第2話 満月はふたりの秘密を知っている


「あれは、まだ二人が若かった頃です。」


とても晴れた日、私は両親に連れられて上のお屋敷へと向かいました。


上のお屋敷の外にある桜の木の下で…私は、ただただやることもなく、桜の木を眺めていました。


『きれいな桜…私も、あなたたちのようになれるの?』


周りに誰もいないと思い、そのようなことを呟いておりましたところ、返答のように桜の花吹雪が私の周りを舞っていき、風が落ち着くと少し離れたところにひとりの殿方がいらっしゃったのです。


『桜は、時がすぎれば次咲くまで見向きもされないのに…桜のようになりたいのか。』


私とそう歳は変わらないはずなのに、しっかりと話していてどこか暖かい。それなのに言われた言葉はとっても冷たかったのを今でも覚えています。なので、私は何も考えずに反論をしていました。


『桜は、一年かけて、きれいにさくの。見向きをされないわけじゃ、ない。私は…さく相手もいない。』


そうでしょう?咲き終われば、葉桜となり、枯れた後蕾となりまた咲いていく。寒い冬を耐え抜き、桃色の素敵な花を咲かせていく。私も、そうなりたかったのです。誰かの為に、この身を捧げたい、と願っておりました。


すると、その方は反論してきたことに驚いた顔をして、くすりと笑い、こう言われたのです。


『なかなか面白いことをいう娘だ。ここには、両親と共に出入りしているのか?』


何か笑われるほどおかしなことを言ってしまったのか、と思いつつも首を縦に振るとその方はそのまま続けて、


『それでは、満月になる日、同じ時、同じ場所で会わないか。退屈しのぎにはなるだろう。』


と仰ったのです。名前も知らない方とこのように会ってしまったと誰かに知られてはいけないと思い、名前を尋ねようとすると…


『若君、お時間です。』


殿方のお使いの方がいらっしゃって、別れの挨拶も出来ずにその日は別れました。


「で、桜は誰かに話したのか?」


「いいえ。ただ、母上の女官たちが見ていたのか、屋敷に戻るやいなや」


『姫様、文を書きましょうぞ。』


などと言ってきたのです。


『どなたに、なぜ文を?』


純粋な疑問でした。誰に対して、どのような文を書くのか、分かっていなかったのですから。


『それは…見てしまったからですよ。』


女官はくすくすと笑いながら耳元に顔を近づけて小さく、


『立派な殿方とお目見えなさったところを。』


といい、私をからかいました。


『身分も悪くはないと思いますよ。さぁ、お会いになったお礼の文を書きましょう。』


『お礼…まだ嫌です。それに、ふつうは相手がくれたものに返事をするときいています。』


『ぐっ…なんでそういういらない知識を覚えていらっしゃるの…それにしても、暖かくなりましたねぇ。』


伝統に重きを置いている家系でしたから、そのような知識だけはあったのです。そこからは、特に何も言われませんでしたが、満月の日のこと、


『さぁ、今日は何を召されますか?金色の鶴の単衣も素敵ですよ?それとも、髪色のような桜の単衣ですか?』


と、朝から女官から話を聞いた侍女たちがやってきたのです…あの時は本当に頭が痛かったですねぇ。


『歩けるはかまがいい。この間もそうだったでしょう。』


「まて。わざと袴にしていたのか。」


「えぇ、そうですよ?どこに連れて行かれるのかわからなかったものですから。さ、話を戻しましょう。」


少しだけ遅れて行ってしまい、いらっしゃらないかと思ったらどこからともなく声がするのです。


『今日は来ないかと思ったぞ。』


桜の木の上からでした。とっても、満開の桜に囲まれて綺麗でした…その方は、軽快に木から降りられて私の手を取りすぐそばにあったお部屋の縁側でお話をしました。


『あなたも、母上と父上のおともですか?』


『そうだな…陽向の相手をしろと言われているが面倒でいつも寝かしつけている。』


『ひなた?』


私はその当時、次の上の名前も存じ上げていない娘でした。それにも関わらず、その方は怒ることもなく、それこそ面倒だと言いたげな顔で


『俺らの主になるであろう餓鬼だ。なにせうるさくやかましいからな、相手をするのは俺の従者だ。』


とおっしゃいました。


「蒼玄の馬鹿…なぜお前はいつもおれのことをうるさいっていうんだ!」


「うるさいからうるさいんだ。その前に、その若いのが俺だと誰が言った?」


「馴れ初め話を聞いているのにほかの男が出るはずないだろ!」


「話とは最後まで聞いてから物事を言うためにある。黙って話を聞け、この小坊主が。」


「旦那様も、上も…少し落ち着きましょう?ふふ、そうです。少しお茶の時間としましょうか。お茶請けをお持ちしますから、少しお待ちを。」


緑は、使いを召喚し自分の手伝い係と新しい従者を呼ぶ係に分けて広間を出て行った。すると陽向が身を乗り出した。



「で、蒼玄。お前の口からも話を聞かせろ。いつも桜からで、一方的な視点しか聞けておらん!」


「だまれ小童こわっぱ。」


「主に対して、小童はないぞ!桜に言いつけてやるぅ。さーくーらーーー!」


子供の大特権、ごねてもそこまで怒られないことを十分に使い、蒼玄に話をさせようとする。


「…同じところの話をしたらいいのか。」


面倒くさそうにため息をつき、聞き返した。


「わかってるなぁ。初めて桜を見たときどう思ったんだ?」


「きれいな娘、ただそれだけだ。」


「お前は桜のこと知っていたのか?」


「それは…」


「「失礼仕る。」」


「おぉ、いいところに来た。緑が茶を入れる。まだ家の中の案内も終わっていないだろうが、飲んで行くといい。」


「まぁ、全てがとてもよい頃合いですね。さ、皆様もこの幼い上の戯れに付き合ってくださいませ。」


「容姿が幼いだけであって本当に幼いわけじゃない!」


「そういうところが餓鬼だと言っているだろうが…」


円形にお膳を並べると、お手伝いたちがお茶とお茶請けを置いていく。その間に、緑が陽向と蒼玄にお茶を注いで、隣に戻った。


「皆さんいらっしゃったことですし、少し話をまとめましょうか。私が幼い頃に、桜の木の下でひとりの殿方と偶然にも顔を合わせることとなりました。満月が昇る日、同じ時、同じ場所で話を始めたところから、ですね?」


「そうだ!で、何か貰ったりしたのか?」


「そうですねぇ…」


少し話をして、お互いに同じ時にいつも同じお屋敷にいたというのに今の今まで会ったことがない事実に笑っていました。上のお屋敷に出入りする子はそういないと聞いておりましたから、仲良くなることに時間は要しませんでした。


『そろそろ陽向が起きる…これをお前にやる。また、満月の日に会おう。』


と、小さく折りたたんである半紙を頂き、その方は誰が声をかけるわけでもなく自分から去っていかれました。半紙を開くと、


『陽を浴びる姿は天女のよう』


とだけ書いてあったのです。訳が分からず、母上の女官にその後見せてみると


『あらぁ……今度こそ、文を書きますよ?文には文を、ですから。』


と、楽しそうに筆と硯を持ってきて、


『そのお方と会った時はどういう気持ちでしたか。それを素直にお書きなさい。』


などと曖昧な言葉を残してどこかへと消えて行きました。


どうでしょう、そこまで特に何も感じませんでしたが、お返事はしたかったので少しだけ書いて次の秘密の待ち合わせに持って行きました。


『いつも、ひとりで何をしていた?貝覆いをするにも相手がいないだろう。』


『相手は…この子たち。』


その当時からあの子達を現すことはできていたのですが、私の歳と同じくらいではありました。父上と母上よりあまりほかの人に見せてはいけないと言われていましたが、なぜかその方には抵抗なく見せていました。


『誰?…普通の人?遊んでくれる人?ねぇ姫様、今日は何をして遊びましょう?福笑い?歌合?』


『あ、遊びたくてよんだわけじゃないの…ごめんね?』


申し訳ないと思いながらも、そのまま消すと横で腹を抱えてくすくすと笑っていらっしゃる姿が目に入ったのです。


『お前は、面白い侍女を持っているな…俺にはそういうやつはおらん。…さ、迎えが来る。また会おうではないか。』


そのときは、半紙をくださらなかったのですが、その方の袖を引っ張り私が持っていた半紙を差し上げると驚きながらも、受け取ってくださいました。


「お、奥様は、何とお返事を?」


「たしか…『月に見えるはあの桜の木』でしたね」


「おぉ…その後どれくらい会ったんだ??」


「そうですねぇ…五年ほど、会っておりました。なにせ、満月が昇る日だけでしたし…いつも晴れているわけではありませんでしたから。」


しかし、突然その方は姿を現さなくなってしまいました。お体を悪くされたのかもしれない、と思い三度ほど待ちましたが、いずれも現れず。


そんな中、父上より婚礼の話が来たのです。父上はとても嬉しそうでした。


『同僚の嫡男がお前を大層気に入っているということで、嫁に欲しいと言っている。何、悪い奴ではないよ。』


『私に、選ぶ権利などないのでしょう。……仰せのままに。』


口ではそう言っておりましたが、当日相手に対面したら『心に決めたお方がいる』とその場を去ると決めていました。私の心は既に、あの満月のお方と決まっていましたから。


なぜ会ったことがない方のもとへ嫁ぐのです?


いつ私のことを気に入られたのですか?


そう父上に聞くこともできず、時間だけが経っていたようです。


「なんと…奥方についてくる侍女はいらっしゃらなかったのか?」


「私のような変わり者についてくる侍女は一人もいませんでした。」


ですから、私の大安吉日に合わせて対面する次第でした。何度行っても、会えないことは薄々分かっていました。しかしもしかしたら、いつか現れて私を連れ出してくれるのではないかと…淡い期待をしておりました。




そして結納が済み、顔を会わせる日。牛車の中でこの子達と話をしていました。


『父上のお顔に泥を塗ってしまう…』


『姫様はあのお方のことを考えすぎなのですよ~』


『五年も、変わらず会ってくださった方を簡単に忘れるわけがないでしょう?』


『確かに…しかし、雪吹様のご嫡男といえば姫様が日ノ本の国で花を咲かせるためには大切なお方ですよ?』


『…所詮、私はそうですよ…桜を咲かせるためにいる身なのでしたね…』


『会ってみて、決めましょうよ~もしかしたら…あるかもしれませんよ?』


『ある?』


『近頃日ノ本の国では身分を隠して女性と会い、その方を嫁にするということがよくあるようですよ?』


『日ノ本はまた話が違うでしょうに。』


私は諦めたまま、雪吹様の邸宅…ふふ、もうおわかりでしょう?このお屋敷へと来たのです。


「やっぱり!お前か蒼玄!」


「黙れ。」


「ふふっ、旦那様がこの後はお話くださいますよ。」


「緑!……長い道のりであった。俺は緑のことを知っていたが、一方的に知っていては怪しまれる。だから、偶然に出会ったあの日から名乗ることなく満月が昇る日だけ会っていた。」


会う日までにあったこと、声変わりをしてきたときは会いたくなかったが…筆談をしたな。殆どは他愛もない話ばかりだった。ただ、その他愛ない話が心地よかった。


成人した後、ある日父から


『そろそろ身分の良いの娘を娶るときだ。』


と言われてな、すぐ緑の名前を出した。


緑の生家は小鳥遊というが、


『小鳥遊の娘か。いつ会った。』


と神妙な顔をされた。父の知らないところで会っていたから疑われていたのだろう。


『もう五年も前の話です。満月の日によく会っていたので、顔見知りですよ。』


そういうと神妙な顔が緩んで父は笑いだした。


『流石だな、蒼玄。何、小鳥遊には言っておこう。これはとんだ調子狂わせだ。』


意気揚々と父が準備を進め、同じく結納が済み緑がうちへ来る日。父の眉間の皺が深くてな、滅多に笑うことがない俺でも笑いそうになった。


『蒼玄、向こうの娘は嫌がっているようだぞ。本当に顔見知りなのか?』


『あぁ、名前を教えていないので嫌がっているだけかと。…何、顔を合わせてしまえば事は丸く収まります。』


小さな半紙のやり取りは一度も欠かすことなく双方やっていたからな、互いに惹かれていたということは自惚れでなければ事実だった。


襖越しに両家が並び、うちの者が声を上げた。


『吹雪家、小鳥遊家、両家相まみえる。』


そう言って、襖が開けられ顔を合わせた。白無垢に身を包まれた緑は、とても…


「「とても?」」


「美しかった。例え面を上げていないといえど、分かった。」


「そのときも言ってくださらなかったのでお気に召さなかったのかと思いました…。」


「そう、落ち込むな。…いつも、綺麗だ。」


そして、緑が面を上げた時の顔は今でも忘れておらん。




『どうした、俺の顔に何かついているか?』


くすりと笑い緑をじっと見ていると、顔を逸らされた。


『い、いえ……』


あの口篭った緑は未だに鮮明に残っている。


正直なところ、早く会いたかったこともあり、結納もあまり堅苦しくせずともよかったが父が煩くてな…宴だけは適当にやってくれと頼み込んだものだ。


「まぁ…素敵なお話ですこと。」


「宴が始まり、皆を眺めていた上座…ちょうどこの場所か。」


「ふふっそうですね。この場所です。」


横に並んで、宴をのんびりと眺めていたものだ。


『うちに来るのを嫌がったそうだな。』


『そ、それは……』


『他に好きな輩でもいたのか。』


『いましたとも…名前も知らない、素敵なお方が…』


『ほぉ。なぜ逃げ出さなかった。いつでも逃げ出せただろう。』


『…父上の顔に泥を塗ることはできません。』


『本当は、俺の顔を確認してから逃げ出すつもりだったのだろう。』


『なっ…!』


『そう驚くな。そうだな…緑、まだお前に言っていないことがあったな。』


『いきなり、なんでしょう…』


『嫁になれ。お前が思っているほどあの満月の日に会っていた輩は優しくはないことを教えてやろう。』


『……出会った時から、意地悪なお方でしたね。私のことを知っていらっしゃったのですね?』


『当たり前だ。俺もお前と同じで、顔も名前もよく知らぬ娘と婚姻を結ぶのは嫌でな。…とは言っても、お前のことをしっかりと知ったのは初めて会った日の夜だ。それで、嫁に来るのか。それとも、今宵隙を見計らって逃げ出すのか。』


『…不束者ではございますが、よろしくお願いいたします旦那様。』


「「おぉ…」」


「それから、うちは暫く父と母と四人で暮らしていたが、老いもあって今では二人だ。」


「お子を授かれば、また賑やかになるのでしょうが…旦那様は大層嫉妬深いお方のようでして。」


「何を言う。お前の子であれば話は違う。」


「俺が二人の子供になるぞ!」


「それも話が違う。お前がうちの子になるのは真っ平御免だ。」


「ふふ、恐らく上がいらっしゃるので私たちはずっと二人でいられるのでしょうね…」


ふたりの話が終わり、暫く従者たちを交え談笑をしていると玄関から


「どーなーたーかー!」


と大きな声がする。


「…はて。」


緑が首をかしげていると新しい侍女が立ち上がった。


わたくしが見てまいりましょう。」


「うちの子と二人で行ってください。この子たちはどんな人も覚えていますから。」


と言って、入口の方でのんびりしていた緑の使いを連れて行かせた。


「あの子でしょうか…」


「あやつ以外にあそこまで大声を出す娘を俺は知らぬ。」


「今日は何事でしょうねぇ…」



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