闇夜の思惑

 龍夜たつやさんの懺悔のような話が終わった。


「それじゃあ、美夜子みやこと最後にあったのは、その失踪する日の昼休みだけ?」

「……ああ。あの後、姿は見ていないよ。

 隣のクラスといっても、教室を出なければ会いようがないし。

 だから同じ学校に通っているといっても……美夜子が、隣のクラスでどう過ごしているのかは……はっきりと把握しているわけじゃないんだよ」


「でも、さっき誰にも心を開かないで、一人で過ごしているって」

「元からそうだったんだよ、美夜子は……さっきも言ったけれども。

 人見知りが激しくて、なかなか友達を自主的には作ろうとしなかったんだ。

 でも、可愛い子だったから友達になりたいって話しかけてくる子には、相応の対応をしていたはずなんだ。小学四年生になるまでは。

 話し掛けられても無視。何をされても無視。

 まるで見えないかのように接するなんて、今までなかったから……。

 美夜子の、あまりに無愛想な態度は人伝に聞いていたんだよ」


 今まで胸の内に溜めていた話を、一気に話した龍夜さんの表情が穏やかだった。

 そして深く息を整えると、黙って傾聴していた闇夜に向き直った。


「……さあ、話したぞ。左腕を、見せてくれるよな?」


 俺はハッとして闇夜を見て、すぐに目を逸らした。


 

 ここでハッキリするんだ。闇夜の素性が。

 もしかして、俺が初めてなんじゃなかろうか。

 怪談蒐集家の正体を知るのは。でも知ったら、もう二度と此処には来られないかもしれないから……今まで通り知らない方が良い?

 でも、俺はもう闇夜が《有栖宮ありすみや 美陽子みよこ》だと疑っている。

 もはや一つ一つの仕草が女性らしくみえている。

 完全にアウトの領域に足を突っ込んでいる。


 ……かまうもんか。ここまで来たんだから。何だって受け入れてやるよ!



 闇夜は、ゆっくりと左腕をあらわにしていった。

 日光に当たっていないから、白い腕だ。

 色白な肌は、綺麗というよりも病的に見える。

 それにしても細い……栄養をちゃんと採っているのか、心配になる。

 まさか紅茶と洋菓子だけしか食べていないんじゃなかろうか?

 ……そんな事をしたら、栄養失調でぶっ倒れる。糖尿病にもなりそう。

 普通の人ならそうなるかもしれないけれども、闇夜は平気そうだ。

 二の腕まで見えてきた。もう大体丸出しだ。

 贅肉も筋肉も、余分な物がついていない細い腕だ。

 細くて色白から女性っぽくみえるけど、最近は男も細身になってきたからなあ。


 ……あれ? たしか美陽子の左腕には火傷があるんじゃなかったか?

 それらしきものはないぞ? 傷一つない、綺麗な腕だ。

 俺は龍夜さんを見た。彼は信じられないといった表情で唖然としていた。


「もう、よろしいですか? 龍夜」

「――――待て!」


 闇夜が隠そうとした左腕を、龍夜さんは掴み上げた。

 そして、素早い動きで闇夜の仮面へと手を掛けた。


「あっ……!」


 俺は叫ぶ事しか出来なかった。

 龍夜さんを止める事も、闇夜を助ける事も出来なかった。


 次の瞬間、龍夜さんは吹き飛んだ。

 投げ飛ばされた龍夜さんは木製のテーブルにぶち当たって、ポットとカップを無残に割って、洋菓子をぐしゃぐしゃにした。

 変なところを打ったのか、苦痛のあまり声も出せずにうずくまっていた。


「……大丈夫ですか?」


 投げ飛ばした張本人が、弱々しく呻いている龍夜さんに優しく声を掛けた。

 あの細い腕で、成人男性を投げ飛ばした……目の前で見ても信じられない。

 俺は龍夜さんに肩を貸した。


「ちょっと大丈夫ですか!? 怪我、しました?」

「いや、あの……ぅう……」

「本当に大丈夫ですか?」

「だ、だい、大丈夫……です。特に怪我は……」


 龍夜さんは崩れるようにソファに座り込んだ。

 闇夜も安楽椅子に座り込んだ。

 そして、庇うように左腕を黒いマントの上から抑えた。

 闇夜の左腕には、火傷がなかった。だから美陽子ではない……かもしれない。


「顔を見せろ、とは言われませんでしたので……申し訳ありません。

 自分の身を守る為とはいえ、手荒な真似をしてしまいまして」

「い、いや……こちらこそ」


 龍夜さんは、先に謝った闇夜に、怯えた眼差しを向けながら頭を下げた。

 腕の傷の有無だけで、判断するのは弱かっただろうか?

 肝心の顔は見ていないのだから。


「夏生は、龍夜に何か訊きたい事はありますか?」


 まだ痛がっている龍夜さんを放り、片づけながら闇夜は俺に問いかけた。


「え? えっと……」

「夏生は、真実を知りたいのですよね? そして恐怖を得たいと」

「そう……そうだよ」

「なら、全て明らかにしないといけませんね」

「あぁ、うん。もちろん」

「では、ワタシが話しても宜しいですか?」


 どうしたんだろう? いきなり積極的になった。

 龍夜さんの話を聞いたから? 左腕を見せたから? 色々と吹っ切れた?

 こちらが断る理由は無い。しかし片づけを手伝おうとしたら、拒否された。

 あっという間に片づけは終わった闇夜は、本棚から一冊取り出した。


「龍夜。こちらのノートに見覚えはありませんか?」


 闇夜はが持って来たのは、一冊の古いノートだった。

 一般的なB5サイズの横罫線が引かれたノート。


「どうぞ」


 差し出されたノートを受け取った龍夜さんは、大急ぎで中身を確認した。

 その中身は――――。


「な、なんだよこれ」


 一目見て、その異様さに慄いた。

 筆圧の強い文字。書き殴られた文字。ページいっぱいに。

 【死ね】

 そう書かれていた。数秒も見ていなかったが、気持ち悪くなった。


「これは……美夜子が書いたノート……」


 パラパラと、ページを軽快にめくりながら龍夜さんは呟いた。


 【嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌】

 【こっちを見るな私を見るな見るな見るな見るな見るな私見るな見るな見るな見るな見るな見るな】

 【今度会ったら会ったら殺す殺す殺す絶対に殺してやる殺す殺す殺すしねしねしねしねしね】


 どのページも激しい憤怒と憎悪で真っ黒だった。


「こちらのページに書かれている文字……わかりますか?」


 【TTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTTT】


 俺も横からの覗き込む。

 大小サイズさまざまな《T》が書かれている。異様だ。


「アルファベッドのティー……じゃないか?」

「ロシア文字のТテー。またはギリシャ文字のΤタウかもしれません」

「小学四年生が、ロシア文字やギリシャ文字を知っているか?」

「……それもそうですね。では」


 思案を巡らしている闇夜に、血相を変えた龍夜さんが叫んだ。


「どうして、このノートを闇夜が持っているんだ!?」

「龍夜は《T》に心当たりはありませんか?」

「質問しているのは僕だ!」

「ワタシは、龍夜のことかと思ったのですが」


 闇夜の言葉に衝撃を受けた顔になって、俯く龍夜さん。

 黙り込んだ彼の代わりに、俺が反論する。


「そりゃ、龍夜TathuyaだからTだけれどさ。

 それじゃあ武田Takedaさんは?

 美夜子の同級生で、嫌がらせをしていたって言ってた。龍夜さんよりも、恨み骨髄に徹する相手としては、充分な存在だと思うのだけれど」

「――――あるいは」


 闇夜は、再び口を閉ざして考え出した。

 龍夜さんはノートを両手で力強く握りしめて放心していた。


「美夜子は僕を憎んでいたのか……殺したいほどに?」

「いや、だって! さっき龍夜さん言ってたじゃないですか!

 『幼馴染だったから仲が良かった。家族よりも仲が良かった』って!

 『目の前に現れたのは、きっと僕を信頼して現れてくれたんだ』って!」

「信頼じゃなくって、取り憑こうとしたのかもしれないな……」


 先程見た恨みノート見た所為で、龍夜さんは打ちのめされていた。


「俺、色々話を聞いて思ったんですけれど。

 龍夜さんの話が、一番……美夜子という少女が人間らしいと思えました。

 今まで美夜子に関しては怖い話ばかりだったけれど、やっぱり、一人の女の子なんだなって」


 俺は、何とか言葉を尽くして慰めた。

 でも龍夜さんの落ち込みが回復することはなかった。


「――――あ、闇夜! それで、話をするんじゃなかったのかよ!」


 どうにもならなそうだったので、俺は闇夜に話を促した。


「まさか、龍夜さんの話で終わりとか言うんじゃないよな?」

「……いいえ」


 闇夜は可笑しそうに笑った。いつの間にか上機嫌だ。

 つかみどころない性格していると思っていたけれど、もうよくわからない。

 それなのに闇夜が隠している正体なんて、そう簡単にわかるはずなかった。

 また、秘密のベールに包まれてしまった闇夜をじっと見た。


「ワタシは、夏生を怖がらせたいなんて思っていませんよ?

 恐怖は与えるものではなく、感じるものですから。

 ワタシが、どんな話をしても夏生が怖いと感じなければそれまでです」

「でも闇夜の話は、いつも怖いじゃないか」

「それはたまたま夏生が恐怖を感じてくれたまでのことです。

 ワタシの力ではありません……」


 オカルトマニアに崇拝されている怪談蒐集家らしからぬ、弱腰な発言だった。


「じゃあ、なんだ? 自信がないから話したくないのか?」

「もちろん、お話しますよ。

 《未完結の話》から、こんなに話が膨らんでしまったのですから。

 ちょっとした悪戯心でのを後悔するくらいに」

「…………え? は?」


 今、なんて言った?


「実は……《先生》が、再びワタシの元へ訪れていたのです。

 あの《未完結の話》から、三日後に」

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