真実を話して……

 帰りの電車の中――――俺と闇夜は黙りこんでいた。


 行きの電車の静寂が嘘のように、女子高生達の談笑の声とか、幼児のぐずる声とかヘッドフォンからのロック音楽の音漏れ、などなど……周囲の喧騒が耳に否応なしに入って来る。ひどく耳障りだった。


「なあ……」


 会話をすれば気にしなくなるだろうと、俺は闇夜に声を掛けた。


「俺、途中で席立ったんだけれど、何の話を?」

「特に何も」


 闇夜の答えは酷く冷淡だった。


「で、でもさ……少しは話が進んだ、だろ?」

「全く」


 明らかに機嫌が悪い時の対応だった。


「なあ、闇夜……何怒ってるんだよ?」

「怒ってません、多少不機嫌なだけです」

「……もしかして俺のせい? 俺が途中で……タバコ吸いに行ったから」


 タバコなんて吸いに行ってない事が、バレているのでは……?

 そんでもって、勝手に他人の日記を隠れて読んでいた事がバレている……?

 だとしたら俺は謝った方が良いのか?


「夏生の所為ではありません」


 そう言って闇夜は、窓の外へ顔を向けた。

 白い仮面が陽光に照らされて紅く染まる。俺もつられて窓の外を見た。


 太陽が西へ沈んでいく。東の空は夜の闇が迫る。

 駅に着いた。人がぞろぞろと押し出されるように降りて行く。

 それと入れ替わりに大量の人がぐいぐいと他人を押しながら入っていく。

 座席に座る俺は、疲れきった社会人達と顔を合わせたくなくて俯いた。


「真実を知る……というのは、思いのほか大変ですね」


 横から闇夜の声が聞こえた。

 辺りがざわざわ喧しくても何故か、闇夜の声は耳に入って来る。


「闇に葬られた真実……知らない方が幸せな真実……。

 この世界には、そんな隠された真実が沢山あるのかもしれません。

 けれども変わり者のワタシは、出来事には全て裏がある……と自分勝手に想像してしまうのです。特に、真実を知りえなかった場合は憶測を大いに含んだ話を捏造してしまいます。これから語るのは、ワタシの妄想が生み出した物語です。

 乗り換え駅まで着く30分間の間、律儀に聞く必要はありません。

 お疲れでしょうから、聞き流してくれても構いません」


 一呼吸置いて、闇夜は話し始めた。



「桐浴 惇美と高野 千怜……二人の友情は中学時代の出会いから順調に育まれ、高等部に上がり、そして卒業しても続いていたのでしょう。

 社会人になっても二人の交流は続いていた。

 惇美は、素の自分をさらけ出させる千怜を心から信頼していたようです。

 けれども、千怜は……そうでは無かったのかもしれません。惇美が、女口調であることも一人称も個性として割り切っていたのかもしれません。


 そうだとしたら、いずれ二人の間に歪みが発生するのは必然です。


 惇美は、女性として同性の親友として千怜とは付き合いたかったのでしょう。

 千怜は、惇美を理想的な異性だと長く過ごす内に思い始めたのでしょう。

 互いに互いの本音がわからないまま……ある日、千怜は募らせた想いを惇美に告げてしまいました。


 『あのさ、私のことアーちゃんの恋人にして貰えるかな?』


 それを聞いた惇美は……女性だと自分を思ってくれていたはずの彼女の口からそんな言葉が出て来た事を信じたくなくて……彼女を、殺してしまった」


 ガタンゴトン。一瞬、闇夜が黙ったので電車の音は煩い。


「それで口を裂いたって? 言ってはいけない言葉を言ったから?」


 俺は、あくまでジョークを聞いたように笑いながら言った。

 闇夜は質問が聞こえなかったように、話を続けた。


「惇美は、アリスさんに苛まれていると聞きました。

 目の前に現れたという、アリスさん。――――それは惇美の心の奥底にある自らの行った残虐な行為に対する罪悪感、友人を未来永劫に失った悲しみ……それらが具現化したものではないかと思います。ワタシは、あの純粋な中学生が罪深い殺人を犯して平然としているなんて思いたくありませんでした。


 表面上は取り繕えても内心は穏やかでないはず……そんなワタシの自分勝手な思い込みで根拠はありません。友人を自らの手に掛けた事を忘却の彼方に押しやって、学園の怪談に出て来る女の所為にしているのを見たとしても、ワタシは惇美の事を嫌いになれない。


 今更ながら……後悔しています。ワタシ一人で向かえば良かったです。

 夏生を連れて行かなければ良かった。

 そうすれば……惇美はワタシに話してくれたかもしれません。

 本当の真相を、全て話してくれたかもしれない」


 俺の名前が出て、連れて来るんじゃなかった、なんて言われて言葉を失った。


「夏生には、危ない橋を図らずも渡らせてしまったのです」

「危ない橋?」

「夏生が、桐浴 惇美が元は男であると何故わかったのか……大変気になります」

「……あ」

「多分、一服する際に秘密の一端を垣間見ましたか?」

「えっと」


 今の、不機嫌な闇夜に素直に謝ったところで許されるだろうか?

 でも闇夜は既に看破しているようだ。ここで白を切ったら怒られるだろう。


「プライベートを覗き見したよ……悪かったと思ってる」

「申し訳ありません、夏生」

「えっ!?」

「ワタシが裏事情を全て話していれば、そんな事をさせずに済んだものを」


 潔く頭を下げたら、逆に頭を下げられた。


「危なかったですね、夏生」

「うん?」

「あなたが無事で良かったです、本当に」


 不機嫌な様子が一変して、闇夜にあまりに心配されるので俺は不安になった。


「どういう、意味?」

「怪談の女の逆鱗に触れず済んで良かったですね」

「逆鱗?」

「幸いな事に夏生は、言ってはいけない言葉を言わなかったようですから」


 怪談の女というのは……桐浴 惇美の事か?


「なあ、闇夜! 本当に彼女が殺人を犯したと思っているのか!?

 大好きだった親友を殺した犯人が、アーちゃんだって!?」

「夏生。最初にワタシ、言いましたよね?

 『これから語るのは、ワタシの妄想が生み出した物語です』と」

「妄想!?」

「はい、全て妄想ですよ。さあ、行きましょうか」


 電車が停まっていた。俺は闇夜の背中を追った。


 闇夜の話は、現実味のある真に迫った話だから好きだった。

 それなのに……本人から妄想だと言われてしまった。

 確かに、闇夜の話には証拠は無い。


 俺だってアーちゃんがチーちゃんを殺したなんて思いたくない!

 けれど……日記を見た俺だから、闇夜の話を一笑に付する事は出来なかった。


 七年前、女の友逹が出来て嬉しそうだった。見てくれは男だけれども、紛れも無い女子だったアーちゃんにとってはチーちゃんは唯一無二の女友達だった。

 女の子っぽい性格や口調を受け容れてくれた、初めての人……。

 期待に胸を膨らませて、その友情を続ける為に努力は惜しまなかっただろう。

 自分勝手に膨らませた好意が、ある転機を迎えて敵意になった。

 可愛さ余って憎さ百倍という言葉通り……7年の時間を費やして育んできた純粋な友情が、殺意に変わってしまった。


 ――――いやいや! 俺は何を考えているんだ!

 そう考えれば、充分怖いさ! でも……想像にしては度が過ぎるぞ!

 あぁ、本当に口裂け女の仕業だったらいいのに! そうすればいいさ!

 じゃなかったら通り魔の仕業でいい! とにかくアーちゃんの仕業じゃない!

 親友の突然死は、とても辛く悲しい出来事だ。だから心の傷は深くて、すぐは癒えないだろうけれど……それは長い時間が解決してくれるだろう。

 あの可愛らしい家で、趣味のガーデニングをするんだろう。

 綺麗な花々を育てながら、今度こそ本来の自分で生きる――――。



 乗り換えの電車、そこは先程よりも静かだった。

 闇夜と一緒に電車を乗ると、何故かいつも座席に座れる。

 俺は横に座る闇夜を一瞥すると、いかにも冗談っぽく話し始めた。


「なあ、闇夜。俺さ、闇夜よりも怖い話を想像したんだけどさあ?」

「……何でしょうか?」

「もし、惇美が親友殺しの犯人だったらさ……既に彼女の理性は完璧に崩壊しているだろうな。親友を殺しただけじゃ飽き足らず、口を切り裂いたんだから。

 それでその後なんだけれど……チーちゃんのお葬式でも何でもいいや、そこで同級生と再会した事で胸の内に治めていた憎しみの記憶が甦ってしまって……」


 どんどん声が大きくなる。それに途中で気付いて、すぐに声を小さくした。


「自分をいじめてた同級生も殺してしまった、とか」


 横目で闇夜を再び見る。闇夜は何も言わない。


「多分……殺された人は失踪扱い。中学時代に無理矢理入らせられた3階の女子トイレの怪談と同様に生死はわからない。わからないようにしたんだ、彼女は!

 俺の妄想だよ。そうだよ、こんな話、あってたまるか!

 多分、失踪した人達は…………あの中庭の花壇の下じゃないかなあ!?

 はははは、ひきずり女みたいにさあ! 自分が受けた酷いいじめに対する恨みから人を殺して、その死体を決められた場所へ……花壇の下に埋める!

 ずっと女性として扱って欲しいと思っていた桐浴 惇美は、怪談の女になった!

 こんな笑える話があるか!? あははははは!……」


 周囲の喧騒が邪魔をしてきて話している俺ですら集中出来なかった。

 だから、闇夜だってまともに聞いてなんかいないんじゃないかと思った。


「――――フッ」


 その笑い声は、風の音のように幽かな音だった。

 俺が闇夜の方を見ると、両肩を小刻みに震わせて低い声で笑っていた。

 しばらく白い仮面越しに聞こえる不気味な笑い声が、俺の鼓膜を震わせる。


「なるほど。面白いですね」


 俺の話を聞いて、闇夜は面白いと言った。怒らなかった。呆れなかった。

 闇夜も俺と同じく恐怖を求めているんだ。だから荒唐無稽な話を受け容れた。

 俺達は同類なのかもしれない。今更ながら、そう思った。





 気付いたら、俺は自宅の最寄り駅で停車する電車に一人で座っていた。

 眠っていたようだった。隣に闇夜はいない。

 別れた時の記憶はない。夢現で、いくら頭を動かしても全く思い出せない。


 今日……一日の出来事が全て、うたた寝で見た夢なのかもしれない。


 ぼんやりとした頭で見覚えある風景を見つめていた。

 俺は、生き続けるかぎり恐怖を求めることを止めないだろう。

 人の世で明かされていない深淵を覗き見て、時には人の心の闇を覗き見て……そこで得られる恐怖に身を震わせて、悦楽を感じる……。


 それが、俺のライフスタイルだ。


 そして……それはきっと闇夜もだ。奇抜な格好をした怪談蒐集家。

 怖い話を聞き集めて、時に人に話して反芻する。

 一日中、娯楽の事を考えていられるなんて羨ましい限りだ。そうやって生きてみたいと思う。けれども社会を生きる事を義務付けられて大学まで通っている俺が、今更全て一切合切、捨てて闇夜のような生活が送れるわけがない。


 俺は首を左右に振りながら、眠気を振り払う。


「そういや、俺…………闇夜の性別も年齢も……本名も知らないんだよなぁ」


 俺が、最初に求めたのは≪闇夜≫という都市伝説の実在だった。

 そして闇夜という存在は実在した。

 次に俺が求めたのは、語られる怪談だった。

 知れば知るほど……興味は尽きない。だから足繁く通っていた。

 それでも、知ろうと思っても知る事が出来ない――――闇夜の素性。


「……まあいいや」


 これ以上知ったら、闇夜と関われなくなりそうな気がした。

 桐浴 惇美にだって俺自身が今日、言ったじゃないか。


 『今、自分らしく生きているんだったら無理に明かす必要はないと思う。

  本当に明かしたいと思える人が現れるまでさ』


 それに俺は闇夜の素性なんか、どうだっていいんだ!

 闇夜の家に行って、そこで怖い話を聞く。それで充分なんだ……。

 俺の中に一瞬過った予感――――もし。


 


 ぞくぞくっ。久し振りの戦慄が体内を駆け巡る。

 にやついているのを感じて、慌てて真顔を作った。

 いけない、いけない! これ以上、闇夜について知ろうと思っちゃいけない。

 少し頭を冷やしたほうがいいな。


 そう思って、俺は最寄り駅に着くまで頭を後ろに反らして深く息を吐いた。

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