冬
第1話 厳つさと優しさが交わる家
日本の空のどこか。江戸の武家屋敷のように広く古風な屋敷のとあるひと部屋にて。
「朝ですよ、旦那様。そろそろ起きてはいかがですか?」
床でぐっすりと眠っている男を優しく起こす女。髪は薄桃色の長髪で、桜を思い浮かばせる。その髪型は、平安時代、主流であった
「…緑。」
男は眩しそうに目を開けながら、女を緑と呼んだ。緑と呼ばれた女は嬉しそうに男を起こす。
「そろそろ、お仕事の時期ですよ。いつまでも、そのようにされては日ノ本が春を迎えられないでしょう?」
「そう焦るな。まだ師走の始め、少しは青いのに時間を与えてやれ。」
起きて早々、煙管を吸い始める男は笑うこともなく女を見た。女は桃色基調の十二単を着て男の前に現れていた。
「それより、今日は出かけでもないのに正装なのはなぜだ。」
「今日は、特別な日ですよ。さ、旦那様も早くお着替えなさってくださいませ。」
女はふっと掌に息を吹きかけると桜の花びらを舞わせて使いを呼び起こし、それらは男の身支度の手伝いを始める。
「私は、広間にてお待ちしております。」
名前と同じ、薄い緑色の煌びやかな唐衣を翻し床を数名の使いと一緒に出て行く。
「ふふふふっ旦那様のお顔がゆるゆるですわぁ。」
女が去るのを確認すると使いたちがにやにやとしながら男の召し物を変えていく。くすくす、と笑う声に耐え切れなくなったのかキッと睨みを効かせるものの全く効かず逆に、
「しっかりと奥様に伝えなければまた悲しませていまいますよ~」
「そうですそうです。旦那様はツンが強すぎるのですよ~」
などと緩く返されてしまう。
「なんだ、その『つん』とやらは。」
聞き慣れない言葉を耳にすると尋ねずにはいられない性分らしく、顔をしかめたまま使いに聞き返す。聞き返されるまで彼女たちはくすくすと笑うことをやめなかった。しかし聞き返されるとふと自分がやっている動作を止めて一斉に考えだした。
「そうですねぇ…奥様に対して当たりが強い、とでもいいましょうか?」
「そういう感じですねぇ。あぁ、天邪鬼とでも言えましょう。」
「自分の気持ちを素直に言えずにいるときがあるでしょう?」
「旦那様の表情が全くもって変わらないように見えるところなんてまさにツン、ですわぁ」
使いは口々にツンを説明していく。よくわからない単語にそれほどの意味が含められるとわかると男は諦めたように呟く。
「早く支度を終わらせろ。」
「「仰せのままに」」
所変わり、広間にいる"奥様"と呼ばれていた女は、ほかの使いと一緒に貝覆いをして遊んでいた。
「今年は旦那様がお仕事をしてくださるということでしたし、嬉しそうなお顔をなさっていますねぇ。」
ふと相手をしている使いの一人が呟いた。女は嬉しそうに貝覆いを進めていく。
「ここ最近雪がしっかりと積もらなかった、という話を下からきいたから。あ、私の勝ち!」
少女のように笑いながら最後の一対の貝を両手にもって手を高らかにあげた。
「あらぁ…本当、奥様はお強いことで。いけませんよ、もう少しお淑やかにしていないと旦那様に怒られます。」
「う…旦那様は私のこと、お嫌いなの?」
「さぁ、どうでしょう。ご自分で聞くべきですわぁ…ふふふっ」
女は手元に持っていた貝を取られ、片付けが開始された。そのことは男が着替え終わり、広間へと近づいているということを表していた。女は着物を整え、姿勢を正して男を待つ。
「待たせたな。」
その場を凍らせてしまいそうなほどに澄んだ低音の声が広間に響く。男は白藍色の長直垂を着て上座へとゆっくり足を進め、女はその声に微笑んで、隣に座るように促す。
「旦那様も新しい従者様たちとご対面いたしましょう。」
男が来る前から、女が座っている反対側、つまり下座には二十人ほどの男女が面を下げたまま待っていたのだ。
男が上座の一段高い場所に座ると、男女は揃って三つ指をつくお辞儀をして表を上げる。そして、男が一言
「面をあげよ。」
と告げ、従者と顔を合わせ一人ひとりを見定めるように見ていく。
「雪吹家の主、
そう、男は日ノ本の国の冬を寒くさせる『冬将軍』なのであった。かといって、髷を結っているわけではない。その出で立ちは現代の四十代近辺のダンディな雰囲気を醸し出すオジサマである。
「この家に来たからには………」
切れ長の目にじっと見られていた新しい侍女・従者たちは間を溜められ緊張しきって、息を飲む。
「自由にやりたいことをやれ」
溜めたあとの言葉が意外なもので一気に緊張の紐が緩んでしまった。そんな表情の変化がなんとなくわかったのだろう、女が口元に扇子を当てて笑いながら話す。
「ふふふっ、驚かせて申し訳ないです。うちでは従者であっても家族のように思っていますから、やりたいことを自由にやらせていたいのです。申し遅れました、妻の
男が厳つく、堅く見える成人と言われれば、女のほうは反対に優しく、大らかな少女といえよう。『桜御前』の名のとおり女は日ノ本に春を告げる『桜前線』そのものである。
「見ての通り、私たちには本物の従者なんていませんでしたから何をやっていいのかわからないというのが本音なのですよ。」
「全く、余計なものを寄越しおって。寄越した当の本人は顔も見せないのか。」
「呼んだー?呼んだ呼んだ?蒼玄、呼んだか?!」
蒼玄が野暮ったそうにぼやいていると広間の横にある中庭からひょこりと顔を出す者がひとり。その顔を見ると新しい従者たちが頭を床に擦り付けるほど深々とお辞儀をする。
「呼ぶわけがない。出て行け
陽向と呼ばれた幼い少年はそのまま蒼玄と緑の前にあぐらをかいて座る。
「つれないなぁ。この静かすぎる家に賑わいを与えただけだろう?」
「静かすぎるくらいが私たちには良かったと思いますよ、
この少年のような人物はこちらの世界の頂点に立つ者、名は陽向。すべての生き物に生命を与える太陽なのだ。
「桜まで!ダメダメ!あんなに静かだと遊びに来たときすぐにみつかっちゃう!」
「ひとまず、新しい家族の部屋への案内係を出してから、お話の続きをお伺いしましょう。」
一筋縄では行かないと思ったのか、緑は今朝と同じようにふっと息を掌に吹きかけて女官を出した。
「「侍女様方ぁ。私たちについてきてくださ~い。」」
緩い口調で2人の使いが侍女たちを引き連れていく。それを見て、蒼玄も指を鳴らし家来を3人出した。
「「小僧ども!我らについて来い!!」」
なんともそれぞれの性格を写したような
「さ、今日は何をいたしましょう?」
「また遊んでくれ!」
「私たちの主は
3人だけになった広間に使いたちが戻ってきて陽向の後ろの方でわいわいし始めたのを無視して蒼玄が話を切り出した。
「何の話をしに来たんだ。」
「だから、話を聞きに来たんだ!2人の馴れ初め話でもまた聞かせてもらおうかと思って。」
見た目からは想像できないほどのにやにやとした表情をしながら話すように陽向が促す。
「このませガキが。」
「まぁまぁ、旦那様。そうですね…昔、昔のことです。あれは…」
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