リュウの話 後半

 ここで、龍夜さんが冷めきった紅茶を一気飲みした。

 闇夜が立ちあがる。そして紅茶を淹れなおす為に、家の奥へ向かった。

 まるで逃げ出すかのような素早さだった。


「……あの」

「やっぱり闇夜は話を聞きたくないみたいだね」


 また話そうとしたら、龍夜さんが先に口を開いた。

 俺の表情が変わったのを見て、龍夜さんがすまなそうに頭を掻いた。


「あぁごめん。また遮っちゃって……お先にどうぞ?」

「あ、あの……」


 心臓が一気に早くなった。一呼吸置いておいて、深呼吸してから訊いた。


「もしかして闇夜って……《ナイト》なんですか?」

「そうじゃないかなって思っている」


 迷いによって濁した言い方だ。


「そうじゃないんですか?」

「美陽子と会うのは、十六年振り……美夜子が失踪してから会ってないんだ。

 引っ越してしまったんだよ。行き先も告げないで、突然。実の親である明光院夫妻とも、美夜子が失踪してから関わらなくなってしまって。

 美夜子の幽霊が出てから、慌てて調べ出して……ようやく足取りが追えた。

 まさかこんなところで、あんな恰好で暮らしているなんて……今でも信じられないよ。こうして会っても顔見ていないから」


「つまり……とても疑わしいけれど、確証はない?」

「美陽子だったなら、左腕に傷跡があるはずなんだ。

 でも、見せてくれないだろうな。頼んでもきっと」


 左腕を見せて貰うというのは、仮面を外して貰うのと同じくらい難しいこと。


「それじゃあ、左腕を見せて貰うお願いをして断られたら……もう確定でいいんじゃないですか?」

「確定しても、アレは無理かもしれないな」

「何ですか?」

「三年前かな……明光院夫妻と十数年ぶりに再会して、そして頼まれたんだよ。

 美陽子を見つけたら、会わせて欲しいって」

「……育てていた娘がいなくなったから、養子に出した娘を連れ戻したいと?」

「顔を見るだけ、って言ってはいたけれども……やっぱりそうだよな。

 会ったりなんかしたら、一緒に暮らしたいって思うだろうし」


 気持ちはわかるけれど、俺だったら……嫌だなあ。

 養親に申し訳ないし、今更一緒に暮らす親を変えるなんて。

 たとえ実の親でも。


 闇夜が戻って来た。ご丁寧に洋菓子まで持って来て。

 この英国風に凝ったティーセット、闇夜の趣味はハイカラだなぁと思っていたが色々と知った後だと違った感想を持つ。


 ……女の子と対面して、お茶飲んでるんだよなぁ。

 今までずっと、女の子と二人っきりで会っていたのか。


 女性らしい丸い身体を隠すような闇色のフードつきマント、そして……年月を経て美しく成長した顔を隠す真っ白な仮面……。

 どうして、ここまで自分を隠そうとするんだろう?


「お待たせしました」


 闇夜の中性的な声だと思っていた綺麗な声も、今では全く違って聞こえる。

 どこか女性らしいように聞こえる。

 ……まずいなぁ。こんなに意識してしまうなんて。


「あぁ、ありがとう。《ナイト》」


 龍夜さんが、ごく自然に失言してしまった。

 俺が闇夜=美陽子の推定話を持ちかけたせいだ。俺のせいでもある。


「フフフ……ワタシは、美陽子ではありませんよ。ワタシは、闇夜です」


 闇夜は静かに訂正した。

 その設定は、どうあっても貫き通すつもりらしい。


「……じゃあ左腕を見せてくれ」


 龍夜さんは、険しい顔で言った。


「何故?」

「美陽子は昔、左腕を花火で火傷したんだよ」

「そうですか」

「……だから、腕を見せてくれ! そうすれば一目でわかる!」

「では、話をして下さい。また脱線していますよ」


 いきり立つ龍夜さんを、闇夜は静かに牽制していた。


「話せば、見せてくれると?」

「左腕ですよね? 構いませんよ」


 あっさりと了承されて、龍夜さんも俺もきょとんとしてしまった。

 とっさに『腕じゃなくって顔見せて!』と言いかけて、慌てて口を押さえる。

 闇夜、快く許してくれたように見えて……内心は物凄く不機嫌そうだった。

 闇夜の細くて美しい指が、テーブルをトントンと叩いている。

 目の前の正体不明の存在が、探し求めていた幼馴染かもしれない……その高揚感から龍夜さんは膝がテーブルに当たるほど身を乗り出していた。


「さっきから色々と話していると思うけれど……何の話を?」

「美夜子が失踪した日、龍夜は何をしていたのですか?」

「え……」


 闇夜の言葉に、一気にクールダウンした龍夜さん。


「そういえば……川崎さんが話してましたよね? 美夜子は失踪する日の放課後に《リュウ》と待ち合わせしているとか、なんとか」


 俺の言葉にギクリとまでした。さっきから龍夜さんは、俺の言葉にビクついてばかりのような気がする。何故ならそれは、まだ何か隠し事をしているからだ。

 龍夜さんは、俺と闇夜を交互に見てから、大きく息を吐いた。

 そして《あの日の事》を話し出した。





「四年生の時、僕と美夜子は別々のクラスになった。

 別々といっても隣同士だけれど。

 家も近いし、会おうと思えば簡単に学校外でも会える……そう、思っていた。

 でもクラス別になってからの再会は、結局……一ヶ月以上あいだが空いたんだ。

 あの頃は……美夜子に対して、どんどんそっけなくなっていった。

 幼馴染の女の子と仲良くするのが気恥ずかしく思えていたんだ。

 クラスメートとかの周囲の目を気にして。


 新しいクラスで過ごす事が楽しくなった、数か月後のこと……。

 新しい環境に適応した僕は、未だに誰にも心開かないで一人で過ごしている美夜子と会って話をした。


『やあ、久し振り。美夜子』

『ワタシの事は《アリス》って呼んでって言ってるでしょう?』

『え……だってあれば美陽子もいる時だけじゃなかった?』

『………………』

『わ、わかったよ! 《アリス》』

『それで、何の話なの?』

『あ……えっと、みや……じゃなくてアリスは、他に友達は作らないのか?』

『別にいらないわ。リュウとナイトがいればいいの』


 美夜子はとても冷めた口調で、淡々と答えた。


『……でも、別のクラスだから、そんなに会えないし。一人じゃ寂しくない?』

『いいえ。まったく』

『あ……あぁ、そうなんだ……』


 一人で読書をするのが好きな彼女が、孤独を愛していないわけがなかった。

 本当に、寂しいと思わないのかもしれない……。

 不意に黙り込んでしまった僕を見て、美夜子はフッと短く笑って言った。


『気にかけてくれてありがとう。でも、大丈夫よ。

 ただワタシは、自分の身を守っているだけだから』


 これ以上は……詳しく聞き出すのも、説得も不可能だった。

 美夜子は、一度決意を固めると、周囲が言うだけ意固持になるんだ。

 とはいえ……友好関係をまともに築けないんじゃあ、これから先ロクな事がないのは子供ながら想像できたし、かなり心配したよ。

 美夜子は、母親が卒業した全寮制のお嬢様学校の進学を決められていたんだ。

閉鎖的な女の世界で、誰とも関わらずに上手くやっていけるとは到底思えない。

このまま、僕とも疎遠になってしまうのか……なんて漠然とした不安があった。


 それから一週間……いや、二週間ぐらい経った頃か。

 僕の友人が変な事を言いだしたんだ。


『あのオジョウサマ、幽霊が視えるんだって本当か?』

『は? オジョウサマって誰?』

『あいつだよ、あの……本ばっか読んでる、お前と仲が良い』

『……明光院さんのこと?』


 オジョウサマにようやく漢字が当てはまり、美夜子が《お嬢様》と呼ばれていることを今更知った。

 美夜子、と言いかけて慌てて手慣れない名字呼びに切り替えた。


『たぶん、そう。それで、お嬢様は視えるのか?』

『誰が、そんな事言ったんだよ?』

『誰が? ……えぇー? 誰だー?』


 好奇心丸出しの友人の顔は、みるみるうち真顔になり、慌てて自分の席に集まった他の男子達と話の出所を話し合った。

 友人達は、又聞きの噂の真偽を確かめただけだった。

 子供は、そういう怪奇な話に目がない。この手の噂話はすぐに広がる。


『わかんない。明光院さんには霊感があるって……結構、噂だし』

『だから誰? そんな事を言っているのは』

『だからわかんないって! だから訊いているんじゃないか!』

『霊感は……あるみたいだけれど』

『本当に!? 本当に視えるのか!?』

『……見た事があるって、話は聞いた』


 言ってしまってから、美夜子が怒るだろうな……と思った。

 霊感の話は、僕だけにしか話していないはずだった。

 それを他の人に、話してしまった。一週間は絶交されてもおかしくなかった。


『それじゃあさ、放課後の肝試し誘ってみようよ!』

『え? 肝試しって……』

『今日学校でやろうって話になっているんだ。

 霊感がある子が一人いれば、何か起きるかもしれない』


 友人達はニコニコと、楽しいイベントだと言いたげに話していた。

 何か、そんな彼らが無性に腹立たしく思えて、その楽しさに敢えて水を差した。


『学校って、夜にでも忍び込むつもり? 先生に見つかるよ?』

『大丈夫、大丈夫! 放課後、ちょっと隣のクラスを見るだけだし!』

『隣のクラス?』

『これ、ほんの一週間前に本当にあったことだから!

 隣のクラスの子から聞いたんだけれど、幽霊の声を聞いたんだって』

『幽霊の声?』


『隣のクラスの女子が、忘れ物をして……学校に戻った時には、もう校門が閉まっていたけれど、花壇を踏み台にしてよじ登って入り込んで。

 それで教室まで行ったんだけれど。当然、廊下とかの電気は消えてるし、先生達は全員職員室にいるし、こんな遅い時間まで誰かが残っているはずないよな?

 その日はクラブ活動も休みの日だったから、絶対に誰か残っているはずがなかったんだ。でも、聞こえたんだよ。女の子の泣き声が。

 押し殺した泣き声だったって……はっきりと人の声だってわかって。

 その子はあんまりに怖くて、声の正体を確認する事が出来なくて、忘れ物も取れなくて逃げ帰ったんだって』


 語られた怪談を、わざとらしいリアクションで怖がる者、本気で怯えて耳を押さえる者……それぞれいた。ちなみに僕は、半分以上信じていた。

 美夜子から怖い話を聞きまくったから、オカルトな存在は素直に信じていた。


『それで、隣のクラスに心霊現象の検証に行きたいと、そういうわけ?

 それで、美夜子に幽霊がいないか確認して貰おうと、そういうわけ?』

『そうそう! 龍夜も来る~?』

『僕が行くのは構わないけれど、ちょっと待って。

 まず美夜子を説得しないと……でも……上手く誘えないかもしれない』

『説得する必要ないんじゃない?』

『え? いや、だって』

『教室で待ってて……って残せばいいよ。そうすれば手間が省けるでしょ?』


 頭の回転が速い……いや、悪知恵が働く……とでもいおうか。

 困っている僕に一人の同級生が、まあまあの妙案を示した。

 正直、美夜子を説得するのは苦手だったから渡りに船だった。

 騙すのは気が引けたけれども、仕方がない。新しい学校の怪談を聞いた僕の好奇心は刺激されて、真相を確かめたい気持ちになっていた。




 そして昼休み……僕は、いつも通りに美夜子と会った。


『アリス、今日の放課後少し、教室に残って待っていてくれる?』

『教室に? いつもみたいに校門じゃなくていいの?』


 時々、一緒に下校していて、その待ち合わせ場所は校門だった。

 いきなりの場所変更に美夜子は首を傾げていた。


『いや、今日は一緒に帰るんじゃなくて、話があるんだ』

『話なら一緒に帰りながら聞くわ。いつもそうしているじゃない?』

『ふっ、二人で話したいんだよ! 他の人がいないところで!』

『――――よほど大事な話なのね。わかったわ』


 美夜子が、神妙な顔つきで頷いた。

 二人っきりで大事な話がある……なんて、まるで告白するみたいな言い方になってしまった。

 美夜子は誤解はしなさそうだけれど、他の女子は絶対に勘違いする会話だった。


『……リュウ?』

『う、うん!? 何?』

『今日は、一緒に帰れない……の?』

『えっと……ごめん。今日は、無理かな。

 あ、あの、今日は塾があるんだ。だから、遅くは帰れないんだよね。

 一緒に帰ると、ついつい遠回りして帰って、遅くなるから』

『……なら、仕方ないね』


 肝試しに参加する、僕のクラスメートに美夜子と一緒に帰るところなんて見られなくなくて、即座に断ってしまった。嘘吐いて教室に残して、誘いも断った。

 罪悪感から、悲しい顔をしている美夜子を直視出来ず、僕は教室に逃げ帰った。




 そして放課後。あの日は雨が降っていたんだ。

 担任の先生の目を欺く為に、一旦帰ったフリをして校舎裏に隠れていた僕と友人達はしばらく待って、一階の職員室に大体の先生が集まっている事を確認してから、校舎内に忍び足で戻った。


『ちょっと! そんなに騒いでいたら、幽霊の声が聞こえないじゃない!』

『でも、もっと遅い時間に聞こえたんじゃなかった?』

『あんまり遅くなって先生に見つかったら怒られるよ』

『大丈夫だよ。先生、職員室にいるし。

 そして今日は、だぁれもいないんだから』

『これで声が聞こえたら、幽霊の声だね』

『うぉおお! 面白そう!』


 怖い物見たさに完全に支配された友人達は、小声で囁き合っていた。

 薄暗い廊下は、昼間と全然違う雰囲気に包まれていて不気味だった。

 昼間なら笑ってきける怪談が、頭の中を巡っていて……学校に棲むナニカが、残っている僕達を襲おうと物陰からじっと見ているような感覚に囚われる。

 雨が窓ガラスを叩く音も、全然違って聞こえたくらいだった。


 足元から、徐々に這い上がって来る恐怖を楽しむ友人達を尻目に……僕は、教室で待っている美夜子に何て謝ろうか……ずっと考えていた。

 幽霊が出るよりも彼女に嫌われたら、どうしようとそればかりを心配していた。

 昇降口には彼女の靴がまだ残っていた。

 だから美夜子はきちんと約束を守ってくれている。

 なのに僕は……こんなくだらない肝試しに付き合わせる為に、嘘まで吐いて。

 今まで感じた事のない程の罪悪感に苛まれていて、とてもじゃないけれど雰囲気を楽しめる余裕はなかった。


 教室が近づくにつれて、友人達は口を閉ざして黙って歩いた。

 でも、誰にも『やっぱりやめよう』とは言わなかった。……僕も。

 教室の、いつも先生が入って来るドアの前まで立つ。


 廊下を歩いていたら、いつの間にか僕が先頭だった。

 必然的にドアを開けるのは僕だ。

 ゾンビ映画に出てくるゾンビのように、幽霊が襲ってくるかもしれない……なんて背後で友人が無責任に怖がらせてきているのを無視した。


 待っているのは、美夜子だ。幽霊じゃない。

 誠心誠意込めて謝れば、きっと彼女も許してくれる。

 そう思い直して、ドアへと手を伸ばしたら、目の前のドアが勢いよく開いた。

 友人達がぎゃあと悲鳴を上げて、逃げ出す者、硬直する者、腰を抜かす者……色々いた。僕は、目の前で恐ろしい顔をした先生を見上げていた。

 何故か大して驚かなかった。

 隣のクラスの先生が、教室にいることは別に変な事じゃないからだ。


『こら、君達! こんな時間まで残って、何をしているんですか!?

 早く帰りなさい! 早く! 帰りなさい!! 早く!!』


 学校でも優しくて温厚だと噂の、隣の先生が滅茶苦茶怒っていた。

 僕達は逃げ帰るように校舎を後にして、校門を後にした。

 怒られた事で頭の中が真っ白になっていた僕は、美夜子がどうなったのか……思い出したのは家に着いてからだった。

 きっと先生に見つかって帰ったんだろうな……そう思おとした。

 たしか昇降口に靴が残っていたはずなのは、気のせいということにした。





 その日の夜……美夜子が家に帰ってないって、美夜子のお母さんから電話があったんだ。僕は動揺している両親を見ながら、呆然としていた。

 何か知らないか、母親から問い詰められたけれど僕は首を横に振ることしか出来なかった。そして涙をポロポロと零した。

 男の子は泣かないものと躾けられてきたけれど、涙は止められなかった。

 何故なら悟ってしまったから。


 僕のせいなんだ。美夜子は、僕が消してしまったんだ。僕の所為だ。

 もう、あの笑顔を見ることは出来ないんだ。

 もう、美夜子とは――――二度と会えないんだ。

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