金色斑

 空腹で目が醒めた。

 身を捩る。寝ぼけ眼で頭上を仰げば、陽が瞼を透過して瞳を刺した。目を瞬かせる。その拍子に、ころりと涙がひとつ溢れた。

(まだ日中だなんて)

 息苦しさを紛らわせたくて嘆息する。

 何時もならばまだ眠っている時間帯だ。もう一眠りしようかと目を閉じるけれど、すぐに無理だと諦めた。お腹のあたりがしくしくと哀愁を訴えている。少し前に、お腹いっぱい食べたばっかりなのに。燃費の悪さに、我がことながらほとほと呆れ返ってしまう。

 それにしても、なんだか空腹になる時間が短くなっている気がする。記憶を辿れば、昨日も一昨日も、夕暮れ時に目が醒めた。空腹と同様に、眠っていられる時間も日に日に短くなっている。

 飢えが、それほどまでに強くなっているのだろうか。

 ちゃんと食べているのに。

 ―――肉を囓って、血を啜って、骨を砕いて。

 あんなにも気持ちが良くて。気分が好くて。喉が鳴るくらい、芯がとろけるくらい。心身ともに満たされた、幸福の一時に思い馳せる。

 堪らない気分になる。

 ―――悲鳴で喉を潤して。恐怖で頬を緩ませて。絶叫で胸を満たして。

 身体を丸めて、耳を澄ませた。

 遠くで、人間獲物たちのざわめきが聞こえる。

 嗚呼。

 夜が待ち遠しい。


 気が付けば、ぼう、としていた。

 どうやら眠っていたようだ。

 身体を丸める。飢餓感は弱まるどころか益々強まっている。喉の奥から、苦痛の声が漏れ出した。

 食べたい。

 空を仰ぐ。狭まった青色は、夜の気配を少しだけ含み始めていた。食べたい。夕暮れさえ遠い。食べたい。暗闇が堕ちてくるまで、後、どれくらいあるのだろう。食べたい。太陽の位置を知りたくて仮の塒から移動する。お腹がすいた。

(この街は不思議だ)

 建物の隙間を縫うように広がる、狭い道を進みながら、そう思う。

 この街に踏み入れた時、奇妙な心地になった。茹だるような熱帯夜で水を浴びたような、親に小突かれて寝ぐずりした時のような。そんな、喩えづらい、奇妙な感覚だったのを覚えている。

 だからか。私は今もまだこの街に留まっていた。最近は飢餓感と睡眠時間が増大していて、比例して移動に時間が取れなくなっているのもまた、理由のひとつではあるが。

 どんどんと身体が動かなくなっていく。

 多分。この■と■の限界が近づいているのだ。私の■■が定着して半年ほど経ったが、未だに継ぎ目が埋まることはない。

 これだけの月日を掛けても、今尚この■と■に融和できず、こうして彷徨うしか―――

「――――、?」

 今、何か。

 何かを、考えていたような。

 足許を見る。小さな足だ。細くて、白い、子供の足。何の変哲もない“私”の足。首を傾げる。

 嗚呼、それよりも。

 ―――思考が、精神が。傾いでいく/侵食される。

 生き物の気配が強い方へと向かう。まだ眠いけれど、この耐え難い空腹では、それも不可能だ。

 まだ夜は遠いけれど、目を刺すような明るさを我慢して、薄暗い場所から一歩踏み出した。

 のだけれど。

「……ぁ、う」

 陽の元に出た直後、まばゆさに堪えきれず蹲ってしまう。立ち眩みにも似た症状だった。まだ、たったの一歩だというのに。

 矢張り、せめて日暮れまで待つべきだったと後悔する。

 獲物はすぐ其処にいるというのに、なんて脆弱なのだろう。

「お嬢ちゃん、どうしたんだい?」

 影が差す。顔を向ければ、爪が届きそうな距離に人間の雄がいた。若い個体には見えないが、年老いている訳でもない。脂はそこそこ乗っている。経験からして、食べ応えはまずまずといったところだろう。けれどそれ以外は好みではある。この年代の個体は、肉は固いが、代わりに好い声を出すのだ。

 自覚して、途端に、口腔内が粘液で重くなる。

 体毛がさざめく。拡張していく口蓋から唾液が滴って舌を伝い落ちた。変形する後ろ足から伸びた爪がアスファルトを掻く感覚に、じん、と股関節が痺れる。

 ―――おいしそう/愚かしい、と喉を鳴らす/せせら笑う。

「え?」

 前足で押し倒すことも惜しんで、口吻をせがむように獲物に飛び掛かった。

 獲物が抵抗する素振りはない。ただ一音、間抜けな鳴き声を発しただけだった。

「!」

 筋肉の動きが直前から切り替わり、回避行動を取ろうと軋みを上げる。

 空中で身体を捻る。回避は不可能だと判断し、損傷を最小限にするために更に態勢が変動する。

 間に合わず、左頬に、肉を抉るような一撃が皮膚を刮げるように掠めた。

 空中で態勢を立て直して着地し、左から顔を殴り付けてきた相手に威嚇する。

 人間の雌だった。いや、人間のカタチをした混ざり物だ。私と同じ、獣の臭い。同族の狩人。

 拳を向け、姿勢を深く構えている。武器はない。爪と牙を使うのだろうか。此方を睨み付ける眼差しは鋭く、厭な色をしている。

 獲物は、雌の後ろに移動していた。自力で移動したようには見えないから、あの雌が移動させたのだろう。

 苛立ちと憎悪を込めて睨め上げる。

「ひ、あ、な、何が? 何なんだ、その動物は、いや、さっきまで子供で……」

「おっさん、立てるなら逃げろ。そんで警察に連絡しろ」

「え? あ、け、警察?」

 ―――このまま狩りを続行するか、撤退するか。

 判断は一瞬だった。

 背後の路地裏へと跳び退る。壁を経由して、一息で十メートルの距離が生まれる。薄暗く狭い空間へと移動すれば、後は背を向けてこの場から遠ざかれば済む。

「待て!」

 狩人が叫声を上げて此方へ向かってくる。その速度は、思っていた以上に早い。想定が塗り変わる。

 反転を止める。迎撃の為に、後ろ足をしならせて狩人へと飛び掛かる。

 今、この場で殺す。

 金色の瞳と視線が合う。そこには、憎悪も、悪意も、殺意もない。ただ敵愾心だけがはっきりと映り込んでいた。

 相手の手が伸ばされる。私に届くより前に、その間抜けな腕を噛み潰し、その脆い身体にのし掛かって喉から胸にかけてを食い荒らす―――はず、だった。

「あ、が―――!?」

 何が起こったのか理解が及ばない。

 結果として、相手を噛み砕くことができないまま、私は路地の更に奥へと引きずり込まれた。

 壁へと投げるように押し付けられる、寸前で相手を弾き飛ばす。爪で裂いた感覚は、残念ながらない。だが、僅かながら真新しい血の臭いが漂い出す。

 口蓋内の異物を知覚する。

 それは、私の血だ。

 少量の血が、顎を伝って地面に落ちる。痛みと臭いと味覚で、自分の頬の一部が裂けているのを知覚する。

 恐らくは。結果から逆算して、相手が取った行動を予測する。

 噛み砕こうとした私よりも一瞬早く、相手は私の内頬に指を引っかけたのだ。そしてそのままその指を起点にして、私の全身を投げた。結果として、それだけの力に堪えきれなかった私の頬は裂けたのだろう。

 混ざり物であったとして、信じられない膂力と速度、そして判断だった。いや、膂力としては、私よりも遙かに弱い。ただそれを補って余りある瞬発力が、私にとっては問題だった。

 怪我自体はそれほど酷いものではない。馴れない痛みに引き攣れを覚える程度で、直ぐに治癒するだけの傷だ。事実、この数秒間の睨み合いの最中で完治している。

 だが。

 首の付け根付近の毛がざわめく。鉄の刃を押し込まれた時にも似た、悪寒とも興奮ともつかない衝動。

 確信する。

 これは、目の前の生き物は、危険だ。

 取り逃がせば致命となる類いのものだ。この場で始末しなければ、あの時と同じく、私という意識は■■。

 咆哮する。

「!」

 狩人が口を開く。

 見開かれた瞳には、微かではあったが、戸惑いが見て取れた。

 明確で、分かりやすい、隙だ。

 こうすれば狩人たちは理解するのだ。自分たちの立場を。此処は彼らの住み処ではなく、彼らは霧深い森に迷い込んだ獲物に過ぎないという事実を。

 一息で殺すために、最も力あるスガタへ転身する。腿の膨らんだ右後ろ足で地面を蹴り、五指を開いた左手を突き出す。鉄臭い鎧ごと人体を貫く一撃は、足捌きと身体の反りで躱された。予期通りの動きだった。腸を潰す為に左手を薙ぐ。

「っ」

 肘に重みが加わり、崩れた重心を持ち直すため、反射で足に力を籠める。

「ふっ」

 逆さまの狩人と視線が合った。左肘に手を乗せ、そのまま逆立ちのように乗ってきたのだ。何時か見た曲芸師のような身の熟しだった。想定から外れた動きに混乱し、一手対処が遅れる。

 右手で捉える前に、相手が先んじて動いた。顔を逸らして目潰し目的で振るわれた爪先を躱す。鬱陶しい。顎や胴を狙われるより先に、引き剥がすために左腕から振り落とす。

 地面に落ちる前に蹴り飛ばそうとするが、それも壁を利用して躱される。空中でも容易に態勢を変えられる柔軟な動きは、ともすれば猫のようだ。砕けた瓦礫さえ掠りもしない。だが、この臭い。猫というよりは、矢張り私に近い体臭がする。

 距離が取られた。一息で飛びかかるにはやや遠い。

 想像以上に厄介な相手だ。身体能力では此方が勝る以上、易々と捕らえられると思っていたのだが。その上、この狭い空間にいる以上、あの柔軟性ではそうだとも言い切れなくなってきている。無闇矢鱈に手足を動かせば、先の蹴り同様に、壁やパイプを破壊するだけだろう。

 そして。

 さっき放った咆哮以降、今のところ相手の動きが鈍ったような素振りはない。

 異なる法則下に置かれた場合、大抵の人間は昏倒するか酩酊を起こす。軽度であっても、急激な環境の変化に適応し損ねた肉体が疲弊し、十全に動くことが不可能となる。

 例外があるとすれば、同じ時代にいたか、それよりも古い時代で生きた幻獣。妖精や精霊の類い。目の前の存在はそのどれでもなく、人狼の血を引いているだけの人間にえた。

 同族の血を引いているのなら、影響に即座に適応できるほど血が濃いということだろう。これほど時代が下って尚もそれほど濃い血を意図して維持できるとは思えないから、この体と同じく先祖返りの類いか。

 何にせよ厄介ではある。

 同時に、幸運でもあった。

「分かっていたが、金色かよ」

 狩人が何事かを呟いた。

 吐き出すような声だった。苛立ちとも嫌悪とも違う。憂鬱、とでも表現するべきか。湿度の高い声音だ。

 相手が動くよりも早く、接近する。

 一歩で爪を構え、二歩で右腕を薙ぐ。後退を見越して三歩目。

 私と同じ臭いのする狩人は、一歩目で私の意図を理解したらしい。爪と牙だけは触れないために突っ込んで来る。

「!」

 驚く。

 薙ぎ手を、腕を盾に受け止められた。壁に叩き付けることさえできず、狩人はその場に踏みとどまった。腕の肉や骨が拉げた感触さえない。

 接触したのが肘より上の位置だから体重も腕力も乗せ切れていなかったとはいえ、それでも。

「ちっ」

 上空へ跳躍し、距離を取る。

 狩人は舌を打つのと殆ど同時に、腕に絡まるように伸ばされていた手が解かれた。此方の爪は引っかけることが適わず、虚空を掻く。

 建物の外壁に左手で着地し、十メートル強の距離で睨み合う。距離を詰める様子も、飛び道具を使う素振りもない。いや、道具の類いを使う素振りがないのは最初からだった。飛び道具など使わない主義なのかもしれない。獣人であれば、我が身こそが最も強固な武具だ。

 相手を見下ろす。

 警戒を解く素振りはない。此方を逃さない、という意志は感じられるが、足止めという意図は感じられなかった。増援はない、ということか。そも、此処は私の生存圏に再形成した以上、この場は人界と地続きではない。この狩人に仲間がいたとしても、私が解かなければ、援護は届かない。

 だが。

 ジリジリと焼ける気配がする。思考回路の奥で、滓かな、しかし無視のできない、悪寒にも似た予感がする。

 何かがおかしい。

 見逃せば、致命傷になる。

 そんな予感が有る。

 この感覚は、あの目を見た瞬間から有った。あの、溶け込むようにやわい色合いをした金色の瞳。あんなにもやわらかな色彩を、私は見たことがない。

「三日前、人間を喰ったのはお前か?」

 金色の目で此方を睨め付けて、狩人が何事かを叫ぶ。

 三日。

 それは時間経過を示す言葉だろうか。肉体に根付いた記憶から計れば、確かに最後に空腹を満たしたのは三日前だった。

「………」

「俺はその犯人を捜している。とはいえ、人間を襲ったアンタを見逃すつもりもない。だが初犯であるなら、此方としても対処を考える。穏便に済ませたいんだ」

「……、何を」

 言っている意味を咀嚼する。余りにも理解しがたかった。

 この狩人は、人間を庇護したいと言っているのか。

 その上で、私との敵対を躊躇していると言っているのか。

「殺し合いは望んでいないんだ。できれば同行してくれないか」

 私を、害したいわけではないのだろうか。

 私を、拒みたいわけではないのだろうか。

 私を、殺したいわけではないのだろうか。

「……、返答を要求する」

 この娘は。

 私と/あたしに、交渉し/手を差し伸べようと言うのだろうか。

 なんて。

「ウソツキ」

 ―――なんて、分かりやすい/ひどい嘘だろう。

 飛び掛かる。

「!」

 獲物が飛び退いた。着地と同時に地面を蹴り、押し倒そうと飛び掛かる。

 左手の爪先が獲物の肩口に届いた―――寸前で、視界から消える。獲物が沈み込んだのだ。視線を追う間もなく蹴り上げられ、体が宙を舞う。

 腕が掴まれていることに気付く。この腕を起点にして投げたということか。

 私の前腕を掴んでいた指から力が抜けた。狩人の手のひらが離れる。

「いっ!?」

 皮膚一枚分遠のく前に、狩人の腕を掴み返す。相手が息を呑んだ音が聞こえた。

 体が地面に落ちるより先に壁を蹴って、胴を捻って、今度こそ獲物に圧し掛かった。片腕と胸を突く形で動きを押さえ込む。

 そのまま顔面に噛み付く―――その寸前で、咽頭と顎の継ぎ目に衝撃が走った。

「ふっぐぐ、ぐ……っ」

「………っ」

 膠着だった。

 下顎を掴まれた。体毛で滑ったのか、僅かに前進するが、それも牙が皮膚に触れる寸前で止まる。

 胸部にも爪を食い込ませているのに、怯む様子がない。どころか、服の下に何か仕込んでいるのか、爪が皮膚に届かない。忌ま忌ましさに、何度も口を開閉させる。

 ず、という音が顎の下、喉の上で聞こえた。

 もう一度口を閉じようと大きく口を開き。

「が―――!?」

 閉じる前に、脇腹に打撃を受けた。

 衝撃に両手の力が緩んだ。どころか、体が浮き上がる。獲物が足を引いたのが視界の端に映る。今のは、まさか膝蹴りだったのか。せめてもの悪あがきに、思い切り爪を立てた。

 壁に激突し、一瞬息が止まる。

 狩人が立ち上がる。その動きは今までに比べて明らかに精彩に欠けていた。

「……ああ、クソ」

 ゆっくりと起き上がる。

 追撃はなかった。

 もとより、人間と獣人では身体能力に圧倒的な差がある。それは優劣ではなく、生存戦略として比較されるべき違いだ。

 単独では獣人が圧倒する。しかし、種族としては人間が勝利した。

(罠はない。仕掛ける様子もない。之から鉄の臭いも、火薬も薬物も魔術も、危ない臭いはしない。相手はどう見ても満身創痍で、癒える様子はない。私の傷も癒えた。……単独での逆転は不可能。だから、この場に第三者が侵入することも不可能だ)

 だから、これは。

 この狩人がどれほど純正に近い肉体であろうとも、所詮、人間の枠組みに留まっている以上。

 杜撰な戦略を取った、どうしようとも挽回しようのない、狩人の敗北だった。

 故に。

 私がこの混ざり物に牙を突き立てるのは、結局、初めから決まっていたことなのだ。

(混ざり物なら、今度こそ順応する)

 後は、之に牙を立てれば良い。或いは爪を突き立てれば済む。

 人間なら内臓まで食まないといけないけれど、同じ人狼なら、それで感染させられる。

 そうすれば。

 今度こそ、本当の同族に生まれ変わってくれるはずだ。

 立ち上がって、獲物を牙にかければいい、だけだというのに―――

 私は、見てしまった。

「………」

 息が詰まる。

 立ち尽くして、私は魅入っていた。

 そんな。有り得ない。そんな思いばかりが思考を埋め尽くす。

 混乱した精神を無視して、死滅していた筈の少女がぽつりと呟いた。

「―――銀?」

 そういえば。

 先程からずっと、違和感があったのだ。

 混ざり物だというのに、純正(私)の爪を回避できる身体能力だとか。鉄の鎧や石造りの壁を枯れ葉と同じくらい容易く握り潰せる握力で掴んでも潰れなかった手首だとか。銀や魔術であっても傷付けることが困難な私に、血を流させたことだとか。同族の子孫であっても、どんなに血が濃くあろうとも、人狼が滅んで久しいこの現代で、そこまで肉体構成が人間から逸れているものなのだろうかとは、思っていて。

 それを疑問として掲げるだけの理性を、私は疾うに喪失していたのだと、ようやっと思い至った。

 引っかけることの適った爪で破れた衣服の下には、銀色が広がっていた。そして見詰める間にも広がっている。

 それは、ややくすんではいるが、銀としか評しようのない色だった。

 銀。

 貴い色。純白に次ぐ存在。

 私が生きた時代よりも更に古い。古代を越えて、神代で息づいていたモノたちの毛色。神話で語られるモノたちに次ぐ色彩。神の系譜でなければ発露しない、神性の証。

 神の存在証明を目視して、私の思考は停止していた。

 神は死んだ。

 死に絶えた。

 神が秘され幻想と化したのがこの時代地表だ。だのに今尚、その色が存在する筈が―――

「―――あ」

 口から、悲鳴になりそこなった音が漏れた。

 血色が一面に散る。

 それは私の腹部から広がった。

「――――、……。―――ぁ―――」

 あまりの痛みに、カタチが肉体に引き摺られていく。脆弱な人間の姿形へと変質してしまう。

 見上げれば、西日に照らされて、銀色は燃えるような光を放っていた。

 その姿シルエットは見間違えようもなく、人狼のものだ。

「―――……」

 喜びで呼気がこぼれる。

 私の同族は、こんなところにいたのだ。

 よかった、と思えた。そう自覚した途端に、体中から力が抜けていく。

 私が作ろうとしたもの。私が守ろうとしたものの断片が此処にはあった。

 まだたったの一人と言えばそれまでだけれど。足掛かりとしては充分だろう。前進したと認めたって良いはずだ。

 一人では守り切れなかったものは。

 たくさんの同族がいれば守り切れる。

 あの古い森で待ち続けているあの子たちに、やっとあいにいける。

「……あんたをこのままにはしておけない。悪いけど、■■でくれ」

 何事かを、灰銀色の狼が口にした。

 やわらかな金色の瞳が引き絞られた布の細められ、揺れている。

 聞き返そうとして、噎せ込んで失敗する。喉の奥から血が溢れだしたのだ。鼻の奥が血の臭いで潰れてしまう。

 地面に落ちた、人狼の影が揺らめいた。

 もう一度顔を上げようとして。

 甲高い音が響いた。

 耳馴染みのある音だった。

 人間が普遍的に扱う武器の音だった。

 拳銃独特の音だった。

 そして、目の前の灰銀狼が仰け反った。

「え?」

 シルエットが揺れる。揺らぐ。そして、倒れる。

 倒れた人狼の、その奥に。

 拳銃を構えた人間が立っていた。

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