3 〈閑話〉司書と巫女

「此処で結構です」

「毎度ぉ。それじゃああっちの木陰に車を停めておくからね」

 間延びした返事をして、タクシーは十数メートル先の路肩へ駐車するために発進する。

 それを側めて確認し、夜宮は遙か頭上へ伸びる石段を見上げた。

 時刻は既に17時30分を過ぎていた。タクシーを掴まえるのに時間が掛かってしまい、予定よりも遅れてしまったのだ。空の稜線では夕闇の気配が滲みかけている。

(早く、確認しないと)

 石段を足早に駆け上がる。

 宮森と別れたあと、夜宮は或る存在を仮定して動いていた。

 その証明のための最後の場所が、この石段の上に居を構える神社だった。

(土地神がるのなら、昏喰の発言は彼にとっての真実になる)

 土地神。

 神がいっしたと言われる現代にも、そのように呼称されるモノは存在している。

 土地神と聞いて日本人がまず思い浮かべるのは、地主神、或いは鎮守神の在りようだろう。産土神は守護霊の方が想像イメージに沿うかもしれない。

 魔学に於いては、土地神は土地憑きと呼称された、信仰によって一定地域に於ける一時的な運営権を有する存在を示す。

 統計に基づけば、その大半は本来神と分類されない存在モノが占めていた。とはいえ、その運営権は、限定的且つ一時的であっても、人間視点でみれば権能カミと変わりないほど強力だ。

 ただ坐すだけのモノであれば、連携も敵対もせずに済むだろう。参拝してちょっと多めに御布施をすれば、それでお目こぼしの対象だ。しかし、この土地神が領土内に対して思い入れのあるような存在だったなら―――

(人狼の判別能力を無効、或いは阻害している時点で、のんびりお気楽なんて思えないのよねえ!)

 調べてみれば、予想通りの結果だった。

 夜宮の調査法は科学と魔術理論に基づいた、謂わばカタチ在る証明方法である。対し、人狼や獣人は五感優位の、体感に頼った証明なき調査法だ。

 夜宮の行った、其処に有ると仮定して進める調査は、しかし、在ると仮定していないモノを調べることに向いていない。

 対して獣人の感覚器での調査では、元々在ったモノが新しく増えたモノと類似している場合、気付くこと自体が困難になる。

 元々在った神気が、新たにやってきた異物の気配を呑み込んでしまった。これが偶発的であれば仕方がないで済ませられるが、そうでなかったから問題視せざるを得なくなった。

 これらが意味することを、夜宮は一つ、仮定できた。

 簡潔に言えば―――神の権威、というところか。

 自らの土地の不浄を、自らで裁定する。聞こえは良いが、裁定されれば最後、その結末は誰の目にも留まることはない。そもそもにして、何が不浄と認識されるか、裁定が行われるかどうかすら、第三者には判別できないのだ。そんなことは、透明性が謳われる現代社会に於いて看過されるはずがない。

 かつては有効だった仕組みも、時の移ろいと共に有用性を失っていく。それをどうにか是正するのが大組織の役目なのだが―――

(時間さえあれば、さっさと本家に繋げるのに!)

 呼吸が乱れ始めたため、足を止める。手で触れれば、額にはうっすらと汗が滲んでいた。日頃の運動不足を痛感する。

 見上げれば、石段の終わりと、石造りの鳥居上部が見えた。

 もう全体の四分の一ほどの距離を残すくらいだろう。

 足に力を、心に活を入れる。

 友好的であれ敵対的であれ、どちらにせよ土地神の存在は確認しなければならない。

 しかし。夜宮には更なる懸念があった。この事件そのものには深く関わることはないかも知れず、けれど今後を考えれば決して無視できない、一つの懸念が。

 土地神の在不在よりも前に、その懸念を解決する必要があるのではないか―――思えども、予断を許さない可能性がある以上、最優先は土地神こちらになる。

 こういった場面に出遭でくわす度、怪事件特別捜査班という組織の未熟さを痛感する。

「………」

 長い長い石段を登り切る。

 境内に一歩踏み入れば、澄み切った空気が一呼吸で肺を満たした。空気が違う、という言葉を肌で実感する。街中の低い山中に建つ、こんな寂れかけた神社で得られるものでは、断じてない。

 鳥居を潜ったところで、夜宮の足は止まった。

 閑散とした境内を清めていた一人の少女が、夜宮に気付いてか、遠くない距離から此方へ向かって来たからだ。

「白雲神社へようこそおいでなさいました」

 一礼される。やわらかい物腰と言葉遣いだ。

 神社の関係者らしく、巫女装束を身に着けている。体型から察するに十代半ばから後半の頃に見えた。

 視線を合わせた瞬間、箒の柄を握る両手が、きゅう、と微かに動く。背は年の頃を思えば低めで、少し小動物めいた印象を受ける。顎を引くだけで双眸が前髪で隠れる様が、その印象を強めた。

「こんにちは。この神社の巫女様ですか?」

「はい。この神社の巫女を務めております、敷浪と申します。ここには参拝にいらしたんですか?」

 視線を巡らせる。最初の印象の通りで、境内には巫女の少女以外の人影はない。これがこの神社の通常なのか、はたまた事件の影響なのかは量りかねた。

 温和そうな少女だ。押しに弱そうと言い換えてもいい。衣服にも所作にも、魔術的な意味合いも特異な呪術的要素も見られない。何処にでもいそうな、普遍的な少女像そのものと言えた。

「初めまして、夜宮と申します。白雲神社の責任者にお目にかかりたいのですが」

 警察手帳を掲げた夜宮の問い掛けに、少女は少し困ったような表情を浮かべた。

「この神社は私以外、務めている者がいないんです。ですので、この神社への御用命は全て私が伺っています」

「誰も、ですか?」

「はい。とはいえこの通り私は未成年ですから、土地や建物の権利は有していません。ですので、管理者は別にいますよ」

「そうですか。……その管理者の方と連絡を取りたいのですが、どちらにいらっしゃるか教えていただきたいのですが」

「連絡、ですか」

 少女は言葉を濁した。やや顎を引き、視線が彷徨う。困っている、というよりは、どうするべきかわからずに弱っているように見える。

 やや逡巡した素振りのあと、実は、と言葉を続ける。

「可能ではありますが、その方は県外に住まわれているんです。そもそもいろんな場所を飛び回っている方で、申し訳ないのですが直ぐに連絡を取れるかどうかは分かりかねます」

「………」

 夜宮は、ほんの少しだけ眉根を持ち上げた。

 少女の言が真実であれば、この目の前の巫女が実質の責任者である、ということになる。それは、神社の管理と運営、その他諸々を取り仕切っている、と同意義だ。この、未成年の、どう見ても学生然とした、うら若い少女が。

「失礼ですが、親御さんはこの神社とご関係は……」

「ありません」

 はっきりと言い切られた。

 その力強い語尾を意外に思う。その物言いは、この数分で構築した仮想イメージからぶれていた。

「……お力になれるかはわかりませんが、私で宜しければ御用向きを承りましょうか」

 二秒に満たない時間、夜宮は思惟した。

 この少女の境遇や身の置く環境に対して思うところはあるが、それは夜宮が関知するべき範囲にはない。何より、少女より優先する事項がある。即座にでも知らなければならない事態が。

 判断を下す。

 予想とは異なっていたが、予定通りには動かせるだろう。

「それでは、少しお話を伺わせてください」

「はい。よければ社務所へいらしてください。ご案内しますね」

 少女に案内されて、本殿横に設置された社務所内部へと移動する。

 古木の匂いでもするのかと思っていたが、軒下を潜った時点で淡い花香が届いていた。ささやかな野花の群を連想させる香りは、多分、男性が嗅いでも嫌悪を感じさせないだろう。

 居間に通される。電灯が点り、薄暗かった内部がはっきりと視認できるようになる。外観からの想像通り、中は狭い。そして想像を裏切って清潔で整然としていた。整頓術以外にも、視覚効果を意識した家具の配置が目に付く。持て成す場ではなく、生活に重きを置いた空間と見取れた。

 室内の装飾も、綾波と名乗った少女の趣味と思しい趣向で統一されている。華美も少女趣味からもほど遠いが、しかし、古めかしい伝統からは更に遠い。

本殿ならば違うのかも知れないが、少なくともこの社務所には魔術のあとも怪異の残痕も存在していない。しかしこの無防備さ。もしかすれば建築当初から魔術と無縁の可能性さえあった。

 少女のように、年齢に比せずして管理者の立場に就く者を、知識の上でも実感としても、夜宮は知っていた。

 そういった人物は、凡そ、それなりの理由を、動機を持っている。

 だが、と夜宮は気が重くなる。

 少女からはその動機が見えてこない。

 少女だけではなく。少女を取り巻く状勢バックグラウンド、この土地との繋がり、果ては藤露市全体からさえ、見えている部分以上が見えてこない。

(これは、予想外が藪蛇になりそうね)

 過去百年にまで遡ってこの地方都市の記録を調査した末の、それが夜宮の結論だった。

「此方へおかけになってください。お茶をご用意しますね」

「いえ、お茶は結構です」

 勧められるまま、ちゃぶ台の側に敷かれた座布団に腰を下ろす。

 対面位置に少女は腰を下ろした。

「早速ですがお話を伺わせていただきます。まず三日前ですが、放課後から夜まで何処にいらっしゃいました?」

「三日前……は、学校が終わったらまっすぐ神社まで来ました。友達と一緒です。私はこの神社住まいですから、翌朝まで此方に居ました」

「……、そうですか。夜間、何かお気付きになったことはありませんか?」

「いえ、特には……? それが、何か事件に関係があるんでしょうか」

 視線が下に泳がせるように動き、少女は小首を傾げる。怪訝と困惑が入り混じった表情だ。

「それも含めて判断するための質問です。それでは次の質問ですが、その翌日で気付いたことは―――違和感などはありませんでしたか? この神社周辺だけではなく、貴女自身がその日を通して感じたことでも構いません」

「ええと……、ありません。あ、いえ、その日のお昼に事件の話が先生……学校教員、から連絡があったので、その日は集団下校になりましたから、午前中は何もなかった、というのが正確です。午後は学友と一緒に帰宅しました」

「この神社にですか?」

「いえ、先程も言いましたが、この神社は私一人しかいません。ですので、両親のいる方の自宅へ帰宅しました。あ、と。家の場所も言った方がいいですか?」

「お願いします。それと、学校で何かおかしな話を聞いたりはしませんでしたか? 例えば史比町の―――」

 幾つかの確認事項を終えて、夜宮は少しだけ息を詰めた。

 少女も、何かを察したのだろう。幾つかの質問で顔色がやや翳ったのを確認したことから、彼女が何も知らない訳ではない、という事実に夜宮が気付いたように、少女も夜宮が何を探りに来たかに気付いた筈だ。

 腹に力を入れる。

 この少女が無関係であるならば―――その杞憂は既にない。

「敷浪さん、私は夜宮という組織に属していた人間です。この組織は境界やCCAにも通じていて、怪異や魔術に関する記録を収集、記録しています。怪異や魔術、と言いましたが、これらには土地神に類する事柄も含まれています」

「………」

「敷浪さん、教えていただきたいことがあるのですが」

 確信と共に、言葉を選び、本題を切り出す。

「この神社には“神”がいますね?」

 暫しの沈黙のあと、少女は―――敷浪は、目元に少しだけくたびれた色を見せたあと、背をぴんと伸ばした。

「“はい”、この神社には一柱の神が在られます」

 来た、と直感した。

 背筋に冷たい物を突き込まれたような心地になる。

 敷浪の表情が僅かに変化した。それは造形という意味ではなく、精神に則した変容だ。先程までの温顔とは違い、その表情は無機的で、瞳の奥には虚ろが映っている。

「夜宮様、この社にどのような御用でしょう」

「私が知りたいのは、この社の土地神が、今起きている事態を何処まで把握しているのかです」

「“はい”。存じておられます」

 一言発せられるごと、肌に霜が降りるようだ。下唇を食む。

 巫女を経由しているとはいえ、夜宮にとって土地神と相対するのは初めてのことだ。今までの情報から推察するに、この土地神は“託宣型”で、人柱を経由して土地に取り憑く類型だろう。であれば、人間を経由する限り、気紛れで神罰を与えるような真似はできない。今は人間との会話コミュニケーションに注力する。

「敷浪さん。確認ですが、対話は貴女を経由しているんですね?」

「“はい”。直接の対話は出来かねるので、私が“口”を務めております」

「そうですか。それでは単刀直入に申します。この“事件”を人間社会に委ねていただきたいのです」

 暫し、間が開く。

「……、“何故”、かを、尋ねてもよろしいでしょうか」

「既に人死にという取り返しの付かない事態に発展しています。例え魔障でも、怪異でも、人に害を為したなら人が人が裁定する―――そうしなければ救われないモノが、現代では多くなりすぎているのです」

 神の差配、怪異の仕業、妖精の悪戯―――人が超常と呼び、人と隔絶した原理によって引き起こされた“仕方のないこと”と処理される時代だったのならば。或いは、“人の理の外”に在るモノの取り成しが有効であった時代ならば。

 この事態の収束は、文明の外側で取り成されていたことだろう。

 しかし、それで罷り通った時代は疾うに過ぎ去った。

「今の社会は、神や神官の名では百年前むかしのように納得しません。神隠しで了承するのは個人に対する理由付けであって、社会的事実としては成立していないのです。人間社会に於ける神は、拠り所シンボルであって、権力ではないのです」

 神のお告げだからと、人減らしに子供を山に捨てることはない。魔女だからと、拷問にかけることは善行ではない。人狼だからと、その悪行は嵐と同義にはされない。

 理外の法が通用した時代は、通り過ぎて久しい。

 文明の進歩と共に、多くの神秘は不透明性を剥奪され、人の原理で解体され、現象として貶められた。魔都の出現がなければ、存在が証明されることはなく、悉くは遠からず地表から消え失せていたはずだ。

 しかし、証明されたからこそ、浮き彫りになってしまったものもある。

「現代では神秘や魔障の存在は確かに証明されました。けれど社会に証明されたからこそ、そこに虚構を組み込めなくなりました」

「………」

「都合の良い釈明の道具ではなくなったのです。“我々”は」

 神秘は証明された。

 魔術は確立された。

 怪異は認知された。

 すべて、存在しうるものであると社会に容認された。

 容認した以上、社会はそれらに対して行動を起こさねばならない。

「………」

 敷浪は沈黙している。

 目を伏せ、何かに耳を傾けているような素振りだ。

 否、ような、ではなく事実そうなのだろう。彼女が巫女である以上、夜宮には見えないモノに、彼女はその肉体の多くを預けている。

「……貴女は」

 少女のくちびるが、震えるように開く。

「……、貴女は、この事件の犯人がどんな人物かを知っていて、その上でそのような判断をしているのですか?」

 一瞬。

 神経がざわめく。

 何を言われているのかを、夜宮は理解できず、反応までが停止した。

「この事件には、正確には、犯人はいません。いえ、実体はあっても、それが実像とは言えない、というべきでしょうか」

 一度停止した思考が、再起動と共に加速する。

 少女の言葉を受けて、書庫としての機能が適切と思われる単語と類語を弾き出す。

「………」

「もう一度問います。貴女は、現象を罰すると、そう言われるのですか?」

 眩暈がした。

 現象。人狼。幻想―――幻獣。

 滅び去ったモノ。

 地表に在らず、地層と化した、遠く廃れた敗者の種族。

 然れど、人の血に混ざった魔障、その原型種。

「……、まさか」

 血を吐くような声がこぼれた。

 まさか、と再度呟くも、しかし、と反証が脳裏に上がる。

 人間的な痕跡が多く、また発生事例の少なさで見落としていたが、有り得ない話ではない。

 少女の言葉を前提に置くならば、確かに、とも納得する。“犯人”が何故、ドイツから日本へと渡ってきたのか、その手段が何だったのか。しかし類推する通りの存在であれば、渡る手段は容易に実行できたに違いない。そして理由も、想像することは可能だった。

 恐らくは、というには限りなく正答に近いという確信がある。

 彼女は再誕に失敗したのだ。

 それ故に、意識的か無意識か、現存する唯一に引っ張られてこの国へ落ち延びた。

(そうだとすれば、これは不幸中の幸いということに―――)

 病堕ちに至ってからの経過時間を鑑みれば、進行度合いは緩やかだった。腑に落ちない、と思いつつも突き詰めなかったのは夜宮の失態である。

 何であれ。

 想定を遙かに超えて厄介な事案ではあるが。

「それを含めて、社会は対処していくべきです」

「……そうですか。何であれ、公的機関がこの事態に対処することを拒むことはできません」

 敷浪の声は静々としている。

「今、この神社の神使が狩りに出向いています。彼が戻ってきてから話を―――」

「ちょっと待って」

「え?」

 夜宮の崩れた口調に、少女が驚いたように目を瞬く。

 無機が剥がれた幼いしぐさに目を引かれたが、それにかまけている余裕はなかった。

「二時間近く前、一連の事件と同一人物と思しい犯人に人が襲われたの」

「え、二時間……?」

 少女は何かに耳を傾けるような素振りを見せて、くちびるを震わせた。

 その様子に、神使と彼女の関係が決して良好でないことを読み取った。もしかすると、土地神も彼女を事件に関わらせる意志がないのかもしれない。

「私の同僚も現場に向かっているの。敷浪さん、その神使さんと連絡は取れる?」

「はい、携帯に……っ」

 少女が端末を操作する傍ら、夜宮も宮森にメールを送信する。何事もなければ直ぐに返信が来るだろう。

(佳月君、今回は失敗かもよ)

 気を揉んでいるだろう上司に、心の中で慰めエールを念じた。

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