第29話 成人の儀4(回想)

 ドラゴンとは、彼ら(シルバーグレイヴたち)自身に言わせれば世界の守り手であり、正義と秩序の番人である。

 この世界において最強である彼らは、種族や個人の善悪などという卑小な価値観には拘泥しない。世界においてどちらが彼らの考えで有益かを考慮に入れるだけである。

 ドラゴンとは定命の者にとっては生物ではない。災害だ。故に、どの種族もドラゴンを味方につけようなどとは考えない。なぜなら、彼らの考え方は到底理解が及ばず、戦場で突然敵になる可能性すら否定できないためである。台風が強力だからといって、わざわざ台風に沿って一緒に進軍する馬鹿はいないのと同じである。


 そんな彼らが絶対悪と見做す存在がある。蛇竜クロマティックである。


 定命の者はドラゴンの種類など普通は気にしない。

 そもそも一生で二度以上も出会う機会はないからだ。

 そして、出会ったドラゴンがなんであれ、踏み潰されるか、食い殺されるか、はたまたドラゴンブレスで焼かれ、凍てつき、溶かされ、感電し、窒息する、という死に方の違いであり、やるべき事は変わらないからだ。

 少しでも安全と思われる方へ逃げるしかない。


 だが、ドラゴンにはハッキリと種類が存在する。

 それは大別して二つに分けられる。

 鉱竜メタリック蛇竜クロマティックである。

 正確ではないが、善竜グッド邪竜イーブルと言い換えた方が分かりやすいかもしれない。

 鉱竜メタリックは鱗の色が金属色で、蛇竜クロマティックは鱗の色が原色である。

 蛇竜クロマティックは破壊衝動を抑え切れず、己が欲望に任せて動く。つまり、蛇竜クロマティックは世界最大の破壊者であり、世界の守り手たる鉱竜メタリックにとって最優先で滅ぼすべき敵なのだ。

 しかし、そのような理屈を抜きにしても、鉱竜メタリックは本能的に蛇竜クロマティックを見れば、取り合えず殺しに掛かる。他は何を置いても殺してから考えるのだ。彼らが撤退を選ぶ時は、相手を殺すことが出来ない時のみである。殺すことが出来るのであれば相打ちも厭わない。

 種族的に近親種で、種族として鉱竜メタリック蛇竜クロマティックという種があるのか、それとも、鉱竜メタリックから堕落した者の色が変わるのか、はたまたその逆か。それぞれの説を支持する竜がいるが、真実は明らかにはなっていない。


 どちらの竜も更に色によって性格や能力が異なる。青竜ブルードラゴンであれば雷のドラゴンブレスを吐き、電撃に耐性があり、尊大で虚栄心が強く縄張り意識が強いだとか、緑竜グリーンドラゴンであれば毒ガスのドラゴンブレスを吐き、毒に耐性があり、嘘吐きで欺瞞と陰謀を好むなどである。


 シルバーグレイヴは銀竜シルバードラゴンの一族である。

 彼らこそは正義の最先鋒であり、先陣を切って突撃し、爪で尾で牙で、敵の戦列に穴を穿ち、敵の急所に刺となり留まり続ける戦場の楔である。

 彼らは凍てつく冷気のドラゴンブレスを吐くが、それにより遠距離から攻撃するよりも、大勢と接近戦を行う事を好み、多対一で勝つことや強敵との勝負を武勲と考え大事にしている。

 名誉を重んじ、戦いを誉れとする彼ら銀竜は、戦場に引かれる事がある。そこを目指した訳ではないのに、いつの間にか戦場にいるのである。二十日程前のシルバーグレイヴが正にそうだった。


 ドラゴンは天空の宮殿にでも住んでいない限り、成長に合わせて居住地を変える。

 さもなくば、それ以上成長できなくなるからだ。

 シルバーグレイヴはその新しい棲み家を探しに出た所だった。適度に大きな洞窟で、他の竜の縄張りに重ならず、侵入者などに煩わされる事のない険しい場所にある物件はないものかと、探しながら飛んでいた。

 最高の物件は山の高所にある蛇竜クロマティックの占拠する洞窟である。宿敵を倒すという武勲と完成された住居が同時に手に入るという夢のような話だ。そんな状況を夢想しながら風に任せて飛んでいると、彼はミクリの町の上空に差し掛かっていた。そこは今、正に攻防戦の真っ只中だった。


 彼がボンヤリとしていなければこんな所には来なかっただろう。このミクリの町の南東にある活火山は鉱竜メタリック水銀竜マーキュリードラゴンが縄張りとしているからだ。彼は個人的に水銀竜マーキュリードラゴンの中に苦手な一匹がいるのだ。放浪僻のある奴の事だから、あの山にいるとは思えないが、寄らないに越したことはない。

 そんな彼の忌避する土地の近くだったため、ミクリの町の事は知らなかったが、上空から見ると状況が簡単に見て取れた。

 地形的に、ミクリの町は関東方面から富士山の南を回るにせよ北へ進むにせよ、東海方面へと抜ける陸の要衝なのだ。そこまで巨大な都市ではないが、堅固な城壁が築かれ防衛の塔がいくつも建てられている。

 難攻不落と評して良い城塞だった。

 だが、それだけだった。


 おそらく、今まで数多の防衛戦を戦い抜いてきたであろう10mの高さを誇る堅牢な城壁は、東から押し寄せる物量に綻びを作りはじめていた。

 だが、この戦いの趨勢を決したのは将の差であろうと、シルバーグレイヴは結論した。

 この戦がいつ始まったのかは知らないが、ついさっきということはないであろう。戦場の死体、大地や城壁の爪痕を見れば、戦闘がどのような経緯を辿ったのかはある程度分かる。

 防衛側の動きは実に退屈だった。愚将ではないが凡将であった。決められた動きをしているだけだ。戦闘に対する視点が低い。近視眼的になりすぎて大局が見えていないのだ。相手の意図を読もうという意思も感じられない。これでは場当たり的な対策しか出来まい。悪く言うなら、傲慢、油断、侮蔑、慢心、そういった類いの心理すら透けて見えそうだった。今は焦燥と絶望に取って代わられつつあるだろうが。いや、敗軍の将など悪く言われて当然なのだから、この評価が妥当と言うことか。

 対して攻め手の将は、決して褒めたくはない才能だが、非凡である事は疑いようがない。被害が出るところに的確な犠牲役を出すことで、戦力の低下を最低限に抑えている。奴隷兵や下級のゴブリンを上手く弾避けに捨てているのだ。そして、町の包囲よりも東の正面からの力押しを優先し、城壁や塔への攻撃よりも壁の内部への投石機カタパルトでの焼夷攻撃を優先している。冷酷で狡猾だ。

 シルバーグレイヴは次の一手を読んでみた。おそらく、何らかの決定的な攻撃を隠しているはずだ。それを行うと同時に、ゆっくりと分かりやすく、軍勢を包囲に動かすだろう。何故なら、この将が落とそうとしているのは城塞ではない……。

 あにはからんや、その決定打はすぐに現れた。

 高空より眺めるシルバーグレイヴより下をいくつもの影が高速でミクリの上を通過した。それと同時に防衛塔が一つ爆ぜて倒壊した。町の中にも幾つか大穴が空いた。粉塵を巻き上げ倒壊した塔と上空を通過した影を見て、町はパニックに陥った。


「ドラゴンだあ!ドラゴンの群れだあ!」

 町から絶望的な悲鳴が上がる。


 違う。今通過したのは飛竜ワイバーンだ。塔を破壊し、町に穴を空けたのは、飛竜が掴んできて落とした岩であって、ドラゴンブレスではない。

 飛竜はドラゴンに比べれば小さく、知能もない。ただの野生動物だ。今はその上にゴブリンを乗せているため指示に従って動いているが、本来は本能のままに動く獣である。

 だが、シルバーグレイヴにはそれが分かるが、町の人間には分からない。

 仕方がない。

 その一生で彼らがドラゴンを目にする事など一度もないのが普通なのだから。


 シルバーグレイヴの予想通り、ゴブリンとオークが町の包囲に動き始めた。

 対策していれば、まだ保つかもしれないが、凡将では敵の狙いは分かるまい。

 少し遅れて町の西門が開く。

 落ちた。

 まずは馬や馬車、そして、その後を荷を背負った人々が西を目指して一目散に駆けて行く。

 ゲームセットだ。まだ戦闘は続いていて、東門も破られてはいなかったが、最早ミクリが落ちるのは時間の問題だった。防御側の兵の反撃も散発的になっていた。

 攻め手の将が落とそうと狙っていたもの。それは士気モラルだったのだ。


 古来籠城で勝利した軍はいない。

 何故か。

 籠城とはつまり時間稼ぎだからだ。

 援軍の望めない籠城はただの自殺である。

 しかし今までミクリは存続していた。

 つまり逆説的に言えばミクリには援軍が望めたのである。

 だから今まで陥落しなかった。


 今回の攻め手は、この町を落とすために必要な事は、籠城に対する通常の包囲しての攻囲戦ではない事に気付いていた。攻め手が戦うべきはこの町ではなく、時間なのだと知っていたのだ。

 だから逃げ道を敢えて塞がなかった。逃げられないとなれば、戦うしかないからだ。その選択肢を残した。戦闘も壁の破壊より町中への攻撃に力を入れ、被害が大きいように見せていた。そして市民に、負けるかもしれない、という疑念が頭をもたげたタイミングで、飛竜ワイバーンの投入をして衝撃を与えた。それと同時に包囲へと動くことで、逃げ道がなくなる可能性を示唆し、脱出を促している。全てが攻め手の計算通りに進んでいる。

 おそらく前線で戦っている兵士たちは何故市民が敗走しているか理解できないだろう。

 自分達の防御はまだ破られてもいないし、損害も悲観するほど出てはいない。戦闘しか見ていなければそう思って当然なのだ。もしかすると防御側の将すらもそう思っているかもしれない。そうだとすれば救いようがない。


 この時点で既に詰んでいた。

 町を維持すべき市民が逃げ出せば、兵士が戦闘を継続するのに必要な町の機能が麻痺し始める。もし今の攻勢を支え切れたとしても、援軍が来るまでの継戦能力は失われつつある。

 更に西側から市民が逃げ出そうと殺到しているため、町の中の配置転換に手間取るであろう。この隙を見逃してもらえるとは思えない。


 包囲の別働隊はゆっくりと進み、逃げ出す市民を襲ってはいなかった。これも策略のうちだろう。まだ逃げ出せるチャンスがあると思わせるためだ。それに、町に攻め込む一番槍は彼らではないだろう。今これ見よがしに移動しているゴブリンやオークは見せ餌に過ぎない。

 街道上を列を成してマラソンのように南西へと逃げていた避難民達から悲鳴が上がり、彼らは蜘蛛の子を散らすように街道を外れ森の中へと駆け込んで行った。

 街道に沿って、先ほど飛び去って行った飛竜ワイバーン達が、またも岩を抱えて今度は木と同じ高さの低空飛行で戻ってきたのだ。飛竜ワイバーンは避難民には目もくれず、そのまま城門へと突入していく。正気の沙汰とは思えなかった。

 一匹、また一匹と、城門をくぐり抜けると、城壁の中の町に好き勝手に岩を放り込む。岩は町中を適当にえぐり破壊していく。道に沿って放たれた岩は、道を埋め尽くしていた市民や兵隊を擦り潰す悲惨なボーリングとなっていた。

 包囲軍の動きを見て、まだ余裕があると勘違いしていた兵は、慌てて門を閉じようとしたが避難民で埋まっていて城門を閉じることは叶わなかった。

 更に突入してきた飛竜ワイバーンのうち二匹は、幸運か技量か、どちらかもしくは両方に恵まれず、城門をくぐり抜けられず激突し、岩と死体で門が閉じられないようになってしまった。

 飛竜ワイバーンの突入を見たオークとゴブリンは鬨の声を上げ、今までの緩やかさを捨て、西の城門目掛けて全力疾走を開始した。

 崩壊と虐殺の開始だった。


 ジエンドだ。

 最早何をしようが、坂道を転がり落ちる岩が上ることがないように、この城塞の陥落は逃れ得ないだろう。

 だが、シルバーグレイヴの物語はここから始まる。

 彼は人間の味方のつもりはない。しかしオークやゴブリンは好きになれない。そして何より、あの獣、しかもゴブリン如きに操られている獣がドラゴンだと思われているのは我慢がならない。本物のドラゴンとは何なのかを教育してやらねばならない。ここに偶然とは言え居合わせた自分の義務である。


 彼は高空より舞い降りると、町の上空を我が物顔で飛び交う飛竜ワイバーンにドラゴンブレスを放った。シルバーグレイヴの顎から放たれたブレスは空中にダイヤモンドダストを残しつつ、6匹の飛竜ワイバーンを巻き込みながら、町の上空で氷の爆発を起こした。

 巻き込まれた飛竜ワイバーンは悉く町へと落下していく。

 それは銀竜参戦の派手な号砲となった。


 ドラゴン同士でもない限り、空中で格闘戦ドッグファイトなど行うことはない。そういう意味では、飛竜ワイバーンはそれを行う事の出来る数少ない敵だった。

 だからといって、飛竜ワイバーンがシルバーグレイヴといい勝負が出来るのかというのと、それは別の話だった。

 シルバーグレイヴはあらゆる能力スペック飛竜ワイバーンを上回っていた。

 一匹また一匹、多いときは三匹同時に落ちていく。

 正に王者に相応しい横綱相撲だった。数の劣勢など何の意味も成していなかった。

 最も大きな違いは機動性だった。

 飛竜ワイバーンとは、魔法を操る知性もない、ただの大きな鳥である。

 彼らは物理法則に従って飛んでいる。

 ドラゴンは違う。物理法則に従うなら、あのような巨体は飛ぶことを許されない。

 ドラゴンは翼による飛行のみに頼っているわけではない。魔術による飛行フライの魔法を畏怖すべき存在フライトフルプレゼンスと同様、その身に常に纏っているのだ。故に彼らの飛行は物理法則に縛られない。ホバリングすら可能である。

 空中での最高速度、最低速度、旋回半径、全てで上回り、その上、攻撃も防御も最高のドラゴンに負ける要素は全くなかった。

 久々の空中戦を満喫していたシルバーグレイヴは、飛竜ワイバーンを12匹撃墜したところで彼自身の驕りの代償を支払うことになる。

 一斉に攻撃を仕掛けてきた5匹の飛竜ワイバーン竜の猛攻ドラゴンオンスロートという銀竜シルバードラゴンの得意技で同時に撃墜したときだった。既に残りの飛竜ワイバーンはなく、空に敵無しと彼が勝利の咆哮を上げたその時、途中からその咆哮は怒りの咆哮へと変わった。


 確かに空に敵は無かった。彼の敵は城壁の上にいたのだから。


 彼が戦っているうちに、城壁は半分ほどがゴブリン達が支配する所となり、城壁通路に設置されていた巨大弩バリスタがゴブリン達によって彼に向けて1mもある杭を放っていたのである。

 彼の左脇腹には杭が突き刺さっていた。シルバーグレイヴは大きく息を吸い込むと、ゴブリンを城壁通路もろともドラゴンブレスで吹き飛ばした。城壁の残骸がバラバラと町に降り注ぐ。

 彼は突き刺さった杭を前脚で引き抜くと投げ捨てた。しかし彼の危機はまだ去ってはいなかった。


「無様だな! 銀竜シルバードラゴン!」


 塔の頂上から彼に語りかけてくる、黒い革鎧を着て黒いマントを纏った男がいた。マントのフードを深々と被り、表情は全く窺えない。ただ吊り上がった口許が見えるのみだ。

 他の場所ではまだ戦闘の喧騒が充満しているというのに、その塔だけは制圧されたのか静寂が支配していたため、彼の声はよく通った。

「ドラゴン一の武闘派と言えば聞こえは良いが、所詮は脳筋よ!飛竜ワイバーン如きとの戦闘に浮かれて、隙を作るのだからな!」

 悔しいが正論である。シルバーグレイヴは悔し紛れに言い返す。

「死にたいと見えるな。面と向かって竜を罵倒するとは珍しい自殺方法だ」

「真実であろう? 空戦で有利に立ったつもりで、動きを遅くしただろう。旋回半径が小さいのを良いことに、位置を変える手間を惜しんだろう。そんなことをしなければ巨大弩バリスタが当たることなどなかったのに。正々堂々と格闘戦ドッグファイトをしたつもりになっていたろう? そんなのは強者の自己満足だぞ! お前はその自己満足のために死ぬのだ。愚かな竜よ! 真実とは残酷なものだな!」


 シルバーグレイヴは歯が折れるのではないかという力でギリギリと食いしばった。

 脳が焼き切れそうなほどの怒りが全身を駆け巡っていた。 

 彼自身が怒りの元凶はその言葉が真実だからだと分かっていた。だからこそ、その言葉の全てを真実にしてしまう訳にはいかなかった。覆さねば気が済まなかった。

「舐めるなよ! この程度の傷で殺される程ヤワではない!」

「だから……」

「ん?」

 途端に声のトーンが落ちた男の言葉が聞き取れず、思わずグレイヴの口から疑問符が出る。

 男は大声を出すためのように大きく息を吸い込むと、ハラリとフードを後ろに払いのけるとシルバーグレイヴに顔を……正確には口を向ける。

「それがお前の愚かさだと言っているのだ! このたわけが!」

 縦に割れた虹彩を持つ男は放射状にドラゴンブレスを吐くと、高々と哄笑を上げた。


 余りの突然の事に、右へ避けたが避け切れず、空中にあってはその最も大きい面積を拡げている翼にドラゴンブレスを受けてしまった。

 翼からジュウジュウと白煙が上がり、強酸が翼を溶かしはじめる。

 酸のドラゴンブレスを吐くだと! 慌てて距離を取りつつ叫ぶ。

黒竜ブラックドラゴン!」

「その通りだ! 若僧! 年長者には敬意を払うのだな!」

沼竜スワンプドラゴン如きがこんな所で何をしている?沼で泥でも啜っていれば良いものを」

 黒竜ブラックドラゴンは水辺に棲息するため鉱竜メタリックは蔑称として沼竜スワンプドラゴンとも呼ぶ。

「殻を背中に貼付けたような若僧が粋がるな。我が名はテリコラ。ミーム帝国西部方面軍を率いてこの城塞を落とした将軍よ。脳筋には分からぬだろうが、いろいろとやることがあってな、貴様に関わっている暇はないのだ」

「趣味と実益を兼ねた戦争か。どうせ拷問で忙しいのだろう」

 唾を吐き出しそうな嫌悪を込めた口調で言い捨てる。

 黒竜ブラックドラゴンの嗜好は知っている。彼らの破壊衝動は捩曲がっており、知的生命体の苦痛と悲鳴が大好きなのだ。

「その通りだ! 苦労したぞ、敵を殺さないようにするのは。今から逃げ出した市民を捕らえに追撃戦を行わねばならん。大勢捕まえれば、その分拷問が愉しめるからな。追撃戦は是非とも参加したいのだ。あの捕まるときの絶望の悲鳴はたまらなく心地好いからな。そんな訳でお前に割く時間はないのだ。その翼では最早高速飛行は叶うまい。先程のように避ける事が出来るかな?」

 テリコラは再度息を吸い込んだ。

 シルバーグレイヴは覚悟を決めた。

 戦う、逃げる、どちらの選択肢も先まで想定したが自分が生き残る未来が見えない。

 ならばせめて……、行動に出ようとしたその時、塔の頂上部に数人の兵士が現れた。


 雄叫びとともにテリコラに斬りかかっていく。

 皆ボロボロで、傷ついていたが、よくまとまったチーム特有の、生き物のような有機的な連携が出来ていた。

 テリコラは吐こうとしていたブレスを急遽迫りくる兵士へと目標を変える。ブレスは一人の兵士を捕らえ、鎧ごとその兵士を溶かして白煙を上げる赤黒い肉塊へと変える。悍ましいことにその兵士はまだ生きていた。

 だが、兵士たちは複数が範囲攻撃を受けないように、適切な間隔を空けていたため他の兵士は無傷だった。訓練されたチームプレイだ。

 一人、攻撃に参加していない隊長らしき男が、大声で叫ぶ。

「逃げろ! 見知らぬ勇敢なるドラゴンよ!」

 シルバーグレイヴは逡巡する。なんだこの唐突過ぎる味方は。理解が追いつかない。

「あなたは陥落寸前のこの町に味方してくれた。何の恩義もないのに戦った。それだけで幾人かの兵士は少しの間命を長らえ、幾人かの市民が逃げる時間を稼げ、数百人の敵を討ってくれた! その高潔な行動に感謝する! この町は陥落する! それは我々の責任だ。責めは我々が負うべきだ! ありがとう!」

 それだけ叫ぶと、彼もテリコラに斬りかかっていった。

 既に斬りかかった兵士は半分になっている。

 ダメなのだ。そのような脆弱な剣ではドラゴンの鱗は貫通できぬのだ。

 おそらく絶望的な戦力差は分かっているのだ。稼げるのは精々数十秒。そのために彼らは命を捨てようとしている。

 シルバーグレイヴは彼らに大きく吠えると一目散に西へと飛んだ。

 最後に塔を一瞥すると、あの隊長が腹を右手で貫かれ持ち上げられていた。

 テリコラはシルバーグレイヴに向けてブレスを吐く態勢に入っている。

 その瞬間、塔の頂上部がそこにいた全てを巻き込んで紫色のガスに包まれる。


 もう嫌だ。

 西へ西へと飛んでいた。

 翼がいまだに白煙を上げていたので、自分の爪で切り裂いた。酸の付着した部分を切り落とす。どうせ翼としては使い物にならないし、酸が付いたままでは再生出来ない。翼を使わない飛行だったため速度はさほど出なかったが、幸い空には敵はなかった。

 あの最後の見覚えのある紫色の毒ガスは彼の心を陰鬱にしていたが、それ以上に彼に傷を負わせたのは、巨大弩バリスタでも黒竜ブラックドラゴンでもなく、あの隊長だった。

 彼の言葉が、今もシルバーグレイヴの心をえぐり続けていた。翼の酸のようには簡単に切り捨てられないのが歯痒かった。


 高潔、勇敢、名誉。

 銀竜シルバードラゴンならば誰であろうが欲する言葉だ。

 だが、全く喜べなかった。

 あの動きを見れば分かる。あそこまで辿り着けた事が証明している。

 あの隊長が率いていた部隊はよく訓練されていた。絶望的な状況下で彼らに出来る最大限の事をやってのけた。敵の将軍を直接討つという無理を形にして見せた。彼らはまごうことなき勇者だ。

 矮小な人間如きがドラゴンを逃がすための盾になるだと?

 やめてくれ!

 あの場で死んでいた方が生き恥を晒さずに済むというものだ。

 テリコラが言った通り、彼は戦闘の熱に浮かされ、失態を演じた経験不足の愚か者に過ぎない。

 攻め手の将を非凡な才能などと評価していた過去の自分を八つ裂きにしてやりたい。

「本物のドラゴンとは何なのかを教育してやらねばならない」などと考えていた過去の自分を細切れにして魚の餌にしてやりたい。

 教育されたのも凡才だったのも自分ではないか!


 高潔、気高く尊敬に値する生き様。

 勇敢、危険を畏れず立ち向かう勇気ある者。

 名誉、賞賛されるべき行動をした者に向けられる評価。


 全て彼らだ! 自分ではない!

 あの場所でその言葉に相応しかったのは彼らなのだ。

 勝者がいるとすればそれは彼らだ!

 そうだ、シルバーグレイヴは、あの瞬間、名も知らぬ彼らに、あの隊長に憧れたのだ。尊敬してしまったのだ。

 あの場に来たのであれば、竜同士の会話は聞いていただろう。経緯も自分達の末路も分かった上で、シルバーグレイヴに「逃げろ」と言えるその精神こころの在り方に敗北を感じた。

 その理由が助けてくれたからだと?

 未熟なドラゴンの傲慢な行動だったというのに?

 やめてくれ!

 感謝も善意もたくさんだ! 今はそれが鋭い刃となって、彼を責め苛む。

 テリコラのような悪意と憎悪の方がまだ対処の仕方が分かる。

 彼が逃げたのは、あの隊長がそう言ったからだ。

 彼の意思を無駄にすることなどできなかった。

 人間とはあんなにも輝く事の出来る生き物だったのか。

 理解の外にある矮小な生き物だったが考えを改めるべきかもしれない。


 どこまで飛んだのだろうか?

 西へ向かっているのは確かだが、血を流し過ぎたかも知れない。

 意識が朦朧とする。まだ森の上空だ。

 ダメだ。魔力マナが足りない。命を繋ぐ為に急速に失われつつある。

 飛行を維持できない。どこか着陸できそうな場所を探さねば。

 下手に森に墜落すれば、岩や樹木に激突してしまう。

 少し先に森がポッカリと口を開けた場所がある。あそこしかない。

 もはや飛行を魔力マナで維持できない。残った右翼で何とか進路をコントロールする。

 この速度では地面に落ちたとしても死にかねない。何かで衝撃を殺さねばならない。


 森が拓けた場所まで来て、失敗だったことに気づく。そこは地面などではなく、頑丈そうな遺跡がそびえていたのだ。既に別の場所に変更する力も高度もない。

 少しでも高そうな場所に身を投じる。壁にぶちあたっては目も当てられない。せめて速度を殺して別の場所に落ちるのを願うしかない。

 最も高い遺跡の屋上に激突する。

 黒い屋根がメキメキと割れる。不思議なことに、彼の身を衝撃から守るように、その黒い屋根はたわむと、彼をそのまま西へと受け流した。あの屋根の下には空間があったようだ。

 そのまま西へ1.5km程の場所へ左側から地面を削りながら墜落した。左後脚をその時に捩ってしまい、動けなくなってしまったのだ。

 あの遺跡の屋根で速度を殺せていて助かった。あれがなければ、地面との激突で死んでいた可能性が高い。


 彼は回復に努めることにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る