第3話 古代で生き抜くのは、大変だった

 熊襲に向かうため、三殊のために輿こしが作られた。幅の広い担架だ。

「あれに乗って、移動するん? なんか恥ずかしい」

三殊は輿に乗ることをためらった。しかしオウスから、女の足で熊襲まで歩くのは無理だと諭され、使うことを決心した。

 オウスの言った通り、厳しい道のりだった。道とは言えない道。丈琉は幼いころから剣道で体を鍛え、今も警察学校で厳しい訓練を積んでいる。なんとかついて行く事はできたが、八真斗には無理だった。高校まで陸上競技をしていたが、大学に入ってから、運動らしい運動はしていない。

「無理や。ついて行けん」

八真斗は息が切れ、顔色も悪くなっていた。すでに足が筋肉痛だ。

 八真斗を輿に乗せるのは、無理だと思われる。体格の良い八真斗を、担ぐことは難しいだろう。隊は2つに分かれることになった。きょうだい3人とミヤトヒコ、その家来が後から追いかけることになった。この隊は偵察に行っていたタゴが案内役に残った。

「悪かったな」

八真斗はミヤトヒコに謝った。

「いえ。輿を担いでいた者は、あの速さでは大変でした。この速さで歩ければ、吾の家来も助かります」

「そう言ってもらえると、俺も少し気が楽や。ありがとな」

八真斗はミヤトヒコの肩を抱えた。

「ミヤトヒコ。いい奴やな」

丈琉もミヤトヒコと肩を組んだ。

「それにしても、古代の人間って、どんだけ健脚なんや。鎧着て、荷物持って、それであの歩きって。ありえんやろ」

鎧には丈琉とタケヒコがつけた木製の物の他に、鉄製の物があった。いずれも短甲たんこうという、上半身を守る物だった。鉄を組みひもや皮でつなぎ合わせてある。その他にも肩や腕、下肢を部分的に保護する物がある。鉄を使った鎧は重い。地位の低い者は木製や動物の皮、丈夫な布で作った鎧を付けていた。

「それに、みんな、寒さに強いよね」

三殊が輿の上から話しかけた。この寒さの中、薄い生地の着物で過ごしている。現代人の3人は寒さに耐えられず、白い着物の下に、乾かしたセーターやズボンをはいた。

「人間って、環境に適応できるんやな」

八真斗が答えた。


 太陽が高く昇り、ミヤトヒコの命令で、休憩をとった。

「昼食って、出てこないんかな」

丈琉はちょうど昼食時と思った。

「食事が1日3回になったんは、近代に入ってからやなかったかな」

「ええ? 腹減ったな。朝もお粥だけやし」

三殊がリュックの中から、チョコレート菓子を出し、丈琉に渡した。丈琉は生き返ったように喜んだ。1個取って、八真斗に箱を渡した。

「これと、ガムがあるだけや。これがなくなったら、ここでの食事しかないから」

「俺の最大の敵は、空腹かもしれん」

丈琉はお菓子を見つめながら、大真面目に考えた。

「大丈夫や。人間は環境に適応できる。そのうち、粗食にも慣れてくるって」

「いい事なんか、悪い事なんかわからんが、寂しいな」

八真斗の言葉に、丈琉は複雑な顔をして、お菓子を口に入れた。

「しっ」

ミヤトヒコが口に手を当てた。

「今、人影が」

一同に緊張が走った。

「熊襲の奴らかもしれん。草陰に隠れろ」

ミヤトヒコの指示で道を外れ、脇の草むらに隠れた。ミヤトヒコは腰を低くして、音のした方を探った。すぐに戻って来たが、厳しい顔をしている。

「ここで、待っておれ」

家来にそう言うと、一人で森の奥に走って行った。残された丈琉たちも気が気でない。しかし何もできず、しばらく息をひそめていた。

 丈琉は人が動く気配を感じた。丈琉は気配の方向に目を向けた。ミヤトヒコの家来が2人、腰をかがめ静かに歩いていた。ミヤトヒコが向かったのとは、反対の方向だ。タゴは気が付いているのかいないのか、腕を組んで目を閉じている。丈琉は八真斗の肩を叩き、歩いて行く男達を指さした。

「俺、ちょっと行って来る。」

「待て。無茶すんな」

八真斗は丈琉の手をつかんだが「大丈夫や」と言って、丈琉は男たちを追いかけて行った。

 2人にはすぐに追いつく事ができた。

「おい、どこ行くんや。ミヤトヒコが行ったんは、そっちじゃないぞ」

丈琉が声をかけると、男達は小さい悲鳴をあげて、振り返った。幽霊でも見ているかの様だ。

「み、見逃して下さい。俺らは、こんな辺境の土地で死にたくないんだ」

「えっ?」

丈琉が聞き返すと、一人が勢いよく話し出した。

「オウス様は恐ろしい方です。熊襲の頭領は乱暴な奴だと聞いています。きっとオウス様は俺たちを盾にするだろう。ご自分の命以外、どうでもいいと思っておられる方です」

「いや、ちょっと待て。オウスってそんな人には見えんけど」

「あなたは、ここに来たばかりだから、わからんのです。オオウス様との事も知らないでしょう」

「オオウス?」

男達はだんだん興奮して言葉が荒くなっていく。

「オウス様の兄様です。オウス様が殺したんです。双胎そうたいの、自分と同じ顔をした兄を殺すなんて。俺らには考えられん!」

「その上、遺体をバラバラに切り刻んで、かわやに流したって話じゃ」

「はぁ?」

丈琉は顔をしかめた。

「本当の話なんだ。オウス様は日嗣の皇子の候補だったオオウス様を、亡き者にすれば、いずれ自分が大王になれると思ったんだろう。でもそれは、裏目に出たんだ」

「大王様は、残忍はオウス様を疎まれたって話だ。だから熊襲退治にも、こんなに少ない部下しかもらえなかったんだ」

2人は顔を見合わせて、うなずいた。

「大王様に疎まれては、日嗣の皇子にはなれん」

「そんな方について行っても、なんの得にもならん」

そう言い放って、2人は一目散に走って行った。

 丈琉は唖然として、逃げる二人の背中を見ていた。そしてオウスのまっすぐで澄んだ瞳を思い出した。

(俺はオウスと出会ったばかりやけど、オウスがそんな事するヤツとは思わん!)

逃げて行った男達に、怒りすら感じた。

「タケヒ様。どうしました? 人の声が聞こえたようですが」

ミヤトヒコが息を切らして走って来た。

「……一緒にいたモンの中で、逃げて行った奴がおる」

「吾の家来にも……」

ミヤトヒコは愕然とした。

「吾が追いかけたのは、先陣の隊の者でした。どうも脱走を企てたようです。残念ながら追いつけませんでした。

 タケヒ様は何か話をされたのですか? 何か言っていましたか」

「ああ……あのな、無駄死にしたくないとか、オウスについて行っても得にならんとか」

ミヤトヒコは拳を握りしめ、手を震わせた。丈琉もさっきの男達への怒りが、収まっていなかった。

「ミヤトヒコ。俺、信じてないからな。あんな奴らの言った事。オウスが兄を殺したとか」

「オオウス様の事ですね」

丈琉は唇をかみしめ、うなずいた。

「そう言っていただけて、嬉しく思います。

 オウス様はそのことについて、一切語らないのです。ですから悪い噂ばかりが広がって、真偽のほどはわからないのです。

 吾らは信じておりませんが、中には真に受けた者もいるのです。オウス様とオオウス様は本当の仲の良い御兄弟でした。お互いを信じあい、力を認め合う、そんなお二人だったのです。それに、オウス様がそのような事をする方ではないと、日頃のオウス様を見ていれば、わかるであろうに」

ミヤトヒコは頭を激しく振った。

「もう、よい! そんな奴らが、吾が隊にいては、士気を下げるだけじゃ」

「そうや。もう、忘れよ。みんな待っとる。早く、戻ろ」

丈琉はミヤトヒコの背中を、バシッと叩いた。ミヤトヒコは笑って、背中をさすった。かなり痛かったようだ。

「ところでな」丈琉は思い出した様に、ミヤトヒコに話しかけた。

「悪いんやけど、ミヤトヒコって名前、長くてかなわん。ミヤとか、そんな感じで呼んでもええか?」

ミヤトヒコはさっきの事は忘れた様に、明るく笑った。

「好きな様に呼んで下され」


 日が暮れ、山道を進むのは困難になった。野宿の準備が始まった。丈琉は警察学校で野宿を経験しているが、三殊と八真斗は初めてだ。三殊は憂鬱そうな顔をしている。

「下が硬くて、寝られんかもしれん。それに、これじゃ寒いやろ」

支給された掛物は、薄い布だ。綿入れの布団や毛布がある訳はない。

「俺らの間に入れば、少しはあったかいやろ」

八真斗が布を敷きながら言った。

 横になる前に、八真斗が丈琉の耳元に話しかけてきた。

「大丈夫やと思うけど、変な気、起こすなよ」

「なっ、なに。どういう事や……」

丈琉は焦ってどもった。八真斗は「別に」と言って、眼鏡を外してニヤッと笑った。そして、横になった。3人は子供の時以来、久しぶりに川の字になって寝た。

 見張りがたき火を焚いた。ほのかな明かりが森の木々を照らした。

 疲れ切っているが、3人とも寝付けない。そのうち三殊の小さい、泣き声が聞こえてきた。

「おばあちゃん。大丈夫やろか。駆けつけることもできん、遠いとこに来ちゃったし」

しゃくりあげる音が、しばらく聞こえていた。丈琉は赤ちゃんをあやすように、三殊の背中をポンポンと叩いた。

 丈琉も取り留めない考えが、頭の中を巡った。

(俺たちが行方不明になったって気が付くのは、月曜になってからやろな。捜索願とか出されるんかな。いや、あの体裁を気にする父さんが、出すとは考えられんな)

それでも、いつしか、深い眠りに入った。

 3人の長い長い、時空を超えた1日が終わった。


 日向を出発して、三日が過ぎた。この日はいつもより暖かい。朝の食事がすむと、タゴが大きな声で叫んだ。

「熊襲のムラまで、あと少しじゃ。陽が昇りきる前にはたどり着く。オウス様の隊は、そろそろ到着しているはずじゃ。急ぐぞ」

八真斗は元気の良いタゴの声がかんに障った。疲労がピークに達している。足をマッサージして、出発に備えていた。そばでは三殊も腰をさすり、肩をもんでいた。

「みぃも、だいぶ疲れているようやな。なんか、元気なくないか? いつもよりトークが少ない気がする」

丈琉が声をかけた。

「えっ。そんな事、ないと思うけど」

そう答えたが、明らかに会話が少ない。物思いにふけるような表情を見せる事も多くなっていた。それには触れず、三殊は自分の輿を指さした。

「あれ、結構疲れるんや。お尻とか腰とか。腹筋も痛いし、肩も凝るし。

 固くて、乗り心地悪いし。不安定やから、バランスとるの大変」

「確かに、インナーマッスルが鍛えられそうや」

丈琉の言葉に、三殊は苦笑いした。

「俺、空腹が辛いなぁ。

 ケーキとかクッキーとか、まんじゅうでもアイスでも。なんでもいいから、甘いモン食いたい」

「丈琉、スイーツ男子やもんね。ここ、砂糖がないから、ホントに物足りんよな」

三殊もうなずいた。

「俺、どんぐりが食えるとは思わんかった。道端の雑草なんかも食事に出るやんか。向こうの世界にいたら、食べようとは、絶対に思わん」

ミヤトヒコが声をかけて来た。出発の準備ができたようだった。


「この辺だ」

タゴが周囲を見渡し、位置を確認している。ミヤトヒコ率いる隊は、小高い山の中に到着した。木の幹が太く、背の高い木々が密集している。生い茂った木の葉で、周囲は薄暗いほどだった。タゴがオウスの隊を探しに行く事になった。ミヤトヒコは家来に、一時待機を伝えた。

「ミヤ君。トイレタイム、お願い」

三殊が小さい声で、ミヤトヒコに話しかけた。三殊と八真斗もミヤトヒコを縮めて呼ぶようになっていた。

 三殊が困っていることの一つに、トイレがあった。公衆トイレがあるわけもない。厠のない所では、不浄の川と言われる所で、用を足すのが通常なのだ。三殊は最初「ありえん!」と、憤慨していたが、それしか方法がないとなれば、諦めるしかない。ミヤトヒコに“トイレタイム”という言葉で、トイレの案内を頼んでいた。

 今回のトイレタイムには、丈琉と八真斗も一緒に来た。ミヤトヒコが見つけてきた場所は、草が群生していて、そばを流れる川を覆い隠すほどだった。笹に似ている、背の高い草だった。三殊とミヤトヒコはすっかり隠れてしまった。足元が見えず、三殊はつまずいた。ミヤトヒコが三殊の体を支え、転倒を防いだ。いつもなら、ここで三殊の悲鳴と、突き飛ばされるミヤトヒコ。しかし、今回は勝手が違った。一瞬三殊がミヤトヒコを突いたが、すぐにミヤトヒコの顔を覗き込んだ。三殊にじっと見据えられ、ミヤトヒコは赤面した。美しい女性に、見つめられた経験がなかった。

「ミヤ君。頭。頭に気を付けて」

ミヤトヒコは「はっ?」と言って、動きを止めた。

「みぃの手が光っとる」

丈琉が指摘した。ミヤトヒコにはその光は見えない。

「みぃは手が光ると、先の事がわかるらしいんや」

「マジや。ミヤ、頭に注意せぇ。戦いに出る時は、絶対に兜していけよな」

丈琉と八真斗の真剣な顔に、ミヤトヒコは戸惑いながらも「はい」と、返事をした。

 三殊のトイレ案内は大変だった。色々な注文があるのだ。近くにいるなと言ったかと思えば、離れすぎるなと言われる。極めつけは、自分のトイレの最中は耳を塞いでいろというものだ。ミヤトヒコは「いったい、ミコヒメ様は、何を聞くなと言っておられるのでしょうか」と、八真斗に聞いた事があった。

 丈琉と八真斗はそれぞれに用を済ませ、待ち合わせた場所に戻った。その時、「ぐわっ!」という、ミヤトヒコの声が聞こえた。丈琉と八真斗は顔を見合わせ、すぐに声の方向に走った。その後すぐに、三殊の悲鳴。

 草の隙間から、2人の男の頭が見えた。一人は三殊を肩に担いでいる。

「三殊!」

丈琉は必死で、名を呼んだ。

「丈琉!」

三殊の声が聞こえた。丈琉は追いかけようとしたが、何かにつまづいた。ミヤトヒコだ。頭から大量に出血して、倒れている。

「ミヤ!」

八真斗が名を呼び、顔をさすった。ミヤトヒコは「うう。ミコヒメ様……」と、つぶやいた。

(意識はある)

「ヤマ! 俺、みぃの事追いかける。ミヤの事、頼む」

丈琉は男たちを追いかけた。

 三殊を抱えた男達は派手な服装で、オウス達の物とは違う。幾何学模様の長いベストで、髪は伸ばしっぱなしにしてある。一人が振り向いた。顔に模様が描かれている。

(顔の入れ墨! 熊襲の人が入れているって言ってたやつや。あいつら、熊襲のモンか!)

丈琉は必死で走った。

 突然、草むらが途切れた。川岸だ。男達は平気で川を渡った。浅い川のようだ。対岸にはポツンポツンと家が建っている。丈琉も男たちに続いて川を渡ろうとした瞬間、「タケヒ様」と、小さいがはっきりとした声が聞こえた。そして急に腕をつかまれ、大きな木の陰に引っ張られた。オウスの軍の、チヂカだった。

「どうしたのです。こんなところに来て、奴らに見つかったら、大変です」

「みぃが、さらわれたんや」

「ミコヒメ様が?」

「ああ。さらったんは、派手な服を着た、顔に入れ墨を入れた男達や。そんで、あっちに行ったんや」

丈琉は対岸を指さした。

「あそこは、カワカミノタケルのムラです。今、入ってはいけません」

「だけど、みぃが!」

「大丈夫です。女を殺したりはしません。殺すなら、わざわざ連れては行きません。そのつもりなら、その場でやられています。

 ただ、あのように美しいミコヒメ様ですから……」

「そっちか! 乱暴されるかもしれんってか!!」

丈琉の感情は爆発寸前だった。

「とにかく、オウス様の所に戻りましょう。ここからすぐです」

丈琉は逆らったが、チヂカに引っ張られ、その場を後にした。チヂカの怪力にはかなわなかった。


 オウスの陣は、小高い丘の中腹に張っていた。ミヤトヒコ達が、待機していたところからすぐだった。背の高い草が生い茂っているが、草を刈りこみ、人が隠れる事ができる空間が作られていた。丈琉は奥に、八真斗の姿を見つけた。丈琉は八真斗の元に駆け寄った。

「ヤマ! みぃは、カワカミノタケルのトコに連れて行かれたんや」

八真斗はミヤトヒコの頭の傷を、布で押さえていた。丈琉の言葉に、一瞬反応したが、冷静を保っていた。丈琉は半狂乱になりかけていた。

「はよ、助けに行かんと! 何かあってからじゃ、遅い!」

丈琉には何も見えていなかった。八真斗の腕をつかみ、引っ張ろうとした。

 丈琉の額に、突然衝撃が走った。八真斗が丈琉の額を、人差し指で弾いたのだ。渾身の力を込めたデコピン。額がジンジンと痛む。

「落ち着け!」

八真斗の怒鳴り声。丈琉は初めて聞いたかもしれない。丈琉は額を押さえながら、八真斗の顔を見た。

「みんな、女なら殺されんやろって言っとる。殺すつもりなら、ミヤみたいにやられとるって」

「チ、チヂカもおんなじ事、言っとった」

「だったら待て! こっちが先や」

八真斗は足元で横になっている、ミヤトヒコを見た。

「ごめん」

丈琉は謝った。

「そうや、スマホ。無事かどうか位、確かめられるやろ」

丈琉は電話を掛けようと、ジーパンの後ろポケットから、スマートフォンを取り出した。

「アホか。どこに電波があるんや」

八真斗に言われ、やっと気が付く。丈琉はいたたまれない気持ちになった。


 八真斗はミヤトヒコの右側頭部を押さえていた。

(後ろから襲われたんやろうから、襲った犯人は右利きやな)

警察学校での授業が思い出された。

(そんな事、わかっても、何の役にもたたんな)

 八真斗はTシャツとチノパンになっていた。古代史仕様の服は、ミヤトヒコの止血に使われていた。

 オウスが息を切らして走って来た。

「ミヤトヒコ。大丈夫か」

「オウス様。申し訳ございません。この様に大切な時に。

 どうか、吾の事は、この地に捨て置いて下さい。もう、きっと……」

「何を! 気をしっかり持つのじゃ。おぬしがいなければ、吾が軍の勝利はないのだぞ」

オウスはミヤトヒコの手を強く握った。そして傷をおさえている八真斗を見た。

「ヤマヒコ。おぬし、何をしておる」

「血が止まらんのや。今、止血している。血が止まってくれれば、なんとかなると思うんやけど。麻痺まひとかないし、頭ン中は大丈夫やと思うけど」

八真斗は独り言のようにつぶやいた。

「おぬし、この傷を治してくれているのか。その手立てを知っておるのか?」

「医学、学んではおるけど……」

「イガク?」

「ああ、なんて言うんやろ。病気とか怪我とか直す手段を学んでいるんや」

「それは頼もしい。どうじゃ。ミヤトヒコは?」

そう聞かれて、八真斗は恐る恐る傷をおさえていた布を外した。ざっくりと割れた皮膚が見えた。肉が見える。

「よっしゃ。止血しとる。動脈は損傷せんかったようや。なんとかなると思うけどな」

八真斗は傷を念入りに見つめた。しかし、傷を見たオウスは、明らかに落胆していた。

「ミヤトヒコ。きっと助かる。気合を入れるのじゃ」

オウスはそう言って、その場を去った。

 八真斗は丈琉に向き直った。

「タケ。みぃのバック、持って来てくれんか。あいつの事やから、何か役に立つモン持って来ていそうや」

丈琉は大きくうなずき、バックを探しに走った。

 三殊のトートバックは輿の上に置かれていた。丈琉はバックを手にしたとき、そばの大木からの物音に気が付いた。丈琉は木の陰に行ってみた。そこにはオウスが立っていた。

「こんなトコで、何しとる」

丈琉が声をかけると、オウスはビクッと反応し、振り返った。目が充血している。

「どうした?」

「ミヤトヒコの傷……。ミヤトヒコはもう、ダメかもしれぬ……」

オウスは目を閉じた。その目から、涙がこぼれ落ちた。

「そんな事ないって。ヤマは頭の中は大丈夫やろって言っとったし。出血も止まってきとる。これから、手当てしてみるから。そんな気弱な事、言うなって」

「いや。あのような傷は、時に腐ることがある。そうすると、その者達は、高い熱が出て、どんどん弱っていくのだ。そして、最後には……」

「大丈夫や。ヤマに任しとき」

丈琉はオウスの肩を、ポンポンと叩いた。少しの間を置き、丈琉はオウスの両肩に、手を置いた。

「ところでオウス。みぃが熊襲にさらわれたって、聞いとるか?」

「うむ」

オウスは涙をぬぐい、力強い瞳で丈琉を見つめた。

「俺、助けに行かんと。こんなトコで、三殊になんかあったら……。一刻も早く助けに行かんと」

「タケヒ。熊襲に攻め入るのは、今夜と決めた」

オウスの静かで重い声。丈琉は息を飲み、オウスの肩から手を離した。

「だ、だめや。みぃがおるのに、そんな危険な事」

「砦はすでに完成していたのだ。それを祝って、これから宴が催されるという情報が入った。近隣の頭領も集まって来ておる。確かな話じゃ。

 皆が油断している今が、勝機なのだ。この時は逃せない」

「だめやって! みぃになんかあったら、俺、生きていけん!」

「吾らに任せてくれ。吾が、ミコヒメ様を助ける。必ず」

オウスの瞳が丈琉を直視した。

「そんなら、俺も行く。三殊助けに。俺も、連れて行ってくれ!」

丈琉はそう言うと口を真一文字に結び、目に決意を湛えた。

「タケヒ。戦に行くのをあんなに嫌がっておったではないか……。いや、おぬしが来てくれるのは、吾らにとっても、心強いばかりじゃ」

オウスは丈琉の肩をぎゅっと握った。丈琉は笑みを浮かべた。そして踵を返し、バックを持って八真斗の元に走った。オウスはその後を追いかけた。

 

 丈琉は八真斗にバックを渡すと、勢いよく隣に座った。

「俺、オウス達とあのムラに行く。みぃ助けに行って来る」

八真斗はきょとんと、丈琉を見た。

「これから、熊襲に攻め入るんやって。だから、俺、一緒に行って来る。みぃ助けに行って来る」

八真斗は数秒、何かを考える様に、目を伏せた。しかし何も言わず、三殊のバックの中を探り始めた。

「おお、さすが。絆創膏と傷薬がある」

傷薬を手に持ち、成分表示を読んでいた。

軟膏なんこうやし、抗生剤こうせいざいも入っとるんや。これでええやろ。ふーん。市販でも抗生剤入りの軟膏、売っとるんや」

八真斗はぶつぶつ独り言を言いながら、使えそうな物を並べた。ハンカチ、トラベルセットのボディソープ、シェイバー、小さいビニール袋。

「あいつ、1泊の旅行にも、こんなに荷物持って来るんか」

丈琉は若干、呆れたように言った。八真斗は使えそうな物があると、喜んでいた。

「なんとかなるかもしれん。まずは、水が必要や。できるだけたくさん」

オウスはあるだけの土器を持ってこさせ、川の水を汲んで来るように指示した。

 八真斗はシェイバーで、ミヤトヒコの傷の周りの髪を剃り始めた。丈琉は徐々に露わになる傷を見ながら、八真斗に話しかけた。

「なぁ、さっきミヤトヒコが、自分はもうダメみたいな事、言っとったやんか。オウスもな、傷が腐って、死……」

ミヤトヒコに聞こえていることに、はたと気づき言い直す。

「いや、熱が出るとか。確かに傷は深いと思うけど、そこまで深刻な状況なんか?」

「そなや。この時代やと、縫合する器具とかもないからな。これくらいの傷でも、そういう事は、多々あるんやろな。今やって、薬も器具も、なんもないんやから……」

八真斗は一瞬顔を曇らせたが、すぐに表情を引き締めた。

「でもな、今、俺ができる事せんと。タケ、その服脱げ。布も結構使うんや」

丈琉は慌てて服を脱いだ。オウスはミヤトヒコの手を握り、声をかけた。

「ミヤトヒコ。ヤマヒコがおぬしを直してくれる。おそらく吾らにはわからぬ、先の代の手立てじゃ。皆には内緒だが」

ミヤトヒコは微笑んだ。

「そうですな。吾はヤマヒコ様に、すべてお任せします」

「そこまで覚悟せんでもいいって。でもな、傷洗う時、結構痛いからな。ミヤ、頑張ってくれよ」

八真斗の言葉に、ミヤトヒコは目を閉じて、うなずいた。

 八真斗は右手に、小さいビニール袋をかぶせた。手袋の代わりだ。水を少しずつ傷に向かって流してもらい、綺麗に洗い流す。そしてボディーソープを泡立て、傷の中まで念入りに洗う。その泡を水で洗い流した。ミヤトヒコの体に力が入る。オウスはミヤトヒコの手を握り、一生懸命励ましていた。

 傷を洗っているうちに、じわじわと出血してくる。八真斗は布で圧迫しながら、丈琉に絆創膏を取り出すように言った。

「その真中の布が邪魔や。上手にはぎ取ってくれ。それと、それやと、ちょっと幅が広いな。縦に半分に切ってくれ。ソーイングセットん中に、はさみがあったはずや」

丈琉は言われたとおりの作業を始めた。苦手な細かい作業をしながら、八真斗に話しかけた。

「なぁ。それって、縫わんでもいいんか。ソーイングセットあれば、縫えるんと違うか」

「そりゃ、器具がそろっておれば、縫った方がいいと思うけど。でも普通の糸じゃあかんやろ。針もまっすぐのじゃ、縫える気せんし。なにより、不潔っぽいな。

 ステリーの代わりになるかどうかわからんけど、テープで止めた方がいいと思うんや」

八真斗は圧迫を解除し、止血したことを確認した。創縁そうえんを引き寄せてみる。斬られた皮膚はなんとか合わさりそうだ。

「俺が皮膚を押さえとくから、絆創膏貼ってくれ。あっ、そうじゃなくって、傷に対して、直角に貼るんや。皮膚と皮膚がくっつくように。で、ちょっと引っ張って、固定するように。テープきっちりと貼り付けて」

丈琉は八真斗の細かい指示に、四苦八苦した。それでも終わってみると、開いていた傷は、絆創膏の力で閉じることができた。傷の上に軟膏を塗り、三殊のハンカチを当てた。そして包帯の様に布を細く切ってもらい、それを頭に巻いた。

「あとは、明日、傷診てみてやな。しばらくは軟膏塗っていた方がいいんやけど、薬が少ないな。とにかく、感染、起こさないでくれよな」

八真斗は祈るような思いで、巻き終えた包帯を見つめた。

「ヤマヒコ。血が止まっておる。傷もきれいになっていた。ミヤトヒコは助かるぞ。きっと、治る」

オウスは八真斗の手を握った。その目は潤んでいた。

 

 夕暮れの冷たい風が吹いてきた。淡い闇があたりを覆っている。オウス達の戦いの準備はすでに整っていた。

 丈琉と八真斗は皆とは少し離れた、川原に腰かけた。対岸にあるカワカミノタケルのムラを、じっと睨んでいた。

「俺も、行くわ。あそこに」

八真斗はムラを指さして言った。

「剣道も、武道も、なんもできんお前が行くのは危険や。ここで待っとれ」

「こんなトコで、一人で待っとるなんてできん。俺ら、3人一緒にいた方がいい。離れん方がいいと思うんや。大丈夫。俺、短距離の選手やったから、逃げ足は速いと思うで」

八真斗はニコッと笑った。その顔にはゆるぎない決意が見て取れる。

「わかった。しかし、決して無理はするでない」

オウスの声が後ろから聞こえた。2人は驚いて振り返った。オウスは丈琉の隣にすっと腰かけた。そして丈琉に剣を手渡した。

「タケヒ。この剣を受け取ってくれ。戦じゃ。何があるかわからん。武器は持っていた方がいい。タケヒの力であれば、使いこなせるであろう」

その剣には豪華な飾りが施されている。鞘から剣を抜き取ってみる。鉄製の、片刃の剣だ。所々に錆の様な、青い物が付着している。

「俺の使っている包丁より、切れない感じがするな」

丈琉は剣を見ながら、つぶやいた。

「これは、吾の兄が持っていた、守り刀じゃ」

「えっ? 兄さんってオオウスさんやろ。そんな大切なモン、俺がいいんか」

丈琉は包丁と比べて、申し訳なく思った。

「なぜ、兄の名を?」

「いや、その。ミヤに……」

丈琉は言いよどんでしまった。

「そうか。タケヒは知っておるのだな」

気まずそうに顔を背けた丈琉に、オウスは柔らかい声で言った。

「ああ。話しは聞いた。でもな、俺は信じてないからな」

八真斗は話が分からず、きょとんとしている。

「吾が、兄のオオウスを殺して、遺体を切り刻んで捨てたという話じゃ」

八真斗は目を見張り、丈琉を見た。丈琉は激しく首を振った。

「だから、信じてないって言ったやろ。

 さっきやって、ミヤが死ぬかもしれんて、泣いて。血が止まったって、うるうるして。家来の命、こんなに大切に思ってくれる人が、兄弟殺すなんて、絶対にありえん。ミヤやって、オウスがそんな事するはずないって、言い切っとった」

丈琉は一気にまくし立てた。オウスは瞬きもせず、丈琉の目をじっと見つめた。しばらくしてオウスは目を伏せ、手で鼻をこすった。

「そうじゃ。吾は、オオウスを殺してなどおらぬ」

オウスは顔を上げ、遠くを見た。

「……あの日、吾はオオウスを迎えに行っただけじゃった。

 オオウスが父王の呼び出しに応じないため、吾が大王の命令で説得に行ったのじゃ。しかしオオウスは父の所には行けぬと。それというのも、父の女を横取りしたからだと、吾に語った。

 オオウスは美濃に美しいヒメがおるから、召し上げて参れと父から命令されたのだそうだ。父は若い女が好みじゃ。側室にする心づもりだったのであろう。しかしオオウスはそのヒメを愛してしまったと、吾に言った。ひと目見た時から、お互いに愛し合ってしまったと。オオウスはヒメを父に差し出すくらいなら、ここで死ぬと言ったのじゃ。オオウスのあのように激しく、悲しい瞳は見たことがなかった。本気なのだ。吾にはまだわからぬが、これが愛なのだと、思ったのだ。

 吾とオオウスは双胎じゃ。生まれた時からずっと共に生きてきた。オオウスがこのような事で死ぬなど、考えられなかった。

 吾はオオウスとヒメを逃がした。しかし逃げたとわかれば、父王はオオウスを追うであろう。それゆえ吾はオオウスが死んだことにした。父王はその話を信じなかったのか、吾を問い詰めた。吾は考えが甘かった。次々に質問攻めにあい、話は自分でも思わぬ方に向いてしまったのだ」

オウスは大きなため息をつき、肩を落とした。

「父王は吾の話を信じなかったのであろう。なぜ死んだ、病気などしてなかったはずだ、ヒメはどうしたなどと次々に問われ、吾はすっかり狼狽してしまった。

 オオウスが吾に襲い掛かってきたため、防御したところ殺してしまった、ヒメも誤って刺してしまったと、安易に答えてしまったのだ。

 しかし父王は遺体を見せろと言われた。それで遺体は切り刻んで厠に流してしまった。ここに持って来ることはできぬと、答えた」

(兄さんを逃がすための嘘が、オウスの凶行として伝えられたんか)

丈琉は切ない思いで聞いていた。

「オオウスはこれまでの自分は捨てて、新たな人間として生きる。そのためには身元の分かる物はすべて置いて行くと言って、この剣を吾に預けたのじゃ。これは吾らの母の形見でな。オオウスは本当に、大切に大切に持っていたのだ。これを手放すとは、相当の覚悟なのだと心打たれた。

 この剣を父王に見せた時、父王の顔が変わったのだ。吾の話を信じ始めたらしかった。

 すると、今度は『なんと恐ろしい奴。兄を殺して切り刻むとは』と罵声を浴びせられた。そして吾を避ける様になってしまわれた。

 だから、今回のこの遠征も、吾が死ねばよいと思って命じたのではないかと考えておる。この様に少ない兵しか授けてくれぬのも、それ故かもしれぬ」

オウスは涙をこらえるように、上を向いた。

「タケヒコや皆に申し訳ないのだ。吾の咄嗟の言い訳のために、このような危険な戦に来ることになってしまった」

「何を仰せられます!」

突然、大きな声が聞こえた。振り返ると、タケヒコが後ろに立っていた。タケヒコはオウスの前にひざまずき、頭をさげた。

「吾らの事など、考えなくてもよいのです。吾らは、オウス様のためなら、命を捨てる覚悟でございます」

「タケヒコ……」

オウスの目から、涙がこぼれた。タケヒコは顔を真っ赤にして続けた。

「もちろん、この地で死ぬ気など、毛頭ございません。ここまで無敗のオウス軍ではありませんか。見事、カワカミノタケルを討ち果たし、纏向に凱旋いたしましょう。大王に、オウス様の力を見せつけてやりましょう」

「そうだな。まずは、戦の勝利じゃ」

オウスは微笑み、涙をぬぐった。そして立ち上がり、今度は厳しい表情でタケヒコを見下ろした。

「タケヒコ。今の話は、吾が墓場まで持って行くべきなのだ。一切の他言は無用じゃ」

強い口調で命令した。タケヒコは何かを言いたそうに唸った。しかし目を閉じ、「御意ぎょい」と、言葉を吐き出した。

「おお、陽が暮れてしまった。そろそろ宴が始まるであろう。出陣じゃ。タケヒコ。皆を集めよ」

タケヒコは「ははっ」と返事をして、すくっと立ち上がり、走って行った。オウスは丈琉たちの前にかがみ込んだ。

「いいか、中に入ったら、吾から離れるな」

オウスは鋭い視線を向けた。

「わかった」

丈琉の言葉にオウスは笑顔でうなずき、本隊に向かって歩いて行った。

「彼、まだ16歳なんだよな。16でこの人生って、いったい」

八真斗はオウスの背中を見送りながら、言葉を失った。

「俺らが父さんと反発し合うんと、レベルが違うよな。16ん時、俺、自分の事しか考えとらんかった」

丈琉もうつむいて、つぶやいた。


 夕闇に覆われた。夜空は星で埋め尽くされている。この日は新月。月明かりのないこの夜は、奇襲に最適だとオウスが言った。

 丈琉と八真斗は木製の鎧を付けてもらった。そして丈琉は腰に剣を下げた。その剣を少し鞘から抜いてみた。剣の刃に触れると、熱を伴った痛みを感じた。指先に血液の線と球ができた。

(剣って切れるんや。当たり前っちゃ当たり前やけど。俺、人なんて斬れんよな。

 でも、三殊助けんと)

指先の血液を眺めながら、丈琉は葛藤した。


 一行は、闇に乗じて砦まで来た。見張りの者はオウス達が瞬殺した。大人数に備えた砦を、少人数で破るのはたやすかった。

 いよいよ敵の中心に侵攻する。丈琉と八真斗の緊張は、マックスに達した。

 

 








 

 







 










 




 








 






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