明らかになって

 夕刻――――茜色に染まった美しい陽光が、応接間へ降り注ぐ。

 なかなか帰って来ない夏生を、二人は気にしていないようだった。

 整えられた中庭を、二人して言葉もなく見つめていた。


「惇美」

「な、何ですか闇夜さん?」

「そろそろ話して貰えませんか?」

「えっ……? ア、アタシは話しました」

「その話を続きを。

 アリスさんが毎晩、夢に出て来る……そこで止まってますよ。

 惇美と殺された千怜は、アリスさんの逆鱗に触れてしまった。

 ……何故、逆鱗に触れてしまったのか。

 話を再開して頂いても、よろしいですか?」

「………………」

「それとも、もう話す事はありませんか?

 ならば……これ以上は御迷惑でしょうから帰ろうと思います」

「えっ!?」


 闇夜が立ち上がろうとしたのを見て、惇美は慌てた。


「ま、待って! あの、あのあの!」


 立ち上がって慌てて引き留めようとした彼女は、テーブルにすねをぶつけた。


「痛っ!」

「大丈夫ですか?」

「は、はい……」


 痛みに顔を歪めつつも、惇美は大丈夫と言った。


「闇夜さんは、優しいですね。昔から……」

「ワタシは優しくなんかありませんよ」


 闇夜が座り直しながら言った。


「むしろ非道と罵られても仕方ない存在です」

「えっ? そんな――――」


 惇美は一瞬ポカンとした後、激しく首を横に振った。


「闇夜さん、そんな事ないです」

「それは本心からの言葉なのでしょうか?」

「アタシが、嘘吐きに見えるんですか?」

「惇美。今日、あなたはワタシを拒絶しても構わなかったのです。

 7年前に聞けなかった話。高野 千怜の死についての話。

 どちらの話も、惇美にとっては悲しい記憶のはずです。

 それを承知の上で無神経に根掘り葉掘り聞こうとやって来たワタシを、惇美は拒絶しても良かったはずです」


 闇夜は淡々と言った。惇美は目を丸くしていた。


「あ、アタシ……っ!」


 切れ長の目がみるみるうちに潤んでいき、ぽろりと大粒の涙を零した。


「闇夜さんと久し振りに話が出来ると思って……」

「ならば、話して下さいね」


 闇夜は静かに足を組むと続けた。


「ワタシは、物語の完結を……そして恐怖を求めて此処に来たのですから」



 俺は音を立てない様に秘密基地を出た。

 此処に入って人のプライバシーを覗き見て知り得たのは、アーちゃんの本名。

 そしてチーちゃんとの出会いと仲良くなる経緯。それだけだ。それだけ、というと語弊があるけれども……俺が期待していたような恐怖はなかった。

 でも、そうしたなら、さっきの不安は何だったんだ?


「あ……」


 部屋を出たのは良いが、日記を持ったままだった。

 危ない、危ない。これ持ったまま応接間に行くわけには当然いかない。

 しかし変な所に置く訳にはいかない。この日記は何処に置いてあったのか?

 仕方無い、自然に落ちてしまった事にして……布団の上に置こう。


 俺が拾い上げた前のように置こうとして、おやっと思った。


 また何か、布団の上に落ちていた。日記よりも小さくて軽かったから、落ちた音なんか聞こえなかった。それはよく見覚えあるものだった。


「学生証?」


 聖童学園というロゴが入った革製の手帳だった。

 俺は何気なく裏返した。そして写真付きの証明書を見た。


「……………………え?」


 学校指定の黒い制服――――俺も見覚えがある服装だった。

 だからどういうことなのか、すぐに理解出来たはずだ。

 なのに、それを俺の思考が理解する事を拒否した。

 どうして? それは一種の防衛機制。


「何なんだ、これ……一体どういうことだ?」


 一度理解するのを拒否した俺は鈍くなった。もうわけがわからなかった。

 まじまじと顔写真を見る。


 4×3の写真……そこに映っているのは、詰襟学生服を着ている男子生徒。

 その横に≪氏名 桐浴 惇美≫とある。御丁寧に生年月日と住所まで書いてある。


「桐浴 惇美って、アーちゃんだよな?」


 アーちゃんは一週間前に闇夜の家の前で会った?

 この可愛らしい家に住んでいる、彼女のことだ?


 そのはずなのに、この学生証には矛盾する情報が載っている。

 何が偽りなのか? どちらを疑えば良いんだ?

 今までの事が全て夢だったとでも言うのか?

 俺は手に持った学生証を忌々しげに見た。


 ……待て。これが、事実だとしたら俺の目の前に現れたアーちゃんは、誰だ?

 あの美しい人が男だった? まさか……まさか……。


 俺は、布団の上に置いた日記に目を落とした。

 

 ついさっき読んだ日記の内容も変わる。


『チーちゃんは、アタシの事を理解してくれた。

 あの時の事は……思い出す度に、ずっと謝ってくれて……。

 アタシにとってチーちゃんは心を許せる、大切な友達なの』


 高野 千怜が理解していたというのは、外見は男だが中身は女である同級生。

 自分を取り繕っていたアーちゃんにとって、チーちゃんは本来の自分を受け容れてくれる≪同性の親友≫だったわけだ。


 今この場所に居る事が、どうしようもなく危険な事に思えた。


 俺は手帳を放り投げて、二人のいる応接間へと向かった。

 手前で足が止まった。あの美しい女の人……だと思っていた男の人。

 彼に……いや、彼女に騙されていたという思いは拭えなかった。

 でも、一週間前に知り合ったばかりの他人だぞ?

 そんな奴に、自分がニューハーフだなんて報告する必要は無いだろう。


 闇夜は知っているのだろうか?


 ……そうだ、闇夜! 何で教えてくれなかったんだよ!?

 この男子中学生と7年前に出会ったんだ、だから知っているはずだ!

 いや、闇夜も……誰も咎められない。俺が勝手に女性だと思っていたんだ。

 闇夜は確かに真相を濁すような話し方をした。

 でも、きっと女性となった惇美の為を思って俺に気付かせまいとしたんだ。

 あれ? でも、おかしいな。7年前に別れてから一切の連絡を取ってない。

 桐浴 惇美が生まれてから……登録された戸籍上の性別とは真逆の存在となって生活して いることを闇夜は、どうやって知ったのだろう?


 まさか――――まさか、闇夜は桐浴 惇美の身辺を前以て知っていた?



 桐浴 惇美は夕日の光の中で静かに話し始めた。


「アタシとチーちゃんは、7年前……闇夜さんに聖童学園の怪談を話しました。

 学園に関係ない者に怪談の全てを話してしまうと、話した者は不幸な目に遭う。

 だから、アタシの目の前にアリスさんが現れたに違いないんです!」

「それでは千怜の前にも現れていたのでしょうか?」


 闇夜はアダ名を使わなかった。


「チーちゃんの目の前には、口裂け女が現れました」

「つまり不幸な目に遭うというのは、怪談の女達に襲われるという事ですか?」

「そういう事みたいです……」

「そうですか」


 惇美の言葉に、小さく頷いて答える闇夜。


「しかし、高野 千怜が亡くなったのは……怪談を話してから7年後。

 どうして今更になって怪談の犠牲になったのでしょうか? 惇美」

「ど、どう思いますかって言われても……そんなのわからないです」


 彼女が長く伸ばした茶髪を振り乱しながら、激しく首を横に振った。


「チーちゃんは、いなくなってしまった。いきなり、死んでしまった!」

「口裂け女の所為で……ですか?」


 闇夜の冷たい言い方で、ハッとする惇美。


「それともワタシの所為、ですか?」

「あ、闇夜……?」

「ワタシなどに話さなければ良かった。お二人に声を掛けたのはワタシです。

 ワタシが関わらなければ、このような悲劇に遭う事もなかったはずです」

「で、でも闇夜さんは、アタシを理解してくれました!」

「…………理解?」


 まるで知らない言葉のようにオウム返しをする闇夜。しばらく小首を傾げてた闇夜だったが、惇美が口を開く前に低い声で笑い出した。


「フフフ……理解などしていませんよ、惇美」

「え?」

「夏生から家にやって来たのは女性だと聞いて……最初は、高野 千怜だと思いました。けれども夏生が美しい女性だと言ったのは桐浴 惇美、あなたでした。

 昔から端整な顔立ちだと思っていましたが……性転換手術を受けたとしても、そこまで女性と見えるのだろうか? そう思っていましたが実際……今日会って想像が浅はかさであった事を認めざるおえませんでした。

 すっかり別人になってしまいましたね」

「別人じゃないですよ、本来の姿に戻っただけです」


 闇夜に負けずおとらず冷たい言い方する惇美。


「その姿、高野 千怜は受け容れたのでしょうか?」


 その言葉に惇美は大きく目を見開いて、口をポカンと開けた。

 闇夜は静かに言葉を待つ。白い仮面越しに冷たい目線を感じる。

 その視線の圧力を知って惇美は慌てて言葉を連ねた。


「…………この服、チーちゃんにお下がりで貰ったんです!

 一緒に買い物にも行ったし、試着してみたら『似合う!』って店中に響き渡るような大声で言ってくれたし……嬉しかった。とても楽しかった!

 二人一緒にお洒落して、ショッピングモールを歩いて普通の女の子みたいに。

 チーちゃんはアタシを変な目で見たりしなかった、絶対見なかった!

 からかったりしなかった。男なのに、女口調で≪アタシ≫なんて一人称使ってても受け容れてくれた。ずっと一緒に居てくれた、殺されるまで」

「惇美……!」


 彼女は何かを振り切るように、言葉を遮る様に激しくぶんぶんと頭を振った。


「チーちゃんは、大切な親友です! アタシの理解者です!」

「何を、そんなに必死になっているのですか?」


 まるで小馬鹿にするような言い方だった。


「だ、だって闇夜さんが意地悪な事ばかり言うから!」

「それは失礼しました」


 そこへ、ずっと席を外していた田崎 夏生が戻って来た。

 夏生は惇美の顔を見て、一瞬顔を強張らせて足を止まらせた。

 だが、すぐに自然な表情を取り繕って闇夜の横へ腰掛けた。

 幸いにも桐浴 惇美は闇夜を凝視していたので、入ってきた彼の不信な行動には全く気付かなかった。


「夏生」

「お、遅くなって悪かったよ。もしかして話は終わっちゃった?」

「――――ええ、終わりました」


 その言葉に桐浴 惇美は、息を呑んで小刻みに身体を震わせた。


「もう話は終わりです。そうですよね、惇美?」


 闇夜が確かめると、彼女は俯きながら小さく頷いた。

 状況が呑み込めずキョトンとしている夏生の腕を掴んで、闇夜は玄関へ向かう。


「ちょ、何!? 痛っ、いたいたいた痛いぃ!」

「帰りましょう、夏生」

「待て、放せ! 引っ張らなくても歩けるよ!」


 その言葉に闇夜は、やや乱暴に夏生の腕を解放した。


「あ、闇夜……怒ってる?」

「多少、不機嫌です。夏生の事ではありませんから、気になさらないで下さい」

「いや気にするなって言われても」


 仮面越しに睨みつけられて夏生は言葉を変更するしかなかった。


「気にしません、はい」

「それでは失礼しました、惇美」


 闇夜は彼女に振り返った。長い茶髪を掻き上げながら、桐浴 惇美は言った。


「闇夜さん……また会いに行ってもいいですか?」

「そうしたら今度は全てを話してくれるのですか?」


 今度こそ言葉を失った惇美に一瞥すらくれず、闇夜は先にドアを出た。


「田崎さん」

「は、はいっ!?」


 向き直った夏生に彼女は自嘲気味な笑みを浮かべて行った。


「アタシ、実はニューハーフなんですよ。数ヶ月前まで男でした」

「とても……そんな風には見えなかったんですけれど。とても自然で」

「ごめんなさい、アタシ……これぐらいしか本当の事を話せなくて」


 彼女に向き直ったオカルトマニアの青年は頭を掻いた。


「今、自分らしく生きているんだったら無理に明かす必要はないと思う。

 本当に明かしたいと思える人が現れるまでさ」

「あははは……現れるかなぁ? 多分、これが最後だと思います」


 もっと話したかったが、闇夜が夏生の肩を掴んだ。


「夏生。行きましょう」

「あ、あぁ」


 桐浴 惇美は美しい顔に微笑を浮かべて、小さく右手を振った。

 夏生はその姿がドアに阻まれて見えなくなるまで見つめていた。


 秘密を勝手に盗み見た罪悪感を誤魔化す為に、惇美へ発した言葉。

 その白々しさに自己嫌悪に陥る。もう、彼女に謝る事は叶わないだろう。


 ドアの閉まる音が大きく聞こえて……拒絶のように夏生の胸に突き刺さった。

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