを出て玄関へ。今日は運勢が最高なのか最悪なのかわからないまま、家を出た。



「おはよう!」


 親友の田村たむら 沙綾さあやに有紗は駆け寄って、挨拶をした。

 彼女は大変驚いたようで、目を見開いて有紗に振り返った。


「あ、有紗……」

「昨日は急に休んでごめんね? いつものクセが出ちゃって」


 沙綾は眉を寄せた。不安げに有紗を見ている。

 一日だけの休みだったけれど、彼女には心配掛けてしまったようだ。


「もう熱は完全に下がったし、大丈夫。今日来たのでわかるでしょ?」


 年に数回はある発熱のクセのことは、長い付き合いである彼女なら充分に理解しているはず。けれども沙綾の反応は、いつもとおかしかった。


「どうしたの? もしかして昨日学校で、何かあったの?」


 有紗が尋ねると、沙綾は困惑顔で言った。


「何かあったのって……有紗、大丈夫?」

「私? 何? 私は、元気よ?」

「それは……ん……わかる。昨日と違って、普通に話してるし」


 ――――昨日と違って?


「昨日は、いつもの事ながら大変だったわ。予兆がないんだもの。

 本当に、このクセには慣れそうもないわ」

「いつもの事……って? 昨日の事は私、初めて見たよ?」

「え?」


 いつもなら沙綾との会話は流れるように続いて、いくら話しても飽きないくらい楽しいものなのに……会話が進むにつれて、有紗は違和感を感じ始めた。


「昨日の事って? ねえ、何があったのよ?」


 質問を繰り返すと沙綾の表情が困惑から怪訝へと変わった。


「昨日、有紗、葛西と大喧嘩したじゃない」

「か、葛西さんと?」


 葛西かさい 愛莉華えりか……有紗のクラスメートだ。

 彼女は真面目とは言い難い、おおざっぱな性格で学校を良くサボってる。

 気紛れに学校に来ても、すぐに途中で抜け出していなくなってしまう。

 校則違反の服装をしていて、先生に注意されている姿を何度見た事か。

 けれども愛莉華は一向に改めもせず、自由気ままに過ごしている。

 有紗とは親しくない。そりゃ、クラスメートだから最低限の挨拶はする。

 けれども、正直言って仲良くなりたいタイプじゃない。有紗は何事にもルーズな人間は嫌いなのだ。だから、あまり関わらないようにしている。

 それなのに愛莉華と大喧嘩をした? そんな事は有り得ない。それに。


「沙綾、何を言ってるの? 私は昨日、学校を休んだじゃない?」


 そう。有紗は熱を出して一日中、自宅の自室で寝ていたのだ。

 外出なんてしていないし、食事とシャワー以外は自室のベッドで横になっていた。

 誰とも会ってない。ずっと一人だった。ずっと一人で、いた。


「有紗こそ……何を言っているの?

 昨日、葛西と教室で大喧嘩して、早退したじゃない」


 なのに沙綾は事実と異なる事を主張している。


「だから私は……昨日は熱を出して学校を休んだの!」


 会話が噛み合わない。どこまでも平行線だ。

 有紗は学校を休んだと言った。沙綾は有紗が学校に来ていたと言った。

 有紗自身、休んだ記憶は確かにある。これは絶対に、間違いではない。

 だとしたなら、間違えているのは沙綾だ。

 彼女が誰かと有紗を勘違いしているのだ。それならそれで笑い話になるのに、妙に沙綾は有紗だと言い張る。

 当の本人が違うと言っているのに……何故? どうして?


「沙綾、いい? 興奮しているようだから、落ち着いて話をしましょう」


 教室内である事を思い出して、有紗は肩で息をしている沙綾を宥めた。

 こういう認識のずれは冷静に話し合えば、どこかで理解し合えるはずだ。


「いい? 私がこれから話す事を最後まで聞いてね?

 途中で遮ったりしないで。私が全部話したら、沙綾の話も全部聞くわ。

 もちろん私も邪魔したりしないから」


 有紗が穏やかな口調で切り出したので、彼女も少しクールダウンしたのか、頷いてくれた。有紗は、昨日の朝からの事を詳細に話した。


「昨日の朝、目が覚めると同時に頭痛と眩暈を感じて、起き上がれなかったの。

 それでも一度下に降りようと思って頑張って上体を起こしたら、身体が熱くて足が覚束おぼつかなくて、まともに歩けなかったわ。その時点で熱があると知ったわ。

 それでも一応、体温計で計ったら38.2℃。

 私は常備している解熱剤を飲んで横になったの。

 そして、二度目に起きたのが午後1時。

 熱はまだあったけれど、何とか起き上がって一階へ降りられるほどに回復したわ。何も食べたくなかったけれども……そういう訳にはいかないから、とりあえず母親が作ってくれたお粥を食べて、それから二階に戻って寝たの。

 そして起きたのは四時間後の午後5時。お腹は空いていないし、眠りたくても眠れないから私はしばらく横になっていたわ。

 そして夕食時になってお粥を食べてから、もう一度薬を飲んで寝たの。

 私は、昨日一日中、自宅に居たわ。どこにも出掛けてない。これは絶対よ!」


 沙綾は何度か口を開きかけたが、有紗の話を最後まで黙って聞いてくれた。


「……ありがとう、最後まで反論しないでくれて。次は沙綾の番よ」


 有紗の言葉に沙綾は頷くと、せきを切ったように喋り始めた。


「私は朝練の都合でいつも早くに学校に来るんだけれど。

 そして朝練が終わって、教室で有紗の事を待ってたんだ。

 有紗は、いつもの時間より五分ほど遅れて教室に入って来て……何だか、いつもと様子が違って挨拶しても返してくれなかったから……気分悪いのかなって思って。

 うん……だから私は、あんまり話しかけなかったんだけれどさ。

 けれどあまりに具合そうだから、一度『保健室に行く?』って、訊いたんだけれど完全無視されて……困っていたら、あの葛西がやって来て。

 来たのは、昼休みなんだけどね。葛西は……何か上機嫌だったな。

 携帯弄って一人で甲高い声で笑っててさ。私は有紗が心配だったから、余計なんか笑い声が気にさわって。そしたら委員長が『遅刻届を出して下さい』って。

 そしたら一気に不機嫌になってさ、ぶつくさ言いながら遅刻届書いてたの。

 有紗は、そのまま音を立てて机の上にうつぶせになっちゃって。

 私思わず『大丈夫!?』って結構大声出しちゃって。

 そしたら葛西がこっちに視線を向けて来て絡んできたのよ。

 『どっしたのー? 有紗ちゃん! もしかしてセイ』……」

 

 ここで恥ずかしくなったのか沙綾は口を一旦閉じた。

 有紗は苦笑しつつ頷いた。

 そういう下品な言葉遣いをするのが、葛西 愛莉華という人だ。

 だから有紗は彼女が嫌いなのだ。


「うん、わかったわ。続けて」


 有紗の言葉に沙綾は救われたように微笑むと話を再開した。


「……だから、そういう事を、ね? 言ったの、葛西が。

 そしたら有紗、有り得ないくらい素早い動きで葛西に迫って、胸倉掴んで。

 皆、いきなりだったから驚いて。葛西も呆然としてたな。

 有紗は、おもむろに葛西を突き飛ばしたの。

 いきなりだったから受け身取れなくて椅子ごと倒れて……有紗がその上に馬乗りになって……そこで誰かが悲鳴を上げて、委員長が先生を呼びに行って。

 私は、有紗を止めようと肩に触れたらこっち向いて、私を突き飛ばして自分の席に戻ると鞄を持って、そのまま教室を飛び出しちゃって」


 そこまで話して沙綾は有紗の顔色を窺った。


「だからさ、普通に……いや様子は全然普通じゃなかったけれど。

 昨日、有紗は来てたよ。学校」


 どうしてだろう。私の話を最後まで聞いて、どうしてここまで話すのだろう。


 私には、学校に来た記憶は無い。

 親友の沙綾と会った記憶は無い。

 葛西さんと喧嘩した記憶は無い。


 記憶が無いのは当たり前だ。だって私は熱を出して家にいたのだから!

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