第4話 雪吹家、台風に見舞われる?・下



「小鳥遊の家にはかなりの文が届いているようです。」


「それは良いことではないか。気に入らぬことでもあるのか?」


お猪口に甘酒を注いでもらい、少し口にすると緑は首を横に振った。


「ほとんどの方は見ず知らずの殿方ばかりだそうで、会いたくもないとの話。顔見知りの方からの文もあるというのですが…ご本人が筆を取られたものではないと。あくまでも、あの子達が小鳥遊の家に出向いていた時に耳に挟んだ話なので、桔梗本人から話を聞かない限りわかりませんが…。」


「そうか。文を貰うことに疲れたのかもしれんな。」


蒼玄が小さく呟き、暫く無言の時が流れる。蒼玄がお猪口に甘酒を注げば、緑がゆっくりと飲み、なくなるとまた注ぐ。

それを何度か繰り返していると、緑が口を開いた。


「満月の夜は、不思議なものですね…あの頃は、満月のお昼でしたから、二人でこうやって見ることはありませんでしたが。」


「うちに来た日も、満月だったな。」


「えぇ…その日から、満月の夜はこうしてふたりの時間を作る、と決めたものでした。」


「相変わらず、自由奔放に生きているお前の姿を見られて…幸せだ。」


『幸せ』という言葉を聞いて緑は蒼玄を見上げた。彼の顔は緑と同じ方を向いており、どのような顔をしているのか、わからない。ただ、お酒以上に体を暖かくしてくれる一言だった。


「旦那様がしっかりとお仕事をなさってくだされば、緑も幸せです。」


「それとこれとは話が違うぞ、緑。長居をすると早く帰れといい、全く行かなければ何故来ないといい…昔ほど風情を気にしない日ノ本は、違う。」


現代日本、都心部は電車が迷路のように入り交じり、農村部は道路の開拓が進み、冬将軍によって引き起こされる雪やみぞれを喜ぶものはそういない。寧ろ、


『電車が遅延した。』


『車のスリップ事故で通行止めが入った。』


などと不満を言う人の方が多い世の中。


「清少納言たちはこぞって冬を書いた。冬は、冬の良さがあるというの…緑?」


はぁ、と昔の文化人たちのことを思い出していると腕に重みを感じ、隣を見ると酔いからか眠ってしまった妻が寄りかかっていた。


彼女の手元からお猪口を取り、指を鳴らして自分の使いを出す。使いは緑の履物を脱がせて主の方を見た。


「この徳利とお猪口を洗い場に持って行ってくれ。」


蒼玄が履物を受け取ろうとすると使いは拒んで、徳利たちを受け取った。


「何、気にするな俺が持っていこう。姫君は相変わらずのお顔だな。」


「あぁ。あの時から、全く変わっておらん。…あの、桜吹雪の中から現れたときから。」


自分より幾分小柄な彼女を起こさないようにそっと腕を膝裏と背中に滑り込ませて、抱え上げる。


「満月を選んで、正解だな。行灯がいらん。」


ゆっくりと歩き出した横を使いが並んで歩きながら声をかける。満月は、いつもふたりを見ている。そう考えていると、ふと頭の中に緑の父から言われたことが思い浮かんだ。


「あぁ。緑は満月と縁があるらしい。小鳥遊の父上が、緑が生まれた時も満月だったと言っていた。」


「ほう…姫君は満月と仲が良いのだな。夜明けには妹姫が元気になって起きるだろうから、さっさと寝るんだな。」


石段にたどり着くと使いはぽんぽんと主の背中を叩いて、中には入らずに外を使って洗い場へと向かった。

そんな使いの背中を見ながら、草履を脱いで自室へと向かうことにした。


「…いつまでも変わらず、傍にいてくれ。」


隣り合わせに敷かれた布団の隅に一旦緑を下ろして手前の掛け布団を捲り、再度抱えて足元、腰、そして頭を枕に据えて掛け布団を綺麗に戻す。その後、自身も隣の布団に入り目を閉じる。




そして夜は開け、雀が鳴く。


「ん……あら、いつの間に眠ってしまったの…でしょう。」


雀の鳴き声で目を覚ますと、いつの間にか布団の中に入っている自分に首をかしげる。


「旦那様と、お話を……!あぁ、お話を聞いている間に眠ってしまったのですね…なんということをしてしまったのでしょう…。」


記憶を呼び戻せば、甘酒を飲んで眠ってしまったことを思い出した。ため息をついて、蒼玄を起こすかどうか悩んでいると足音が複数聞こえてきた。身の危険を感じたのか、自分の使いを数人召喚して襖を押さえさせた。


「姫様!いけません!身分の高いお方が廊下をうるさく歩かれるなど!」


「うるさく歩いてなどいません!一刻も早く姉上様にお会いしたいだけです!」


新しい侍女と、桔梗の足音だとわかると頭が痛い。侍女に関しては、桔梗を止めるために足音がうるさいのだろうが、一方の桔梗はどうなのか、と考えてしまう。


「はぁ。やはり、あの子もどこかに従事させるべきなのでしょうか…。」


「婿取り前に少しは貴人の娘であることを自覚させるためにもよいかもしれんな。」


独り言を呟いたつもりが、隣から賛同の声がした。横を見ると、蒼玄が目を覚まして欠伸をしていた。


「申し訳ございません…朝からあの子がうるさくしてしまい。」


「お前が悪いわけではない。緑…」


名前を呼ばれ、手招きをされると掛け布団を剥いで体をそちらに向ける。すると、蒼玄は自分の掛け布団を捲って入るように促す。


「あやつを入れなければいい。久しぶりに、同じの布団に入ってくれ。」


「まぁ…あの子のお話を聞いて下さるのではなかったのですか?」


「…朝餉の後に聞く。それまではいいだろう?」


いつもとは違う、蒼玄の頼みが嬉しかったのかそっと捲られて空いている蒼玄の布団の中に入り体を密着させる。蒼玄は捲った掛け布団を緑にかけて寒くないようにとぎゅっと抱きしめた。それと同時に自分の使いを出して彼女の使いと交代させる。


「朝餉の用意を頼む。出来たら起こせ。それまでこうやっているからな…。」


「「かしこまりましたぁ~。お任せあれ~。」」


襖をすっと通り抜けて彼女たちは朝餉をつくりに行くついでに迫りくる人を取り押さえに行った。おかげさまで、先程まで近づいていた足音はぱたりと消えた。


「部屋の前を頼んだ。」


「「任せろ。」」


彼の使いたちは一言だけいい、部屋の前に移動して監視、もとい警備を始める。


「旦那様が、このようなことをなさるとは…熱でもあるのですか?」


緑はそっと蒼玄の額に触れた。しかし熱があるようなこともなく、いたって普通であったようで首をかしげた。


「なんとなくだ。」


「流石に師走の朝ですし、寒くなってきましたねぇ。」


言葉数少なく会話をしていると、一度だけ唇を重ねられる。


「…旦那様?やはり、熱があるのでは?」


「いや、眠たいだけだ。…それに、昨日は全く話が出来んかったからな。」


そう言われると、緑の顔ははっとした表情をしてすぐにしゅんとした表情に変わる。その表情の変化に蒼玄はくすりと笑い、そっと頭を撫でる。


「気にせずとも良い。…もう少しだけ、眠ってもいいか。」


「勿論です。あの子達が起こしに来るまでお休みになってくださいませ。」


そう言われると蒼玄は瞳を閉じてすぐに眠りに入っていった。呆気なく眠ってしまった蒼玄を見て頬を撫でる。


「とても、綺麗なお顔ですね…。ふぁ…ん…。」


自分も眠たくなったのか瞳を閉じて眠ってしまう。





…のも束の間。何か重いものが乗っていると思い目を開けると、


「あ、やっと起きましたぁ?さささ、朝餉ができましたよ~。既に皆様お待ちですぞ~。旦那様ぁ、起きて~。早く起きないとお味噌汁が冷めますよぉ。」


「もう…早く起こしてくれてよかったのに。旦那様、起きてくださいませ。」


自分の使いを桜の花として散らせ体を起こしてから、蒼玄を揺り起こす。


「ん…、できたか。」


「皆様お待ちです。さぁ、いきましょう?丁度卯の刻ですし、朝餉に良い時間です。」


『卯の刻』と聞くと驚いた顔で緑を見て体を起こす。


「あやつが起きたのはいつだ…。どこかに出仕させろ、婿になるやつが哀れだ。」


「さぁ…、寅の刻でしょうかねぇ…。その話もしてみませんと。」


少し寒い廊下を二人並んで歩き、広間へと向かうと既に火鉢によって温められていた。


「皆様おはようございます。朝からうるさかったでしょう?」


そういうと、侍女たちは顔を見合わせた。口には出せないものの、うるさかったようだ。


「桔梗、朝餉の後、この場に残りなさい。話を聞きましょう。」


いつもは優しい姉の口調が少し怖かったのか、びくっとなった桔梗を見て席に着いた蒼玄が一言。


「さぁ、冷めぬうちに食べてしまおうではないか。今日は、昼餉の後にうちを案内しよう。」


その一言を皮切りに、皆それぞれに朝餉に手を付ける。


「今日は、お味噌汁に玄米、あら…クエですねこれは。やぱり薄味で煮込んだものは美味しいですねぇ…」


ひとつひとつ確認しながら主菜を食べて、ふふっと緑が笑う。それに連れられて、クエの煮物を皆が口にする。鼻から息が漏れる音が部屋中に広がり、口々に


「あぁ、温まる。」


「クエ…美味なり…」


と呟く。


「ふふ、初めての方もいらっしゃるようですね。この時期の旬ですからとっても脂がのって美味しいでしょう。」


ふと思ったのか、侍女が緑のほうを向いて尋ねる。


「いつも、このようなお料理を?」


「いつもは…はて、どうだったでしょう?」


自分ではわからなかったのか緑は顔を向けて隣の蒼玄に尋ねる。蒼玄は味噌汁を一口飲んでから、答える。


「寒い季節はこうやって温かいものが多い。外は冷えるからな。頼めば生姜湯も作ってくれよう。」


「「お任せあれ~。皆様本日の朝餉は如何でしょう?」」


突如として現れた給仕係に驚きつつも、従者たちの表情は満足そうだった。


「朝餉を食べ終わったお膳はそのままにしておいてくださいね~。私たちがしゅっしゅっと回収しますからぁ~。」


「寒くならないように部屋のあちこちに火鉢つけているのでどこにでもどうぞ~。それではごゆっくりぃ~。」


突如現れた彼女たちは突如として消えていった。そんな彼女たちを見送って、緑がくすりと笑う。


「ふふふ、さぁ食べてしまいましょう。」


はっとして我に返り皆それぞれ残りを食べ始める。そんな光景を見て、


『子供を授かれば、こうなっていたのかもしれない。』


と頭に浮かんだことを誰にもいうことなく、緑は満面の笑みで食事を進める。


「…」


自分の夫がじっと見ていたとは知らずに。


「それでは、某はこれにて。」


「私どももお暇を。」


食事を終え、お茶で一服した後、蒼玄、緑、そして桔梗以外の皆が広間を去る。


「さてさて、片付けますぞ~。」


「「はぁい~!」」


給仕係はそれぞれ分担してお皿一種類ずつ集めて洗い場に持っていき、広間が完全に三人だけになった。


「さぁ、わざわざ食材とともに来たのですから、真面目な話をしにきたのでしょう。何があったのです?」


袂をぎゅっと握り締めた桔梗は真剣な目をしてふたりを見る。


「姉上様が嫁がれて…、家では一人ぼっちでした。私は、次第に何故か自分の使いを上手く扱えなくなってしまいました。そんな中、婚姻をと騒がれ…文は絶えず、そして読みきれずに疲れきってしまいました。」


「扱えたのではなかったのか。」


蒼玄はふむ、といった表情で桔梗を眺めながらお茶をすする。桔梗は自分の手のひらを見つめて、首を横に振る。


「言うことを聞かないのです。言いつけたことをしてくれず、時たま現れることさえなく……。ですから、このまま誰かを婿に迎えることも足踏みしてしまうのです。」


緑は立ち上がり、桔梗の傍に座って抱きしめ、そっと頭を撫で宥める。


「まぁまぁ…きにすることはないというのに。」


姉妹の姿を見て、黙っていた蒼玄が口を開く。


「桔梗、物は相談だが、陽向のところに出仕に行かないか。」


その言葉に、桔梗は顔を上げた。その表情は困惑と期待とが混ざったようだった。


「期限は3ヶ月くらいが妥当か、この時期であれば。緑のように大人しくなれとは言わん。寧ろ陽向と同じく喧しいのがお前の良いところだ。…ただ、お前に著しく欠けているものがある。わかるか?」


桔梗は頭を下げ、首を横に振る。はぁ、と一息ついて頭を下げている桔梗を見つめた。


「小鳥遊の主になる覚悟と、落ち着きだ。朝のように騒がしく廊下を歩かれて誰が心地よい。もしお前の顔も知らぬ客が来たところで、貴人の娘として振る舞えるか?」


「恐らく、…出来ませぬ。」


「気心が知れた俺のような人間の前では陽向のようにしていても怒らん。だがな、いつまでも甘えはきかん、わかるな。」


「十分に…。」


桔梗が気落ちしていると思ったのか、蒼玄はこほんと咳払いをした。そして、さきほどと変わって優しい口調で話を続ける。


「父上と母上に話してみることだ。全てはうまくいく。…陽向の屋敷で、使いの扱い方を学んでくるといい。」


蒼玄は途中から、顔を背けてお茶をすすっており、ちょうど飲み終えて湯呑をそばのお膳に置いたところで、桔梗が抱きついてきた。


「義兄上様ぁぁぁっ!」


「……全く、世話の焼ける。」


そっと、すすり泣く義妹を抱きしめ頭を撫でる。蒼玄は桔梗越しに緑を見る。彼女の表情はほっとしているようにも、まだ困惑しているようにも見えた。


「ちなみに、良い文はあったのか?」


「ないです。あるわけないでしょう。」


泣いていたはずの桔梗は即答してため息混じりに首を横に振った。


さっきまでの健気さはどこに消えた、と内心呟きながら口を開こうとしてぐっと閉じた。


「あろうことか、青嵐せいらんは従者に文を書かせたのですよ?…どういう神経をしているのでしょう、全く名家の次男ともあろう人が…。」


「青嵐様が…?それは不思議ですね、旦那様。」


「……」


「旦那様?」


二度目の呼び掛けではっと意識が戻る。頭を軽く振って、桔梗を引き剥がす。


「悪い、何でもない。食料はありがたくもらっておこう。…出仕が決まった時はまた知らせてくれ。」


「勿論ですわ。父上様も出仕には納得してくださるはずです。」





いつの間にか、時間は昼餉のとき。


昼餉の準備を始めた給仕係が桔梗がいることに驚いた。


「え、姫様お屋敷に戻られるのでは~?姫様の分はありませんぞ~?」


「…え?」


驚きの言葉を発せられ、桔梗も驚いた顔で返す。


「あぁ、小鳥遊の家から迎えがそろそろ来てもおかしくない頃だったな。」


「義兄上様、まさか…」


青ざめた表情の桔梗に対し、清ました表情の蒼玄。それを微笑ましく見守る緑。


そして、


「鬼が来たな。」


小さく蒼玄が言うと、桔梗がその場から逃げようとする。


しかし、時すでに遅し。彼女はすでに両脇を若兵に捕まえられていた。

ほっほっほ、と緩やかな笑い声が広間に広がった。


「これはこれは、挨拶もせずに申し訳ございません、主殿、姫様。」


桔梗の後ろから現れた直衣姿の男が頭を下げる。恐らく、鬼と呼ばれた人なのだろう。


「気にするな。…今回は、見逃してやれ。こやつにはここ以外に逃げ場がなかった。それに、お前とて桔梗を追い詰めるつもりなどないだろう?」


「はて、なんのことやら。昨日は一日箏の手ほどきを休まれ、本を読むことも休まれ…今日はその分を挽回すべく、お迎えに上がった次第でしたが?」


「ほう…、今日は昨日やっていない分、みっちりと時間を組んでもらうんだな桔梗。」


にこにこと笑ったまま、男は返事をした。蒼玄は、扇子を開いては閉じてを繰り返し、パタンと全てを閉じると口角を少し上げて、不敵な笑みを見せる。

緑は、手習いを放棄していたと知ると口元に手を当てて驚ものの、すぐにいつもの笑みを浮かべた。


「夕刻に来たからしっかりやってきたと思っていたのに、いけませんねぇ。ささ、私たちは昼餉の時間になりますから、皆様をお呼びしなければ。」


「さぁ、私どももお屋敷へ戻るとしましょう。」


「また近々、お待ちしていますよ、紫苑しおん。」


座ることもなく、桔梗のに来た男、もとい紫苑と呼ばれた人は背を向けて軽く手を振って、その場を離れる。


勿論、青ざめたままの桔梗を先に連れて行かせて。


「妹君は、大丈夫なのでありますか?」


ひとりの従者が入れ違いで広間にやってきた。


「紫苑も笑っていましたし、今回はお咎めなしでしょう。」


「あの、直衣姿の方ですな。」


「紫苑は、怒ると大変ですからねぇ。あの子はよく怒らせているようで、あまりよくない意味で天才かもしれませんね。」


緑が笑うと、従者もつられて笑った。そんな、晴れた日の昼。


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