最後の話
誘い水
「初めまして、闇夜と申します」
闇夜は、常套句を口にした。
何度も会っていて顔見知りの相手から「初めまして」と言われるのは、言い知れぬ不安を覚える。何度会っても、この感覚だけは慣れない。
俺と一緒なら闇夜の家に入る事を許されたタツヤさんは、とても緊張している様子で、目の前の安楽椅子に座る存在を見つめていた。
白い仮面に黒いフードつきマントを着た、怪談蒐集家。
「さて、今日はどのような怖い話を御所望ですか?」
ごく自然に訊ねてきた闇夜。
その言葉を待ってましたといわんばかりに、身を乗り出したタツヤさんを制した。
「待って! ……その前に、ちょっと話したい事があるんだ」
「今日は、夏生のお話ですか? それは楽しみですね」
闇夜が聞く体勢になってしまったので、驚いて反論しようとしたタツヤさんも閉口して座り直した。
俺は、深呼吸をした。色んな覚悟は、とっくに決まっていた。
至高の恐怖の為なら……俺は、どんな事でもする。俺は、隣で怪訝な顔をしているタツヤさんを見据え、そして……闇夜の白い仮面を見た。
「闇夜。覚えているか?
だいぶ前、闇夜は俺に、こんな事を言ったよな。
『真実を知る……というのは、思いのほか大変ですね。
闇に葬られた真実、知らない方が幸せの真実……。
この世界には、そんな隠された真実が沢山あるのかもしれません』
世界に蔓延している隠された真実を暴こうとするのは、大抵は正義とか、世のため人のために行動される事が多い。けれど……闇夜が、そして俺が暴こうとする理由は至ってシンプルだ。
ただ、知りたかったからだ。
好奇心の虜になって、恐怖の中毒者になって……確実に頭がおかしくなった俺達はわざわざ隠されている真実を掘り起こして、それらの欲求を満たそうとする。
時には、モラルを無視してまで手に入れようとすることも。
もちろん、それは褒められた事じゃないし、悪い事だとも思っている。
ただ、言い訳じゃないけど、人は知りたいという欲求に弱い生き物なんだ。
特に俺は……闇夜が言う通り……好奇心が強いんだ」
闇夜は、自分で淹れた香り高い紅茶を飲みながら、黙って傾聴していた。
隣のタツヤさんは、俺が何を話すのか興味半分。
闇夜に聞きたい話が気になってイライラが半分だ。
「俺はタツヤさんと一緒に《
俺が、美夜子について知ったのは《未完結の話》……。
そしてタツヤさんは《
俺は、タツヤさんに向き直って訊ねた。
「あ、はい。そうです」
頷きながら答えるタツヤさんは、ちらりと闇夜を横目で見た。
闇夜は美しい指を組んだまま、何も言わなかった。
「タツヤさん。俺に、嘘吐いてますよね」
「えっ!? 嘘って……何のことですか?」
少しばかり動揺して震えている瞳を一瞥して、俺は続けた。
「まずは、二年前の山ノ内さんへ取材をした件についてですけれど。
山ノ内さんは、怪奇現象を目の当たりしたショックで高熱を出して寝込み、それから体験の記憶を失くしていた。十数年経ったある日、突然思い出した彼は、オカルト雑誌ファクティスの読者の怖い話募集の広告を見て、取材依頼の電話を掛けて来た。それで、タツヤさんが取材を行った――――そう話でしたよね?」
「そうです」
「でも……取材の録音データには確かに『あなたから取材の話があるまで、忘れていました』とありました。
山ノ内さんが思い出したのは、タツヤさんが取材を申し込んだ所為なんです。
つまりタツヤさんは、山ノ内さんが怖い体験をした事を知っていたんだ。
タツヤさんは、山ノ内さんが美夜子と関係していると知っていて、だから取材を申し込んだんだ」
「……そんなこと、ないですよ。だって彼とは、あれが初対面なんですから」
反論の声は、思ったより小さかった。
「でも、タツヤさんは美夜子という少女の事を、前から知っていたんだ。
山ノ内さんから話を聞く前から」
「ちょっと待って下さい! どうして、そう考えるんですか?」
イライラが興味を上回ったようで、タツヤさんは立ち上がった。
「僕は、闇夜に話を聞きたいんです!
これ以上、訳のわからない事を言わないで下さい!」
「――――夏生。
どうして、タツヤが《美夜子》を知っていたとお思いなのですか?」
闇夜は我関せずといった様子で、俺に話の続きを促した。
タツヤが反論する前に、俺は答えた。
「録音に入っていたんだ。
≪2015年 5月4日 山ノ内
取材の前に、タツヤさんの声で入れられたタイトル。
美夜子の話を聞く前のはずなのに、どうしてわかったのかな……そう思って」
タツヤさんは、しまったと言いたげな顔をしてから俯いた。
「タツヤさんは最初から、美夜子の話を集めるつもりで取材をしていたんだ。
闇夜のところに話を聞きに来たのも、そのつもりで」
「…………はあ」
タツヤさんは、大きく溜息を吐いた。そして、そのまま黙ってしまった。
大きな溜息が観念したからか、呆れ果てたからか、わからなかった。
「……それで?」
気まずい沈黙を、破ったのは闇夜だった。
「夏生。あなたの強い好奇心で知り得たのは、それだけですか?」
静かに訊ねられたはずなのに俺は威圧された。
闇夜は何もかもお見通しのように、確認してきた。
まだ話す事はありますよね? 最後まで話して下さい……と。
俺は、沈黙を守っているタツヤさんを一瞥してから話を再開させた。
「俺は、今まで聞いた話を改めて考え直して、自分なりにまとめてみた。
大抵の他者には挨拶するどころか愛想笑いすらみせない、寡黙。
どうしても必要な会話の際は、男女関係なく、くんづけで呼ぶ。
特別に仲が良い二人の友人には、特別なあだ名をつけて呼んでいる。
美夜子には前世の記憶が見える能力があり、怪奇な出来事に良く巻き込まれることが多く、その体験談を周囲の人間に話していた。
小学四年生時に失踪。現在は死亡宣告されている。失踪する直前には、別人のように性格が変わり、クラスメートと積極的に交流を持つようになった」
それから俺は闇夜に簡単に今まで聞き集めた話を、かいつまんで話した。
《鏡の世界の話》《美夜子の話》《呪いの話》……。
「山ノ内さんも、
《リュウ》という言葉に、一人だけビクリと反応した。
俺が見返すと、彼は黙って視線を逸らした。
「美夜子についての話を集めていくうちに、ひどい遠回りをしているんじゃないか。そう思えてきた。どんなに話を集めても決定的なモノがないから、時間の無駄だ。
美夜子について知っている人から、きちんと話を聞いて。それで」
「夏生」
闇夜が、乱暴に話を途中で断ち切った。
「な、何だよ闇夜……」
「遠回りをしているのは、話す相手の所為ではありません。
夏生自身の所為です」
「は、はあ!?」
「そもそも、夏生が知りたかったのは《未完結の話》の完結でしたね?
それが、いつの間にか《美夜子について》知りたがっているように見えます。
ストーリーより、登場人物に心を奪われてしまったみたいですね」
闇夜の言葉に、俺は後頭部を思いっきり殴られたようなショックを覚えた。
「そ、それは……」
「夏生の気持ちは、よくわかります。
色々話を集めて聞いてみたら、美夜子は失踪したと聞かされてしまいました。
唐突の終幕に、どうしても納得出来なかったのでしょう?
ですから夏生は、美夜子が体験した恐ろしい出来事や曖昧な二人の友人に対して、興味をスライドさせて……自分が満足出来る物語を追い求めようとしました。
そして彼が、幼馴染の《リュウ》であること……既に暴いているのでしょう?
隠された真実を暴いて、夏生は何を得られましたか?」
「おい、ちょっと……!」
黙っていた彼が悲鳴に近い声を上げた。
「……
美夜子は、人の名前から連想してあだ名をつけるから」
追及された彼は、今度こそ大きく溜息を吐いてガックリと脱力した。
「――――まいったなあ。
カンペキに隠したと思っていたのに、いつの間にかボロボロ。なんなんだよ。
だったら最初っから打ち明けていれば、変にこじれなくて済んだかもしれない」
苦笑いを浮かべながら、頭をガリガリ掻く龍夜さん。
それと同時に俺も、息を吐いた。何の感情も湧かなくなってしまった。
「闇夜の言う通りだよ。今まで俺が得られた刺激なんか、気休めにもならない。
至高の恐怖を求めていたはずなのに、どうしてこうなってしまったんだろう?」
残酷な真実、隠された過去、知らなければ良かった心の闇……。
今まで恐怖を得る為に、どんな事も受け入れてきた。
今回も、どんな結末でも最後までしっかりと見届けるつもりだった。
俺が興味を抱いた話は、必ず満足出来る恐怖が待っていたから。
それが、こんな大ハズレを引き当てるなんて……。
『ワタシは……絶対的な恐怖は、己の想像力が創り出すものだと思います。
実態が無いからこそ……好き勝手に想像を膨らませる事が出来る。
自分の中の思考は、馬鹿馬鹿しい考えを真実にし、己が最も恐ろしいと思う結末を自然と導き出す』
『ですからワタシは、本来の結末で得られる恐怖とは別の……ワタシだけの恐怖を味わう為に《先生》の未完結な話を、あえて未完結のままにしているのです』
闇夜の忠告を聞き入れていれば良かった……今更後悔しても遅い、か。
「夏生は至高の恐怖を、お求めなのですね?」
美しい声で紡がれた言葉が、室内の空気を変えた。
生み出された期待が、爪先から徐々に這い上って来た。
これは《予感》だ。いつも怖い話を聞く前に『これは怖いぞ』と感じるもの。
この予感を覚えると、恐怖を味わえる喜びで心が満たされる。
いわば、絶対的な恐怖を約束される……待ち望んだ恐怖が。
「それでは、これから話を紡いでいきましょう」
闇夜は楽しそうに言葉を紡いだ。
「まずは《リュウ》……《美夜子》という少女について、お話し下さい」
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