第27話 成人の儀2

 翌早朝、アルラは馬車を操ってその隣にタケルが乗り、森の中を進んでいた。タケルは馬車など扱ったこともなかったのでアルラに任せるしかなかった。

 馬車といっても、幌も何もない平型の簡素な荷車だ。荷台には食料と酒の樽が積まれていて重量があるため、馬一頭で道のない森の中を引くのは大変だったが、先行するスレイプニルにロープでつないで引いているのでまだ楽な方だった。

 今二人が向かっているのは、ドラゴンの居場所への道程の途中に居るという、アルラの知り合いの所だった。

 近くに知り合いが居るから、途中で寄れば話が聞けるかもしれない、というアルラの言葉にタケルは飛びついた。情報は多ければ多いほどいいという彼の言葉で、立ち寄ることが決まった。


「それで、お父様ったらお兄様とチェスしてたのよ。私がドラゴン退治を言い渡されたっていうのに、チェスよ! あんな遅い時間まで!」

「この酒と食料については何か言ってた?」

「丁度、今晩の宴の余りがあるから馬車に積ませておく、だって。私の方を見もせずに、二人ともチェスを見据えてるのよ。なにあれ。お兄様なんか何年もチェスとかしてなかったくせに!」

 なおも続くアルラの愚痴を宥めつつ進み続け、やがて大きな樫の木が立っている所までやってきた。アルラは馬車の上から木に向かって呼び掛けた。

「イリニア!居るかしら!」


 アルラの声に反応して、その大きな樫の木の一部が外れるように落ちて来たかと思うと、見事な着地の姿勢を見せた。

 それは美しい芸術品のような女性の木像だった。美術品と違うのは、自ら動いていることだった。

「アルラ! 久しぶりね。どうしたの? いつもは一人で来るのに?」

「紹介するわ。この人はヤマトタケル。私の伴侶になる人よ。タケル、こっちは私の友達で、ハマドライアドのイリニアよ」

 イリニアの表情が好奇心と歓喜に変わる。

「おめでとう! アルラは愛を見つけたのね! 羨ましいわ。しかも相手が人間だなんて! ねぇ、今どんな気持ちなの? 教えて教えて!」

 すごい食いつきだ。ノリが女子中学生みたいだ。だが、挨拶はきちんとしておくべきだろう。握手の手を差しのべて、ちょっと目を逸らしながら挨拶をする。

「はじめまして、イリニア」

 タケルが挨拶をすると、イリニアは何故かビックリして、戸惑いながら挨拶を返す。

「あ、はじめまして、タケル」

 おっかなびっくりで手を握る。

 イリニアの手は滑らかな木の触感だったが、微かに弾力もあった。

「それで、目のやり場に困るから、できれば何か着て欲しいんだけど……」

 イリニアは木像のような見た目だが、裸婦像なのだった。

 だが、彼女はそんなことお構いなしに、タケルの言葉を無視すると、キャアキャア叫びながら、タケルに抱き着いてきた。

「なにこの人間! スゴイ! 珍しい! 男なのにアタシの魅了チャームが効いてない! 愛なの! 愛があるからなのね! ねぇアルラ、この人間アタシにちょうだい!」

「あげるわけないでしょう! あなたそんなだから愛なんてわからないのよ」


 ハマドライアドという種族は女性しかおらず、樹齢を重ねた大木に宿る精霊に近い存在らしい。宿り木から遠くまで離れる事はなく、その木の周辺の守護者のような存在で、芸術品のような美貌を持っている。彼女たちは常に魅了チャームを無意識に発動させており、男性は種族を問わず彼女たちに幻惑されてしまう。ハマドライアドにとって、男性とはただ従属してくれる存在でしかない。種族存続の為に番う必要のない彼女たちは、それ故に愛を学ぶ機会がなく、人間達が理解できない行動や、理解できない底力を発揮するのは、愛という正体不明のモノのせいらしいと知って、愛を知りたがっているそうだ。

 当然、女性のエルフはハマドライアドと森の防衛という点において共生関係にあり、友好関係を築いているのだが、彼女たちの話題はティーンの少女のように恋愛ばかりで、興味があるのに理解できないため質問が延々と終わりなく続くので、その徒労感に心が折れて近づかなくなるのだそうだ。

 少し前までのアルラは、恋だの愛だのという一切合切を邪魔なモノ、面倒臭いモノとしか認識しておらず、イリニアには「あんなもの大した事ないわよ。ただの思い込みよ」とあしらっていたので、対極でありながらある意味で似たもの同士だった。

 片や愛を求めながら知ることの叶わない者。

 片や愛を求められながら知ることのなかった者。

 故にアルラは今までイリニアと時折話をしても特に思うところはなかったのだが……。


 これは確かに好んで近づきたくはないかな。

 タケルを欲しがるイリニアを見てアルラはみんなの気持ちがわかった。

 タケルは大魔術師だから魅了チャームが効かないのだろうが、普通の男ならイリニアに魅了されてしまうのだろう。自分の恋する者を苦もなく手に入れてしまう者がいる。しかもその本人はその価値に気付いていないのだ。まるで喜劇だ。だが、舞台に上がるものにとっては悲劇だろう。


 アルラがタケルにハマドライアドについて説明している間も、イリニアはタケルに抱き着いて、しきりに愛についての質問責めをしている。

 タケルは困りながらも誠実に答えようとしているが、全く噛み合っていない。

 初めて普通に会話できる男性に会って珍しいのは分かるが、こちらにも大事な用事がある。

 このままでは日が暮れてしまう。


「イリニア、悪いんだけど今日は別の用事があるのよ」

「二人でデートして寄ってくれたんじゃないの?」

「この先にドラゴンがいるって聞いたんだけど、何か知らない?」

 イリニアの顔が恐怖に歪む。

「近づいちゃダメよ。あれは恐ろしいんだから! 今も周囲の木々から魔力マナを奪いつづけてるわ」

「あなた見に行ったの?」

「そりゃあね、わたし、この辺の守護者だし。森を枯らすなんてほっとけないでしょ。恐ろしかったわ。短剣のような歯が並んでて、その口で枯れた木をバキッと折って食べてたわ。血も流してるし、近づいたらわたしも食べられちゃってたわよ」

 疑問に思ったタケルが口を挟む。

「そのドラゴンは木を食べてたの? 動物は食べてなかったの?」

「動物も食べられたと思うわ。でも近くの野生動物は食べられちゃった後だったみたいよ。ドラゴンが恐くて動物は逃げちゃうから。わたしの魅了チャームと一緒で、ドラゴンは恐怖フィアーを常に出してるから。だから恐くてわたしも近づけなかったんだけど」

 アルラが補足する。

「授業で習ったわ。専門的には畏怖すべき存在フライトフルプレゼンスって言うらしいわ。イリニアとかドラゴンみたいに、魔術のような効果を常時発動している種族は、自分の意思ではその効果を消すことができないんだって」

「このままだとわたしの樹まで枯れちゃうかもしれなくて、心配してたの。ねえアルラ、エルフはアレを追っ払ってくれるの?」

「うーん、実は私たちがそれをしに来たんだけど」

「たった二人で!? いくらなんでもそれは無茶よ!」

「私も自信はないんだけど、多分大丈夫よ。タケルは強いから。ドラゴンだって倒せるって言ってたし」

 イリニアの目がタケルを値踏みするように動く。

 どう見ても強そうには見えない。

 だが、この人間が魅了されなかったのも事実だ。

 イリニアは考え、結論に至った。

 神々しいものを見るようにタケルを見て、木の葉と同じ緑色をした彼女の髪をファサッと広げて祈るように胸の前で手を組む。

「素晴らしいわ。愛ね!愛の力なのね!やっぱり愛は偉大だわ!どんな困難も克服してしまうのね!」

 イリニアは両手を広げるとミュージカルのようにクルクル廻りながら、愛の偉大さを讃えている。

「どうやって愛を使うの? 愛の力でスーパーヤマトタケルに変身するの? わたしも見たい! 見たい!」


 うわあ、ダメだ。これは根本的にダメだ。

「ドラゴンが暴れると危ないから」

「成人の儀だから二人だけじゃないといけないの」

 同じ思いに至った二人は、それぞれ違う理由を口にしながら、そそくさと別れの挨拶を述べると、ドラゴンのいる森の中へと消えていった。


 後に残されたイリニアは、二人を羨ましそうに見送った。

「いいなぁ、アルラ。わたしも実験の為に、次に来た男の人に何かと戦ってもらおうかしら。無茶なものと戦ってもらって、もしその人が勝てたら、わたしとその人の間に愛があるって事よね?」


 イリニアが愛を知るための険しい道はまだ続いているようだった。

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