第8話 駿河で炎と戦った
「あれ、富士山と違う?」
三殊が大きな声をあげた。前方にひときわ高い、山の頂が見えた。とがった山頂が白く輝いていた。
「ホンマや。そろそろ静岡に入るんかな」
八真斗は遠くの山を見つめて言った。
「おお、皆様も霊峰富士をご存知でしたか」
タケヒコが話かけてきた。
「吾は話には聞いておりますが、この目で見るのは、初めてでございます。随分と高い山でございますな。皆様、ご覧になった事がおありのようで」
「まぁな」
丈琉はあいまいに返事をした。
「見たって言っても、1500年後の富士山やけどな」
と、小さい声で付け加えた。
日増しに富士山のフォルムが大きくなっていく。富士山観察が、旅の楽しみになっていた。とうとう富士の裾野までが見えるところまで来た。
「感動やな。1000年以上経っても、おんなじや」
三殊が言うと、八真斗も富士山を眺めながら返した。
「星も山も変わらん。変わるのは、人間ばっかやな」
「そろそろ、駿河のクニに入るぞ。皆、気を引き締めろ」
タケヒコの声が響いた。
「駿河は大和に使いをよこさぬ。貢物も途絶えておるのだ。反抗してくるやもしれぬ。戦いの準備をしておくのじゃ」
一行に緊張が走った。今回は先陣としてタケヒコとタケイナダネが駿河に入った。オウスは目を閉じ、黙りこくって石に腰かけていた。
数分でタケヒコ達が戻ってきた。中年の太った男が後からついてきている。男は汗を拭きながら、オウスの前に膝をつき、平伏した。
「駿河の国造でございます。ヤマトタケル様のご武勇は、ここ駿河にも聞こえております。大和にそむくなど、とんでもございません」
「うむ。しかし駿河の貢物が途絶えて久しい。口ばかりでは、誰も信じない」
「ははぁ。申し訳ございません。クニに準備してございます。どうぞ、こちらへ」
国造は立ち上がり、腰をかがめてオウスを案内するしぐさを見せた。
一行は駿河に入った。駿河は海に面しており、塩の香りが漂っている。平地が少なく、海岸線の近くに山が迫っている。
国造は屋敷に案内し、貢物の山をオウスに見せた。絹の反物や魚の干物など食物が山積みにされていた。
「今日はもう夕暮れ。明日にでも大和に向け、出発いたします」
オウスは厳しい表情を解かなかったが、口元を少し緩め、大きくうなずいた。
「ヤマ。なぁ、あのおっさん。なんかうさん臭くないか」
「うん。俺もそう思う。油断ならん気がする」
丈琉と八真斗は国造から目を離さないようにしていた。
その夜、豪華な宴会が開催された。八真斗と三殊、オトタチバナヒメは相変わらず出席しなかった。夕食を運んでくれたナナツカハギが、八真斗に小さな声で話しかけた。
「ここは見張られているかもしれません。屋敷の外にずっと人の気配を感じるのです」
「やっぱ、ここ、怪しい気がするよな。ナナっち。悪いけど、みんなが戻ってくるまで、ここにいてくれんか。なんか心配や」
ナナツカハギはうなずき、腰をおろした。4人はいつもより静かな夕食を食べた。
宴会では、オウスは国造と並んで酒を飲んでいた。丈琉は背中にトツカの剣を背負い、オウスに近い所に立っていた。隣にミヤトヒコが立っている。
「なぁ、ミヤ。俺な、あのおっさんの口元が気に入らんのや。なんか企んでいるっぽい気がしてな」
国造は話したり笑ったりすると、口元が左にゆがむ。丈琉にはゆがんだ性格を表しているような気がしてならなかった。
「顔はわかりませんが。急に貢物を納めると言ってくるあたり、信用できません。
しかしヤマトタケル様はお優しい方で、人を疑う方ではありませんし。十分、気を付けましょう」
ミヤトヒコは国造と話しているオウスを、心配そうに見つめた。
宴会は滞りなく終わった。オウスは皆を集めた。
「明日、この先の部落を懲らしめに行く。山賊と手を組み、この辺り一帯を襲っているそうだ。そのうち駿河、さらには大和にとっても脅威になりかねない。悪しき芽は小さいうちに摘んでおくのじゃ。
駿河と共に出陣する。大和の力を見せつけるよい機会じゃ。皆、頼むぞ」
「おおー!」
と、雄叫びが上がった。酒に酔った者達の気分は高揚し、士気が上がっている。丈琉の心配をよそに、皆が盛り上がっていった。
翌朝、早い時間から出陣の準備は行われた。駿河の兵士は素朴なムラ人ばかりで、急きょ集められたような感じだった。
雲、ひとつない青空。底冷えのする朝だった。
「今日は特に寒いな。お肌がピリピリするわ」
三殊は乾燥した唇に、リップクリームを塗った。三殊のリュックと、7年間旅したリップだったが、とりあえず使って問題はなかった。オトタチバナヒメにも貸してあげる。1回試しに使ってみたら、とても具合がいいと喜んでいた。元の唇がピンク色のオトタチバナヒメがリップクリームを塗ると、その色の発色が良くなる。ぽっちゃりとした唇が艶めき、かわいらしさが倍増だ。
準備が整った。オウスはオトタチバナヒメの元にやって来た。
「今日はまた一段と、かわいい唇をしておる」
オウスはオトタチバナヒメの顎を持ち上げた。そして軽く、唇を重ねた。
「人前で、ようやれるな。アメリカ人か」
三殊には、丈琉のつっこみも聞こえなかった。あまりの胸の痛みに、顔をしかめ、胸元の布を握りしめた。
「よいな。ここで待っておれ。心配はない」
オウスはオトタチバナヒメの耳元で囁き、そっと抱きしめた。
三殊は唇をかみしめて、顔を背けた。その時、丁度丈琉と目が合った。
「どうした、みぃ。おっかない顔して」
「えっ?」
自分ではそんな顔をしているとは、思ってもいなかった。
「何でもないって。
それよか、タケ、あんたも一緒に行くん? 危なくない? 無理に行かん方がいいと思うんやけど」
「大丈夫や。ここでは、俺、負ける気せんから。みんな、俺の事、頼りにしてるっぽいし。まぁ、マジでヤバくなったら、逃げてくるから、安心しとれ。
俺ら、みんなで平成の世に帰るんやもんな」
丈琉は三殊の頭をポンポンと叩き、笑った。
八真斗はみんな一緒にいた方が良いと提案した。しかしオウスは「オトタチバナヒメを戦場に連れて行くことはできぬ」と言って、駿河に残るように手筈を整えた。三殊とオトタチバナヒメ、剣を使えない八真斗、念のためにと、ナナツカハギも残ることになった。八真斗はオオウスの剣を腰に下げてもらい、すぐに使える様にしてもらった。
国造の長男が大将になって進んだ。駿河の者達の案内で、一行は小高い丘に入った。葦や熊笹の様な背の高い草が群生している。背の低い者は、すっかり草に隠れてしまった。頭が出ているのは、丈琉とオウスくらいだった。
「なんか、変や。駿河の人達、少なくなっていないか?」
丈琉が一番に気が付いた。草に隠れて、脇道にそれて行く人影が目についたのだ。先を歩いていた国造の長男が「今だ」と叫ぶと、残っていた駿河の兵士は一斉に駈け出した。
「なに事!」
オウスが叫んだ瞬間、草むらに火玉が投げ込まれた。火は数日の好天で乾燥している草に燃え移り、勢いよく炎が上がった。外からも火をつけられ、四方八方から火が迫って来る。
「騙されたか!」
オウスが声を振り絞った。炎に囲まれ、完全に逃げ場を失った。丈琉は炎の外から中を覗っている、国造の長男を見つけた。唇を歪めて笑っている。
(くっそ。父親、そっくりや。やっぱ、悪人やったか)
「火を消せ。草を切るのだ。炎も薙ぎ払え。奴らを逃がすでない」
オウスはアマノムラクモノ剣で、燃え盛る草を刈り始めた。
「切れ、切れ!」
タケヒコの声も響いた。
タケヒコとミヤトヒコは、手に火傷を負っている。いつも陽気に笑っているタケイナダネも、死に物狂いの形相。
丈琉の持つトツカノ剣は、刀身が長く、他の者より広範囲に草を刈った。しかし火の勢いに、追いつくものではなかった。熱風と煙で、呼吸が思うようにできない。丈琉は初めて、死の恐怖を身近に感じた。意識が遠のく。
「三殊……」
脳裏に三殊の顔が浮かんだ。
(こんなトコで、くたばる訳にはいかん)
片膝と手を地面に付き、倒れないように体を支えた。
オウスが丈琉の元に駆け寄って来た。鎧は脱ぎ捨ててあった。鉄製の鎧は、熱を伝導して熱いのだろう。
「タケヒ。しっかりしろ」
オウスは丈琉の肩に、手を掛けた。丈琉はその手が赤く光っている事に気が付いた。煙で染みる目を必死に開け、自分の手も見ている。赤い光が灯っていた。そしてもう一つ、オウスの胸に、服の下から赤い光が灯っているのを見つけた。
「オウス。胸が、光っとる」
煙に咳き込みながら、声を振り絞り、胸を指さした。
「困難が生じた時、使うようにと、ヤマトヒメ様が下さったものじゃ」
オウスは胸に提げてあった革袋を、服の下から引っ張り出した。中には石が2個入っていた。
「火打ち石じゃ。さらに火を起こせという事か」
オウスはアマノムラクモノ剣を地面に置き、火打石を両手に持った。そして石を力強く打ち付けた。
石から爆発的に炎が噴き出した。炎は丈琉の持つトツカノ剣と、アマノムラクモノ剣に燃え移った。灼熱の空気の中で、2人は熱を感じなくなった。オウスは燃えている剣を手に取った。
丈琉とオウスは涼しい顔をして、立ち上がった。2つの剣が共感するように、唸るような音を発した。2人は剣を突き合わせた。剣を持つ人間に意志はなかった。剣の命ずるまま、同時に剣を空に向かって振り上げた。
2つの剣から、マグマの様な炎が噴き出された。耳をつんざく爆音。体を吹き飛ばすほどの爆風。丈琉は後ろに吹き飛び、背中を強打した。激しい痛みで、一瞬息が止まった。
炎は一瞬で、あたり一面を焼き尽くし、龍の様に天に昇って行った。炎の龍は周りの空気を、ごっそりと引きつれて行った。激しい上昇気流が発生し、炎や草、すべて天に向かってはためいた。
龍が昇りきると、風はピタっと止んだ。すると、今度は空が真っ黒な雲に覆われた。昼間だというのに、辺りは真っ暗になった。
仰向けに倒れている丈琉の頬に、水滴がぽつっと落ちた。
「雨」
丈琉はやっとの思いで手を動かした。ゆっくりと顔の雨粒をぬぐった。次の瞬間、猛烈な豪雨が降り出し、むせかえった。顔を横に向け、ゆっくりと起き上がった。4、5回咳き込んだ。
風と雨で、炎の勢いは弱まった。その場にいた者は、噴火の様な火柱に魂を抜かれていたが、急におさまった炎に、落ち着きを取り戻し始めた。
丈琉は少し離れた所で、倒れているオウスを見つけた。うつ伏せで倒れている。豪雨のカーテンで、その姿はぼやけて見える。丈琉は痛む背中をかばいながら、ゆっくりと起き上がった。オウスの元に、ヨロヨロしながら近寄った。
オウスは雨に打ち付けられても、身動きひとつしない。
「オ、オウス?」
丈琉の呼びかけに、返答がない。オウスの顔を覗きこんだ。かたく目を閉じている。真っ白な顔。丈琉は嫌な予感がした。オウスの頬を叩いてみた。それでも反応がない。鼻の前に手をかざしたが、呼吸を感じ取れなかった。
「息、しとらん」
丈琉の呼吸も、一瞬止まった。頭の中は真っ白になった。
「タケ!」
丈琉は声の方向に振り向いた。八真斗が必死の形相で走って来てた。
「八真斗!」
ここにいるはずのない八真斗の姿に、丈琉は自分の目を疑った。しかしハッと我にかえり、声の限りに叫んだ。
「オウスが、オウスが息しとらんのや!」
その声は周辺にいた者にも聞こえた。一斉に人が集まってきた。
「ヤマトタケル様」
タケヒコがオウスの肩をゆさぶった。
八真斗は必死でオウスに駆け寄った。タケヒコの前に出て、オウスの傍らに膝をついた。うつ伏せのオウスを、仰向けにしようとした。タケヒコはその意図をくみ手伝った。仰向けにされるオウスは完全に脱力し、人形の様に動かされるだけだった。八真斗はオウスの肩を叩き、大きな声で叫んだ。やはり返答はない。オウスの顔に耳を近づた。その後にオウスの手首に指を当て、次に首に指を添えた。
「意識なし。呼吸停止、頸動脈も触れん。CPA、心肺停止や……」
八真斗は声を絞り出した。
その後すぐに八真斗は、右手を握りしめて振り上げた。そして拳をオウスの胸骨に思い切り振り下ろした。“どすっ”と、鈍い音がした。2度3度繰り返した。
「ヤマヒコ様、何を!」
タケヒコが叫び、八真斗の手をつかんで止めた。
「離せ! オウスがホンマに死んでしまうぞ」
八真斗は声を荒げた。タケヒコは八真斗の迫力に委縮し、手を離した。
八真斗はオウスの胸の上に両手を置き、強く胸骨を圧迫する心臓マッサージを始めた。何が行われているのかわからない、古代の人々は、声も出せずにいた。
「タケ。倒れてから、どれ位経っとる?」
八真斗はマッサージをしながら、顔だけを丈琉に向けた。
「さっき、風で吹き飛ばされた時やと思う。それまでは、俺と一緒に剣をふるっとったんや」
「さっきの爆風か。そんならほんの数分やな。大丈夫や、きっと」
八真斗は再びオウスに顔を向けた。
(そや。心肺蘇生は、できるだけ早く始めた方が、蘇生率が高いんや。俺、蘇生術も授業で習ったのに、咄嗟に思いつかんかった。なんもできんかった)
丈琉は心臓マッサージをしている八真斗を見て、自分が情けなく思えた。しかし落ち込んでいる場合ではない。大きな声で、オウスに声をかけた。
「オウス。がんばれ。戻ってくるんや」
「オウス。オウス。帰って来い!」
八真斗も大きな声で叫んだ。雨が顔を濡らし、汗と共に流れ落ちる。八真斗の口から次々と白い息が吐き出された。
「ヤマトタケル様、タケル様!」
タケイナダネが叫ぶと、次々に皆が名を呼んだ。
雨脚が急に弱くなった。八真斗は一瞬マッサージを止め、顔を拭った。その瞬間、オウスの体がビクッと動いた。そして詰まった音をたてて、息を吸い込んだ。その後に数回咳き込み、浅い呼吸を始めた。
「オウス!」
八真斗と丈琉は同時に名を呼んだ。オウスはうっすらと目を開けた。
「わかるか?」
八真斗の問いかけに、オウスは小さくうなずいた。八真斗はオウスの手首に触れ、脈をとった。しばらく手首を押さえていたが、タケヒコの大きな声に驚き手を離した。タケヒコはオウスに覆いかぶさり、号泣した。
八真斗は大きく息を吐いた。そして肩で大きく呼吸をして、もう一度汗をぬぐった。
「オウス。手足、動くか」
八真斗が話しかけた。オウスはゆっくりと手を持ち上げ、笑ってみせた。そして疲れた様に、また目を閉じた。
八真斗は全身の力が抜け、その場にドスンと腰をおろした。
「オウス、大丈夫やな。助かったんやな」
丈琉が泣きそうな声で尋ねた。
「ああ。大丈夫やと思う。でも、マジで危なかったな。
あの風、俺もふっ飛ばされたんや。近くにいたお前らじゃ、もっと衝撃が強かったやろ。オウスも飛ばされて、胸を強打したんかもしれん。その衝撃でVF(心室細動)になったって、考えられるな」
八真斗は眼鏡をはずして、水滴を拭った。服も濡れていて、完全には拭き取れなかった。
丈琉は突然「そうや」と言って、八真斗の肩をつかんで、大きな声で尋ねた。
「でも、どうしたんや。なんで、お前ここにおるんや」
「みぃがな。お前の事予言したんや。タケが危ない、火に囲まれてしまうってな。俺ら一緒に駆けつけたんやけど、途中でオウスが危ない、死んでしまうって言って、三殊が大騒ぎしてな。
とにかく俺だけでも早く行けって。だから、俺だけ先に来たんや。タイム計っていたら、俺、
八真斗はクスッと笑った。八真斗は高校まで短距離をやっていた。
「でもな、ここまで来るんも大変やったん。俺ら、監視されとったんや。小屋から出たら足止めくって、剣で襲われたりして」
八真斗は話している最中だったが、タケイナダネの奇襲にあい、話は中断した。八真斗に抱き付き「すごい、すごい」と、繰り返した。他にも2、3人の男に囲まれ拝まれる様に、感謝を述べられた。
(ちょっと待て。襲われたって、みぃは大丈夫やったんか。大事なトコで、話が切れたぞ)
そこへ三殊が息を切らせながら走って来た。ナナツカハギとオトタチバナヒメも一緒だ。三殊とオトタチバナヒメの薄い生地の服が、雨に濡れて体にまとわりついている。歩くのもやっとの状態で、ここに来た時には二人とも足がもつれていた。オトタチバナヒメは倒れているオウスを見つけ、「ヤマトタケル様」と何度も名を呼び、ヨロヨロと駆け寄った。オウスは目をうっすらと開け、かすかに微笑んだ。そして腕をゆっくりと動かし、オトタチバナヒメの頬に触れた。オトタチバナヒメはその手に自分の手を重ね、涙を流した。
三殊はその光景を見つめ、立ち尽くしていた。胸の前で両手を握りしめ、唇をかみしめた。まだ息が切れていて、肩が大きく上下していた。
いつの間にか、雨はやんでいた。丈琉は三殊に近づいた。人の気配に気付いた三殊は、パッと顔を向けた。
「タケ! 大丈夫か」
「俺は大丈夫や。
やっぱ、国造って奴、クセもんや。あいつらに騙されたんや。
火ぃつけられて、焼き殺されるトコやった。でも風とゲリラ豪雨で火は消えたから、よかったんやけど。オウスがな、ふっとばされて、心臓が止まったんや」
三殊は目を丸くして、口に手を当てた。
「でもな、みぃがヤマ寄越してくれたやろ。ヤマが心臓マッサージしてくれて、それで助かったんや。みぃのおかげや。
それよか、みぃ。お前も危なかったって。いったい、何があったんや」
「私は全然、大丈夫や」
三殊は笑ってみせた。その後すぐに、真顔に戻り、話を続けた。
「みんなが出てからしばらくしてから、私の手が急に光ったんや。そしたら、タケが火に囲まれているのが、頭の中に見えてな。そんで助けに行かんとって、みんなで小屋の外に出たんや。そしたら、ごっつい男が3人いてな、私らを通させんようにしたんや。
私はあの鏡で太陽を反射させて、目つぶし食らわせてやったし、ナナっちが頑張ってくれたんよ。でも1人は私に向かってきてな、そん時ヤマが、オオウスさんの剣でかばってくれてな。そしたら緑色の光が発射されて、その男、ぶっ飛んで行ったんや。昔、お父さん弾いた時とは比べもんにならん位、見事に飛んで行ったわ。
八真斗、私かばって怪我するとこやった」
三殊は丈琉を見た。目と鼻が真っ赤になっている。
「タケ! あんたもホンマに大丈夫なんか。服、ボロボロやし、火傷もしとるやんか。マジでヤバかったんと違う?
この時代の人達、剣では弱いからって、無茶しすぎや。
3人で家に帰るって、言ったやんか」
三殊の目から、涙がポロポロとこぼれ落ちた。
丈琉は死ぬかと思った瞬間の事が、頭の中によみがえった。その時、思い浮かんだ三殊の顔。その三殊が自分を心配して涙を流している。そう思った時、丈琉は三殊への気持ちが抑えられなくなった。
丈琉は何も言わず、急に三殊を抱きしめた。三殊の華奢な体を、思い切り強く。
「タケ……。丈琉?」
三殊の戸惑った声。体をよじって、丈琉の腕から逃れようとした。
「動かんでくれ。このまま。頼む」
丈琉は三殊の頭を手で押さえ、自分の顔に押しつけた。目を固く閉じ、意識は外界から遮断された。
突然、丈琉の額に衝撃が走った。
「アホっ」
八真斗のデコピン。一瞬で丈琉の意識が戻ってきた。丈琉の腕の力が緩み、三殊はその手から逃れた。
「みぃ。オトヒメがパニクっとる。そばにいてやってくれんか」
「うん」
三殊はうなずいて、オトタチバナヒメの元に走って行った。
「わかっとる!」
丈琉が大きな声をあげた。
「俺やって、普通に向こうの世界で生活しとったら、こんな風にはせんかった。こんな風に、みぃの事、思わんかった。若干、シスコン入った弟で過ごしてたと思う。
でもな、ここで死の恐怖を感じるような、切羽詰まった状況で、俺、余裕なくなった。みぃが、俺の事心配して、泣いてくれてるの見たら、好きやって気持ちが抑えられんくなった。ブレーキ効かんくなったんや」
両手を握りしめ、顔を強張らせた。丈琉は胸の中で、燃えたぎる、禁断の恋の炎と戦っていた。
八真斗は切なそうな丈琉の顔を見ると、言葉がでなかった。何も言わず、丈琉の背中を、ポンポンと叩いた。
丈琉は額を、自分で弾いた。自己デコピン。
「ごめん」
と、小さな声で八真斗に言った。
「俺に謝っても、しょうがないやろ」
「いや。ヤマも危なかったって、みぃに聞いた。命の危険と戦っておるのは、俺ばっかやないのにな」
「そういう事か」
八真斗は少し、間を置いた。
「……それとな。みぃが泣いたんは、あの二人見て、切なくなったのも、あるかもしれん」
八真斗はオウスとオトタチバナヒメに視線を向けた。
「? そや。みぃ、あの二人見て、おっかない顔しとったけど。でも、なんで」
「オウスの事、思っていたんやろ。全く、シスコンの弟に、1500年以上も昔の人間好きになる姉かよ。お前ら、ホントややこしいわ。間に挟まれる俺も、大変や」
八真斗はそう言って笑った。そしてそのまま、みんなの所に走った。
(三殊が、オウスを……)
丈琉はその場から、動けなかった。
丈琉が次に動いたのは、背後に気配を感じた時だった。
「誰や」
丈琉は大きな声を挙げて、勢いよく振り返った。ふたりの男が哀れな姿で、立っていた。駿河の兵士だった。髪はチリチリに焼け焦げ、顔は真黒、服も所々焼け焦げて火傷も負っていた。大和の兵士より、悲惨な出で立ちだ。丈琉の声に飛び上がり、慌てて土下座をした。
「申し訳ございませんでした。
もう二度とヤマトタケル様には逆らいません。どうか、どうか助けてください。みな、死んでしまいました」
「お前らだけなんか。生きとるのは」
「はい……」
下を向いたまま、小さな声で答えた。丈琉はタケヒコの所に、2人を連れて行った。そして駿河の兵士が大勢死んでしまった所に、案内させた。真黒に焼けてしまった遺体が、所々に転がっていた。国造の長男と思われる遺体がすぐそばにあった。焼けずに残った服の模様と鎧が、彼だと示していた。
「この遺体。ここに捨て置くわけにはいくまい。しかし、当方もけが人ばかりじゃ。とにかく1度、駿河に戻るぞ。おぬしら二人で、国造の嫡男を運ぶのだ」
哀れな男達は、声もなくうなずいた。
オウスはタケヒコが背負い、一行は来た道を戻った。
自業自得とはいえ、国造は取り乱し、嘆いた。そして生き残った2人の話を聞き、激しく後悔したのだった。
「ヤマトタケル様は燃える草を薙ぎ払いました。勇ましいお姿でした。
そして、ヤマトタケル様の剣から、炎の龍が現れて、天に昇っていきました」
「あの、炎か!」
駿河からも炎は見えていた。
「龍は炎をまき散らし、吾らはその炎に焼かれてしまいました。ご嫡男もその炎に巻き込まれました。
すると今度は大風と大雨がやって来て、あっという間に火を消し去りました。
ヤマトタケル様は炎と風と水の龍を従えておられるのです!」
国造は涙を流して、平謝りに謝った。そして今度こそは、真に大和に従うことを約束した。さらにオウス達の怪我が癒えるまで、十分にもてなす事を約束した。
怒涛の1日が終わる。丈琉は砂浜で体育座りをしていた。何を見るわけでもなく、水平線に視線を向けていた。
空は茜色に染まってきた。海は凪で、静かな波音をたてている。
「タケ。こんなトコにおったんか。探したで」
八真斗が声をかけた。振り返ると、八真斗と三殊がこっちに向かって歩いてきていた。
「火傷、手当てせんと」
八真斗が言った。
「大丈夫や。さっき、冷たい水で冷やしといた。ヒリヒリするけど、触らなければ何ともないし。水ぶくれは、つぶさないようにしとけば、いいんやろ」
「そやな。それで十分や。薬もないんやから、治療も何もないんやからな」
八真斗は笑った。三殊を真中にして、3人は横に並んで座った。
「オウスはどうや」
「今は、落ち着いとる。火傷はそんなにひどくないし、それこそ、冷やしておけば大丈夫な感じや。気道熱傷もないみたいやし。そうそう、大和の人達って、みんな軽傷で済んどる。なんかご加護でもあるみたいや。伊勢のヤマトヒメ様の力かもしれん」
「じゃ、オウス君もすぐ良くなるな。なんか今は、ぐったりしとるけど」
三殊がオウスの名を出した。ピクッと丈琉の顔が緊張した。
「オウスな、不整脈なんや」
「ふせいみゃく?」
三殊と丈琉の声がそろった。
「うん。脈が規則正しく打ってないんや。全くバラバラで、もしかしたら、心房細動なんかもしれん」
「しんぼうさいどう?」
また二人同時。
「不整脈のひとつや。前からなのか、心臓が1回止まったのがきっかけで、そうなったんかはわからんけど」
「それって、ほっといて大丈夫なんか」
丈琉の問いに、八真斗は顔をしかめ、小さく何回か首を左右に振った。
「いや。ほっとくと、脳梗塞とか心不全になる可能性が高いんや」
「脳梗塞って、おじいちゃんがなった病気よね。おじいちゃんみたいに、寝たきりになっちゃうん? 心不全ってなに?」
若林病院の創設者である、3人の祖父は、3年前に脳梗塞を発症していた。今は特別養護老人ホームに入所しているが、右の手足は全く動かず、関節は曲がったまま伸びなくなってしまった。しゃべることもできず、食事も食べることができない。おなかにチューブを入れて、そこから栄養剤を流していた。面会に行っても、孫の顔もわからないようだった。
「確か、じいちゃんも心房細動になって、それで血栓が飛んで、脳梗塞になったんや。ただな、必ずなるって訳やない。可能性が高いってことや。
心不全はな、簡単に言えば、心臓が弱ってしまうってことや。無理をしなければ大丈夫やと思うけど、この状況でそれは無理やろ。
いや、心電図とったわけやないから、心房細動って決まったわけやないけどな。
でもわかった所で、薬もないし、何もできん」
八真斗が溜息をついた。三殊にも溜息は移り、視線を海に移した。遠い目で水平線を眺めていた。丈琉は三殊の横顔を見つめた。その瞳が悲しそうに見えた。
「なぁ。みぃって、オウスの事、好きなんか」
「はぁ?」
三殊が一瞬で、真っ赤になった。
「直球勝負やな」
八真斗は額に手を当てた。
「な、何、言っとるん! 好きって、なに!」
三殊はごまかしたつもりだが、うろたえ方が尋常ではない。好きと肯定しているようなものだ。
「いや、そのね。言われてみれば、そうかなって思わんこともないけど。
でもね、オウス君って、オトちゃんの事、ものすご大事にしとるやんか。お互い好きあっているやろ。それ、見とると私なんか、全然かなわんて思うし。
それに、私ら元の世界に戻るんやから、結局は別れるわけやんか。どんだけ好きでも、付き合うとか、ずっと一緒にいる訳にもいかんし。
まぁ、私がちゃんと恋愛感情を持つことができるって、それがわかっただけでも、よかったわ。このまま一生、男性恐怖症かもしれんって思ったりもしたんやけどね」
三殊はほてった頬を、冷たい両手で押さえた。そしてひと息、大きく吐き出し、丈琉に向き直った。
「それよか、タケ。あんた大丈夫なん? 急に私に抱き付いてきたりして。確かに怖かったやろうけど。でも、それでお姉ちゃんにしがみつくなんて、情けなくない?
そんなんじゃ、立派なおまわりさんになれんよ」
丈琉は目を見開き、全身が固まった。しばらくまん丸の目で、三殊を見ていたが、真顔の三殊を見て、プッと噴き出した。
「お、おまわりさんって、なんや。警察官って言ってくれよな」
丈琉は笑い出した。
(俺は、弟なんや)
そう思ったら、今度は自虐的な笑いが込みあがってきた。しばらく1人で笑い続けた。
しかし、丈琉の胸の中では、炎がくすぶり続けていた。
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