冬将軍と桜前線

七瀬杏

第0話 冬に交わりし春のとき

とある日本家屋のひと部屋に、狩衣を着た男がひとり目の前の書物をあぐらをかいて読んでいると誰かが慌てて入ってくる。


「旦那様、旦那様!」


「どうした緑。また陽向に何かされたのか。」


煙管を吸いながら『旦那様』と呼ばれた男は自分のことを呼んだ女の方を見る。


「とんでもないです、今回、上は何も関係ありませんよ。日ノ本の方がこちらをみているという噂を聞いたもので…とうとう、日ノ本も!」


緑と呼ばれた女は、少し興奮したように話を進めていく。


「日ノ本の人間が、ここを見ることなど不可能であろう。変な噂を流しおって、またお前の使いか?」


「そ、そうです……そうです、ね…私がひとりで浮かれてしまいました…」


はぁ、とため息をついて煙管の刻み煙草を灰皿に捨て、盆に煙管本体をかけると俯いて明らかに落ち込んでいる女の前に座り込む。


「緑、そう落ち込むな。…俺は、お前が笑っている姿のほうが、良い。」


「旦那様……」


男女の顔が近づき、そっと唇が重なろうとしたそのとき。


「日ノ本の人間が見てるって本当なのか!蒼玄!!」


縁側の廊下にひょっこりと子供が現れ、雰囲気をぶち壊した。


男は拳を握ってふるふると肩を震わせ、廊下に向かった。


「…陽向、貴様……出て行け!」


口元に手を添えて少し恥ずかしそうにしている女がこちらの視線に気づいたのかお辞儀をした。


「まぁまぁ……ふふっ、私は雪吹緑と申します。桜前線として、以後お見知りおきを。旦那様、もとい雪吹蒼玄様は冬将軍様ですの。」


そう、この話は日ノ本の空の上のお話。


日ノ本では『冬将軍』として名を馳せている雪吹蒼玄、同じく日ノ本では『桜前線』として知られている妻 雪吹緑を取り巻く心温まる(はずの)話だ。


「蒼玄様は…そうですね、見た目は現代日ノ本の三十代後半から四十代、とでも言えましょう。背丈は六尺少々…えっと、日ノ本では何というのでしたっけ…」


こういうときは、と言わんばかりにふっと掌に息を吹きかけると日ノ本の洋服がたくさん載っている雑誌を持った緑に似た使いがひとり現れた。


「185センチ、というらしいですよぉ奥様~」


「ふふ、ありがとう。私や、旦那様を始めこの世の者たちは自分たちの使いを出せる者たちと、そうでない者に分けられます。そうですね…旦那様の瞳は、とても切れ長でまるで夜のような群青色をしているんですよ。その群青色を更に際立たせる黒く短い髪…昔からおかわりのない姿です。旦那様は顎にお髭を蓄えていらっしゃいます。と言いましても、ふさふさというわけではなく手入れをして、少しの程度ですよ?」


「さくらぁぁっ!蒼玄がいじめるうう!」


「黙れ。今日という今日はお前の世話係がきつく説教する前に俺が説教する。」


「ふふふ、あの幼い方は私どもの上…今でも帝は日ノ本にいらっしゃったかしら…えぇ、あの方々と同じようなものですよ。陽向様と申され、お名前のごとく全ての生命に命を与える太陽なのです。太陽のような橙の髪が首周りまで伸びていらっしゃり、背丈は四寸半で、えっと…」


「130センチです~。見た目年齢十歳の若様みたいですよねぇ~」


「本当にありがとう。ただ…この方に関しては色んな秘密があります。お話を通して、見つけてくださいませ。旦那様はいつも上のことを『やかましい』とおっしゃっていますが…無邪気な方なのです。」


「誰に向かって話している、緑。」


説教が終わったのか陽向の首根っこを掴んで蒼玄が戻ってくる。緑は、低い声で聞かれたために先程までの笑みとは打って変わり少しおとなしくなってしまう。


「いえ、誰かがこちらを見ているように思えまして…」


「そう落ち込まずとも良い。怒っているわけではないのだ。」


「旦那様はツンデレなだけなですよ~」


書物を読んでいる緑の使いがそう言うと蒼玄、緑そして陽向も首をかしげた。


「あ、きにしないでくださ~い。目があった方になら伝わりますから~。さささ、続けて続けて。旦那様、奥様の容姿ってどういう感じです~?」


「緑は、そうだな…若く見えよう。齢は二十から三十程度の幅をきかせておこう。背丈は五寸と言ったところか。髪は、とても長い。結っていないときは膝丈ほどだ。色は薄桃、といったところか。名前とは違い、紅梅色の瞳を持っておる。どちらかというと下がり目だな。口元のほくろは、相変わらず……」


「相変わらず?」


コホン、と喉を整えてから少し躊躇いがちに男は言う。


「緑を妖艶に見せる。」


「きゃ~!旦那様ってばそんなこと昔から思ってたのですね~?やーだーっ!あ、そうそう五寸は大体160センチといったところで下がり目は現代でいうタレ目というやつですからね~。奥様の性格を一言で表すとすると?」


使いは足をバタバタさせて『破廉恥~』などと蒼玄をからかい、ニヤニヤと頬を緩ませて聞いている。


「そうだな、大らかの一言に尽きるな。」


「桜はなんでも許してくれる心の持ち主だよなぁ…蒼玄とは違って。」


ぽつりと陽向が呟くと蒼玄が睨みを聞かせて黙らせる。どうにかしなければ、と思って緑が陽向に向かって一言告げる。


「私は、上の黄色く輝いた瞳が好きですよ?」


「本当か?!桜は本当に優しいなぁ!!」


子供の特権と言わんばかりに無邪気に陽向が緑に抱きつく。


その光景を見た蒼玄の眉間の皺が深くなる。


特に何も思わずに緑は幼い主の髪を優しくなでる。


そんな、ふたりと周りの人達ののんびりとしたお話。










ひょこ


ひょこ


ひょこ


三人の緑の使いが顔を出す。



「話を終わらせる前に補足だったりまとめだったりですよぉ~。まずは旦那様ですね~


冬将軍として、日本に大寒波を与えることが役目なのですよ~。1年のうちに働いて1週間程度。奥様と喧嘩をしていた場合2週間程度居座ることもありますねぇ…。奥様と過ごす何気ない日々が大好きな愛妻家ですぅ。日ノ本の皆様が「早く冬将軍帰って」なんて言ってるのを耳にするとと結構しょんぼりするくらいにはガラスのハートの持ち主の恐れだったりそうでなかったり。主である陽向様を鬱陶しがる傾向にあるのですよ~。」



ひとりがくすくすと笑い、すたすたとその場を去ると次のひとりがまた同じようにのんきな喋り口で話し始める。


「奥様はですねぇ…桜前線として、日ノ本に春を伝えることが役目なのです。奥様無しには桜は訪れませんよぉ~。日ノ本で桜の木の下で宴を楽しむ人々を蒼玄とお屋敷から眺めることに楽しみにしていらっしゃいます~。屋敷の中庭のひとつには大きな桜の木が植えられており、春になると日ノ本と同じように蕾が花開くのです~。旦那様の表情が時々読み取れずに誤解をしてしまうことがあるものの、彼女が純粋であることを表しているのですです。タレ目のせいか若く見られてしまうことも多々あるのですぅ。日向様も仰っていましたが、奥様の心はとても寛容であるのです。深く、底なし沼のように寛容であるのです。それはつまり…」


「怒らせるとどうなるかわからないということです~。」


「最後はお任せしますぞ~。」


「はぁいっ。陽向様はですねぇ…かなりうるさいと旦那様からは煙たがられるものの、それは本当の気持ちではないと思って気にせずに雪吹家に突然、突然遊びにいらっしゃるのです~。簡単に言えばショタジジイ様です~。夏にギラギラとした日差しを日ノ本中に当てつけることが最近楽しくなってきたご様子ですぅ…。日ノ本の皆様にはご迷惑をおかけしております~。奥様のことを『桜』と呼んでいるただひとりの人物でもあるのです~。ほかの方は大抵『奥様』なんですよ~。」



と、まぁ…日ノ本の皆様、季節を司っている人々の生活に触れて、「あ、今年冬将軍奥さんと喧嘩したな?」なんて考えをもって、緩く生活をしてみては如何でしょう?



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