第2話 阿波岐原で運命の人と、出会ってしまった

「痛ぇ」

三殊の下敷きになった丈琉は、顔をしかめた。八真斗は池の中で四つ這いになった。

「冷たい。びしょ濡れやん。どうすんの」

「どうすんのって、みぃが落ちてきたんやろ。八真斗、巻き添えや」

丈琉は呆れたように言った。三殊はうっと唸った。そして八真斗の顔を見て「ごめん」と謝った。

 3人は水を滴らせながら、立ち上がった。

「あれ。みんな、手が光っとる」

三殊がつぶやいた。丈琉と八真斗も自分の手を見た。

 その時、背後から“ぴしゃ”と、水音がした。反射的に振り返った。池の中に、浴衣姿の人が立っていた。その人は目を見開いて、丈琉達を凝視している。

「さっきの、人や」

丈琉もその人物にくぎ付けになった。みそぎ池の中にいた人だった。近くで見ると、端正な顔立ちが良く分かる。

『●◇※▼◎×! ☆△@~!」

今度は別の方角から、人の声が聞こえてきた。3人は視線を移した。池のほとりに男が立っていた。奇妙な服装と髪形をしている。

「夢ん中のスサノオとおんなじ格好や」

丈琉のつぶやきは小さく、2人の耳には届いていない。男は長い髪を真中から二つに分け、ツインテールにしてしばり、その髪の束は耳の脇でヒョウタンみたいな形でくくってある。

「古事記とか、日本神話に出てくるような格好やな」

この状況で、八真斗は冷静に言った。

 男と八真斗の視線が合った。男の形相が変わった。怯えているようにも、怒っているようにも見える表情。八真斗を指さし、何か叫んでいる。

「何、言っとんのか、さっぱりわからんな。英語でも中国語でもないし。どっかの外国語か? 日本人みたいな顔やけど、日本人じゃないんか」

「八真斗。そんな呑気な事、言っとる場合やなさそうや。お前、思いっきりにらまれとる」

男はひどく興奮していた。そして腰に手をやった。腰には刀の鞘の様な物が下げられていた。

(まさか、刀か?)

丈琉に緊張が走った。男が手に取ったのは、恐れた通り刃物だった。50センチ程の短い物で、真中が盛り上がり、厚みがある。刀身の両側に刃がある。金属の輝きがなく、切れ味は感じない。しかし重量はありそうだ。時代劇で目にする日本刀とは全く違う。

 男の殺気立った瞳が、丈琉を逆に冷静にさせた。丈琉は八真斗と三殊の前に立ちはだかり、左手を横に広げ、2人を後ろにかばった。

 男は叫びながら、刀を振り上げて丈琉たちに向かってきた。丈琉は、男の振り下ろしてきた刀を、最小限の動きで避けた。男は前のめりによろけた。その瞬間に、丈琉は男の剣を持つ手を、こぶしで叩いた。剣は水しぶきをあげて、池の中に落ちた。男は片膝をつき、丈琉を見上げた。丸く見開かれた目は、恐怖に怯えていた。

(丈琉って、こんなに強いんや)

三殊には、弟の横顔が別人に見えた。

「丈琉。無理すんなって。あんな重たそうなの、当たれば、大けがや」

八真斗が丈琉の腕をつかんだ。

「あんな雑な構えで、真っ正直な太刀さばき。一瞬で見極められるわ。全然、問題ないって」

丈琉は事もなげに笑った。

 池の中にいた浴衣の人が、まげを結った男に声をかけた。透き通った声だ。男は落ちた剣を拾い上げ、池からあがった。浴衣姿のロングヘアの人と、丈琉の目が合った。

(透き通った、綺麗な瞳やな)

丈琉はその瞳に吸い込まれるような錯覚に陥った。次の瞬間、2人の手の赤い光が、お互いに向けまっすぐに伸びた。光は2人をつなげた。

 丈琉は耳鳴りを感じた。光が周囲に放散した。三殊と八真斗も耳を押さえた。ピーンと小さな音が聞こえていた。しかし耳鳴りはすぐにおさまり、伸びていた光は、2人の手に戻った。

 赤い光を持つ二人は、お互いを見つめた。ロングヘアの人が口を開いた。

「おぬし、強いな」

凛とした声。

「えっ。あ、あざっす」

丈琉はペコっと頭を下げた。

「襲われたのはこっちやのに。なに、お礼言っとるんや」

八真斗は丈琉の肩を、裏手で軽く叩いた。そこで、気が付いた。

「言葉がわかる!」

話は通じるようになったが、不可思議な現象に頭がついていかない。その場にいた5人はまばたきをするのも忘れ、そこに立ちすくした。

 ひゅっと、冬の冷たい風が吹いてきた。

「さぶっ」三殊が体を震わせた。

「とにかく、ここから出ようや」

丈琉は三殊の手を引き、池からあがった。八真斗も後に続いた。


「ミヤトヒコ、火が消えておる」

ロングヘアの人物が、ちょんまげの男に声をかけた。

「はっ。オウス様」

“ミヤトヒコ”と呼ばれた男は、頭を下げると、機敏に動いた。池のほとりに積み上げられている枯れ木の所に小走りに移動した。たき火の残骸の様だ。ミヤトヒコは細い木と太めの木、燃え残っていた枯草を手に取った。そして刀を取り出し、太い木を少し削った。その木を地面に置き、細い木を両手にはさんで持った。細い木の先端を、太い木の削った所に垂直に当てた。そして両手を高速ですり合わせ、木を摩擦させた。木の接点から煙が立ち上がり、小さい火が灯った。枯草に火を移し、種火を木組みの中に入れた。ミヤトヒコが息を吹きかけると、火が灯ったようだ。煙と共に炎がどんどん大きくなり、勢いよく燃え上がった。

 3人のきょうだいは火にあたり、暖を取った。ほーっと、大きなため息が出た。

 “オウス様”と呼ばれた人は浴衣を脱ぎ、池のほとりに置いてあった服に着替えた。ミヤトヒコと同じ服装。

(あっ。男やった)

丈琉は着替えを横目で見ながら思った。

 三殊はトートバックの中から、タオルを取り出した。ビニール素材が幸いし、中まで浸水していなかった。

「タオル、2枚あるな。こっちのタオル、2人で仲良く使って」

三殊は丈琉にタオルを投げ、もう1枚で自分の髪や顔を拭き始めた。三殊は視線を感じ。顔をあげた。オウスと目が合った。なにかに驚いたように目を丸くして、三殊を見つめている。綺麗な顔立ちのオウスに見続けられ、三殊の方が慌てて視線を逸らした。三殊の心臓が、早鐘の様に打ち始めた。顔に火照りを感じた。

 八真斗はタオルを受け取り、眼鏡を外して顔を拭いた。

「ああー! 入れ墨が、入れ墨が消えました」

ミヤトヒコが八真斗を指さし、突拍子もなく叫んだ。

「えっ? なに? これの事か」

八真斗は眼鏡を手に持ち、前に掲げた。ミヤトヒコはおびえたように、うなずいた。

「……眼鏡やけど」

「メ、メガネ?」

オウスとミヤトヒコは遠巻きに見つめた。八真斗が眼鏡をかけてみせると、後退った。

「眼鏡がわからんのか。視力の悪い人がかけると、良く見えるようになるんや。けど、なんでこんな事、説明せんといかんのやろ」

八真斗は眼鏡のブリッジを中指で持ち上げ、位置を直した。

「うーむ。なんの事かわからぬが。とにかく、その顔の模様は入れ墨ではないのだな……」

オウスは顎に手を当て、一時間を置いた。

「先ほどは、その者の目の周りの黒い模様を、入れ墨と勘違いしたのだ。

 吾らには敵がおる。熊襲くまそのクニじゃ。熊襲のやつらは、顔に入れ墨を入れておる。ゆえに、おぬしたちを熊襲の者と疑ったのだ」

「吾の早とちりでした。申し訳ございません」

ミヤトヒコは深々と頭を下げた。

「いや。もういいって」

丈琉は笑った。そして、八真斗と三殊を手招きして、3人で小さな輪を作った。

「さっきのあれ。昔の火の起こし方やったな」

と小声で言った。

「ああ。それにあの服、古代の日本の服みたいや。刀ってか、あれやと剣って言うんかな。古墳から出土するようなヤツやと思わんか? 眼鏡も知らんかったし」

八真斗はちらっと2人に目をやった。

「剣はレプリカ。で、宮崎で古代日本のコスプレイベントって、どう?」

三殊が虚しい笑みを浮かべた。丈琉と八真斗も同じ顔をして笑った。丈琉は大きく息を吐き、腹を括って、考えている事を言葉にした。

「そう願いたいけどな。でも、俺ら、昔の世界にきてしまったんやろな」

「タイムスリップってやつか」

八真斗が冷静な声で言った。


 3人は大きなため息をついた。三殊はごそごそとリュックをの中を探り、煙草とライターを取り出した。イライラしたり、考えがまとまらなかったりた時に、1本吸うと落ち着くのだ。無意識に煙草をくわえ、ライターで火をつけた。大きく一息吸い込み、溜息と共に煙を吐いた。

「俺のいるトコで、吸うなって言ったやろ」

丈琉は三殊の肩を叩いた。

「1本だけや」

三殊と丈琉がもめていると、オウスとミヤトヒコの絶叫が響き渡った。

「妖術じゃ」「火が、火が、一瞬で」

2人はしりもちをついた。

「あほか。ライターや」

今度は、八真斗が三殊の肩を叩いた。

「あっ。ごめん」

三殊はライターをリュックの中に投げ込んだ。

「えっと……」

三殊は引きつった笑顔を作った。オウスとミヤトヒコは口をあんぐりと開けている。その後で、オウスが「もしや」と、小さくつぶやき、あぐらをかいて座りなおした。顎に手を当て、目を閉じた。しばらくして、ゆっくりと目を開け、三殊の前に進み出た。

「もしや。アマテラス様では。このように美しく、女神さまの様です。間違いはありますまい」

そう言って、ひれ伏した。

「えっ? 美しいって、えっ? 私?」

三殊は“美しい”という言葉に、過剰に反応した。物心ついたころから、かわいいとか美しいと言われた事はない。それを、美しい顔をしたオウスに言われるとは。すっかりテンパった。丈琉は大笑いだ。

「煙草ふかした女神って。どんな女神や」

「うるさい」

三殊は丈琉の肩を、思い切り叩いた。そして携帯灰皿を取り出し、煙草をもみ消した。オウスは熱く語り続けた。

「アマテラス様だけでなく、ツクヨミ様、スサノオ様もおられる。その身のこなし。八岐大蛇を退治した、スサノオ様に違いありません」

丈琉の顔をじっと見つめた。

「お三方は、阿波岐原の地に、白い光の柱と共に降臨されました。

 この地で三貴子様はお生まれになったのです。まさに、まさに伝説の通り」

オウスとミヤトヒコは地面に顔が付くほど、深々と頭を下げた。

「待てって。アマテラスとか、神様やろ。俺ら、普通の人間やって。土下座とか、やめてくれんか」

丈琉はしゃがみ込んで、視線を同じ高さにした。八真斗も丈琉の隣で片膝をついた。

「正直に話します。俺ら、未来からこの時代にやって来たんやと思っています」

「ミライ?」

「えっと、先の時代って言えばいいのかな。今、この瞬間より、ずっと先の代。

 俺らは時間を遡って、ここにやって来たんです。たぶん」

「時間を遡る……そのような事ができるのでしょうか」

「そう言われても、俺らは昔に来てしまったんやから、そういう事もあり得るとしか言えんな。

 それから、さっきの火の事やけど。先の代、俺らのいた時代では、火を起こすのは、簡単にできるんです。妖術でも、神でもないんです」

八真斗は言葉を選びながら、オウスに説明した。丈琉も八真斗の隣で必死に訴えた。

「俺らもな、どうしてここにおるのか、わからんし、混乱しとるんや」

オウスは丈琉と八真斗の瞳を、まっすぐに見つめた。そして、離れて座っている三殊に視線を移した。三殊は顔を少し後ろに引いたが目を大きく見開いて、オウスの視線を受け止めた。

「吾には理解しかねる事ばかりじゃ。しかし、おぬし達の瞳に偽りはない。それだけは、はっきりとわかる」

オウスは爽やかに微笑んだ。そして足をくずし、あぐらをかいて座った。丈琉と八真斗もホッと息を吐き、地面に腰を下ろした。

「では、おぬし達は、どれほど先の代から来たのじゃ」

「それを考えるには、ここがいつの時代かがわからんとな。えっと、今って、何時代になるんでしょうか」

八真斗が逆に尋ねた。

「ジダイ?」

「うーん。時代とかの概念がないんかな。年号とかも、まだないかもしれんな。じゃ、政治の中心とか、天皇、天皇って言わんかな……この国を治めているのって、誰ですか?」

大和やまとのクニの中心は、纏向まきむくにある。そこでわが父、オシロワケの大王おおきみまつりごとを執り行っておる」

「大王って、天皇の事か?」

三殊の問いかけに、丈琉と八真斗は首を傾げた。

「そうなんやろな。でも、オシロワケ天皇なんて、聞いた事ないな」

丈琉は頭をかいた。

「んっ? ちょっと待った」

八真斗が中指でメガネのブリッジを、持ち上げた。

「今、“吾が父”って言わんかったか。えっと、オウスさん、大王の子供なんか?」

八真斗の疑問には、ミヤトヒコが答えた。

「はい。オウスのミコト様は、オシロワケの大王様の皇子様みこさまです。日嗣ひつぎの皇子様でおられます」

「皇族って事か。日嗣の皇子って、皇太子の事か? 次の大王になるんか!」

「いや、吾は日嗣の皇子では……」

オウスは言いよどんでいたが、誰も聞いていない。

「皇太子様に、ため口きいていたらあかんかな」

三殊が丈琉の肩をつかんだ。

「いや、どうせ昔の世界やし、俺ら関係なくないか? 別にいいやろ。

 なぁ、オウスさん。俺ら、普通に話していいやろ」

丈琉が尋ねると、オウスは笑ってうなずいた。

「もう、なんでもありやな。俺も、気にせん事にするわ」

八真斗も笑った。

「纏向って、奈良県やな。確か、古墳がたくさんある所や。この衣装からしても、やっぱ古墳時代なんやろな。歴史って苦手やけど、だいたい2、3世紀か。そうすると、1500年以上昔かもしれんな……」

八真斗は自分で言いながら、気が遠くなる気がした。丈琉と三殊も一瞬、言葉を失った。

「……1000年以上昔って、想像つかん。これから、どうすればいいんやろ」

三殊には絶望的な年数に思えた。

「行く当てがないのであれば、吾らと来るがよい。吾らの陣は、ここからすぐじゃ」

3人は顔を見合わせた。

「ホントに? ねぇ、それしか、ないよね」

三殊は涙目だ。丈琉は三殊の頭を、ポンポンと叩いた。

「俺も、そう思う。今、頼れるのはオウスさんしかおらん。よろしくお願いします」

丈琉はオウスに深々と頭を下げた。八真斗も続いて頭を下げた。

 オウスは「うむ」と言って、うなずいた。

「そうじゃ。きちんと名乗っておらんかった。吾はオウス。ここにおるは、ミヤトヒコじゃ」

「そういえば、オウスって、苗字? 名前?」

丈琉の質問にオウスは首を傾げた。

「この時代、まだ苗字ってないのかもしれん」

「そうなんか。じゃ、俺らも名前だけでいいんかな。俺は丈琉」

「八真斗です」

「三殊です」

「なんと! タケル、ヤマト、ミコト!」

「なに? どこが驚くポイント?」

「それが、名か? ヤマトは我がクニの名じゃ。タケルとは勇者の事。ミコトは大王、神の尊称である。個人が使うことはできぬ」

「俺らの生きている時代じゃ、なんの関係もないんやけどな」

八真斗が眼鏡を直しながら言った。

「でも、この時代で使えんのなら、名前変えるしかないかな。ここで生きるんやったら、仕方ない。

 そうや、オウス。こっちで名乗れる名前、考えてくれんか」

丈琉の無茶振りともいえる依頼に、オウスは何も言わず、顎に手を当て考え始めた。しばらく銅像の様になったいたが、1分もしないうちに顎から手を離した。

「では、タケヒとヤマヒコ」

そう言って、2人の顔を見た。そして三殊に視線を移し、「ミコヒメ様」と優しい声で言った。

「このように美しいのだから、巫女として通じるはすじゃ」

“美しい”と言われると、三殊の心臓はドキンと打ち付けられる。

「俺はタケヒか。名前の出だしが一緒やから、急に呼ばれても返事できそうやな。でも、八真斗ん事いきなり、ヤマヒコとか呼べるかな。三殊にいたっちゃ、ヒメか? ちと無理やな」

丈琉が真剣な顔で考え込んだ。

「じゃあさ、俺らはいつも通りでいいやんか。タケと、俺ん事はヤマでいいし。三殊はみぃでいいやろ」

八真斗の発案に、2人はうなずいた。

 オウスはミヤトヒコに向き直った。

「このお三方が、先の代からきた事は、ここにいる者だけの秘密じゃ。いいか、他言は無用。誰にも言うでない」

ミヤトヒコは「はっ!」と力強く返事をして、口を真一文字に結んでうなずいた。


 ミヤトヒコが陣地から服を持ってきてくれた。現代の服装では、異様な人物に見える。この時代の服装に着替えることにした。

「お二人は背が高い。一番大きな服を持ってきたのですか」

ミヤトヒコが袴の裾を見つめながら言った。オウス達の袴は、足よりかなり長く、長い部分はひもで縛って短くしてある。しかし丈琉と八真斗は縛る分の丈がない。そのうえ足首が見えている。いわゆる寸足らず。上着の袖も短く、筋肉質の丈琉には窮屈だった。

「この時代の人って、ちっちゃいんやろか。オウスもミヤトヒコも、三殊とそんなにかわらんもんな」

 ミヤトヒコは丈琉と八真斗の髪を見て、悩んでいた。

「髪が短くて、ミズラが結えません」

自分の耳の脇にある、髪の束を触りながら言った。

「あのちょんまげ。ミズラっていうんや」

「仕方あるまい。髪はそのままじゃ。

 しかし、なぜその様に髪が短いのだ。まさか、髪が伸びないわけではないだろう」

オウスは顎に手を当て、首を傾げた。

「はさみがないんかな。散髪できんから、髪が長いんか」

丈琉と八真斗は小さい声で話した。

 

 三殊は少し離れた、木の陰で着替えた。1泊可能な荷物を持って来ていたため、濡れた服を着替えられた。ミヤトヒコから渡された服は、白いサラサラした生地だった。上着は腿のあたりまである、チュニックの様な形で、ウエスト付近を紐で縛った。下はマキシ丈のロングスカート。普段パンツスタイルが多い三殊には、少し恥ずかしかった。

 三殊がみんなの所に行くと、オウスが「おお」と、感嘆の声をあげて出迎えた。

「すばらしい。よく似合っておる」

三殊は顔を手で覆った。

(この人は、なんてストレートに言ってくるんやろ)

「この衣装は伊勢のヤマトヒメ様から授かった物じゃ。男ばかりの吾らに、なぜ女物の服をくださったのか、不思議だったのだが、ミコヒメ様のためだったのだ。

 さすが伊勢の斎宮様。すべてお見通しだったのだ」

「ヤマトヒメ様?」

「吾の叔母上じゃ。この世で一番、地位の高い巫女様であられる。神の声を、吾らに告げてくださる」

「えっ。巫女って、神様のお告げを聞くの? 私、なんも聞こえんよ」

三殊が不安そうに、オウスを見た。

「大丈夫じゃ。巫女様が全員、神の声が聞こえる訳ではない。普通にしていていいのじゃ」

三殊はホッと息を吐いた。

 ミヤトヒコが衣装の他に、白く細長い布を持っていた。それを三殊に渡そうとして、近寄った。それを受け取ろうとした三殊がつまずき、ミヤトヒコにぶつかった。

「きゃっ」

三殊は小さく悲鳴をあげ、ミヤトヒコを突き飛ばした。ミヤトヒコは大慌てでひれ伏し、謝った。

「みぃ。お前の方がぶつかったんやろ。ミヤトヒコ、悪かったな。みぃ、男嫌いなんや」

八真斗がそう言って、ミヤトヒコの手を引いて、立ち上がらせた。

「男嫌いやないって」

三殊は不満そうに口を尖らせたが、その後すぐに「ごめんな」とミヤトヒコに謝った。白い布は領巾ひれといい、今で言うストールのように羽織る物だった。三殊が領巾を羽織り、支度はやっと終わった。

 三殊はリュックの中から、マリークワントのコンパクトミラーを取り出した。そして鏡をのぞき込んだ。

「ああ、眉毛消えとる。髪もぼさぼさや」

ぶつぶつ言いながら、ブラシを取り出した。

 オウスは鏡に興味を示し、三殊に近寄った。そして三殊の持つ、コンパクトミラーを覗き込んだ。三殊の肩にオウスの肩が触れた。しかし三殊は顔を赤くするだけで、声もあげなかった。

(男が近寄ったのに、なんも言わんな)

八真斗は三殊のその反応が気になった。

「こ、これ? 鏡や」

三殊は鏡面をオウスに向けた。オウスは鏡に映っている自分の顔に見入った。

「なんと! この様に輝く鏡は見たことはない。これは、巫女様の鏡として、誠にふさわしい。神の声も良く聞こえそうじゃ」

「いや。私、神の声とか聞こえんし。ってか、鏡って神様の声を聞くもんなの? 自分の顔とかを映すもんやろ」

「巫女様は鏡の力で、神のご神託を受けると、聞いておる。

 おお、そう言えば、ミコヒメ様の手の光は、青い鏡のようじゃ」

「オウスさん。この手の光が見えるん? これ、私らきょうだいと両親しか見えんかったのに」

三殊は手をかざした。

「うむ。そうじゃ。吾の手の光も兄と父王しか見えなかった」

「オウスさんの光。タケと一緒やね」

三殊はうっとりとした瞳で、オウスを見つめている。

「ヤマヒコの光は、勾玉まがたまじゃの。翡翠ひすいの緑も同じじゃ」

オウスは首飾りの石を手に持って見せた。オウスの首には、数個の勾玉を紐に通したネックレスがかけられていた。

「ほんまや。おんなじ形やな。胎児みたいやと思っとったけど、そっちの方がかっこええな」

八真斗は手を見つめ、微笑んだ。


 5人はみそぎ池をあとにした。松林の中の、けもの道を歩いた。脇を小さな川が静かに流れている。太陽は高く昇っていたが、林の中はしんと冷えていた。松林をぬけるころ、3人の手とオウスの手からは、光が消えていた。

「なぁ。俺、眼鏡外した方がいいんやろか。さっきみたく、襲われたらかなわんしな」

八真斗がオウスに尋ねた。ミヤトヒコは申し訳なさそうに、下を向いた。

「そうじゃ。それがよい。最初にメガネのない顔を見せておけば、入れ墨と思わぬであろう」

「ああ、コンタクト、持って来ればよかったな」

八真斗は溜息をついて、眼鏡を外した。

「サングラスみたいに、頭にかけといたら?」

三殊に言われ、八真斗はフレームを前頭に上げた。

「タケ。俺、ほとんど見えん。近くにおってな」

八真斗は丈琉の肩をつかんだ。

 林をぬけた所には、テントの様なものが並んでいた。背の高い木を、数本地面に打ち付け、その間に厚い布をかけただけの簡単な物だった。

 テントの前には数人の男がいた。男たちはオウスを見ると、片膝をついて頭をさげた。そして突然の来訪者を、いぶかしげに目で追った。

 一番奥に、住居があった。円錐体で、周りはわらで覆われている。

「竪穴式住居や」

丈琉が指さした。八真斗は興味に勝てず、眼鏡をかけた。

「教科書で見たまんまやな。ある意味、感動や」

八真斗も感嘆の声をあげた。

 オウスは入り口に掛けられた布をまくり上げ、中に入った。住居の中は薄暗い。囲炉裏が真ん中にあり、炎がぼんやりと内部を照らしている。地面がむき出しで、藁が敷いてある。

 オウスは奥に進み、あぐらをかいた。火をはさんでミヤトヒコときょうだい3人は並んで座った。そこへ体格の良い、中年の男性が入って来た。八真斗は慌てて、眼鏡をはずした。

「タケヒコ。良い所に来た。紹介しよう。ここにおるはタケヒ、ヤマヒコ、そしてミコヒメ様じゃ。吾が阿波岐原で禊をしている時に現れた。吾はイザナギ様のお導きと思っておる。

 吾らを勝利に導い下さるお三方じゃ」

オウスの言葉に、タケヒコは一驚した表情になった。しかしすぐに真顔に戻り、きょうだいに頭を下げた。

吉備きびのタケヒコにございます」

「吾が軍の大将じゃ。吉備のクニにおれば、国造くにつくりにでもなれるほどの者じゃ。しかし、こうして吾と共に熊襲まで来てくれた。吾は感謝しておる」

「もったいない、お言葉」

タケヒコはオウスに頭をさげた。その後、タケヒコは躊躇したようだったが、顔をあげオウスを見た。

「オウス様。お客人の前ではありますが、報告がございます。先ほど、偵察隊のチヂカとタゴが戻ってきました。熊襲のムラを見つけたました。またカワカミノタケルは、吾らヤマトの動向をつかめていないようです。奴ら、ここ日向ひむかにも偵察を出しているのですが、吾らを見つけられないようです。この様に少人数であることが、幸いしていると思われます。

 さらにカワカミノタケルは屋敷に砦を築いているとの事。周辺部族と結束して、吾らヤマトを戦う準備を進めています。砦が完成する前に、攻め込んだ方が良いかと」

オウスの目が光った。

「よし。早速出陣じゃ。ミヤトヒコ。皆に申し伝えてくるのじゃ」

「はっ」と、ミヤトヒコは力強い返事をして、外に出て行った。

 このやり取りを聞いて、3人は顔を見合わせた。丈琉は“ごくっ”と、唾をのんだ。

「あの……ちょっといいか? 攻め込むとか、出陣とか言っとったようやけど、これから戦争ってか、戦いみたいなのがあるんやろか」

「そうじゃ。吾らは熊襲を従えるために、来ておる。熊襲の頭領、カワカミノタケルは大和にまつろわぬのだ。大和統一に、大きな障壁となっておるのじゃ」

「マジで? 戦争、真っただ中か」

三殊と八真斗の顔も曇った。

「タケヒ。おぬしの剣の力、期待しておるぞ」

「えっ? 無理無理無理。絶対に無理」

「大丈夫じゃ。おぬしの強さなら、誰にも負けん。我が軍の強者、ミヤトヒコを一撃にしたではないか」

「なんと。ミヤトヒコを!」

タケヒコは大きな声をあげ、丈琉を食い入るような目で見つめた。

「いや。人殺しはできん」

丈琉の宣言に、オウスとタケヒコは怪訝そうな目で丈琉を見つめた。この時代の人間にとって、殺し合いは日常茶飯事なのだろうか。

「じゃ、オウスさんは人を斬るん? 殺すこともできるん?」

三殊がオウスに尋ねた。

「戦じゃ。当たり前であろう」

「オウス様の剣は、最強にございます」

タケヒコが恭しく頭を下げた。

「そんな綺麗な顔して、人、殺すんや……」

(顔は関係ないやろ)

八真斗は三殊の小さなつぶやきを、聞き逃さなかった。

「よい。これは吾らの戦じゃ。タケヒに無理強いはせん」

オウスは笑顔で話を終わらせた。しかしタケヒコが食いついてきた。

「では、タケヒ様。ここで剣の力を見せていただけますか? 吾と一戦交えて頂けませんか」

「はっ?」

丈琉が、突拍子もない声をあげた。

「いえ。強いと言われる方とは、戦ってみたくなるのです。木刀で構いません。オウス様、よろしいでしょうか」

「タケヒコの悪い癖じゃ。強い者とは、すぐに剣を交えたがる。

 まぁ、良いであろう。のう、タケヒ」

「はぁ?」

「殺し合いではない。気楽にするがよい。おお。ナナツカハギ。ご苦労。まずは腹ごしらえじゃ」

いつの間にか、痩せた男が入って来ていた。ナナツカハギと呼ばれた男は、顔がとがり痩せていた。壺を手に持っている。素焼きで、すぐに割れてしまいそうだ。

「土器や。弥生式土器って、こんな感じじゃなかった?」

三殊が目で追った。中にはお粥が入っていた。ナナツカハギは食事の準備を始めた。丈琉は憮然として、溜息をついた。

「まぁ、落ち着け。あのタケヒコさんとかいうおっさんも、悪気がある訳やなさそうやし。剣道の稽古って思えばいいやんか」

八真斗は丈琉の肩に、手を乗せた。

「まあな。もう、どうにでもしてくれ」

逃げられそうにない雰囲気を感じ、丈琉はあきらめの境地に入った。

 

「オウス様。今日はコメが手に入りました」

「それは、良かった。今日は豪華な食事じゃ。飯はこのナナツカハギがまかっておる。ナナツカハギの飯はうまいぞ。さぁ、食べてくれ」

八真斗はどうにも不自由で、眼鏡をかけた。目の前にあるのはお粥と痩せた焼き魚。

「これが、豪華な食事か……普段はどんな食事なんやろ」

普段から大食いの丈琉は、深いため息をついた。しかし気が付けば、かなりおなかが減っている。恐る恐る食事に手を付けた。暖かいお粥は、冷えた体に染み渡った。3人は一気に食べてしまった。

「ごちそうさま。思ったより、って言うと失礼やな。とにかく、うまかった」

丈琉が手を合わせた。

「そうであろう。このナナツカハギの手にかかれば、どのような食材もうまくなるのだ」

オウスは自分が褒められた様に笑った。

 三殊はオウスの顔をぼーっと見つめていた。

「みぃ。なにオウスに見とれているんや」

丈琉に言われ、三殊の顔は真っ赤になった。バシッと丈琉の肩を強く叩いた。

「見とれているんと違うわ。オウスさんの笑顔って、かわいいなって……」

三殊は言い訳にもならない自分の発言に、慌てふためいた。八真斗は「落ち着け」と小さな声で言い、三殊の背中を軽く叩いた。

「まぁ、そやな。かわいいっていうか、幼い感じもするな。あっ、失礼しました」

八真斗が笑いながら頭を下げた。

「幼い? 吾はもう16なのだが」

「16歳?」

3人の声がそろった。

「ええっ! マジか。俺らより7つも下やんか。その口調に騙された」

「タケヒ達の方が年上か」

オウスも驚いている。

(三殊、やばいな。16って言ったら、向こうじゃ高校生やんか。ショタコン手前やないか?)

八真斗は三殊を見た。手で口を覆い、深刻な顔をしている。

「じゃ、オウスさんじゃなくって、オウス君やね」

(気にするのそこかよ)

八真斗は全身の力が抜けた。

「サンだのクンだの、よくわからぬが、好きな様に呼んでくれ」

オウスは明るく笑った。


 タケヒコは丈琉を誘って、外に出た。八真斗と三殊も後に続き、最後にオウスが出て来た。外にはミヤトヒコと数人の男がいた。

 タケヒコは木の枝を数本、地面に並べた。これを剣の代わりにするらしい。丈琉は一番長い枝を選んだ。剣道の竹刀と同じくらいの長さだった。そして二人とも剣道の防具の様な、木製の鎧を体幹に付けた。ミヤトヒコは興味深そうに、近くに寄って来た。

 丈琉とタケヒコは向かい合った。嫌々応じていた丈琉だが、タケヒコと向き合うと、自然に顔が引き締まった。木の枝を竹刀の様に握り、竹刀の先をタケヒコに向けた。丈琉の瞳が研ぎ澄まされた。タケヒコは枝を振り上げたが、そのまま固まってしまった。額から汗が流れた。息遣いが荒くなった。数秒、時間が止まった。周りにいた者たちの呼吸も止まった。

 ひゅっと、風が渡った。その風を合図に、2人は動いた。タケヒコの振り下ろした枝を、丈琉はすっと除けた。そしてあっという間に、タケヒコの鎧を打ち付け、“胴”が決まった。弱い木の枝は、真っ二つに折れてしまった。

 一瞬で勝負はついた。周りからは、感嘆の声があがる。

「見事!」

オウスの声が響いた。

 タケヒコは汗を拭きながら、「参りました」と、丈琉に頭を下げた。丈琉は息一つ切らさず、汗もかいていなかった。

「全くスキがありません。打ち付けられたときは、タケヒ様の動きが速すぎて、いつ打たれたのわかりませんでした」

丈琉とタケヒコは握手を交わした。

(丈琉って、ホンマに強いんや)

八真斗は丈琉がみそぎ池で言った言葉を思い出した。

“あんな雑な構えで、真っ正直な太刀さばき。一瞬で見極められる”


 いつのまにか、人が集まっていた。

「皆の者。話がある」

オウスが通る声で話始めた。皆は一斉に集まって来た。30人ほどだ。背は低いが、がっしりとした体格の者が多かった。整然と並ぶと迫力を感じる。三殊は男ばかりの風景に、怯えた。

 オウスは男たちの前で、仁王立ちした。

「これから、熊襲に向け、出発じゃ」

おおーー! と、地鳴りがするほどの声が響き渡った。三殊は思わず耳を塞いだ。

「吾は阿波岐原でイザナギ様のお導きを受けた。ここにおられるお三方じゃ。

 今、見た通り、剣の達人もおる。さらには素晴らしき鏡もある。神の加護を受けたのか。

 そうじゃ。ミコヒメ様。先ほどの鏡を見せてくださいませんか」

「えっ?」

急に話をふられ、三殊の頭は真っ白になった。足がすくんで動かない。

 しかし三殊の瞳に、オウスの穏やかな笑顔が映った。すると無意識に足が前に出た。そして差し出されたオウスの手をつかんだ。オウスの隣に並び、前を向いた。一身に視線を浴びている事に気付き息を飲んだが、オウスの手を握りしっかりとその場に立っていた。

「みぃが、男の手、握っとる」

丈琉が独り言のようにつぶやいた。

「男って、俺らしか近寄ることもできんかったのに」

(さすがの丈琉も気が付いたか)

八真斗は横目で丈琉を見た。

 三殊は手に持っていたリュックから、コンパクトミラーを取り出した。

「鏡、見せればいいんやね」

オウスをすがるように見つめ尋ねた。オウスは三殊の顔をまっすぐに見つめ、優しく微笑み、うなずいた。

 三殊はコンパクトミラーの蓋を開け、鏡面を男たちの方に向けた。その瞬間、鏡は正面に昇っていた太陽の光を、反射させた。反射光は三殊の前に立っていた一人の男の目を襲った。

「うおおおおぉ!」

悲鳴をあげ、手で目を覆って男はその場に倒れた。集まった男たちはパニックに陥った。

「きゃっ。ごめんなさい」

三殊は慌ててミラーを後ろに隠した。オウスも光の強さに一瞬戸惑ったようだが、すぐに気を取り直した。

「うろたえるな。これが、吾らに勝利をもたらす、ミコヒメ様の鏡じゃ」

オウスの声が響き渡った。その場の混乱は瞬時に収まった。そして男たちは三殊の前に、一斉にひれ伏した。

 三殊はしっかりとオウスの腕をつかんだ。

 



 





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