先生の話 前半


 《未完結の話》の結末を隠していた――――。


 確かに闇夜はそう言った。なんの悪びれもなく!

 衝撃的な発言に頭真っ白になったが、何とか喉の奥から声を引きずり出す。


「ど、どうして……隠していたんだよ!!」

「ごく普通に怪談を語って聞かせるよりも、効果的かと思いました。

 それに夏生ならば、怖い話の完結を必ず求めようとするとも思いました」

「そんな回りくどい手法をとらないで、最初っから完璧な話を聞かせてくれよ!」

「そうしたら夏生は、一つしか話を知れなかったと思いますよ?」


 闇夜の言葉に一瞬、騙されそうになった。


「あのな……闇夜から《未完結の話》を聞いてから、もう二ヶ月以上経っているんだぞ! 二か月もあれば、闇夜から別の話が聞けたじゃないか! たくさん!」

「ワタシは《美夜子》については、あまり知りませんから」


「別に俺は、別の話でも良かったよ!?

 あまりにも不完全燃焼だったから色々と調べただけで……そ、それに!

 この前どうして『完結を求めることはやめろ』なんて忠告したんだよ!」

「あれは本心ですよ。夏生は知らないままの方が良いと思いまして」


「……矛盾していないか?

 さっき『完結を必ず求めようとする』と思ったから話したって。

 それが『完結は知らないままの方が良い』と思ったから忠告したぁ!?」

「矛盾してはいません」


 いくら言葉をぶつけても闇夜には効かないようだった。

 本気で悪いと思っていないらしい。その態度が火に油を注ぐ。


「あ、闇夜は俺にどうして欲しいんだよ!?」


 子供みたいに喚いた俺に、闇夜は『お願い』してきた。


「ワタシの話を聞いて下さい。静かに」



 これから闇夜が話す《結末》こそ本当の話なのか?

 今度こそ、完璧の怪談が聞けるのか?

 俺が怒りを治めない事には、闇夜は話し出さないみたいなので、必死に言いたい事を飲み込む。

 龍夜たつやさんは、俺に殆ど言いたい事を言われてしまったので、黙ったままだ。



 闇夜が慣れた手つきで紅茶を淹れ直したのをみて、話が長くなるとみた。


「この話は、初めて人に話します。

 何せ――――ワタシの前で、人が殺された話ですから」

「……殺された?」

「はい。そのソファーに座ったまま、お亡くなりに」


 俺も、龍夜さんも、ソファーから一斉に立ち上がる。


「亡くなったって誰が!?」


 立ち上がった勢いのまま、龍夜さんが闇夜に詰め寄った。


「《先生》ですよ」


 闇夜は事も無げに言い放った。

 俺は、人が死んだ場所とも気付かずに座り続けていた事に、心底ぞっとした。

 龍夜さんは絶句していた。黙ったままソファーと闇夜を交互に見ていた。


「……お座りにならないのですか? ソファーに」

「だって此処で死んだんだろ!? 座れるわけないだろ!」

「大丈夫ですよ。

 今までずっと座っていて、何も起こらなかったではありませんか」

「そ、それはそうだけれども……」


 ごねても、他に椅子は出てきそうもなかった。

 この《最後の話》を聞いている間だけは、心霊現象は起きないで欲しい。

 そう願いつつ、俺は龍夜さんと共にソファーに座り直した。


 鼓動が、間違いなく速くなってくる。

 恐怖の中毒者が渇望していた恐怖が得られる予感に、身体が先に反応している。

 期待に胸を高鳴らせて、真っ直ぐ闇夜の白い仮面を見据える。


 闇夜は中性的な美しい声で、いつも通り語り始めた……。





 《未完結の話》についての、おさらいは今更必要ありませんね?

 まあ、振り返るほど内容がないのですが。話の途中で、ワタシの元から逃げ帰った《先生》は、それから三日後に再び現れました。


「初めまして、闇夜と申します。

 お会いできて光栄です。これからも仲良くしていきましょう」

「……あ、あれ? 会うのは、初めてでしたっけ? つい先日……」

「覚えていますよ《先生》」

「あ……あぁ、良かった。

 先日は、いきなり帰ってしまってすみません、でした」


「お気になさらないで下さい。

 ワタシは、話すことを強制はさせません。

 ワタシに出来ることは、お話し下さる話を傾聴することのみですから。

 ――――それよりもお身体の方は大丈夫ですか?」

「え?」

「顔色が優れないようですが、どこか」

「いえいえ……すこし寝不足で」


 確かに目の下の隈が濃く、寝不足なのは一目見てわかりました。

 けれど、げっそりと痩けた頬。土気色の顔色。充血した両目。半開きの口。

 わずか三日で人相が激変していました。


「一体、どうなさったのですか?」

「だから寝不足なんですよ……」

「どうして眠れないのですか?」

「…………ウソツキ」


「はい?」

「ウソツキ……ウソツキ……ウソツキ……ウソツキ……ウソツキ……」


 しばらく先生は、同じ言葉を繰り返していました。口から言葉が零れる度に、先生の瞳からは意志、正気、感情……それらが失われていきました。


「…………くっくっくっ……嘘吐きだって? ウソツキウソツキウソツキ……。

嘘なんか吐いてないのに……いや、嘘は吐いている。

 今までだってずっと嘘つ……嘘吐きじゃない。わたしは嘘は吐いていない。

 嘘吐きじゃない。嘘吐きじゃない。嘘吐きじゃ」

「先生!」


 ワタシが左肩を叩くと、理性の光が先生の瞳に戻りました。


「独り言ですか? それともワタシに話しているのですか?」

「……え? 何か、わたし、言っていましたか?」

「先生、居眠りでもしていましたか?」

「はあ……どうやらそのようで。すみません」

「ワタシにお話しがあるものだと思ったのですが。

 具合が悪いのでしたら、また後日に」

「後日!? そ、そんな……そしたら今夜も、ま、またあらわれ」


 いきなり、先生は胃の中をぶちまけました。ぼろぼろと吐瀉物としゃぶつと苦しげな呻き声が口から溢れていくのを、ワタシは見つめていました。

 背中くらいさすってあげれば良かったと、今は思います。

 苦しみの波が引いた頃……ぐったりしていた先生は自主的に話し始めました。


「……闇夜さんは幽霊、視た事ありますか?

 わたしは、高校生の時からずっと視えているんですよ。

 毎晩、必ず、現れるんですよ。笑えるくらいにね」


 美夜子の話だと思っていたので、少し返事が遅れました。


「生まれつき幽霊が視えていたわけではないようですね……」

「高校二年の夏からですよ。とある事件がありましてね。

 同級生が、転落死したんです。

 その同級生は……死んだ彼は、わたしの親友でした」

「……それは痛ましい事です」

「わたしが殺したんです」


 ごく普通に言われたので、聞き間違いかと思いました。


「親友だった奴を……です。もう時効ですから、全部お話ししますけれど。

 奴は――便宜上、Kと呼びますね――わたしが好きな女の子の事を相談した直後、彼女と付き合ったんです……まあ、元々女の子の方がKの事が好きだったみたいですけれど。それは仕方がない、どうしようもない事なので……とても悔しかったのですけれど、二人が幸せに交際出来るように祈っていました。

 しかし……Kは僅か一週間で、手酷く振ってしまったんです。

 わたしは激昂して、空き教室でKに詰め寄りました。

 全く反省する素振りもみせず、それどころか『失恋している女は落とし易くなったから、結果オーライだろ!』と笑顔でわたしの肩を叩いてきました。

 その台詞に頭が真っ白になってしまって――――」


 大きく唾を飲み込んでから、ぎらついた目を見開いて先生は続けました。


「――――窓枠に腰掛けているKを突き飛ばしました。

 三階から落ちたKは、首の骨を折って即死。一緒にいたわたしは『Kが身を乗り出して、誤って落ちてしまった』と言い張りました。

 わたしは、全く疑われることなく……Kの死は事故死と早々に決まりました。

 そしてKが死んだ日の晩から、視えるようになったんです。

 殺したKが、枕元に立ってじっと、わたしを見ているんです。

 そして恐ろしい顔で『ウソツキ……ウソツキ……』と、呟き続けるんです。

 ずっと呟き続けるんです。

 どんなに謝っても、怒鳴っても、懇願しても……消えてくれないで、ずっと」

「今でも、ですか?」

「………………」


 先生は認めたくないようでしたが、しぶしぶといった様子で頷きました。


「ならば、犯した罪に対しての罰だと諦めるしかありませんね。

 既に時効を迎えてしまったのなら、法によって裁いて貰う事は出来ません。

 もはや正当な贖罪が出来ないのですから」

「……たとえ今から警察へ行き、全てを話したとしても……許さないでしょう。

 きっと許さない。許さないで……ずっと……ずっと……ずっと……」


 亡者の恨みは、相当の厳しい罰になったようでした。

 殺された者が毎晩枕元に立つ。そして責め立てる。

 ……これほど人殺しに見合うほど恐怖に満ちた罰はない。


「罪を償おうという気持ちがあるのであれば、今からでも遅くはありません。

 警察へ、行きましょう」

「……無駄ですよ」

「そうだとしても、ずっと罪を抱えたままでは」

「無駄ですよ」


 先生は、やけにハッキリと断言するような言い方に違和感を覚えました。


「無駄だと何故、言い切れるのですか?」

「たとえ……罪を償っても、また罪を犯すからです」


 先生はそう言うと、口元を歪めました。


「どういう意味ですか?」

「ですから。わたしが。また。人殺しをする……と」


 まるで出来の悪い生徒に言い聞かせるように、繰り返しました。

 言葉を吐き出すことによって、胸の奥に積み重なった澱みも排出しようとしているようでした。語る先生の目は、既に真っ当な人の目ではありませんでした。

 その狂気に満ちた彼の双眸を見据え、ワタシは訊きました。


 恐ろしい告白を引き出す為の問いを。


「……先生。あなたが殺したのは、親友だけですか?」


 先生はびくりと身体を震わせた後、逃げ出したいように左右に揺らし始めました。

 視線もあっちこっちに飛び、動揺していることが一目瞭然でした。


 ワタシは、しばらく辛抱強く待ちました。

 先生は、必ず話すだろうと確信していましたから。


 一度は話の途中で逃げ出しましたが、再びワタシの元にやって来ました。

 もう彼は逃げたりはしない。逃げ出す場所がないから、秘密を抱え切れなくなった

から、ワタシに話しに来たのです。


 時間にして十五分程度。沈黙していた先生は、ゆっくりと話し始めました。

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