後半
全てを見た俺は、言葉を失っていた。
「見てしまいましたか?」
声にビクついて、俺はソファの上でジタバタした。
闇夜は向かいの安楽椅子に座って、美しい仕草で紅茶を淹れていた。
そして、無言で紅茶を差し出してきた。俺は受け取った。
カチャカチャ音を立てている。両手が震えていた。
俺は淹れたてだから熱かったけれど、一口飲んだ。喉が焼けるかと思った。
それでも身体の震えは止まらない。寒いせいで震えているわけではないのだ。
「闇夜……闇夜は、見たのか?」
「いいえ。パスワードがわかりませんから」
「嘘だ! だって、パスワードは恋人の名前だった!
試行錯誤していたら必ず解けるはずだ!」
俺は大声を上げて、その勢いのまま立ち上がった。
そしたら、飲みかけの紅茶が右手に掛かった。
「熱っ!?」
「……大丈夫ですか?」
闇夜は、おしぼりを差し出して来た。俺はそれを無視して、駅前で貰ったポケットティッシュを取り出して飛び散った紅茶を拭き取った。右手がジンジンとする。
「火傷していませんか?」
「闇夜は、見たんだろ!? わざわざ携帯を直したんだから、たかがパスワードぐらいで諦めたりしないだろ? なあ、本当は見たんだろ! あのブログ!!」
俺は何を必死になっているんだろう。
喚いている自分を客観的に冷静に見つめる、もう一人の自分がいた。
闇夜が見ていたとしたら、何だ? 仲間が出来たって喜ぶのか?
死の呪いに掛かった者として――――。
「ワタシは……見ていません」
闇夜は無感情に言った。俺はソファに崩れるように座った。
「けれども、調べてみました」
そういうと闇夜は本棚の一番下にある、アルバムを取り出して俺に差し出した。
今度は一体、何を見せるんだ? 俺は怯えながらそれを受け取った。
「夏生」
闇夜に呼ばれて、俺は白い仮面を見た。
「更なる恐怖を味わいたいですか?」
その言葉で、俺はハッとした。俺は恐怖を望んで来たんだ。
先程のブログを見て、感じた恐怖は本物だった。
普通、生き物は恐怖を嫌悪するものだ。
だから恐怖を拒絶する反応は、けして間違いではない。
むしろ自ら恐怖を望む事が、おかしいのだ。異常なのだ。
でも――――普通の人はわからないだろう。
恐怖に侵され支配される事が、嫌悪ではなく快楽と感じる人間の気持ちが。
どんなに怖い目にあっても、繰り返し恐怖を求めてしまう中毒者に陥った者の気持ちが。俺は、もはや自分の命なんてどうでもいいと思っている。
今までだって『見たら死んでしまう』『最後まで読んだら死んでしまう』等の怖い話を求めてきた。命が失われてしまうかもしれない恐怖ですら俺は快楽へとなってしまっている。そんな俺に闇夜は言った。
『更なる恐怖を味わいたいですか?』
殺し文句だ。先程より怖い物が見れるだって?
そんなの……拒否出来るわけがない。
抗えない力で、操られているように抵抗もせず、アルバムを開く。
中身は、新聞の切り抜きを集めたものだった。
『23日午前零時ごろ、私立高校の女子生徒が頭から血を流して倒れているのを、マンションの住民が見つけた。生徒は搬送先の病院で死亡した』
『署や市教委によると、生徒はしばらく学校を欠席していた』
『ネット上に生徒の物と思われるブログが見つかっており……』
新聞には個人名が載っていなかった。他には雑誌の切り抜き。
『いじめを苦にしての自殺か?』『ネットに残った彼女のブログには遺書』
『被害者、
名前の上に笑顔の少女の写真。
あの画像に俯きがちに映った少女に似てる……。
次のページは、それから数カ月の記事。
『少女の呪いのブログ』『見た者は死ぬ!?』
犠牲者として並べられた複数の人物名。皆、自殺している。
そして……その中に彼の名前もあった。
『亡き恋人の恨みの犠牲に!?』
『23日午前11時ごろ、会社員の
目がチカチカしてきた。俺は音を立てて閉じた。
「実由は存在しました。ブログも存在したようですね」
闇夜は何でもないように言った。
これだけ調べたのに……問題の携帯は見なかった?
俺は闇夜という人物が、わからなくなってきた。でもそれよりもわからないのが。
「ほ……本物だっていうのはわかったよ。
でもさ……それだとおかしいじゃないか。彼女は23日に亡くなったんだろ?
じゃあ、あの24日のブログは?」
「は?」
「いや、だから! あったの! 24日のブログが!」
「死んだ人はブログを更新できません」
「そっ……!」
そんなの当たり前だろうが!
そう怒鳴りつける前に、俺は自分が見た物を疑った。
俺は携帯を再び開いて、フォルダのパスワードを解いて、彼女のブログを見た。
「――――ひっ!?」
その画像を見た瞬間、俺は携帯を投げてしまった。
「どうしました?」
闇夜の白い仮面を見て、俺は居ても立ってもいられずドアへ一目散に駆け出した。ドアノブを掴んで乱暴に回す……が、ドアは開かない。恐怖に正常な思考を侵された俺は悲鳴のような変な声を上げながら、狂人のようにドアノブを激しく回し続けた。
「夏生」
感情がないロボットのように闇夜は呟くと、こちらに向かって来た。
「やめろ! 来るな!」
もう限界点を軽く突破していた俺は、携帯を片手に来る闇夜に喚いた。
足がいうこときかず、その場に尻餅をついてドアに背中をぶつけた。
「大丈夫ですか?」
「来るなって言っ」
俺の言葉の途中で、闇夜は驚くほど強い力で腕を掴んで立ち上がらせると……懐から鍵を取り出して開錠した。
「お帰りですね……さようなら、夏生」
引き止めもせず、訊ねもせず、闇夜はそう言って優しく俺の背中を押した。
家を出ると、ゆっくりと軋みながらドアの閉まる音が耳に届いた。
俺が振り返ったと同時にドアが閉まった。
俺は、自宅に帰って闇夜に会った事を全て報告スレに書いた。
どうも創作じみていると感じられるようで、釣りだのなんだのうるさい輩がいたが仕方ない。持って行ったカメラとか結局、使えなかったからな。
でも誰も信じて貰えなくても構わない。
闇夜は確かにいて、怖い話を聞けたのだから。怖い体験も出来たし。
今でも思い出すと背筋に悪寒が走り、身の毛が弥立つ。
7月23日にアップされた遺書ともとれる文章と、死ぬ間際を撮影した画像。
その二番目の少女の画像。最初見た時は、確かに実由は俯いていた。
けれども二回目、確認の為に子守 実由のブログを見た時。
2016 7/23(Sat.)
さようなら
お母さん、お父さん、貴礼君、ごめんね。
《屋上からの画像》
《憎しみの目で正面から写っている実由の画像》
俺は彼女の死体を見てしまった。彼女の憎しみの目を見てしまった。
これから俺は無事に生きていけるだろうか?
彼女の怒りに触れて、呪われて死ぬかもしれない。
ぞくりとした。あぁ、これは生涯忘れる事は出来ないだろう。
勝手に荒れ始めたスレを一瞥してから、ネットをやめて仰向けに寝転んだ。
思い出しながら書いたので追体験をしたようで、心臓が落ち着かない。
目眩くほどの恐怖は、しばらくこうして俺を甘美に苛むだろう。
しかし、その恐怖も……やがて時が経つにつれて薄れていくかもしれない。
そして逃げ出したにも関わらず、俺はまた闇夜の元を訪れるだろう。
既に恐怖の快楽に目覚めている俺が出会ってはならなかったもの。
それは闇夜という不思議で不気味な、素晴らしい怪談蒐集家の語り部だろう。
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